西村康稔

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日本の旗衆議院議員 西村 康稔
生年月日 1962年10月15日(49歳)
出身地 兵庫県明石市
出身校 東京大学法学部
学位・資格 法学士
前職 国家公務員(通商産業省)
所属委員会 予算委員会
厚生労働委員会
海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会
世襲 無 義父に衆院議員を務めた吹田愰がいるが、地盤継承などはない
選出選挙区 兵庫9区
当選回数 3回
所属党派 無所属グループ改革)→)
自由民主党町村派→無派閥)
党役職 兵庫県支部連合会長
会館部屋番号 衆議院第1議員会館401号室
ウェブサイト 公式サイト
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西村 康稔(にしむら やすとし、1962年10月15日 - )は、日本政治家、元通産官僚自由民主党所属の衆議院議員(3期)。自由民主党兵庫県連会長。

自治大臣国家公安委員会委員長を務めた元衆議院議員吹田愰は義父。

目次

[編集] 来歴

兵庫県明石市東仲ノ町の時計店に生まれる。父親はサラリーマン神戸大学附属明石中学校灘高等学校東京大学法学部卒業。灘高校時代の同級生に数学者の小林俊行、天文学者の牧野淳一郎らがいた。大学時代はボクシング部に所属。1985年通商産業省に入省。通産官僚時代は風力発電の導入促進、アルミ缶のリサイクル制度の制定に携わった。石川県商工課長を経てアメリカ合衆国メリーランド大学大学院で国際政治経済を専攻した。1999年、通産省を退官。

2000年第42回衆議院議員総選挙に、引退する原健三郎の後継で兵庫県第9区から無所属で出馬するが、自由民主党宮本一三に敗れ、落選した。2003年第43回衆議院議員総選挙に再び無所属で兵庫9区から出馬し、前回敗れた宮本を破り初当選を果たす。保守無所属の新人議員5人で院内会派グループ改革」を結成後、自民党に入党し、森派(当時)に入会。

2005年郵政解散に伴う第44回衆議院議員総選挙では、宮本が新党日本畠中光成民主党からそれぞれ出馬したが、いずれも大差で下して再選。2006年、自由民主党内閣部会産業・地域再生小部会長に就任。2008年8月、福田康夫改造内閣外務大臣政務官に任命された。2009年第45回衆議院議員総選挙では全国的に自民党に猛烈な逆風が吹く中、国民新党公認の宮本一三を兵庫9区で6万票超の大差をつけて破り、3選を果たした。兵庫県の12の小選挙区の当選者のうち、西村が唯一の自由民主党所属議員である。総選挙後、自由民主党兵庫県連会長に就任する。

2009年自由民主党総裁選挙に、所属していた町村派を退会して立候補したが、谷垣禎一に敗れた。推薦人に町村派の所属議員が多かったため、党の中堅・若手を分断するための森喜朗町村信孝らの差し金ではないかと言われた。

2010年9月に設置された自由民主党シャドウ・キャビネット影の内閣)で、影の経済産業大臣に就任。

[編集] 人物

[編集] 所属団体・議員連盟

[編集] 献金

村上ファンドの関連会社役員2人から西村の関係する自由民主党兵庫県商工振興連盟支部に合計200万円を献金を受けていた[1]村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた[2]

[編集] 著書

  • 単著
    • 「生き残る企業・都市―ビッグバンを乗り越える7つのルール」同文書院、1999年1月 ISBN 4810380521
    • 「リスクを取る人・取らない人―しがらみを断ち切る勇気がこの国を救う」PHP研究所、2002年10月 ISBN 4569624731
  • 共著
    • 小林温西村康稔)「国家の生命線 ~戦略的資源・エネルギー外交の確立に向けて~」PHP研究所 ISBN 4569657206

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2006年6月28日(水)「しんぶん赤旗」
  2. ^ ザ・ファクタ 2006年8月号

[編集] 外部リンク

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