衛藤征士郎

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日本の旗衆議院議員 衛藤 征士郎
衛藤征士郎.jpg
生年月日 1941年4月29日(72歳)
出身地 日本の旗大分県玖珠郡玖珠町
出身校 早稲田大学政治経済学部
早稲田大学大学院
政治学研究科
学位・資格 政治学修士(早稲田大学・1973年
前職 国会議員秘書
世襲
選出選挙区 大分2区
当選回数 10回(参1回)
所属党派 自由民主党→)
無所属(衆議院副議長就任のため在任中離脱)→)
自由民主党(町村派
党役職 地方行政調査会会長
九州地方開発委員会委員長
大分県支部連合会常任顧問
大分県第2選挙区支部長
会館部屋番号 衆議院第1議員会館1101号室
ウェブサイト 衆議院議員 衛藤征士郎
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衛藤 征士郎(えとう せいしろう、1941年4月29日 - )は、日本政治家衆議院議員(10期)。

大分県玖珠郡玖珠町町長参議院議員(1期)、防衛庁長官第57代)、衆議院副議長(第64代)を歴任した。

来歴[編集]

大分県玖珠郡玖珠町出身。29歳で大分県玖珠町長に当時史上最年少で当選。1977年に36歳で参議院議員に初当選し、大平正芳に師事して宏池会(大平派)に所属する。 1995年防衛庁長官として初入閣。1998年河野洋平を中心とする大勇会(河野グループ)旗揚げに参加した。 中央省庁再編後の第2次森改造内閣では外務副大臣に就任し台湾総統(当時)・李登輝の訪日を実現した。その際、外務大臣だった河野洋平が李登輝総統へのビザ発給に難色を示したことに抗議し、大勇会を離れた。その後は、清和政策研究会福田赳夫安倍晋太郎三塚博森喜朗小泉純一郎町村信孝の流れをくむ町村派)に所属し顧問を務める。

2004年6月、政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚[1]

2007年12月、北朝鮮との関係を検証するため自由民主党政務調査会外交調査会に、自由民主党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、委員長に就任した。 この頃は、親福田康夫派議員の筆頭格として福田親衛隊を自認し、テレビ番組などで安倍晋三支持の山本一太らと討論する姿も見られた。2006年自由民主党総裁選挙では派閥内にて福田擁立の中心的存在であったが、福田は不出馬。2007年自由民主党総裁選挙ではいち早く福田擁立を表明し、福田康夫内閣の実現に動いた。 2008年自由民主党総裁選挙では、同じ町村派に所属していた小池百合子の推薦人代表を務めた。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙に自民党から出馬。公明党の推薦も受ける[2]。小選挙区では落選も比例区で復活当選。同年9月16日に開会された臨時国会にて衆議院副議長に就任。自民党からは鯨岡兵輔以来16年ぶりの就任となった。 2011年5月5日、台湾による東日本大震災の被災者支援に感謝の意を示すため台湾を訪問。衆参両院の正副議長の台湾訪問は、1972年の日本と台湾の断交以来初めてのことである。翌2012年3月に再度訪問し馬英九総統と面会した[3]

2012年11月の衆議院解散により副議長を退任。自民党に復帰し、12月の第46回衆議院議員総選挙で10回目の当選。

2013年1月、自由民主党外交・経済連携本部長(党則第83条に基づく総裁直属機関) に就任。

政策[編集]

  • 自民党の行政改革推進本部長を務め、 麻生内閣が「職員の退職管理に関する政令」を改正し国家公務員の「ワタリ」を認めたことに対して、「党行政改革推進本部は認めない。政令を超えるため、『渡り』を認めない自民党による議員立法を用意する」と主張。廃止や見直しを求めることを決めた自民党行革本部公務員制度改革委員会と政府が対立する可能性があることについて「いいじゃないか。断固としてやる」と述べた。また、自民党を離党した渡辺喜美に対しては「渡辺さんも党の中にいればこういうこと(議員立法)ができる」と指摘した[4]
  • TPP交渉参加に関する自民党の公約について、総理大臣の安倍晋三が2013年2月28日の衆院予算委員会で、関税に関する項目以外の五項目は「正確には公約ではない。目指すべき政策」と答弁したのに対し、自民党幹事長の石破茂が3月12日のJA主催の集会で六項目を公約と説明し、翌13日には衛藤が本部長を務める自民党外交・経済連携本部のTPP対策委員会も決議文に六項目の約束を公約と明記した。この件について衛藤はフリージャーナリストの横田一の取材に対し、決議文は六項目が遵守されない限り、「脱退」「批准しない」との理解だと明言した[5]

テコンドー協会会長[編集]

2003年3月から4月まで日本テコンドー連盟会長を務め、連盟が内紛により日本テコンドー連合と全日本テコンドー協会に分裂した後は協会会長に就任[6]。その後、両団体は新団体を設立し衛藤を会長、連合の森喬伸会長を理事長とすることで合意したが、協会は合意の無効を主張した[7]日本オリンピック委員会(JOC)から五輪派遣の条件として両団体の統一を要求される中、協会は単独での加盟申請を行ったが拒否され[8]その後も一本化がなされなかったため、JOCは両団体を非難し解散を勧告した。これに対し衛藤は「消滅なんてせんえつな話。なにさまだと思っているのか」と述べた[9]2005年に設立された社団法人全日本テコンドー協会への統合に伴い退任。

政治資金問題[編集]

  • 日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると報じられた[10]
  • 衛藤の公設第1秘書私設秘書だった1996年に情報サービス会社を設立し、インターネットで集めた官公庁の資料などをコピーした情報冊子の購読料名目で2004年までの9年間に地元大分県の建設業者から1億4000万円を集め、同社役員が衛藤の政治団体に献金していたことが判明。政治資金規正法に抵触する迂回献金の疑いを指摘された[11][12]
  • 2007年8月、衛藤の政治資金管理団体と政治団体がパーティ招待状の郵送費などを政治資金収支報告書に二重計上していたことが発覚し、訂正を総務省に届け出た[13]

経歴[編集]

衛藤征士郎

主な所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 『日本の将来を見すえて』 (サンケイ出版 1983年)
  • 『21世紀・日本のビジョン』 (21世紀政治経済研究所 1997年)
  • 『検証・李登輝訪日―日本外交の転換点』 (ビイング・ネット・プレス 2001年)
拓殖大学客員教授・小枝義人との共著
  • 『今この国にある危機』 (徳間書店 2002年)
  • 『一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ』 (KKベストセラーズ 2005年)
衆議院議員・福田康夫(福田にとっては初の著書)との対談(聞き手は明石散人
  • 『海から見る日本』(㈱日本海事新聞社 2009年)
総理大臣・麻生太郎との対談・座談集
  • 『一院制国会が日本を再生する!』(悠雲舎 2012年)

脚注[編集]

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  1. ^ 衛藤氏ら新たに未納議員6人判明 日刊スポーツ 2004年5月2日
  2. ^ 比例貢献が基準公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
  3. ^ 馬英九総統が衛藤征士郎・衆議院副議長ら一行と会見台北駐日経済文化代表処 2012年3月26日
  4. ^ 公務員「渡り」禁止法案提出も-自民・衛藤氏 - MSN産経ニュース産経デジタル2009年1月17日
  5. ^ 自民党内は「6項目遵守」を決議――TPP、公約違反か交渉離脱か週刊金曜日ニュース 2013年4月3日
  6. ^ 共同通信2003年5月12日
  7. ^ 共同通信2004年2月16日
  8. ^ 共同通信2004年3月19日
  9. ^ sanspoサンスポ
  10. ^ しんぶん赤旗 2003年9月12日 パーティ券リストの面々
  11. ^ YOMIURIONLINE2007年1月8日
  12. ^ 共同通信2007年1月9日
  13. ^ 日テレNEWS242007年8月11日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


議会
先代:
横路孝弘
日本の旗 衆議院副議長
第64代:2009年 - 2012年
次代:
赤松広隆
先代:
逢沢一郎
日本の旗 衆議院予算委員長
2008年 - 2009年
次代:
鹿野道彦
先代:
深谷隆司
日本の旗 衆議院国家基本政策委員長
2006年 - 2008年
次代:
二田孝治
先代:
中村正三郎
日本の旗 衆議院決算行政監視委員長
2000年
次代:
持永和見
先代:
村井仁
中西啓介
日本の旗 衆議院大蔵委員長
1999年 (代理)
1990年 - 1991年
次代:
金子一義
平沼赳夫
公職
先代:
新設
日本の旗 外務副大臣
荒木清寛と共同
2001年
次代:
植竹繁雄
杉浦正健
先代:
玉澤徳一郎
日本の旗 防衛庁長官
第57代:1995年 - 1996年
次代:
臼井日出男