西村康稔

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日本の旗 日本の政治家
西村 康稔
にしむら やすとし
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生年月日 1962年10月15日(51歳)
出生地 日本の旗 兵庫県明石市
出身校 東京大学法学部卒業
メリーランド大学大学院修了
前職 通商産業省環境立地局調査官
所属政党 無所属→)
グループ改革→)
自由民主党町村派→無派閥→町村派)
称号 修士(メリーランド大学・1992年
親族 吹田愰岳父
公式サイト 西村やすとし オフィシャルサイト

選挙区 兵庫9区
当選回数 4回
任期 2003年 - 2005年
2005年 - 2009年
2009年 - 2012年
2012年 - 現職
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西村 康稔(にしむら やすとし、1962年10月15日 - )は、日本通産官僚政治家学位修士メリーランド大学1992年)。衆議院議員(4期)、内閣府副大臣

通商産業省環境立地局調査官、外務大臣政務官自由民主党兵庫県支部連合会会長などを歴任。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

兵庫県明石市生まれ。実家は時計店で、父親はサラリーマン神戸大学附属明石中学校灘高等学校東京大学法学部卒業。灘高校時代の同級生に小林俊行牧野淳一郎らがいる。大学時代はボクシング部に所属。

官僚として[編集]

1985年通商産業省入省。通産官僚時代は風力発電の導入促進、アルミ缶のリサイクル制度の制定に携わった。経済企画庁への出向や、石川県商工課長を経て、アメリカ合衆国メリーランド大学大学院で国際政治経済を専攻した[1]1992年5月、同大学より修士号を取得した[1]。通商産業省の環境立地局にて調査官に就任したが、それを最後に1999年に退官した[1]。退官後は、原健三郎衆議院議長の秘書を務める。

政治家として[編集]

2000年第42回衆議院議員総選挙に、引退する原の地盤を引き継ぎ無所属兵庫9区から出馬したが、自由民主党公認の宮本一三に敗れ、落選した。2003年第43回衆議院議員総選挙に再び無所属で兵庫9区から出馬し、前回敗れた宮本を下して初当選。保守系無所属の新人議員5人で院内会派グループ改革」を結成後、自民党に入党し、清和政策研究会(当時の森派)に入会。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、新党日本公認の宮本、民主党公認の畠中光成を大差で下して再選。2006年、自民党内閣部会産業・地域再生小部会長に就任。2008年8月、福田康夫改造内閣外務大臣政務官に任命された。2009年第45回衆議院議員総選挙では全国的に自民党に猛烈な逆風が吹く中、国民新党公認の宮本を兵庫9区で6万票超で破り、3選。兵庫県の12の小選挙区の当選者のうち、西村が唯一の自民党公認候補だった。総選挙後、自民党兵庫県連会長に就任。

折に触れて森喜朗から紹介されていたこともあり、2009年自由民主党総裁選挙では所属していた清和政策研究会(町村派)の一部議員から推される形で出馬(総裁選出馬に際し、町村派を退会した)したが、谷垣禎一に敗れた。地方票では2位の河野太郎にも約90票引き離されたが、国会議員票では河野太郎を8票上回る43票を獲得した[要出典]2010年9月に設置された自由民主党シャドウ・キャビネット影の内閣)で、影の経済産業大臣に就任。森が2009年総裁選について谷垣圧勝を見通した上での人材発表コンクールと位置づけていた通り、結果として将来の首相候補に西村が加わるようになっている[要出典]

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、民主党の浜本宏日本維新の会の谷俊二らを大差で下して4選。選挙後に発足した第2次安倍内閣において内閣府副大臣に任命された。2013年2月、約3年半ぶりに古巣の町村派に復帰した。

政策[編集]

不祥事[編集]

村上ファンド関連会社からの献金疑惑

日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、西村の関係する自民党兵庫県商工振興連盟支部が村上ファンドの関連会社役員2人から合計200万円を献金を受けていたと報じられた[4]。また、FACTAには村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた[5]

買春疑惑

2012年7月に訪問先のベトナムで現地のホステス3人を相手に買春を行い、3人あわせて600ドル弱を支払ったと週刊文春に報じられた[6]。同記事によると、カラオケ・クラブから7人のホステスを連れ出し、自らが宿泊するホテルのスイートルームへ呼び入れたという。西村はそのうち3人を相手に行為に及び、対価として3人あわせて600ドル弱を支払ったという。3人の女性のうち2人が証言。他にもホテルでの目撃者など複数の関係者が証言したという。一方、西村当人はベトナムへの出張を認めつつ、ホステスらを連れ立って客室に入ったことは否定している[6]

所得報告書誤記載

2012年7月、所得報告書の誤りがあり、訂正を行った[7]

家族・親族[編集]

義父は衆議院議員自治大臣国家公安委員会委員長を務めた吹田愰

略歴[編集]

著書[編集]

  • 単著
    • 「生き残る企業・都市―ビッグバンを乗り越える7つのルール」同文書院、1999年1月 ISBN 4810380521
    • 「リスクを取る人・取らない人―しがらみを断ち切る勇気がこの国を救う」PHP研究所、2002年10月 ISBN 4569624731
  • 共著
    • 小林温と出版)「国家の生命線 ~戦略的資源・エネルギー外交の確立に向けて~」PHP研究所 ISBN 4569657206

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
宇野治小池正勝中山泰秀
日本の旗 外務大臣政務官
御法川信英柴山昌彦と共同

2008年 - 2009年
次代:
西村智奈美吉良州司
先代:
石田勝之後藤斎吉田泉末松義規中塚一宏
日本の旗 内閣府副大臣
伊達忠一寺田稔と共同

2012年 -
次代:
(現職)