上野賢一郎
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うえの けんいちろう
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| 生年月日 | 1965年8月3日(47歳) |
| 出生地 | 滋賀県長浜市 |
| 出身校 | 京都大学法学部卒業 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (無所属→) 自由民主党 |
| 称号 | 法学士 |
| 配偶者 | 妻・上野聡子 |
| 公式サイト | うえの賢一郎公式webサイト 妥協なき男 自民党衆議院滋賀2区支部長 上野賢一郎。 |
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| 選挙区 | 滋賀県第2区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 2005年9月12日 - 2009年7月21日 2012年12月17日 - |
上野賢一郎(うえの けんいちろう、1965年8月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。妻は元岩手朝日テレビアナウンサーの土岐聡子。
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来歴 [編集]
滋賀県長浜市出身。滋賀県立虎姫高等学校、京都大学法学部卒業後、自治省に入省。その後、岩手県庁に勤務した。
2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙に、滋賀県第1区から自民党公認で出馬したものの、民主党で旧民社党グループ川端達夫に敗れ、落選。さらに2004年の第20回参議院議員通常選挙にも、自民党公認で滋賀県選挙区から出馬するが、民主党候補の林久美子に敗れた。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、小泉フィーバーの波に乗り、当時民主党幹事長の川端を小選挙区で破り、初当選を果たした(川端は比例名簿で復活当選)。2007年、自民党税制調査会幹事に就任。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙には、自民党の公認、公明党の推薦を受けて出馬。高島市では僅差で勝利するものの、大票田の大津市で大差をあけられ、落選[1]。
2009年12月には、国会議員が全員落選し空席となっていた自民党滋賀県連会長に就任。
2010年6月、2010年7月に行われる滋賀県知事選挙に無所属で出馬する意向を表明。自民党を離党した。知事選への出馬については、自民党滋賀県連による候補者擁立が難航した結果、県連会長として候補擁立の最高責任者であった上野に対して「強烈な立候補の働きかけ」があったとされている[2]。国政復帰への思いもあり、知事選への出馬については固辞していたが、最終的にはこれを受け入れ、立候補を表明した。6月16日には守山市、彦根市、栗東市、近江八幡市の4市長が滋賀県庁で会見し、7月11日投開票の知事選で「市長有志の会」を設立し、知事選で上野を支援すると発表した。この会は現職の嘉田由紀子知事と新幹線新駅で対立してきた栗東市長、ダムで対立してきた彦根市長が参加している。会への参加を見送った市長からは、市長が知事選へ積極的に参画することに疑問の声も上がっている[3]。また、上野の選挙対策本部は同日に行われる第22回参議院議員通常選挙に滋賀県選挙区から出馬する武村展英と同一の本部が仕切っており、自民党が前面にでているのは明らかであるにも関わらず政党色を消そうとする上野に対して、現職の自民党県議からも批判の声が出ていた[4]。
2010年7月11日に行われた滋賀県知事選挙では現職の嘉田由紀子に破れ、落選[5]。
2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で滋賀2区から出馬。67,182票を獲得し、次点となった民主党の田島一成と18,258票の差を付け衆議院に返り咲く。
所属する議員連盟 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分読売新聞)
- ^ 「私は貝になりたい」滋賀県議会議員 石田ゆうすけブログ
- ^ 「選択2010しが知事選:反嘉田「有志の会」設立 4市長、上野氏を支援へ /滋賀」『毎日新聞』2010年6月17日
- ^ 「初めての万歩計」滋賀県議会議員 石田ゆうすけブログ
- ^ “滋賀県知事選:嘉田氏が再選 2新人破る”. 毎日新聞. (2010年7月12日) 2010年7月12日閲覧。
外部リンク [編集]
- 上野賢一郎 - Facebook
- うえの賢一郎公式webサイト | 妥協なき男 自民党衆議院滋賀2区支部長 上野賢一郎。
- うえの 賢一郎 (ueno_kenichiro) (Ueno_Kenichiro) - Twitter