芦屋市
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芦屋市(あしやし)は、兵庫県南東部にある市。大阪の事業家が山側に豪邸を多く建築したこともあり、六麓荘は阪神間の高級邸宅街として名高い。
国際観光文化都市に指定されている。大阪市と神戸市のほぼ中間に位置するが、両市とは異なる固有の阪神間モダニズム文化に育まれた瀟洒な街並を擁する。北に六甲山、南に大阪湾を臨んだゆたかな自然、南に緩やかに傾斜する地形は、美しい景観と温暖な気候を形成する。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 歴史
- 1769年 芦屋村と打出村が天領となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県の布告により、芦屋村・打出村・三条村・津知村の4村が兵庫県の管轄下に置かれる。
- 1889年(明治22年)4月1日 4つの村が合併して菟原郡精道村が誕生。
- 1896年(明治29年)4月1日 菟原郡が武庫郡と合併。
- 1905年(明治38年) 阪神電気鉄道により現在の本線が開業、打出駅と芦屋駅を設置。これ以降、戦中の1940年ごろまで独自の沿線文化が育ち、阪神間モダニズムと後世になって呼ばれるようになった。
- 1913年(大正2年) 東海道本線に芦屋駅開設。
- 1920年(大正9年) 阪神急行電鉄により神戸線開業、芦屋川駅が開設される。これ以降、開発はそれまでの海岸沿いのみならず、山手側にも進むようになった。
- 1927年(昭和2年) 阪神国道(国道2号)開通。7月には国道上で阪神国道電軌(後の阪神国道線)の路面電車が営業を開始。
- 1928年(昭和3年) 株式会社六麓荘が、六麓荘町の宅地造成を開始。
- 1938年(昭和13年) 7月3日〜5日 阪神大水害。芦屋川が氾濫。
- 1940年(昭和15年)11月10日 市制施行。
- 1951年(昭和26年) 国際文化住宅都市(国際観光文化都市)指定。
- 1974年(昭和49年) 阪神国道線廃止。
- 1985年(昭和60年) 非核平和都市宣言を行う。
- 1991年(平成3年) 市長選で北村春江が当選、日本初の女性市長となった。
- 1995年(平成7年)1月17日 阪神・淡路大震災発生。市内で犠牲者444人、家屋の全壊・半壊約51%の被害を出した。
[編集] 高級住宅地としての芦屋
- 芦屋市は高級邸宅街として名高く、個人市民税の市民一人当たりの納税額は約27万円で全国トップを誇っている。
- 阪急芦屋川駅から徒歩圏内にある東山町、山手町、三条町、山芦屋町といった大正期に開発された山の手地区は、いずれも芦屋川や六甲山に近く、大阪湾を見渡すことのできる好立地にある。南傾斜地に建つ家々は成熟した文化を感じさせ、芦屋を代表する風光明媚な街並みが広がる。
- 昭和初期、市東北部に開発された六麓荘町は、駅から遠い立地を逆手に、運転手を有する富裕層向けの豪邸用地として造成された。地形に配慮した広い舗装道路や電線類を地中化した街には、広大な庭やテニスコート、プールなどが配された豪邸が次々と建築され、高級住宅地としての芦屋の名を一気に全国区に押し上げた。六麓荘町では現在も厳しい建築協定のもと、街の景観が守られている。芦屋川沿いにあり、海に近く、松林が点在する平田町なども歴史のある一体として名高い。
- 戦後、市はパチンコ店、ボウリング場、映画館などの遊戯施設を一切、締め出すなど、13坪を越える町工場の建設も認可しなかった。こうした高度文化性を求めた自治体は、全国都市においても比類がなく、「高級住宅地」として存続しつづける芦屋の先見性を示している。
- 戦後になると、六麓荘町に隣接する岩園町や阪急線以南などで次々と宅地開発が行われ、住宅地としての芦屋の地位はさらに確立された。有料道路沿いにある六甲山中の奥池町や奥池南町は、通勤圏内にある別荘地として開発され、関西の著名人たちが邸宅を建設。
- 昭和40年代には、朝日ヶ丘町周辺でマンション建設ラッシュが、昭和50年代には芦屋浜の埋め立て地に高層マンションが次々に建設され、若い世代の流入が促進された。
- 昭和末期の国鉄〜JR芦屋駅前の再開発に伴い、駅周辺の商業施設が以前よりも充実すると、芦屋のイメージも一新されて大原町を中心に東芦屋町等、JR線沿いに利便性の高い住宅が供給され始めた。JR以南の地域でも宅地化、マンション建設が進んだ。
- 平成7年の阪神・淡路大震災で市内の多くの家屋が倒壊、街の風景が一変するが、倒壊により空き地が目立った一帯に徐々に新しい家々が建築されるようになり、震災の10年後には、ほぼ、街も以前の落ち着きを取り戻した。また、平成15年に入ると、埋立地「潮芦屋」地区の開発が進み、ヨットハーバーや人工砂浜のほか、日本初の係留施設付き住宅が分譲され、芦屋に新しい表情が生まれた。
- 住宅地で相続の際に広大な屋敷が集合住宅に立て替えられたり、敷地が細分化される傾向により、かつての高級住宅地としての芦屋の景観が徐々に変わりつつことが懸念される中、住宅地の景観保全に向けて平成18年、市議会で、「建築物の制限に関する条例改正案」が審議され、六麓荘町における400平方メートル未満の土地売買の禁止、高さ10メートル以上の建物新築の禁止、さらに敷地面積400平方メートル以上の土地にのみ戸建住宅の新築が許可される(1世帯の敷地が400平方メートル以上でそれ以下は分筆も不可)といった、全国に先駆けたいわゆる「豪邸以外不可条例」が可決された。この条例は平成19年2月から施行されている。
[編集] 芦屋文化村
大正時代に勃興した生活改善運動は、すべての面において「文化」をキーワードにしていた。住民における改良は、大正11年に開催された東京・上野の平和記念博覧会、大阪・箕面の住宅改造博覧会に出品された洋風住宅が「文化住宅」の基準となり、そうした住宅による住宅地が「文化村」と称されるようになった。阪神間においても、時代を同じくして小規模ながら施主や建築家の理想を具現した個性的な「文化村」が建設されている。
そのひとつ「芦屋文化村」(深江文化村)は、阪神鉄道の開通後いち早く別荘地として開けた芦屋川河口の西(現在の神戸市東灘区深江南町)に位置していた。この「芦屋文化村」は、アメリカ人建築家ヴォーリズの弟子であった吉村清太郎が地元の医師から2,500坪の敷地提供をうけてアメリカ流のハウジングプランを練ったもので、大正13年から建設がはじまった。「芦屋文化村」の特徴は、中央に住民共有のローンヤードをおき、周辺に意匠の異なる13棟の洋風住宅を配した点である。住宅の設計者は、吉村自身のほかにアメリカ人、ロシア人、と多彩な顔ぶれで、建築の依頼主も滞米生活を経験した商社員をはじめ、貿易商、銀行家など、洋風ライフスタイルへの見識とこだわりから「文化村」を選んだ人々であった。
一方、芦屋川河口東の打出浜(芦屋市浜町)には昭和6年、滞米生活を経験して帰国した施主の自邸と洋風貸別荘を兼ねた「三宜壮」がつくられた。「三宜壮」は、約千坪の敷地に11棟の洋風小住宅が並んだもので、地元の大工棟梁による造作は素朴な味わいをもっていた。いずれの「文化村」にも、芦屋海岸を好んだ外国人たちが数多く居住し、近隣の日本人とともに国際色豊かなコミュニティーをつくっていた。
芦屋海岸にあった2つの「文化村」は、阪神間における豪邸やサロンとは違う、もうひとつのライフスタイルの発信基地だったのである。
[編集] 行政
[編集] 歴代市長
- 大利市右衛門(1941年1月31日 - 1945年1月30日)
- 長岡喜十郎(1945年2月5日 - 1946年12月4日)
- 杉岡藤右衛門(1947年4月5日 - 1948年8月15日)
- 猿丸吉左衛門(1948年10月10日 - 1952年9月6日)
- 内海清(1952年9月16日 - 1956年9月15日)
- 内海清(1956年9月16日 - 1960年9月15日)
- 内海清(1960年9月16日 - 1964年9月15日)
- 渡辺万太郎(1964年9月16日 - 1968年9月15日)
- 渡辺万太郎(1968年9月16日 - 1972年9月15日)
- 渡辺万太郎(1972年9月16日 - 1975年3月31日)
- 松永精一郎(1975年4月27日 - 1979年4月26日)
- 松永精一郎(1979年4月27日 - 1983年4月26日)
- 松永精一郎(1983年4月27日 - 1987年4月26日)
- 山村康六(1987年4月27日 - 1991年4月26日)
- 北村春江(1991年4月27日 - 1995年6月10日)
- 北村春江(1995年6月11日 - 1999年6月10日)
- 北村春江(1999年6月11日 - 2003年6月10日)
- 山中健(2003年6月10日 - )
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 海外
[編集] 地域
[編集] 人口
| 芦屋市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 芦屋市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は芦屋市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 教育
[編集] 学校教育
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[編集] 学校教育以外の施設
[編集] 放送
- ケーブルネット神戸芦屋
- 雷岳(ごろごろたけ)より(北阪神中継局・テレビ放送は垂直偏波)
| 放送局名 | アナログ放送 | デジタル放送 | 放送区域内世帯数 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| チャンネル | 空中線電力 | ERP | リモコンキーID | チャンネル | 空中線電力 | ERP | ||
| Kiss-FM KOBE | 87.1MHz | 10w | 28w | |||||
| NHK神戸FM | 88.6MHz | 30w | ||||||
| NHK神戸総合 | 44 | 30w | 390w | 1 | 22 | 3w | 40w | 宝塚市の一部地域 西宮市の一部地域 など 約21万世帯 |
| サンテレビジョン | 42 | 490w | 3 | 26 | ||||
[編集] 隣接している自治体
[編集] 交通
[編集] 鉄道
| 代表駅 芦屋駅 |
- なお、1974年までは阪神電気鉄道の併用軌道線(路面電車)として国道線が存在し、市内に北打出・芦屋駅前・芦屋川の電停を設けていた。同線の代替は、現在後述する阪神電鉄バス尼崎神戸線が担っている。
[編集] 道路
[編集] バス
- 阪神バス - 阪神国道(国道2号)上を走る。神戸税関前と阪神西宮駅、および阪神芦屋駅と阪神尼崎駅を結ぶ。後者系統の内、阪神芦屋と業平橋バス停はいずれも阪急バスの物を使用する。以前は第二阪神国道(国道43号)上の他、阪急芦屋川駅から芦屋浜までの路線も運行していたが、不採算のため前者は昭和40年代半ばに、後者は昭和30年代後半にいずれも撤退した。
- 阪急バス - 全市域を運行。芦屋病院および山手の住宅街や芦屋浜・潮芦屋の団地群と阪急芦屋川駅・JR芦屋駅・阪神芦屋駅の各駅を結ぶ芦屋市内線と、阪神芦屋駅と芦屋ハイランド、有馬温泉を結ぶ芦有線がある。後者は芦有ドライブウェイを運行する。いずれも事実上、芦屋市民の足として機能している。担当営業所は芦屋浜営業所。
[編集] 海の駅
- ベルポート芦屋(ヨットハーバー、べるぽーとあしや海の駅)
[編集] 文化財・文化施設
- ヨドコウ迎賓館(旧山邑太佐衛門邸:重要文化財)
- 滴翠美術館
- 俵美術館
- 芦屋仏教会館
- 芦屋市谷崎潤一郎記念館
- 芦屋市立美術博物館
- 芦屋市立図書館
- 旧安部邸
- 虚子記念文学館
- エンバ中国近代美術館
- 会下山遺跡(えげのやまいせき) - 兵庫県史跡第1号
- 兵庫県立海洋体育館(芦屋マリンセンター)
- 芦屋市総合公園
- 芦屋市民センター(ルナ・ホール)
- 芦屋海浜公園プール
- 芦屋市立体育館・青少年センター
[編集] 芦屋市出身有名人
- 阿久津博子(歌手、mihimaru GTのボーカル)
- 石野真子(タレント)
- いしのようこ(タレント、石野真子の実妹)
- 板井れんたろう(漫画家)
- 岩本和弘(福井放送アナウンサー)
- 大森一樹(映画監督)
- 加茂周(元サッカー日本代表監督)
- 川島令三(鉄道評論家)
- 小池百合子(政治家)
- 白洲次郎(実業家)
- 白根元(物理学者)
- 須賀敦子(随筆家・イタリア文学者)
- 勝呂誉(俳優)
- 妹尾武(作曲家)
- チョップリン(芸人)
- 辻本賢人(プロ野球選手:阪神タイガース)
- 堂本光一(タレント:KinKi Kids)
- 中島徹(ジャズピアニスト・トロンボーン奏者)
- 西塚泰美(生化学者、神戸大学名誉教授)
- 丹羽春喜(経済学者)
- 野依良治(化学者:ノーベル化学賞受賞)
- 半田健人(俳優「仮面ライダー555」の主人公)
- 樋口あゆ子(ピアニスト)
- 堀江謙一(冒険家)
- 村上春樹(作家)(京都市生まれ)
- 江副勢津子(日本語教師)
- 甲斐千代子(元テレビ高知・元瀬戸内海放送アナウンサー)
[編集] 著名な居住者
- 井植敏(三洋電機元会長)
- 伊藤長兵衛(丸紅商店(現丸紅)創業者、芦屋仏教会館創設者。)
- 伊藤継郎(画家)
- 上野精一(朝日新聞社社主)
- 上山二郎(画家)
- 貴志康一(音楽家)
- 貴志弥右衛門(教養人・浜芦屋に別荘)
- 小出楢重(洋画家、1926年川西町にアトリエを構える)
- コシノヒロコ(ファッションデザイナー)
- 佐多愛彦(大阪医科大学学長・松風山荘)
- 白井松次郎(松竹元会長)
- 田路舜哉(住友商事創業者)
- 豊田善右衛門(豊田産業社長・衆議院議員)
- 谷崎潤一郎(作家、1934年精道村打出下宮塚)
- 仲田好江(画家)
- 中村梅玉(三世)(上方歌舞伎)
- 中山岩太(写真家)
- 中山悦治(中山製鋼所創業者)
- 長谷川三郎(画家)
- 八馬兼介(八馬財閥当主)
- 阪東妻三郎(役者)
- 福井市郎(画家)
- 松井正(画家)
- 村上華岳(画家)
- 鴨井ようこ(作家、女性下着デザイナー)
- 山口吉郎兵衛(山口財閥当主・滴翠美術館)
- 山口謙四郎(関西信託社長)
- 山口半兵衛(東洋リノリユーム常務)
- 山田六郎(くいだおれ創業者)
- 山邑太左衛門(山邑酒造)
- 山本発次郎(山発メリヤス社長)
- 吉原治良(画家、1925年頃芦屋に転居)
- 金本知憲(プロ野球選手、元広島東洋カープ→阪神タイガース)
[編集] 芦屋市が登場する作品
芦屋市は明治期から昭和期にかけての阪神間モダニズムの影響を受けている関係で、いくらかの作品で舞台として描かれることがあった。主なものは以下である。
- 『細雪』(谷崎潤一郎) - 主に阪急芦屋川駅周辺。1938年の阪神大水害の様子も描いている。
- 『芦屋夫人』(丸尾長顕、武田繁太郎) - 前述。
- 『華麗なる一族』(山崎豊子)
- 『女の樹林』(黒岩重吾)
- 『蒼白い月』(徳田秋声)
- 『猫と庄造と二人のおんな』(谷崎潤一郎)
- 『霧閣雲窓章』(与謝野晶子)
- 『伊勢物語』(作者不詳)
- 『ミーナの行進』(小川洋子)
- 『射程』(井上靖)
- 『白い牙』(井上靖)
- 『猟銃』(井上靖)
- 『風の歌を聴け』(村上春樹)
- 『浜風受くる日々に』(風見梢太郎) - 旧山邑邸あたり。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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