赤城徳彦
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| 衆議院議員 赤城 徳彦 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1959年4月18日(50歳) | ||
| 出生地 | 茨城県筑西市(旧明野町) | ||
| 出身校 | 東京大学 | ||
| 学位・資格 | 法学士 | ||
| 前職 | 農林水産省職員 | ||
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所属委員会
内閣役職
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衆・安全保障委員会委員 衆・北朝鮮による拉致問題等に 関する特別委員会委員 |
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| 世襲 | 2世 祖父・赤城宗徳(元防衛庁長官) |
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| 選出選挙区 | 茨城1区 | ||
| 当選回数 | 6回 | ||
| 所属党派 | 自由民主党(高村派) | ||
| 党役職 | 茨城県第一選挙区支部長 | ||
| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館206号室 | ||
| ウェブサイト | 衆議院議員・あかぎ徳彦 | ||
赤城 徳彦(あかぎ のりひこ、1959年4月18日 - )は、日本の政治家、元官僚。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。番町政策研究所(旧名称:新政策研究会、通称:河本派-高村派)。
政治家赤城宗徳は祖父。
目次 |
[編集] 経歴
茨城県筑西市(旧明野町)出身。東京学芸大学教育学部附属高等学校、東京大学法学部卒業。1983年農林水産省へ入省。林野庁林政部、大臣官房企画官等を経て退官。祖父赤城宗徳の引退後、その地盤を受け継ぎ、1990年2月の総選挙で旧茨城3区から立候補して初当選、以来六回連続当選。
1994年6月29日に行われた内閣総理大臣指名選挙では、自民党は新党さきがけと共に日本社会党委員長村山富市を支持したが、赤城や山本有二、野田聖子は党議拘束に反し、新生党代表幹事小沢一郎に担がれた派閥の大先輩でもある、海部俊樹を支持。海部は翌日離党し自由改革連合代表-新進党初代党首となるが、赤城や野田らは自民党に残留した。
農水族として地歩を築き、他に安全保障関係に精通している。政府では総務政務次官、防衛庁副長官、自民党では国防部会長、農林部会長、副幹事長などを歴任。番町政策研究所(高村派)に所属し、2003年自由民主党総裁選挙では、野田聖子、山本有二らとともに、番町研会長の高村正彦の推薦人となった。
旧河本派時代から将来を嘱望され、同派のプリンス的存在とも言われた。当選4回を数えた森内閣以降、しばしば閣僚候補に挙げられたが、小派閥に身を置いていることもありなかなか実現しなかった。安倍内閣成立にあたっては高村派を挙げて安倍晋三を支持し、高村は山本有二と赤城の入閣を強く求めていた経緯がある。
- 農林水産大臣職就任
農林水産省OBであることを買われ、2007年6月1日、数々の疑惑の中で自殺した松岡利勝の後任として農林水産大臣に就任。FTA交渉や食の安全など、山積する課題に対処することを期待されての起用であり、就任直後に緑資源機構廃止を決定するなど指導力を発揮したが、やがて後述するような不祥事に見舞われ、大臣としての実務どころではなくなってしまった。
こうした逆風のなか2007年7月29日行なわれた参院選において自民・公明が過半数割れで敗北したことに対し、当時の防衛大臣、小池百合子から敗因の一つとして明示されるなど、党内からは「惨敗の一因が赤城氏にある」とした厳しい批判も挙げられた。この流れを受け、安倍首相は7月31日の定例閣議後の会見で更迭を示唆した。
- 辞任とその影響
そして8月1日に、赤城自身の不祥事が参院選に影響を与えた責任を取る形で安倍に辞表を提出し、農林水産大臣を就任からわずか2ヶ月で辞任した。辞任か更迭かどちらなのかと騒がれたが、赤城も安倍も塩崎官房長官も当日中の会見で「首相が赤城を官邸に呼び出し、その場で辞表を書かせた」という趣旨のことを述べているため、事実上の更迭とみられる。これについては「今になって更迭するのであれば選挙前に行うべきだった」との批判も挙がった。尚、安倍内閣で交代した閣僚としては4人目にあたる。辞任前後は地元の関係者などを訪ね、不祥事の件について謝罪していたようで、自民王国である参院選茨城選挙区で民主党の藤田幸久に大差をつけられた自民党の長谷川大紋には、投開票日のうちに秘書の携帯電話を使って「すみません」と謝罪、また辞任後には県連会長の県議、山口武平にも謝罪に訪れ「次の選挙(衆院選)は甘くはないぞ」と言葉をかけられたようである[1]。
ちなみに、これまでの衆院選は、茨城1区では民主候補に大差をつけて勝利している。これはかつて岸内閣で防衛長官を務めた、祖父・宗徳の地盤を引き継いだことが大きいが、赤城の本来の地盤は筑西市など県西地域のみであり、小選挙区制導入後選挙区に加わった、水戸市などの都市部での地盤はそれほど強くない。そのため、次期衆院選ではこうした都市部での赤城の不祥事を受けた無党派層の動向が鍵となり、史上初の議席奪取を狙い強力な布陣を敷くであろう民主党候補との激しい戦いになる。
[編集] 政策
[編集] 農林水産
[編集] 独立行政法人の統廃合
2007年6月1日、赤城は農林水産大臣に就任すると、直後の就任会見において緑資源機構の廃止を提唱した。赤城は緑資源を「廃止する方向で検討するよう事務方に指示した」と述べた(NIKKEI.NET6月2日記事より)。これを受け農水省第三者委員会は7月26日会合を開き2007年度末で緑資源機構の廃止方針を了承した(読売新聞7月26日記事より)。
[編集] 主な所属議員連盟
[編集] 出来事
[編集] 緑資源機構関連団体のパーティー券購入
農林水産大臣就任初日に、官製談合の指摘がなされている独立行政法人緑資源機構の工事受注業者らでつくる業界団体「特定森林地域協議会」の関連政治団体「特森懇話会」が、赤城の資金管理団体「徳友会」の政治資金パーティー券(およそ40万円分)を購入したことが発覚した。不祥事の最中にある団体から政治献金を受けること、そして上記の政策の項にあるように解散を表明した直後であったことについて記者に質問された赤城は、「よくわからない。事務所には適切にやるよう指示してある」などと述べている。赤城はこの後、この資金を返還した。
[編集] 政治資金収支報告書未記載
2007年6月6日の衆議院農林水産委員会において、具体的な金額を問われたのに対し、「法律にもとづいて適切に処理している」として回答を拒否したため、野党が反発し審議が1時間近く中断した。その審議中に、衆議院議員高山智司(民主党)により、赤城の資金管理団体「徳友会」が、林道の公共事業などを請け負う業者らで作る社団法人日本林業土木連合協会の政治団体林土連懇話会から2003年と2005年に合計40万円の寄付を受けていたにも関わらず、政治資金収支報告書に記載していなかったことが指摘された[2]。赤城はこれを受けて、この献金を返還した。
[編集] 政治資金規正法違反
2007年6月12日の参議院農林水産委員会で、参議院議員紙智子(日本共産党)から、赤城が国の補助金交付団体である、社団法人中央酪農会議から10万円、全国農業協同組合連合会から2度に渡り10万円の献金を受けていたことが指摘された[3]。政治資金規正法では、国から補助を受けた法人からは1年間、政治活動への寄付が禁止されており、政治資金規正法違反となった。赤城は、この献金は有志からの個人献金だと主張して、政治資金収支報告書を訂正した上、献金を返還した。
[編集] 事務所費の変動
毎日新聞の調査で、家賃や光熱水費のかからない議員会館に主たる事務所を置く赤城の資金管理団体「徳友会」が、経常した事務所費が、少額の時は19万円程度、多額の時はおよそ1000万円となるなど、大きく変動していることが明らかになった。「備品・消耗品費」がゼロとなっている年があることも明らかになったが、事務所は休眠状態ではなく、政治資金パーティーなども開かれていた。本来は大きく変動するものではないと言う声もあるが、赤城の事務所は、「年によって活動の濃淡がある」と主張している[4]。
[編集] 父親の自宅を事務所として届け出
[編集] 発覚した問題
赤城の政治団体「赤城徳彦後援会」が、事務所としての実体がない赤城の父親の自宅(茨城県筑西市赤浜)を、主たる事務所として届け出た上、2005年までの10年間に、およそ9045万円(75.4万円/月)の経常経費を計上していたことが明らかになった。茨城県選挙管理委員会に提出された政治資金収支報告書によると、家賃などにあたる事務所費だけでも10年間でおよそ1631万円(13.6万円/月)、この他にも(いずれも10年間で)人件費およそ5353万円(44.6万円/月)、光熱水費およそ794万円(6.6万円/月)、備品消耗費およそ1266万円(10.6万円/月)を計上していた。
2007年6月30日、赤城の母は『週刊現代』の取材に対し、筑西市の自宅について「事務所として使ったことはまったくありません」と明言し、「赤城徳彦後援会」に対する光熱費や家賃の請求は「したことはありません」と語っている[5]。上記の発言のように、ここに住む赤城の父親・母親は当初、祖父の赤城宗徳の現役時代には使用していたが、現在は事務所としての実態がまったくないことを認めている上、後援会の代表者である前茨城県議会議員青木来三郎(自由民主党)に至っては、今は使われていないし自分が代表者になっていることさえ知らなかったなどと話している[6][7]。2007年7月11日、赤城宗徳の元秘書で茨城県議会議員を務める磯崎久喜雄(自由民主党)は「実家には事務所として実体はありませんでした。彼は『活動の拠点だった』という説明をしたことを深く反省し、潔く謝罪すべき」と指摘している[5]。
[編集] 赤城の主張と急転した両親・県議のコメント
赤城は、報道当日に急遽農林水産省内で記者団の質問に答え、「祖父の時代からの後援会活動の中核の場所であり、架空計上や付け替えということは全くない」、「私の初当選からの拠点だ」とした上で、「電話代や切手代、事務機器のリース料、人件費などを積み上げた」と、実家での事務所としての活動はあったと主張、辞任の必要はないことを強調した。だが、先述のように赤城の父親、母親とも、当初の毎日新聞や、NHKなどの各メディアの取材に対し、赤城の祖父の時代には事務所として使われていたが、「徳彦の時代には実体がない」、お茶ぐらいは?との記者の質問に対しても、「それもここでは(したことが)ない・・・」という応対をしており、食い違った。ところが、報道が本格化した翌日になって、父親が自宅前でコメントを発表し、「頻繁に使われていた(赤城の)祖父の中選挙区時代と比べると少ないが、現在でも事務所として使われている」と、主張が急転する形となり、これについて赤城は「(両親の)当初の答え方が誤解を招いたかもしれない」などとしている。当初は自分が代表者であることも知らなかったと憤っていた青木も急遽記者会見し、自分は象徴的な存在・雲の上のような存在と、自分が代表者であると主張する形となった。
[編集] 安倍総理大臣の擁護
2007年7月8日、テレビ朝日系列の『サンデープロジェクト』にて、内閣総理大臣安倍晋三は、赤城と赤城の両親との証言の矛盾を追及された。証言が食い違っている理由として、安倍は「お父さんもお母さんもご高齢だからそういう印象をもったのかも」と説明した。[8]
同年7月8日、テレビ番組にて、安倍は2005年度の光熱水費について触れ「光熱費は月800円」と連呼した[8][9][10]。しかし、筑西市内の電気、水道は、基本料金だけで800円を大幅に上回ってしまう[11]。また、赤城の説明によれば、筑西市と水戸市の事務所の費用を合算して報告しているとされる。そのため、光熱水費が月額800円になること自体、矛盾があるとされる(電気代は按分の床面積もしくはコンセント・電球の数を基準としており、またガス代・水道代は使用した時間や回数と従業員数から算出される)。なお、安倍が「月800円」と指摘したのは、2005年度に計上した光熱水費9660円を月割にしたものである。しかし、赤城は、他年度では高額の光熱水費を計上している。特に、1999年度には、光熱費として130万円超(月11万円/4事務所)を計上している。
[編集] 野党の主張
もし事務所費の架空計上であった場合、10年間に渡り政治団体の架空の事務所費を計上し、辞任した前内閣府特命担当大臣(規制改革担当)佐田玄一郎と同じケースであり、後援会関係者は実家での事務所としての稼働はないと認めているため、第21回参院選を直前に控えた野党は、各地の街頭演説などで一斉に批判した。
民主党幹事長鳩山由紀夫は「自ら職を辞していただきたい」と述べたほか、日本共産党書記局長市田忠義は「佐田玄一郎前行政改革担当大臣と全く同質の問題」、「松岡さんの後(後任)にこのような人を出してくる安倍総理はひどい」などと述べた[12][13]。
ちなみにこの不祥事は、野党がかねてから、領収書の添付が資金管理団体のみに限定されていて「ざる法」と主張していた与党の改正政治資金規正法が成立した直後だったため、与党案の不備が露呈する結果になってしまった。ジャーナリストからは「成立したばかりの政治資金規正法改正案がザル法であることを、安倍内閣自らが証明してしまった」との声があがってしまった[14]。
[編集] 後援会事務所費など一覧表(2005-1996)
赤城徳彦後援会事務所費など一覧表(2005-1996)[15]
| 人件費 | 光熱水費 | 備品消耗品費 | 事務所費 | 計 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 635,212 | 9,660 | 1,727,812 | 403,447 | 2,776,131 |
| 2004 | 509,645 | 119,500 | 104,839 | 1,282,440 | 2,016,424 |
| 2003 | 1,082,000 | 926,819 | 1,896,826 | 3,574,054 | 7,479,699 |
| 2002 | 1,002,000 | 962,106 | 2,980,728 | 2,502,066 | 7,446,900 |
| 2001 | 9,085,631 | 1,098,192 | 699,217 | 768,039 | 11,651,079 |
| 2000 | 9,423,914 | 962,816 | 1,716,806 | 1,087,267 | 13,190,803 |
| 1999 | 13,536,865 | 1,316,899 | 1,682,916 | 2,616,814 | 19,153,417 |
| 1998 | 8,592,572 | 1,298,217 | 692,196 | 1,682,888 | 12,265,774 |
| 1997 | 6,866,545 | 889,876 | 966,881 | 1,200,000 | 9,923,302 |
| 1996 | 2,800,000 | 362,818 | 192,111 | 1,200,000 | 4,554,929 |
| 計 | 53,534,284 | 7,946,827 | 12,660,332 | 16,317,015 | 90,458,458 |
(単位は円)
[編集] 妻の自宅を事務所として届け出
赤城の政治団体「徳政会」が、1989年から赤城の妻の自宅(東京都世田谷区弦巻)を事務所として届け出、毎年100万円以上、赤城が初当選してからの17年間におよそ3341万円(16.4万/月)の経常経費を計上しているが、ここ10年は活動実態がなく、およそ1000万円が不透明な支出となっていることが明らかになった[6][7]。赤城はこの団体について、「知人や支持者からの献金の受け皿のような団体」としていたが、後に農水省内で行った記者会見で、この会の代表者から、「活動が細々となってしまいこの際解散したい」と申し出があったと述べ、「徳政会」は解散した。
[編集] 議員宿舎不正入居
赤城が衆議院議員宿舎に不正に入居している疑惑が発覚している。
議員宿舎の「入居基準」について、衆議院広報課は「二十三区内に住居を所有する議員は、議員宿舎に入居できないものとする。ただし、所有する住居に議員が入居できない特別の事情がある場合には、例外」と説明しており[16]、東京23区内に住居を構えている国会議員の入居を原則禁止している。一例として、葛飾区に自宅を所有する内閣府副大臣(当時)の平沢勝栄も、都心から離れているが自宅が東京23区内に含まれるため、議員宿舎への入居が認められていない。
赤城は東京都世田谷区深沢にマンションを所有[5]し、妻と居住している。しかし同時に、赤城は衆議院新赤坂議員宿舎にも入居している。 赤城は「審査を経て入居しているので何ら問題ない」と主張している。
[編集] 退去後も事務所費を計上
毎日新聞の調査で、2004年に解散した赤城の政治団体「つくば政策研究会」が、1996年8月に退去した事務所(東京都港区新橋)に、その後も1997年-2003年の間、政治資金収支報告書に事務所が実在すると記載した上、事務所費など経常経費1215万円を計上していたことがわかった。
「つくば政策研究会」は、赤城の初当選の前年である1989年に設立され、2004年2月まで新橋の所在地で存続していた形となっていたが、実際には1996年8月で退去、移転し、その後はまったく関係のないテナントが入居していた。しかし、政治資金収支報告書では、退去後から2003年までの間も家賃を含む事務所費を年8万円-56万円、人件費を年37万円-346万円、光熱水費を8万円-39万円支出していた。毎日新聞の取材に対し赤城の事務所は、「会計責任者が異動届けを怠っていた。会計責任者を厳しく注意した」と付け替えや架空計上を否定したが、この場合でも、政治資金規正法は移転から7日以内の届け出を義務付けており、これに違反した形。また、2003年の段階で代表を務めていた茨城県の元町長は、「秘書に頼まれて代表になった。事務所がどこにあるかも知らなかった。解散は後から知らされた」と述べている[17]。
[編集] 郵便料金の二重計上
赤城が支部長を務める「自由民主党茨城県第一選挙区支部」と、政治団体「赤城徳彦後援会」とが、2003年の政治資金収支報告書に同一の領収書の写しをそれぞれに添付し、20万円の郵便料金を二重計上していたことが発覚した[18]。
朝日新聞社の情報公開請求に対し茨城県が公開した資料で明るみに出た。朝日新聞の追及に対し、赤城の事務所は二重計上の事実を認め、2007年7月26日に後援会側の政治資金収支報告書を訂正した。なお、二重計上が発生した理由については「事務処理上のミスで意図的ではない」[18]と説明している。
自由民主党茨城県第一選挙区支部は、「組織活動費(行事費)」の「案内状発送費」として、2003年9月11日に水戸中央郵便局に13万円強、水戸駅前郵便局に6万円強を支払ったと記録したうえで、両局発行の領収書の写し2枚を添付している。それに対し、赤城徳彦後援会は、「機関紙誌の発行事業費(機関紙の発行費)」の「荷造発送費」として、同じく9月11日に同額を水戸市役所前郵便局にのみ支出したと記載したうえで、領収書の写し2枚を添付している。しかし、この領収書は、発行時刻、郵便物の差出数、釣銭額、領収書の「発行No」等が完全に一致しており、二重計上の疑いが強いとされている。赤城事務所では「03年9月11日付の郵便料金は、支部の経費だった」[18]と説明しており、赤城徳彦後援会の政治資金報告書が誤りであることを認めた。なお、収支報告書に添付された領収書のコピーは、自由民主党茨城県第一選挙区支部側は「発行No」、「担当者No」が含まれるのに対し赤城徳彦後援会側は当該部分が含まれておらず、コピーの倍率も異なるため、「二重計上が露見することを隠すための作為」[19]の可能性が指摘されている。
[編集] 経費の付け替え
赤城が支部長を務める「自由民主党茨城県第一選挙区支部」と、「赤城徳彦後援会」との間で、経費の付け替えが行われた疑いが発覚している[19]。
2003年の収支報告書において、赤城徳彦後援会は政治活動費として毎月「機関紙誌の荷造発送費」を計上し、一年間で約217万円が計上された。しかし、赤城徳彦後援会の元幹部は「(後援会の)機関紙のようなものは見たことがない」と証言し、地元から「機関紙など来たためしがないし、そもそも機関紙を発行しているなど聞いたことがない。周りから『機関紙くらい出せ』とずいぶん言われていたが、結局出していないようだ」と指摘されている[19]。さらに、赤城徳彦後援会は、2003年には機関紙誌を発行するための印刷費を計上しておらず、2004年には機関紙誌の発行事業費自体が計上されなくなっている。神戸学院大学法科大学院教授上脇博之は、「自民党第一支部の代わりに、自民党機関紙である『自由民主』などを発送していたのでは」と指摘している[19]。なお、2007年7月10日、赤城自身は「(事務所費で)架空とか付け替えもありませんし、公私混同するようなそういうこともしておりません」と断言している[19]。
[編集] エピソード
[編集] 首相と間違えられる
ドイツのハイリゲンダムで行われた『ハイリゲンダムサミット』に関する報道で、地元新聞3紙が、サミットに参加していた安倍晋三首相の写真と間違えて赤城の写真を掲載するミスがあった。2007年6月7日までに14万部以上が配布されたが、読者からの苦情は1件もなかった[20]。
[編集] 絆創膏を貼って記者会見
事務所費問題で注目が集まっていた中、公務のため離日していたが、その帰国直後2007年7月17日の定例閣議後の会見において、額と頬に白く巨大なガーゼと絆創膏を貼った状態で登場した。また、無精髭を生やしたままであったことから容貌の変化が目立っていた。これについて複数の記者から「どうなさったのか」と何度も質問されたが、その度に「大したことじゃない」「何でもない」という言葉を連発し、ガーゼや絆創膏を貼っている理由をかたくなに説明しなかった。そのため、報道各社により、絆創膏を貼っている理由をことさらに探られたうえに、事務所費問題に続いてここでも誠実な回答を行なわなかったとして、その姿勢を大きく批判的に報道されることとなった[21]。
ただしマスコミの問い合わせには2007年7月17日の夜の時点で事務所を通して「元々肌が弱いので吹き出物でも出たのではないか」と伝えられていた。この批判を受けて7月19日、赤城は「要するに吹き出物の一種とのことでした」「何よりも、非常にぶざまな姿を全国の皆さんにさらさなければならない、ということも大変ショックで、前回の会見のとき、ちょっと無愛想な対応になってしまったことを反省しております」と釈明し、安倍首相も強く非難しなかった。
しかしその後も、一連の不祥事への対応が不誠実・不明朗であったことを象徴する映像として、絆創膏を貼った赤城が「何でもありません」と回答するシーンは何度もテレビのニュース等で流され、当時の流行にちなんで「バンソウコウ王子」とも揶揄された。7月24日には絆創膏を取った姿で現れ、医師に「毛包炎」と診断されたと明かしたが、参議院選挙直前の時期であったため、この事件が選挙にも影響したと報道された[22]。結局、赤城は参議院選挙後に事実上更迭されている。
なお、直後の会見ではすぐさま絆創膏が小さくなっていたこともあり、まるであえて絆創膏を貼った姿を晒したような形となってしまっていた。自民党の舛添要一参議院議員は「選挙前なのに、自分らを後ろから銃で撃つような行為」と厳しく批判した。2007年9月13日放送のテレビ朝日系列「ワイド!スクランブル」において猪瀬直樹東京都副知事は「(安倍首相の心労は)赤城の絆創膏も原因」などと述べている。
[編集] 人物像
座右の銘は「政治家は一本のろうそくたれ」。「政治家は自分の身を燃やし、身を削りながら世のすみずみまでを照らし出し、よりよき社会を造るべく働くものである」という意味である[23][24]。首相官邸のプロフィールによれば、座右の銘は「真実一路」(松岡前農林水産大臣の信条である[25])となっており、「ろうそくたれ」は信条ということになっている。在任当時までの公式サイトのトップページには、ろうそくと赤城のコラージュに座右の銘が大きく掲げられていた[23]が、このコラージュが一部マスコミに取り上げられたこともあったのか、現在は公式サイトを大きくリニューアルしており、トップページには、農水大臣在任中の不祥事についての謝罪が掲載された他、活動内容を掲載したページでは、バンソウコウの件について地元有権者と談笑する写真つきの活動報告もある。
[編集] 家族 親族
- 祖父 赤城宗徳(政治家) - 赤城宗徳も安倍晋三の祖父岸信介政権の下で農林大臣(当時)、内閣官房長官、防衛庁長官(当時)を歴任しており、奇しくも祖父同士、孫同士で首相・国務大臣でコンビを組んで国政に携わるという巡り合わせとなった。
- 大叔父 正武(元NHK専務理事)
- 父 毅彦
- 妻と一男一女あり[26]。
[編集] 系譜
中曽根康弘 ┃ ┣━━━┳美智子 ┃ ┃ 小林儀一郎━━━蔦子 ┃ ┗美恵子 ┏渥美昭夫 ┃ ┃ ┃ 渥美育郎━━━╋渥美謙二 ┃ ┃ ┃ ┗渥美健夫 ┃ ┃ ┏渥美直紀 ┣━━┫ ┃ ┗渥美雅也 ┏伊都子 ┃ 鹿島守之助 ┃石川六郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣よし子 鹿島精一 ┣━━━┫ ┃ ┃ ┃平泉渉 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━卯女 ┣三枝子 ┃ ┃ ┃ ┃ 鹿島岩蔵━━いと ┗鹿島昭一 ┃ ┃ ┏公子 梁瀬長太郎━梁瀬次郎━━━━┫ ┗弘子 ┃ ┃ ┏稲山孝英 稲山伝太郎━稲山嘉寛━━━┫ ┗稲山繁孝 ┃ ┃ ┏赤城正武━━━━博子 ┃ ┗赤城宗徳 ┃ ┣━━━━━━赤城毅彦━━━赤城徳彦 ┃ ヒサ
[編集] 脚注
- ^ 『朝日新聞』朝日新聞社東京本社、茨城版
- ^ 「衆議院インターネット審議中継 -ビデオライブラリ」2007年6月6日(水)農林水産委員会 民主党・無所属クラブ 高山智司
- ^ 「参議院インターネット審議中継 -ビデオライブラリ」2007年6月12日(火)農林水産委員会 紙智子(共産)
- ^ 「赤城農相:事務所が大きく変動 19万円-1千万円幅で」『毎日新聞』毎日新聞社東京本社、2007年6月15日。
- ^ a b c 松田賢弥「スクープした本誌だけが書く--ポルシェ大好き少年赤城農水相『架空事務所費』問題で父・母につかせた大ウソ」『週刊現代』49巻28号、講談社、2007年7月28日、pp. 35-36
- ^ a b 「赤城農相:政治団体が実体のない事務所に経費・・・父親の自宅」『毎日新聞』毎日新聞社東京本社、2007年7月7日。
- ^ a b 「赤城農相:不透明な処理次々 茨城・自宅で父「知らない」」『毎日新聞』毎日新聞社東京本社、2007年7月7日。
- ^ a b 『サンデープロジェクト』テレビ朝日、2007年7月8日。
- ^ 『報道2001』フジテレビジョン、2007年7月8日。
- ^ 『日曜討論』日本放送協会、2007年7月8日。
- ^ 『日テレNEWS24』日本テレビ放送網、2007年7月9日。
- ^ 「「戦えない」参院選前に与党困惑・・・赤城農相の事務所費問題」『読売新聞』読売新聞社東京本社、2007年7月7日。
- ^ 「赤城農相の辞任要求=首相の任命責任も追及-野党」『時事通信:時事ドットコム』時事通信社、2007年7月7日。
- ^ テレビ朝日系列『報道ステーション』鳥越俊太郎、2007年7月9日
- ^ 出典:茨城県選管政治資金収支報告書 2007年7月8日(日)「しんぶん赤旗」
- ^ 「赤城農水相『事務所費疑惑』の核心『ポルシェ』『脱サラの父』『赤坂宿舎不正入居』」『週刊文春』49巻28号、文藝春秋、2007年7月19日、p. 25
- ^ 「赤城農相:政治団体、退去後も事務所費計上 実在と記載」『毎日新聞』毎日新聞社東京本社、2007年7月21日。
- ^ a b c 「赤城農水相、政治活動費を2重計上 同じ領収書を添付」『朝日新聞』朝日新聞東京本社、2007年7月27日。
- ^ a b c d e 松田賢弥「『架空事務所費』だけではなかった--赤城農水相二つの政治団体で二重計上これが証拠の“ニセ領収書”だ」『週刊現代』49巻30号、講談社、2007年8月11日、pp. 24-27
- ^ 「安倍首相、赤城農相と間違われ…独紙が誤掲載」『朝日新聞』朝日新聞社東京本社、2007年6月8日。
- ^ 日刊スポーツ7月17日付記事
- ^ 産経イザ!8月1日付記事
- ^ a b "衆議院議員 赤城徳彦ホームページ". 赤城徳彦 (2007). 2007年7月18日 閲覧。
- ^ "安倍内閣メールマガジン 第32号 -G8ハイリゲンダム・サミットに臨む(2007-06-07)-". 内閣官房内閣広報室 (2007-6-7). 2007年7月18日 閲覧。
- ^ 第166回国会 衆議院 議院運営委員会 第44号 2007年(平成19)年6月15日
- ^ a b "農林水産大臣". 首相官邸 (2007). 2007年7月19日 閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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