鎌ケ谷市

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かまがやし
鎌ケ谷市
Kamagaya Fighters Stadium 004.jpg
Flag of Kamagaya Chiba.JPG
鎌ケ谷市旗
1974年3月30日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
団体コード 12224-6
面積 21.11km²
総人口 108,671
推計人口、2014年2月1日)
人口密度 5,150人/km²
隣接自治体 柏市白井市松戸市
市川市船橋市
市の木 モクセイ
市の花 ナシの花、キキョウ
鎌ケ谷市役所
所在地 273-0195
千葉県鎌ケ谷市新鎌ケ谷2丁目6番1号
北緯35度46分36.6秒東経140度0分2.9秒
鎌ケ谷役所
外部リンク 鎌ケ谷市

鎌ケ谷市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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鎌ケ谷市(かまがやし)は、千葉県の北西部に位置する

地理[編集]

歴史[編集]

  • 縄文時代貝塚が発見されていて、現在の貝柄山公園の名称の由来ともなっている。
  • 鎌倉時代には相馬氏が佐津間を所領としていた。
  • 江戸時代には本多氏が現在の鎌ケ谷市の一部を所領としていた。
  • 江戸時代には小金牧の一部とされ、野生馬の供給地ともなっていた。現在の馬込沢はその前の時代の名残とも言われている。
  • 1616年(元和2年):原田勘兵衛が幕府より中沢の地を与えられる。
  • 1687年(貞享4年):松尾芭蕉が「鹿島紀行」の途上、鎌ケ谷(小金牧)を通る。
  • 1776年(安永5年):大黒屋文右衛門(福田文右衛門)が鎌ヶ谷大仏を建立。
  • 1825年(文政8年):渡辺崋山が宿を取る。「四州真景図」の2巻に行徳などと並んで「釜原」の絵がある。
  • 1869年(明治2年)5月19日:下総の牧を開墾するために政府の求めで開墾会社が設立される。総頭取三井八郎右衛門、以下社員37名。事業完結後には広大な開墾地を保有して大地主になれるという約定。湯浅七兵衛(現在のユアサ商事創業家の一族)、大村五左衛門加太八兵衛が初富担当。[1]
  • 1869年(明治2年)10月:入植者募集が行われる。最終的には1760世帯、6500人が応募。(全員が鎌ケ谷に来たのではなく、下総の各開墾地に送り込まれた。)[1]
  • 1869年(明治2年)10月2日:下総国開墾局知事 北島秀朝が粟野村で「初富」の地名を公式に宣言する。「初富」という地名は「一番始めに開墾が行われ、富み栄えてほしい」という祈念により命名された。[1]
  • 1869年(明治2年)10月27日:午前5時頃、入植者第1陣49世帯169人が初富に到着。以下、年内に第5陣まで順次入植し総勢311世帯、1136人。その名簿「初富農舎人員帳」は財団法人三井文庫に保存されている。[1]
  • 1869年(明治2年):初富を皮切りに大規模な開拓事業が行われる。初富に続いて開拓された地名は2番目の二和、3番目の三咲(以上船橋市)、以下、豊四季(柏市)、五香六実(以上松戸市)、七栄八街九美上十倉十余一十余二十余三の初富を入れて全13個所。
  • 1872年(明治5年)5月:開墾事業の失敗で開墾局、開墾会社が廃止される。[1]
  • 1872年(明治6年)5月:湯浅七兵衛が、豊作稲荷神社を勧請。[1]
  • 1872年(明治5年):鎌ケ谷に郵便局創立。三等局。集配区域は鎌ヶ谷・法典・豊富村。[2]
  • 1874年(明治7年):鎌ケ谷小学校開校。
  • 1882年(明治15年):陸軍が調査・測量した「陸軍偵察録」を著す。抜粋(現代語に訳)「初富・二和・三咲の3村は明治2年に無籍・貧民対策で開墾事業を行い、多く東京の貧民を移住させたが、追々東京に留まるようになり、戸数・人口は次第に減っていきほとんど3分の1になった。そのため一度は畑にした原野もだんだん草野に戻っているところが多い。」
  • 1889年(明治22年):鎌ケ谷・初富・粟野・中沢・道野辺・佐津間の6村と印旛郡根村(現在の白井市の一部)から分村した軽井沢地区が合併して「鎌ケ谷村」成立。[3]
  • 1909年(明治42年)9月28日東葛人車鉄道(中山~鎌ケ谷間)開通。
東葛人車鉄道
  • 1917年(大正6年):東葛人車鉄道撤廃。このころの交通状況「県道二線南北を過ぐるも、険悪にして交通不便なり」[2]
  • 1919年(大正8年):このころ鎌ヶ谷駅付近「春の蕨、松露、秋の茸狩に適し、都人士の来遊多し」[2]
  • 1920年(大正9年):第一回国勢調査で鎌ケ谷村は戸数686、人口4160(男1996、女2164)[4]
  • 1922年(大正11年)5月:鎌ケ谷小学校、中野小学校、明小学校(初富に所在)を鎌ケ谷尋常小学校として結合。(大正8年時点の児童数はそれぞれ134名、147名、186名[2])
  • 1923年(大正12年)12月27日:北総鉄道船橋線(現在の東武鉄道野田線)開通。
  • 1949年(昭和24年)1月8日新京成線(滝不動駅〜鎌ヶ谷大仏駅間)開通。
  • 1958年(昭和33年)8月1日:町制施行。
  • 1971年(昭和46年)9月1日:市制施行。
  • 1979年(昭和54年)3月9日北総線(北初富駅〜小室駅間)暫定開業。
  • 1991年(平成3年)3月31日新鎌ヶ谷駅開業。都心へのアクセスが向上する。
  • 2004年(平成16年)4月3日新鎌ケ谷地区の街びらきが行われる。
  • 2012年(平成24年)7月1日:鎌ケ谷市スポーツ施設のネーミングライツスポンサーがくすりの福太郎となる[5]

市名の由来[編集]

  • 江戸時代は「釜原」と呼ばれ、釜原が鎌ヶ谷に転じたという説や、以前は鎌ヶ谷市周辺に蒲(かば)や茅(かや)が自生し、蒲茅が鎌ヶ谷へ転じたという説、鎌形の谷がある地からなど、諸説ある。

初富開墾[編集]

明治維新直後、政府は東京府の貧窮民・旧武士たちの救済の目的で東京に隣接する小金牧の開墾を計画し、北島秀朝によって初めに現在の「初富」の開拓が行われることになった。費用を捻出するために開墾会社を設置し、明治2年10月に入植者を募集し、同月中から入植を開始した。 入植条件は「下総国牧地開墾場へ移住之者授産向大意規則」に残っている。

下総国牧地開墾場へ移住之者授産向大意規則の冒頭部分

個別の入植者の事例はほとんど残っていないので具体的にどのような来歴の人物が入植したかはあまりわかっていないが、「総州牧開墾演説書」(明治5年)に当時の入植者の前田友七の足跡がよく記録されている。記録を突き合わせると、友七は美濃国各務郡(現在の岐阜県各務ヶ原市)出身で、文久元年(1861年)に長女と長男を故郷に預け置いて江戸へ入り、東京本所三笠1丁目(現在の墨田区)に居住していた。その後入植者に応募し、明治2年11月17日妻と次男甚太郎とともに初富に入植。初富入植後に長女・長男を呼び寄せ家族で暮らせるようになったという。

当初の開墾事業は、入植者の多くが農業未経験者だったことや周辺の村との軋轢、大風雨、干ばつなどの厳しい自然環境を理由に失敗し、明治5年には開墾局も開墾会社も廃止された。

この失敗によって明治24年頃まで初富の人口は漸減したが、残った者の地道な努力と、従来の東京窮民ではない新しい開拓者として周辺の村々の農家の子弟が加わったことから遅々とはしながらも確実な営みとなった。 しかし、切り開いた土地の多くが旧開墾会社の社員の所有物となってしまい入植者たちは小作人とされてしまったことから入植者と旧社員との係争・訴訟が各地で起こった。たとえば、明治9年4月3日には村民が内務卿大久保利通に直訴を行っている。これらの事件を千葉県令船越衛は「県下一の難事件」と呼び、国会議員田中正造は明治27年5月にこの件で政府へ質問書を提出するという事態になった。 入植者が起こした裁判はことごとく敗訴したが、千葉県は旧社員から開墾地を買い上げ、安価で入植者へ払い下げるという救済措置を採った。

市域の変遷[編集]

1868年
以前
1872年
(明治5)
1875年
(明治8)
1889年
(明治22)
4月1日
1958年
(昭和33)
8月1日
1971年
(昭和46)
9月1日
現在











鎌ケ谷村 鎌ケ谷村 町制 市制





小金牧
の一部
初富村
粟野村
中沢村
道野辺村
佐津間村
串崎新田飛地


印旛郡
軽井沢新田
印旛郡
根村
印旛郡
白井木戸新田
印旛郡
白井村
印旛郡
白井村
印旛郡
白井町


印旛郡
中木戸新田
印旛郡
七次村

昭和・平成の大合併[編集]

昭和の大合併では、村内から松戸市船橋市との合併論が、平成の大合併では白井市の一部住民からの合併論が持ち上がったものの、合併には至らず、現在の市町村制度の基礎が成立した1889年以来、100年以上にわたって一度も市町村合併を行っていない。同様のケースは千葉県内では浦安市富里市酒々井町がある。

人口[編集]

Demography12224.svg
鎌ケ谷市と全国の年齢別人口分布(2005年) 鎌ケ谷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 鎌ケ谷市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
鎌ケ谷市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 40,988人
1975年 63,288人
1980年 76,157人
1985年 85,705人
1990年 95,052人
1995年 99,694人
2000年 102,573人
2005年 102,812人
2010年 107,833人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

市長[編集]

現市長清水聖士(しみず きよし)※選挙においては名前を「清水きよし」としている。
任期2010年7月28日2014年7月27日、3期目
1960年11月26日生まれ、広島県出身。元職は伊藤忠商事社員、外務省官僚。2002年7月に前市長の逮捕による市長選挙で、市民団体、民主党自由党社民党の推薦を受けて当選。2006年の市長選挙では自民党公明党も推薦。
歴代市長一覧
  1. 飯田毅:?~1983年
  2. 皆川圭一郎(みながわ けいいちろう):1983年~2002年6月7日
    当初市長選挙に出馬予定だった父親が逝去(自殺)したため、代わりに出馬し当選。当選当時の年齢は全国最年少(30歳)で、5期19年にわたり市長を務めた。2002年5月30日に鎌ケ谷市汚職事件で、建設会社から裏金の一部をわいろとして受け取ったとして千葉地検に逮捕された。辞職後、判決を受けて刑務所に服役していたが、持病の肺癌のため一時出所して治療中、2006年6月15日に逝去。享年53。
  3. 清水聖士(しみず きよし):2002年7月28日~現在

広域行政[編集]

  • 松戸市野田市柏市流山市我孫子市、鎌ケ谷市、の6市により構成されている東葛飾広域連絡協議会で、2006年(平成18年)5月に政令指定都市問題研究会が発足し、2006年度(平成18年度)・2007年度(平成19年度)の2ヵ年をかけて、今後の政令指定都市の議論に役立てるため、構成市である6市の基礎データの収集や分析、広域的課題の整理などを行うとともに、政令指定都市制度の研究や東葛地域におけるシミュレーションなどの調査・研究を行った。
  • 2007年4月27日市川市船橋市、松戸市、鎌ケ谷市が、この圏域の将来的な選択肢の一つとして、合併や政令指定都市への移行に関する共同研究する東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会(2008年9月1日現在の4市推計人口1,649,569人)を設立した。

立法[編集]

市議会[編集]

  • 定数:24名
  • 任期:2011年(平成23年)4月30日~2015年(平成27年)4月29日
  • 議長:芝田裕美(政友会、3期)
  • 副議長:佐藤誠(公明党、3期)
会派名 議席数 議員名
政友会 11 森谷宏、松澤武人、泉川洋二、芝田裕美、原八郎、野上實、吉野良一、勝又勝、土屋裕彦、大野幸一、石井一美
公明党 5 川原千加子、井上治美、小易和彦、佐藤誠、池ヶ谷富士夫
市民クラブ 3 谷間保彦、小泉巖、月野隆明
民主・社民市民連合 2 針貝和幸、津久井清氏
日本共産党 1 宮城登美子
みんなの党 1 岩波初美
未来クラブ 1 三橋一郎

※2014年(平成26年)3月20日現在。

千葉県議会(鎌ヶ谷市選挙区)[編集]

  • 定数:2名
  • 任期:2011年(平成23年)4月30日~2015年(平成27年)4月29日
氏名 会派名 当選回数
ふじしろ政夫 市民ネット・社民・無所属 1
皆川輝夫 自由民主党千葉県議会議員会 4

※2014年(平成26年)3月20日現在。

産業[編集]

  • 県内でも有数のナシの産地で、市内には観光梨園が多い(近年は漸減)。
  • 1986年(昭和61年)10月、日本初の梨ブランデー試作品を開発し、鎌ケ谷市農業協同組合の手により1987年(昭和62年)10月から梨ブランデー「梨の里」、梨ワイン「梨のささやき」の発売を開始した。現在は「鎌ケ谷梨ワイン・ブランデー株式会社」から発売、生産は柏市ニッカウヰスキー柏工場に委託。
  • 梨の他にもブドウサツマイモなどの観光農園が多く(近年は漸減)、また麺類ソースも特産品となっている。

市内に本社のある主要企業[編集]

郵政[編集]

  • 05083 鎌ケ谷郵便局郵便事業鎌ケ谷支店併設
  • 05382 鎌ケ谷新田郵便局…昭和40年10月1日設置
  • 05457 鎌ケ谷駅前郵便局…昭和47年11月1日設置
  • 05492 鎌ケ谷道野辺郵便局…昭和53年2月16日設置
  • 05523 鎌ケ谷中沢郵便局…昭和53年2月16日設置
  • 05528 鎌ケ谷初富郵便局…昭和57年9月16日設置
  • 05576 鎌ケ谷中央一郵便局…昭和58年12月1日設置
  • 05594 鎌ケ谷南初富郵便局…平成4年11月16日設置

姉妹・提携都市[編集]

地域[編集]

新鎌ケ谷(中央地区)[編集]

  • 市の中央に位置する行政の中心地であり、新市街地として開発が進む。詳細は新鎌ケ谷を参照。

北部地区[編集]

南部地区[編集]

くぬぎ山地区[編集]

地域問題[編集]

  • 市内の幹線道路では土曜・休日になると慢性的な渋滞が発生している。これは市内において交差点や踏切が多く、右折レーンがあまり整備されていない事、また市内を東西に走る国道464号が新鎌ケ谷付近で分断(経路上は県道との重複)しているなど複数の要因が重なることによる。なお、現在新京成線の高架化事業および、国道464号のバイパス道路(粟野バイパス)の事業化を推進している。
  • また、幹線道路沿いにロードサイド型の大型ショッピングセンターなどが相次いでオープンし、それらの渋滞を回避する目的で周辺住宅地の狭い道を裏道として利用する車が多くなり、通学路などの交通量が増えるといった問題も発生している。
  • 新しい市街地として新鎌ケ谷地区の開発が行われる一方、以前からの市街地では商店街の衰退化が問題となっている。

住宅団地[編集]

  • 鎌ヶ谷グリーンハイツ
  • 東武鎌ヶ谷団地

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

小規模保育園[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

中心となる駅:鎌ヶ谷駅 - 但し、4路線の乗り入れ駅で、市内で利用客が最も多い新鎌ヶ谷駅に中心駅が移りつつある。

東武野田線新京成線北総線成田スカイアクセス(成田空港線)が走り、市の中央にある新鎌ヶ谷駅で各線が交差する。北総線・成田スカイアクセス(京成線都営浅草線京急線へ直通運転)を利用した場合、都心方面(日本橋駅)まで特急で約30分、また成田空港へも同様に約30分でアクセスできる。なお、新京成電鉄本社・北総鉄道本社は鎌ケ谷市に所在する。

新鎌ヶ谷駅前の様子(2011年10月10日)
路線
未成線

道路[編集]

バス[編集]

路線バス
コミュニティバス
  • ききょう号
    • 運行日:月曜日金曜日のみ。12/29~1/3は運休。月~金曜の祝日は年末年始を除き運行。
    • 運賃:小学生以上全線100円。鎌ケ谷駅・新鎌ケ谷駅・鎌ケ谷市役所の各停留所で乗り継ぎが可能である。詳しくはききょう号の項を参考の事。

観光[編集]

鎌ヶ谷大仏

名所[編集]

史跡[編集]

祭事[編集]

  • YOSAKOIかまがや
  • 鎌ヶ谷とっこめ寄席

スポーツ[編集]

ゆかりの有名人[編集]

その他[編集]

  • 松戸市、柏市、流山市、我孫子市、野田市と共に東葛地域に属する。また柏レイソルの活動エリアに含まれている。
  • 市外局番は市内全域「047」であるが、船橋MAの区域と(047- 4XX,75X〜77X)と市川MAの区域(047- 3XX,70X〜72X)[6]に分かれている。市川MAに属するのは松戸市に近いくぬぎ山地区の一部。
  • 生活協同組合へ加入している世帯が多い。ちばコープ加入世帯のみで、市内全世帯の約40%が加入している。
  • 市章はカタカナで「カマガヤ」を図案化したものである。なお、デザインは電電公社(現NTT)や営団地下鉄(現東京メトロ)のマークの流れを組んでいる。

地名表記について[編集]

鎌ヶ谷」と「鎌ケ谷」との両方の表記があるが、これは一般の地名表記は小文字の「ヶ」(「箇」の略字体)(鎌ヶ谷)を使うのに対し、新聞・出版関係の地名表記は大文字の「ケ」(鎌ケ谷)を使う。市役所では鎌ケ谷を採用しており、郵政公社住所や千葉県庁もそれにならっている。

なお、2007年10月1日に、「鎌ヶ谷郵便局」が「鎌ケ谷郵便局」に改称された(同時に袖ケ浦市袖ヶ浦郵便局も袖ケ浦郵便局に改称)。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 平成20年度鎌ケ谷市郷土資料館企画展 初富 -明治の下総台地開墾- (2009年) 編集・発行 鎌ケ谷市郷土資料館
  2. ^ a b c d 東葛飾郡案内(大正8年)
  3. ^ 角川日本地名大辞典
  4. ^ 日本国勢調査記念録 千葉県(大正11年、12年)
  5. ^ 鎌ケ谷市役所スポーツ施設ネーミングライツ(命名権)スポンサーが決定しました! - 鎌ケ谷市ホームページより
  6. ^ NTT東日本 単位料金区域別市外局番等一覧表 04から始まる市外局番」(PDFファイル)、NTT東日本

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

行政
観光