丸川珠代

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日本の旗参議院議員 丸川 珠代
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生年月日 1971年1月19日(41歳)
出身地 兵庫県神戸市
出身校 東京大学経済学部
学位・資格 学士(経済学)
前職 テレビ朝日アナウンサー
所属委員会 財務金融委員会
決算委員会
北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会(理事)
世襲
選出選挙区 東京都選挙区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党町村派
党役職 政策審議会長代理
厚生労働部会長代理
青年局次長
ネットメディア局 次長
東京都支部連合女性部長
東京都参議院選挙区第4支部長
会館部屋番号 参議院議員会館902号室
ウェブサイト 丸川珠代オフィシャルサイト
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まるかわ たまよ
丸川 珠代
プロフィール
本名 大塚珠代
出身地 日本の旗 兵庫県神戸市
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1971年1月19日(41歳)
最終学歴 東京大学経済学部
勤務局 テレビ朝日
活動期間 1993年 - 2007年
ジャンル バラエティ・報道番組ほか
配偶者 大塚拓
出演番組・活動
過去 ビートたけしのTVタックル』など

丸川 珠代(まるかわ たまよ、本名:大塚 珠代(おおつか たまよ)1971年昭和46年)1月19日 - )は、日本政治家、元テレビ朝日アナウンサー。自由民主党所属の参議院議員(1期)。参議院自民党政策審議会長代理。

目次

[編集] 経歴

[編集] 人物・逸話

  • 6歳の時に両親が離婚。医師であった母親に妹と共に引き取られ、多忙な母に代わり祖母に育てられる。2歳年下の妹はゼネラル・エレクトリック(GE)のエンジニア。
  • 2007年の参院選では幸福の科学がボランティアでハガキ作りや電話で支援した[1]

[編集] 女子アナ時代

  • 東京大学の同級生に法学部出身のテレビ朝日アナウンサー西脇亨輔がいる。いくつかの講義で一緒だったという。ただし、西脇は1995年(平成7年)にテレビ朝日に入社した為、後輩になる。また、フジテレビアナウンサーの佐々木恭子は同じ小学校・中学校・大学の2期後輩(大学は3期後輩)に当たる。
  • ビートたけしのTVタックル』でオープニングコント『(新)日本の景気を考える』の進行役を務める。
  • やじうま6』の司会を務めたのち、報道番組を中心に活動。『朝まで生テレビ』では渡辺宜嗣アナウンサーと共に進行を務め、『スーパーJチャンネル』でも『ザ・激戦区!』のリポーターなどを務めた。
  • 2005年(平成17年)、総務省・全国地上デジタル放送推進協議会(現:「デジタル放送推進協会」)より地上デジタル推進大使を委嘱される。
  • 出馬表明、退職後の2007年(平成19年)5月21日に、退職前に収録が行われた『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』が放送され、丸川も「プレッシャーSTUDY」の解答者で出演していたが、丸川が映っているシーンはカットされていた(頭と声が数秒程度しか出ていなかった)。ただ、肩書は「テレ朝アナウンサー」のままであった。番組冒頭で「この番組は2007年4月25日に収録したものです」というテロップが表示された。
  • 女子アナとして最後の番組となった、2007年の「夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル」内の「リアル野球BAN」で、新庄剛志率いるドリームチームが負けた際に、ドリームチームが延長を願い土下座した。そこで石橋貴明に、「これ以上やってると、丸川さんのファンデが落ちるんだよね~」とイジられ、「丸川さんが決めていいよ」と振られた(もちろん延長戦決定)。
  • 退職願を提出したのは、退社日の2日前だったという。テレビ朝日社長(当時)の君和田正夫はその後の定例記者会見で、「知らぬは我々ばかりだったのかな」、「個人的感想はいっぱいある」、「メディアと政治の距離をどう理解するのかを考えるんだ」などと丸川の行動を強く批判していた[2]

[編集] 選挙運動中に発覚した問題

[編集] 参議院議員としての活動

[編集] 所属団体

[編集] アナウンサー時代の出演番組

[編集] テレビ朝日同期アナウンサー

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
-
関東広域圏キー局地上デジタル放送推進大使テレビ朝日担当
初代
次代:
野村真季
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