上野賢一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日本の旗 日本の政治家
上野賢一郎
うえの けんいちろう
生年月日 1965年8月3日(49歳)
出生地 滋賀県長浜市
出身校 京都大学法学部卒業
所属政党 自由民主党→)
無所属→)
自由民主党(石原派
称号 法学士
配偶者 妻・上野聡子
公式サイト うえの賢一郎公式webサイト 妥協なき男 自民党衆議院滋賀2区支部長 上野賢一郎。

選挙区 滋賀1区→)
滋賀2区
当選回数 2回
任期 2005年9月12日 - 2009年7月21日
2012年12月17日 - 現職
議員会館 衆議院第1議員会館621号室
テンプレートを表示

上野賢一郎(うえの けんいちろう、1965年8月3日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(2期)、自民党滋賀県連会長。妻は元岩手朝日テレビアナウンサー土岐聡子

来歴[編集]

滋賀県長浜市出身。滋賀県立虎姫高等学校京都大学法学部卒業後、自治省に入省。その後、岩手県庁に勤務した。

2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙に、滋賀1区から自由民主党公認で出馬したものの、民主党現職の川端達夫に敗れ落選。2004年第20回参議院議員通常選挙に、自民党公認で滋賀県選挙区から出馬したが、民主党の林久美子に敗れた。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風に乗り、当時民主党幹事長の川端を破って初当選した(川端は比例復活)。2007年、自民党税制調査会幹事に就任。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙には、自民党の公認、公明党の推薦を受けて出馬[1]。川端に対して高島市では僅差で勝利するものの、大票田の大津市で大差をあけられ、比例復活も出来ずに落選した。同年12月に、国会議員が全員落選して空席となっていた自民党滋賀県連会長に就任。

2010年6月、同年7月の滋賀県知事選挙に無所属で出馬する意向を表明。自民党を離党した。知事選への出馬については、自民党滋賀県連による候補者擁立が難航した結果、県連会長として候補擁立の最高責任者であった上野に対して「強烈な立候補の働きかけ」があったとされている[2]。国政復帰への思いもあり、知事選への出馬については固辞していたが、最終的にはこれを受け入れ、立候補を表明した。同年6月16日には守山市彦根市栗東市近江八幡市の4市長が滋賀県庁で会見し、「市長有志の会」を設立し、知事選で上野を支援すると発表した。この会は現職の嘉田由紀子と新幹線新駅で対立してきた栗東市長、ダムで対立してきた彦根市長が参加している。会への参加を見送った市長からは、市長が知事選へ積極的に参画することに疑問の声も上がった[3]。また、上野の選挙対策本部は同日に行われた第22回参議院議員通常選挙滋賀県選挙区から出馬した武村展英と同一の本部が仕切っており、自民党が前面にでているのは明らかであるにも関わらず政党色を消そうとする上野に対して、現職の自民党県議からも批判の声が出た[4]。同年7月11日の滋賀県知事選挙では現職の嘉田由紀子に破れ、落選した[5]

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で滋賀2区から出馬。民主党現職の田島一成を大差を付けて破り、国政に復帰した。

所属団体・議員連盟[編集]

不祥事[編集]

  • 2013年、上野自身が代表を務める政党支部を通して160万円を自身の資金管理団体などに寄付し、税の優遇を受けていたことがわかった[7]

脚注[編集]

外部リンク[編集]