茂木敏充
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もてぎ としみつ
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| 生年月日 | 1955年10月7日(56歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東京大学経済学部卒業 ハーバード大学 ケネディ行政大学院修了 |
| 前職 | マッキンゼー・アンド・カンパニー コンサルタント |
| 所属政党 | (日本新党→) (無所属→) 自由民主党 |
| 称号 | 修士(ハーバード大学・1983年) |
| 公式サイト | 茂木としみつオフィシャルウェブサイト |
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| 内閣 | 福田康夫改造内閣 |
| 任期 | 2008年8月2日 - 2008年9月24日 |
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| 内閣 | 第2次小泉内閣 |
| 任期 | 2003年11月19日 - 2004年9月27日 |
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| 内閣 | 第2次小泉内閣 |
| 任期 | 2003年11月19日 - 2004年9月27日 |
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| 内閣 | 第2次小泉内閣 |
| 任期 | 2003年11月19日 - 2004年9月27日 |
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| 内閣 | 第1次小泉第2次改造内閣 |
| 任期 | 2003年9月22日 - 2003年11月19日 |
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その他の職歴
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(個人情報保護担当) (2003年9月22日 - 2003年11月19日) |
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(科学技術政策担当) (2003年9月22日 - 2003年11月19日) |
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(1993年 - 現職) |
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茂木 敏充(もてぎ としみつ、1955年10月7日 - )は、日本の政治家。学位は修士(ハーバード大学・1983年)。衆議院議員(6期)、自由民主党政務調査会長(第53代)。
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(個人情報保護担当)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)、衆議院厚生労働委員長、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任した。
目次 |
[編集] 概要
丸紅、読売新聞社、マッキンゼー・アンド・カンパニーでの勤務を経て、第40回衆議院議員総選挙にて初当選を果たした。小渕第2次改造内閣で通商産業政務次官を務め、第1次森内閣でも同職に再任された。また、第1次小泉第1次改造内閣では外務副大臣を務めた。第1次小泉第2次改造内閣にて初入閣を果たし、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(個人情報保護担当)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)を兼任した。第2次小泉内閣でも再び入閣し、同職に再任された。福田康夫改造内閣でも内閣府特命担当大臣(金融担当)として入閣した。また、早稲田大学の大学院国際情報通信研究科にて、客員教授を務めている。
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
栃木県足利市生まれ。栃木県立足利高等学校、東京大学経済学部卒業。東大卒業後、丸紅に入社。その後ハーバード大学ケネディ行政大学院に留学し、行政学修士号を取得した。帰国後、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。1992年、マッキンゼー・アンド・カンパニー会長の大前研一が代表を務める平成維新の会事務局長に就任した。
[編集] 衆議院議員
1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧栃木県第2区から出馬し、新党ブームに乗って初出馬で同区トップ当選を果たした。翌1994年の日本新党解党に際しては新進党結党には参加せず、無所属を経て1995年に自由民主党に入党。1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い栃木県第5区から出馬している。小渕第2次改造内閣で通商産業政務次官を務め、第1次森内閣でも同職に再任された。
[編集] 小泉政権
第1次小泉第1次改造内閣で外務副大臣を務める。第1次小泉第2次改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(個人情報保護担当)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)に任命され、初入閣を果たした。また、国務大臣として情報通信技術も担当した。第2次小泉内閣が成立すると、再び入閣を果たし、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(個人情報保護担当)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)にそれぞれ再任された。2007年、日朝国交正常化を目指す議員連盟・自民党朝鮮半島問題小委員会の立ち上げに関わり、同議連の幹事長に就任。
[編集] 福田政権
2008年、福田康夫改造内閣にて3度目の入閣を果たし、内閣府特命担当大臣(金融担当)に任命された。また、国務大臣として行政改革や公務員制度改革を担当した。しかし、内閣総理大臣の福田康夫は内閣改造からわずか1ヶ月で退陣を表明した。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、与党に激しい逆風が吹き荒れる中、栃木5区で民主党の富岡芳忠を破り6回目の当選を果たしたが、初めて対立候補に比例復活を許し、富岡も比例北関東ブロックで初当選した。
2011年9月、谷垣禎一総裁の下、退任する石破茂の後任の自由民主党政務調査会長に就任した。
[編集] 政治活動
2007年10月の衆議院厚生労働委員会[1]において消えた年金問題を追及する長妻昭衆議院議員の発言箇所を、厚生労働委員長の職権で議事録から一方的に削除していたことが発覚している[2]。理事会の合意又は発言者自身の了解を得ることなく議事録が削除されるのは極めて異例である。茂木は、削除した箇所は議場からの不規則発言に対してのものであり、本会議先例集には「発言者は、私語に応酬することができない」とあると主張。しかし、長妻が先例集を調べたところ、そのような先例は見つからなかった。釈明を求めるため長妻は、自ら持ち込んだ資料を配付するよう指示した上で衆議院厚生労働委員会[3]に臨んだが、実際に配られた資料からは当該部分(先例がなかったことを示すページ)が抜き取られていた。茂木は「適切と判断された資料については配付をされております。」「不適切だというものについては配付はされておりません。」と述べている。
[編集] 政治資金
- 村上ファンド
- 村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた[4]。
- ライブドア
- 2004年7月から2006年2月まで、後援会費としてライブドア元社長の堀江貴文から合計20万円の寄付を受けていた。茂木の事務所は「堀江被告が立件され、全額返還した」としている[5]。
- 選挙運動費用収支報告書
- 2003年と2005年の選挙運動費用収支報告書を、約3700万円減額する訂正をしている[6]。茂木事務所は「選挙運動費用として予算化したが実際には使用せず、寄付もなかったため」と弁明している。
[編集] 不祥事
[編集] 所属団体・議員連盟
[編集] 脚注
- ^ “第168回国会 衆議院 厚生労働委員会 第2号”. 国会会議録検索システム (2007年10月24日). 2011年4月9日閲覧。
- ^ “長妻氏発言:衆院厚労委員長が職権で削除 理事会合意なく”. 毎日新聞. (2008年2月9日)
- ^ “第169回国会 衆議院 厚生労働委員会 第13号”. 国会会議録検索システム (2008年5月14日). 2011年4月9日閲覧。
- ^ ザ・ファクタ 2006年8月号
- ^ 2006年9月9日 朝日新聞
- ^ “3700万円を減額訂正 茂木氏、関連団体の寄付”. 47NEWS. 共同通信. (2007年9月11日) 2011年4月9日閲覧。
- ^ “年金記録公表で法案採決へ 茂木氏、未納事実上認める”. 47NEWS. 共同通信. (2004年4月28日) 2011年4月9日閲覧。
- ^ “辞任重ねて否定 年金未納6閣僚”. 47NEWS. 共同通信. (2004年5月11日) 2011年4月9日閲覧。
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 渡辺喜美 |
第12代:2008年 |
次代: 中川昭一 |
| 先代: 細田博之 |
第4・5代:2003年 - 2004年 |
次代: 小池百合子 |
| 先代: 細田博之 |
第4・5代:2003年 - 2004年 |
次代: 棚橋泰文 |
| 先代: 細田博之 |
第2・3代:2003年 - 2004年 |
次代: 廃止 |
| 先代: 植竹繁雄 杉浦正健 |
矢野哲朗と共同 2002年 - 2003年 |
次代: 逢沢一郎 阿部正俊 |
| 議会 | ||
| 先代: 桜田義孝 |
2007年 - 2008年 |
次代: 田村憲久 |
| 党職 | ||
| 先代: 石破茂 |
自由民主党政務調査会長 第53代:2011年 - |
次代: 現職 |
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