木村太郎 (政治家)

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日本の旗 日本の政治家
木村 太郎
きむら たろう
生年月日 1965年7月20日(47歳)
出生地 日本の旗青森県南津軽郡藤崎町
出身校 東洋大学法学部
前職 青森県議会議員
現職 筆頭副幹事長
青森県支部連合会会長
所属政党 (新進党→)
(改革クラブ→)
自由民主党(町村派)
称号 法学士
親族 3世
祖父・木村文男(元衆議院議員)
父・木村守男(元青森県知事・衆議院議員)
公式サイト 衆議院議員木村太郎公式サイト

選挙区 青森4区
当選回数 6回
任期 1996年 - 現職
議員会館 衆議院第2議員会館407号室

日本の旗 内閣総理大臣補佐官
ふるさと担当
内閣 第2次安倍内閣
任期 2012年12月26日 - 現職
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木村 太郎(きむら たろう、1965年7月20日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(6期)、内閣総理大臣補佐官(ふるさと担当)。自由民主党青森県連会長。

青森県知事衆議院議員を務めた木村守男は父。元衆議院議員の木村文男は祖父。

目次

来歴 [編集]

青森県南津軽郡藤崎町生まれ。青森県立弘前南高等学校東洋大学法学部卒業。大学在学中は田中角栄邸に書生として住み込んでいた。大学卒業後、三塚博衆議院議員の秘書を経て、1991年青森県議会議員選挙に出馬し、初当選。1995年に再選。

1996年、青森県議を辞職し、第41回衆議院議員総選挙新進党公認で青森県第4区から出馬。自由民主党公認の津島恭一を破り、当選する。1997年の新進党解党に伴い、改革クラブ小沢辰男代表)結党に参加するが、同党の解党を待たずして自民党に入党。2000年第42回衆議院議員総選挙には自民党公認で出馬。この選挙では対立候補が社会民主党日本共産党公認の候補しかおらず、木村が7割弱の票を獲得して圧勝した。2002年第1次小泉内閣防衛庁長官政務官に任命される。翌2003年第1次小泉再改造内閣農林水産大臣政務官に任命され、同年の第43回衆議院議員総選挙では民主党渋谷修らを破り、3選。農林水産大臣政務官にも再任された。

2005年第44回衆議院議員総選挙では民主党公認の渋谷、国民新党公認の津島恭一らを破り、4選。同年、第3次小泉改造内閣防衛庁副長官に任命される。翌2006年衆議院安全保障委員長に就任。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、全国的に与党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、民主党公認で出馬した津島恭一を破り、5選を果たした(津島も比例復活)。2010年から自民党青森県連会長、2011年から自民党筆頭副幹事長をそれぞれ務める。2012年第46回衆議院議員総選挙では、津島恭一に比例復活も許さず6選を果たした。同年12月、第2次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(ふるさと担当)に就任。

政策・主張 [編集]

人物 [編集]

  • 政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。
  • 選挙においては青森県建設業協会の推薦を受けている[3]
  • 1990年代に出回った偽書万歳三唱令」を本物の法令と勘違いし、鳩山由紀夫首相(当時)の万歳について「正式な万歳とは違うように見受けられた。日本国の首相として、万歳の作法をしっかりと身につけておくべきだ。首相は作法を知っているか。」などの質問主意書2010年2月3日に提出し、国会質疑も行った[4]

交友関係者 [編集]

所属団体・議員連盟 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 自由民主党機関紙「自由民主」 2003年7月1日号
  2. ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
  3. ^ http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090806ddlk02010027000c.html 毎日新聞 2009年8月6日 地方版]
  4. ^ 平成22年2月3日提出質問主意書第70号、項目4番”. 衆議院. 2010年3月14日閲覧。
  5. ^ 日本経済新聞 2013年5月16日
  6. ^ パチンコ・チェーンストア協会(PCSA)

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]

議会
先代:
浜田靖一
日本の旗 衆議院安全保障委員長
2006年 - 2007年
次代:
嘉数知賢
官職
先代:
今津寛
日本の旗 防衛庁副長官
2005年 - 2006年
次代:
木村隆秀
先代:
熊谷市雄渡辺孝男
日本の旗 農林水産大臣政務官
福本潤一と共同

2003年 - 2004年
次代:
加治屋義人大口善徳