山口俊一

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日本の旗 日本の政治家
山口 俊一
やまぐち しゅんいち
生年月日 1950年2月28日(64歳)
出生地 日本の旗 徳島県三好郡池田町(現三好市
出身校 青山学院大学文学部
パリ第4大学(中退)
所属政党 自由民主党→)
無所属→)
自由民主党(麻生派
公式サイト こんにちは、山口俊一です!

選挙区 徳島県全県区→)
徳島2区→)
比例四国ブロック→)
徳島2区
当選回数 8回
任期 1990年2月19日 - 現職
議員会館 衆議院第2議員会館412号室

内閣 第2次安倍改造内閣
任期 2014年9月3日 - 現職

当選回数 4回
任期 1975年 - 1990年
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山口俊一(やまぐち しゅんいち、1950年2月28日 )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策科学技術政策宇宙政策)。

内閣総理大臣補佐官麻生内閣)、財務副大臣第2次安倍内閣)、総務副大臣第1次小泉再改造内閣第2次小泉内閣)、衆議院決算行政監視委員長財務金融委員長徳島県議会議員(4期)等を歴任した。

東進衛星予備校河合塾の講師を務める山口健一は弟。

来歴[編集]

徳島県三好郡池田町(現三好市)生まれ。徳島県立城南高等学校青山学院大学文学部卒業。パリ第4大学留学中に政治を志し、パリ第4大学を中退後、1975年4月に徳島県議会議員選挙に出馬。25歳で史上最年少当選し、以後連続4期務める。1990年第39回衆議院議員総選挙自由民主党公認で徳島県全県区から出馬し、初当選。当選後は中曽根派に属する。小選挙区制導入後は徳島2区から出馬している。

1994年6月29日首班指名選挙では自民党は党議拘束により日本社会党委員長村山富市への投票を決定していたが、山口は旧連立与党側が擁立した元首相海部俊樹に投票し、造反した。

2003年第1次小泉再改造内閣総務副大臣に任命され、第2次小泉内閣まで務める。

2005年7月5日郵政国会では、衆議院本会議における郵政民営化法案の採決で党の方針に反し、反対票を投じる。このため、2005年第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属での出馬を余儀なくされたが、自民党公認の七条明民主党公認の高井美穂らを破り、6選。当選後、再提出された法案に対しては一転して賛成票を投じた。

2006年11月27日、復党届及び誓約書を提出。12月4日に党紀委員会で復党が認められ、自民党に復党1998年12月から無派閥を通してきたが、かねてから親交のあった麻生太郎為公会を旗揚げした際、結成に参加し、以後は麻生派に所属。自民党復党後、徳島2区の候補者選定をめぐり山口、比例復活した七条の2人で公認候補の座を争っていたが、2008年2月に自民党選対委員長古賀誠が七条の処遇を後回しした上で、山口を徳島2区の自民党公認候補に内定した。

2008年9月、麻生内閣内閣総理大臣補佐官に起用された。2009年第45回衆議院議員総選挙では徳島2区から出馬し、前回は比例復活で当選した民主党の高井美穂に敗れるも、比例四国ブロックで復活した。

2012年自由民主党総裁選挙では、麻生派所属ながら石破茂を支持したが、石破は麻生が支持する安倍晋三元首相に僅差で敗れた。安倍総裁の下で幹事長に就任した石破の推挙により、選挙対策局長代理に起用される[1]。同年の第46回衆議院議員総選挙では、徳島2区で民主党の高井に比例復活すら許さず、8選。選挙後に発足した第2次安倍内閣財務副大臣に任命される(2013年9月に退任)。

2014年9月、第2次安倍改造内閣内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策科学技術政策宇宙政策)に任命され、当選8回で初入閣した[2]。併せて「情報通信技術(IT)による産業・社会構造の変革を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[2]「再チャレンジ可能な社会を構築するための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[2]「日本が誇る文化の国際展開を図るため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[2]を担当する国務大臣に任命された。

発言[編集]

「補正予算(編成)を考えたい」[編集]

2009年1月31日徳島県徳島市の会合にて、内閣総理大臣補佐官である山口が「麻生太郎首相5月にも平成21年度補正予算案の編成を検討している。景気が底抜けのときに(衆議院)解散はできない。(21年度)補正予算を考えたい」[3]と発言した。しかし、2009年度本予算案の国会審議すら始まっていない時期だったため、与野党から批判が相次ぐ事態となった。同年2月2日、衆議院予算委員長衛藤征士郎も「21年度本予算の審議に入っていない段階の発言で、極めて不見識だ」[3]と指摘し、衆議院予算委員会理事会は山口を理事会に呼び出し謝罪させることを決定した[3]

翌日、山口は衆議院予算委員会理事会に出席し、「(予算案の審議中という)大事な時期に大変不適切な発言をして申し訳ない」と述べて謝罪し、衛藤予算委員長から「補佐官は内閣の重鎮。緊張感を持って職務に精励されたい」との注意が言い渡され、野党側も山口の謝罪を受け入れたため同日審議が再開された[4]

「世論高まれば沖縄独立を検討」[編集]

2014年9月17日、報道各社のインタビューで、イギリスからの独立の是非を問うスコットランドの住民投票に関連し、一部の沖縄県民が主張している沖縄の日本からの独立について「今のところ現実味は全くない」「(住民投票の可能性は)全く想定していない」と指摘し、スコットランドの住民投票が沖縄に与える影響について「歴史的背景も置かれた状況も全く違う。あまり影響はない」と述べた上で、「(独立が)もっと沖縄の世論としてあれば、(政府も)ちょっと検討しないといけないが、今のところそういう話は聞いていない」と発言した[5]

不祥事[編集]

西松建設からの政治献金[編集]

日本共産党の機関紙であるしんぶん赤旗の報道によれば、準大手ゼネコンの西松建設から、同社のOBらが代表を務める政治団体から計200万円の政治献金を受け取っていた[6]麻生内閣首相補佐官を務めていた山口は報道を受け、返還の意向を河村建夫内閣官房長官に伝え、受け取った政治献金を返還した[7]

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]

議会
先代:
渡海紀三朗
日本の旗 衆議院決算行政監視委員長
2002年 - 2003年
次代:
佐々木秀典
先代:
(創設)
日本の旗 衆議院財務金融委員長
2001年 - 2002年
次代:
坂本剛二
公職
先代:
山本一太
日本の旗 特命担当大臣沖縄及び北方対策
第21代:2014年 -
次代:
(現職)
先代:
山本一太
日本の旗 特命担当大臣科学技術政策
第22代:2014年 -
次代:
(現職)
先代:
山本一太
日本の旗 特命担当大臣宇宙政策
第4代:2014年 -
次代:
(現職)
先代:
武正公一
大久保勉
日本の旗 財務副大臣
小渕優子と共同

2012年 - 2013年
次代:
古川禎久
愛知治郎
先代:
加藤紀文
若松謙維
日本の旗 総務副大臣
田端正広と共同

2003年 - 2004年
次代:
今井宏
山本公一