鎌ケ谷市
| かまがやし 鎌ケ谷市 |
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|---|---|
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鎌ケ谷市旗
1974年3月30日制定 |
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| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 千葉県 |
| 団体コード | 12224-6 |
| 面積 | 21.11km² |
| 総人口 | 108,816人 (推計人口、2012年12月1日) |
| 人口密度 | 5,150人/km² |
| 隣接自治体 | 柏市、白井市 松戸市、市川市、船橋市 |
| 市の木 | モクセイ |
| 市の花 | ナシの花、キキョウ |
| 鎌ケ谷市役所 | |
| 所在地 | 〒273-0195 千葉県鎌ケ谷市新鎌ケ谷2-6-1 |
| 外部リンク | 鎌ケ谷市 |
| ウィキプロジェクト | |
目次 |
地理 [編集]
- 千葉県北西部に位置し、柏市、白井市、松戸市、市川市、船橋市に隣接する。
- 北部には手賀沼に注ぐ大津川が流れ、南部には大柏川及び根郷川、東京湾に注ぐ海老川の支流が流れる。
- 市域は下総台地と谷津田からなり、海抜が最も低い地点は約7m、最も高い地点は約30mとなっている。
- 新しい市街地として市役所周辺の新鎌ケ谷地区の開発が行われている。
- 北部には海上自衛隊下総航空基地があり、西部(くぬぎ山地区)には陸上自衛隊松戸駐屯地がある。
- 市の中央を東経140度線が縦断している。
歴史 [編集]
- 縄文時代の貝塚が発見されていて、現在の貝柄山公園の名称の由来ともなっている。
- 鎌倉時代には相馬氏が佐津間を所領としていた。
- 江戸時代には本多氏が現在の鎌ケ谷市の一部を所領としていた。
- 江戸時代には小金牧の一部とされ、野生馬の供給地ともなっていた。現在の馬込沢はその前の時代の名残とも言われている。
- 1616年(元和2年):原田勘兵衛が幕府より中沢の地を与えられる。
- 1687年(貞享4年):松尾芭蕉が「鹿島紀行」の途上、鎌ケ谷(小金牧)を通る。
- 1776年(安永5年):大黒屋文右衛門(福田文右衛門)が鎌ヶ谷大仏を建立。
- 1825年(文政8年):渡辺崋山が宿を取る。「四州真景図」の2巻に行徳などと並んで「釜原」の絵がある。
- 1869年(明治2年)5月19日:下総の牧を開墾するために政府の求めで開墾会社が設立される。総頭取三井八郎右衛門、以下社員37名。事業完結後には広大な開墾地を保有して大地主になれるという約定。湯浅七兵衛(現在のユアサ商事創業家の一族)、大村五左衛門、加太八兵衛が初富担当。[1]
- 1869年(明治2年)10月:入植者募集が行われる。最終的には1760世帯、6500人が応募。(全員が鎌ケ谷に来たのではなく、下総の各開墾地に送り込まれた。)[1]
- 1869年(明治2年)10月2日:下総国開墾局知事 北島秀朝が粟野村で「初富」の地名を公式に宣言する。「初富」という地名は「一番始めに開墾が行われ、富み栄えてほしい」という祈念により命名された。[1]
- 1869年(明治2年)10月27日:午前5時頃、入植者第1陣49世帯169人が初富に到着。以下、年内に第5陣まで順次入植し総勢311世帯、1136人。その名簿「初富農舎人員帳」は財団法人三井文庫に保存されている。[1]
- 1869年(明治2年):初富を皮切りに大規模な開拓事業が行われる。初富に続いて開拓された地名は2番目の二和、3番目の三咲(以上船橋市)、以下、豊四季(柏市)、五香、六実(以上松戸市)、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三の初富を入れて全13個所。
- 1872年(明治5年)5月:開墾事業の失敗で開墾局、開墾会社が廃止される。[1]
- 1872年(明治6年)5月:湯浅七兵衛が、豊作稲荷神社を勧請。[1]
- 1872年(明治5年):鎌ケ谷に郵便局創立。三等局。集配区域は鎌ヶ谷・法典・豊富村。[2]
- 1874年(明治7年):鎌ケ谷小学校開校。
- 1882年(明治15年):陸軍が調査・測量した「陸軍偵察録」を著す。抜粋(現代語に訳)「初富・二和・三咲の3村は明治2年に無籍・貧民対策で開墾事業を行い、多く東京の貧民を移住させたが、追々東京に留まるようになり、戸数・人口は次第に減っていきほとんど3分の1になった。そのため一度は畑にした原野もだんだん草野に戻っているところが多い。」
- 1889年(明治22年):鎌ケ谷・初富・粟野・中沢・道野辺・佐津間の6村と印旛郡根村(現在の白井市の一部)から分村した軽井沢地区が合併して「鎌ケ谷村」成立。[3]
- 1909年(明治42年)9月28日:東葛人車鉄道(中山~鎌ケ谷間)開通。
- 1917年(大正6年):東葛人車鉄道撤廃。このころの交通状況「県道二線南北を過ぐるも、険悪にして交通不便なり」[2]
- 1919年(大正8年):このころ鎌ヶ谷駅付近「春の蕨、松露、秋の茸狩に適し、都人士の来遊多し」[2]
- 1920年(大正9年):第一回国勢調査で鎌ケ谷村は戸数686、人口4160(男1996、女2164)[4]
- 1922年(大正11年)5月:鎌ケ谷小学校、中野小学校、明小学校(初富に所在)を鎌ケ谷尋常小学校として結合。(大正8年時点の児童数はそれぞれ134名、147名、186名[2])
- 1923年(大正12年)12月27日:北総鉄道船橋線(現在の東武鉄道野田線)開通。
- 1949年(昭和24年)1月8日:新京成線(滝不動駅〜鎌ヶ谷大仏駅間)開通。
- 1958年(昭和33年)8月1日:町制施行。
- 1971年(昭和46年)9月1日:市制施行。
- 1979年(昭和54年)3月9日:北総線(北初富駅〜小室駅間)暫定開業。
- 1991年(平成3年)3月31日:新鎌ヶ谷駅開業。都心へのアクセスが向上する。
- 2004年(平成16年)4月3日:新鎌ケ谷地区の街びらきが行われる。
- 2012年(平成24年)7月1日:鎌ケ谷市スポーツ施設のネーミングライツスポンサーがくすりの福太郎となる[5]
市名の由来 [編集]
- 江戸時代は「釜原」と呼ばれ、釜原が鎌ヶ谷に転じたという説や、以前は鎌ヶ谷市周辺に蒲(かば)や茅(かや)が自生し、蒲茅が鎌ヶ谷へ転じたという説、鎌形の谷がある地からなど、諸説ある。
初富開墾 [編集]
明治維新直後、政府は東京府の貧窮民・旧武士たちの救済の目的で東京に隣接する小金牧の開墾を計画し、北島秀朝によって初めに現在の「初富」の開拓が行われることになった。費用を捻出するために開墾会社を設置し、明治2年10月に入植者を募集し、同月中から入植を開始した。 入植条件は「下総国牧地開墾場へ移住之者授産向大意規則」に残っている。
個別の入植者の事例はほとんど残っていないので具体的にどのような来歴の人物が入植したかはあまりわかっていないが、「総州牧開墾演説書」(明治5年)に当時の入植者の前田友七の足跡がよく記録されている。記録を突き合わせると、友七は美濃国各務郡(現在の岐阜県各務ヶ原市)出身で、文久元年(1861年)に長女と長男を故郷に預け置いて江戸へ入り、東京本所三笠1丁目(現在の墨田区)に居住していた。その後入植者に応募し、明治2年11月17日妻と次男甚太郎とともに初富に入植。初富入植後に長女・長男を呼び寄せ家族で暮らせるようになったという。
当初の開墾事業は、入植者の多くが農業未経験者だったことや周辺の村との軋轢、大風雨、干ばつなどの厳しい自然環境を理由に失敗し、明治5年には開墾局も開墾会社も廃止された。
この失敗によって明治24年頃まで初富の人口は漸減したが、残った者の地道な努力と、従来の東京窮民ではない新しい開拓者として周辺の村々の農家の子弟が加わったことから遅々とはしながらも確実な営みとなった。 しかし、切り開いた土地の多くが旧開墾会社の社員の所有物となってしまい入植者たちは小作人とされてしまったことから入植者と旧社員との係争・訴訟が各地で起こった。たとえば、明治9年4月3日には村民が内務卿大久保利通に直訴を行っている。これらの事件を千葉県令船越衛は「県下一の難事件」と呼び、国会議員田中正造は明治27年5月にこの件で政府へ質問書を提出するという事態になった。 入植者が起こした裁判はことごとく敗訴したが、千葉県は旧社員から開墾地を買い上げ、安価で入植者へ払い下げるという救済措置を採った。
市域の変遷 [編集]
| 1868年 以前 |
1872年 (明治5) |
1875年 (明治8) |
1889年 (明治22) 4月1日 |
1958年 (昭和33) 8月1日 |
1971年 (昭和46) 9月1日 |
現在 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
葛 飾 郡 後 に 東 葛 飾 郡 |
鎌ケ谷村 | 鎌ケ谷村 | 町制 | 市制 | 鎌 ケ 谷 市 |
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| 小金牧 の一部 |
初富村 | |||||||
| 粟野村 | ||||||||
| 中沢村 | ||||||||
| 道野辺村 | ||||||||
| 佐津間村 | ||||||||
| 串崎新田飛地 | ||||||||
| 印 旛 郡 |
印旛郡 軽井沢新田 |
印旛郡 根村 |
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| 印旛郡 白井木戸新田 |
印旛郡 白井村 |
印旛郡 白井村 |
印旛郡 白井町 |
白 井 市 |
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| 印旛郡 中木戸新田 |
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| 印旛郡 七次村 |
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昭和・平成の大合併 [編集]
昭和の大合併では、村内から松戸市や船橋市との合併論が、平成の大合併では白井市の一部住民からの合併論が持ち上がったものの、合併には至らず、現在の市町村制度の基礎が成立した1889年以来、100年以上にわたって一度も市町村合併を行っていない。同様のケースは千葉県内では浦安市・富里市・酒々井町がある。
人口 [編集]
| 鎌ケ谷市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 鎌ケ谷市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 鎌ケ谷市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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鎌ケ谷市(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
行政 [編集]
市長 [編集]
- 現市長:清水聖士(しみず きよし)※選挙においては名前を「清水きよし」としている。
- 歴代市長一覧
- 飯田毅:?~1983年
- 皆川圭一郎(みながわ けいいちろう):1983年~2002年6月7日
当初市長選挙に出馬予定だった父親が逝去(自殺)したため、代わりに出馬し当選。当選当時の年齢は全国最年少(30歳)で、5期19年にわたり市長を務めた。2002年5月30日に鎌ケ谷市汚職事件で、建設会社から裏金の一部をわいろとして受け取ったとして千葉地検に逮捕された。辞職後、判決を受けて刑務所に服役していたが、持病の肺癌のため一時出所して治療中、2006年6月15日に逝去。享年53。 - 清水聖士(しみず きよし):2002年7月28日~現在
広域行政 [編集]
- 松戸市、野田市、柏市、流山市、我孫子市、鎌ケ谷市、の6市により構成されている東葛飾広域連絡協議会で、2006年(平成18年)5月に政令指定都市問題研究会が発足し、2006年度(平成18年度)・2007年度(平成19年度)の2ヵ年をかけて、今後の政令指定都市の議論に役立てるため、構成市である6市の基礎データの収集や分析、広域的課題の整理などを行うとともに、政令指定都市制度の研究や東葛地域におけるシミュレーションなどの調査・研究を行った。
- 2007年4月27日、市川市、船橋市、松戸市、鎌ケ谷市が、この圏域の将来的な選択肢の一つとして、合併や政令指定都市への移行に関する共同研究する東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会(2008年9月1日現在の4市推計人口1,649,569人)を設立した。
産業 [編集]
- 県内でも有数のナシの産地で、市内には観光梨園が多い(近年は漸減)。
- 1986年(昭和61年)10月、日本初の梨ブランデー試作品を開発し、鎌ケ谷市農業協同組合の手により1987年(昭和62年)10月から梨ブランデー「梨の里」、梨ワイン「梨のささやき」の発売を開始した。現在は「鎌ケ谷梨ワイン・ブランデー株式会社」から発売、生産は柏市のニッカウヰスキー柏工場に委託。
- 梨の他にもブドウやサツマイモなどの観光農園が多く(近年は漸減)、また麺類や酢、ソースも特産品となっている。
市内に本社のある主要企業 [編集]
郵政 [編集]
- 05083 鎌ケ谷郵便局…郵便事業鎌ケ谷支店併設
- 05382 鎌ケ谷新田郵便局…昭和40年10月1日設置
- 05457 鎌ケ谷駅前郵便局…昭和47年11月1日設置
- 05492 鎌ケ谷道野辺郵便局…昭和53年2月16日設置
- 05523 鎌ケ谷中沢郵便局…昭和53年2月16日設置
- 05528 鎌ケ谷初富郵便局…昭和57年9月16日設置
- 05576 鎌ケ谷中央一郵便局…昭和58年12月1日設置
- 05594 鎌ケ谷南初富郵便局…平成4年11月16日設置
姉妹・提携都市 [編集]
地域 [編集]
新鎌ケ谷(中央地区) [編集]
北部地区 [編集]
南部地区 [編集]
- 明治時代に「初富」として開墾された地域であり、北総線より南側に位置する東道野辺、道野辺中央、東中沢、東初富などの地域では住宅地が広がる。鎌ヶ谷駅および鎌ヶ谷大仏駅をはじめ、県道8号線(船取線)や県道57号線を中心に発展している。また、南西部にはファイターズタウンがある。
くぬぎ山地区 [編集]
地域問題 [編集]
- 市内には交差点や踏切が多い事もあり、幹線道路(船取線など)では土曜・休日になると慢性的な渋滞が発生している。市内には狭い道が多く右折レーンがあまり整備されていないが故、緊急車両が迅速に現場に到着できないなどの問題も起きている。これに伴い、新京成電鉄は高架化事業を開始した。
- また、幹線道路沿いにロードサイド型の大型ショッピングセンターなどが相次いでオープンし、それらの渋滞を回避する目的で周辺住宅地の狭い道を裏道として利用する車が多くなり、通学路などの交通量が増えるといった問題も発生している。
- 新しい市街地として新鎌ケ谷地区の開発が行われる一方、以前からの市街地では商店街の衰退化が問題となっている。
住宅団地 [編集]
- 鎌ヶ谷グリーンハイツ
- 東武鎌ヶ谷団地
教育 [編集]
高等学校 [編集]
中学校 [編集]
小学校 [編集]
交通 [編集]
鉄道 [編集]
中心となる駅:鎌ヶ谷駅 - 但し、4路線の乗り入れ駅で、市内で利用客が最も多い新鎌ヶ谷駅に中心駅が移りつつある。
東武野田線・新京成電鉄新京成線・北総鉄道北総線・京成成田空港線が走り、市の中央にある新鎌ヶ谷駅で3線が交差する。北総線は都心方面(京成線・都営浅草線・京急線)へ直通運転しており、日本橋まで特急で30分。なお、新京成電鉄本社・北総鉄道本社は鎌ケ谷市に所在する。
2010年7月17日には、北総線経由で都心と成田空港を結ぶ「成田スカイアクセス」(成田新高速鉄道プロジェクト)が開業し、新鎌ヶ谷駅にはアクセス特急(特別料金不要)が停車する。
- 路線
- 新京成電鉄 (新京成線) : くぬぎ山駅 - 北初富駅 - 新鎌ヶ谷駅 - 初富駅 - 鎌ヶ谷大仏駅
- 北総鉄道 (北総線) : 新鎌ヶ谷駅
- 京成電鉄 (京成成田空港線) : 新鎌ヶ谷駅(北総線と同じ扱いをされる場合もある)
- 東武野田線 : 鎌ヶ谷駅 - 新鎌ヶ谷駅
- 今後の予定
- 都営地下鉄新宿線の延伸として東京10号線延伸新線(元々は千葉県営鉄道北千葉線)が新鎌ヶ谷駅まで延長する計画があるが、現在のところ着工の目処は立っていない。なお、中沢地区の一部などでは千葉県企業庁により同線の用地が確保されている。
- 未成線
- 東京成田芝山電気鉄道(成田急行電鉄)
- 船橋鉄道
道路 [編集]
- 一般国道
- 都道府県道
- 主要地方道
- 千葉県道8号船橋我孫子線(通称 船取線)
- 千葉県道57号千葉鎌ケ谷松戸線
- 千葉県道59号市川印西線(木下街道)
- 一般県道
- 主要地方道
バス [編集]
- 路線バス
- 「ききょう号」
観光 [編集]
名所 [編集]
史跡 [編集]
祭事 [編集]
- YOSAKOIかまがや
- 鎌ヶ谷とっこめ寄席
スポーツ [編集]
- 日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷
- 北海道日本ハムファイターズの二軍本拠地で、一軍が東京から出た後も変わっていない。敷地内にはイースタン・リーグ公式戦などが開催される野球場・ファイターズスタジアムと屋内練習場、選手寮「勇翔寮」がある。2010年末、斎藤佑樹の入団が決まったことで、全国の注目を集めた。
ゆかりの有名人 [編集]
- 渋谷総司(赤報隊/幕末の志士)
- 勝浦正樹(騎手)
- 佐藤寛之(元・光GENJI/ジャニーズ事務所)
- 倉垣翼(女子プロレス選手)
- 金成公信(元・ハローバイバイ):柏市(旧沼南町)出身、鎌ケ谷西高校卒。
- 田中美和子(タレント・ラジオパーソナリティ):船橋市出身、鎌ケ谷西高校卒。
- 石川直樹(ベガルタ仙台・DF):鎌ケ谷高校卒。
- 清田育宏(プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズ所属)市立五本松小学校・第五中学校卒。
- 山本文郎(フリーアナウンサー、鎌ケ谷市在住)
- 初代金原亭馬生(江戸時代から続く落語家の名跡、名前の由来が下総小金中野牧跡に由来する)
- 藤江れいな(AKB48)出生地は浦安市・市立第四中学校卒。
その他 [編集]
- 松戸市、柏市、流山市、我孫子市、野田市と共に東葛地域に属する。また柏レイソルの活動エリアに含まれている。
- 市外局番は市内全域「047」であるが、船橋MAの区域と(047- 4XX,75X〜77X)と市川MAの区域(047- 3XX,70X〜72X)[6]に分かれている。市川MAに属するのは松戸市に近いくぬぎ山地区の一部。
- 生活協同組合へ加入している世帯が多い。ちばコープ加入世帯のみで、市内全世帯の約40%が加入している。
- 市章はカタカナで「カマガヤ」を図案化したものである。なお、デザインは電電公社(現NTT)や営団地下鉄(現東京メトロ)のマークの流れを組んでいる。
地名表記について [編集]
「鎌ヶ谷」と「鎌ケ谷」との両方の表記があるが、これは一般の地名表記は小文字の「ヶ」(「箇」の略字体)(鎌ヶ谷)を使うのに対し、新聞・出版関係の地名表記は大文字の「ケ」(鎌ケ谷)を使う。市役所では鎌ケ谷を採用しており、郵政公社住所や千葉県庁もそれにならっている。
なお、2007年10月1日に、「鎌ヶ谷郵便局」が「鎌ケ谷郵便局」に改称された(同時に袖ケ浦市の袖ヶ浦郵便局も袖ケ浦郵便局に改称)。
脚注 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 行政
- 観光
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