阪急神戸本線

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阪急神戸本線
神戸線を走る8000系電車(岡本-御影間)
神戸線を走る8000系電車(岡本-御影間)
阪急神戸本線の路線図
路線総延長 32.3 km
軌間 1435 mm
電圧 1500 V 架空電車線方式 (直流)
最高速度 115 km/h
exKBHFa exKBHFa exKBHFa
旧 梅田駅
xKRZh xKRZh xKRZh
JR西東海道本線
ELEVa + xKBFla
ELEVa + xKBFla
ELEVa
ELEVa + exSTR
ELEVa + exSTR + KBFma
ELEVa
ELEVa + xKBFra
ELEVa + xKBFra
ELEVa
0.0 梅田駅 接続は下記
emhKRZ emhKRZ emhKRZ uexSTRlg
阪神北大阪線
tHSTq hKRZt hKRZt hKRZt uxmKRZt
大阪市営地下鉄御堂筋線
hSTR ABZlf-ELEV ABZlg-ELEV uexSTR
地下鉄中津駅
hKRZ hKRZ hKRZ uxmKRZo
JR西:梅田貨物線
hSTR
BHF-ELEV + BHFl2
BHF-ELEV + BHFl2 + HUB84
BHF-ELEV
BHF-ELEV + BHFr2
BHF-ELEV + BHFr2 + HUB25
BHF-ELEV
uexBHF + HUB82
uexBHF + HUB82
uexBHF
0.9 中津駅
hSTR
eBHF-ELEV + eBHFl2
eBHF-ELEV + eBHFl2
eBHF-ELEV
eBHF-ELEV + eBHFr2
eBHF-ELEV + eBHFr2
eBHF-ELEV
uexSTRlf
新淀川駅 1926年廃止
WBRÜCKE-ELEVe WBRÜCKE-ELEVe WBRÜCKE-ELEVe
淀川
ABZrg ABZrf STR
CPICl CPICm CPICr
2.4 十三駅
STRrf ÜWor STR
京都本線
STR
宝塚本線
KRZo
JR西:北方貨物線
KRZh
JR西:山陽新幹線
BHF
4.1 神崎川駅
WBRÜCKE
神崎川
AKRZu
阪神高速11号池田線
eGRENZE+WBRÜCKE
旧猪名川 大阪府兵庫県
WBRÜCKE
猪名川
AKRZu
名神高速道路
BRÜCKE+BHF
7.2 園田駅
WBRÜCKE
藻川
KRZh
JR西:山陽新幹線
KRZo HSTq
塚口駅(JR)
STRrg ABZrf
JR西:福知山線(JR宝塚線)
BHFl2 BHFr2
10.2 塚口駅
STRrf STR
伊丹線
BHF
12.3 武庫之荘駅
WBRÜCKE
武庫川
KDSTa STR
西宮車庫
STRlf ABZlg
STRrg STRq ABZrf
今津線
STRrg ABZdrl KBHFxr
exSTRq + BHF
exSTRq + BHF
exSTRq
KBHFxl ABZ3rg
15.6 西宮北口駅
HST exSTRlf exSTRq ABZdrg STRq STRrf
仁川駅
KHSTe STR
宝塚駅
eBHF
西宮戎駅 1940年代に廃止
WBRÜCKE
夙川
ABZ3lg
CPICrr + KBHFr
CPICrr + KBHFr
CPICrr
CPICr
18.3 夙川駅
STRlf ABZlr ABZrf
甲陽線
ENDEe STR
WBRÜCKE
芦屋川
BHF
21.0 芦屋川駅
BHF
23.4 岡本駅
WBRÜCKE
住吉川
BHF
25.6 御影駅
WBRÜCKE
石屋川
BHF
27.4 六甲駅
WBRÜCKE
都賀川
exSTRrg eABZrf
上筒井線
exBHF
ELEVa + BHF
ELEVa + BHF
ELEVa
29.2 王子公園駅
exSTR hSTR ÜWo+l
JR西:東海道本線(JR神戸線
exKBHFe hSTR ELEVa
上筒井駅 1940年廃止
BHF-ELEV hSTR tÜWo+l
30.7 春日野道駅 阪神本線
hWSTR hWSTR WASSERq tWSTR
新生田川
hSTR hSTR tSTR
神戸新交通ポートアイランド線
tSTRlg hSTR hSTR uSTRrg-ELEV mtKRZh
神戸本線
tBHF + HUB84
tBHF + HUB84
tBHF
exGRENZE legende + BHF-ELEV
exGRENZE legende + BHF-ELEV + HUB25
exGRENZE legende
BHF-ELEV + HUB25
BHF-ELEV + HUB25
BHF-ELEV
uKBFe-ELEV + HUB25
uKBFe-ELEV + HUB25
uKBFe-ELEV
tBHF + HUB82
tBHF + HUB82
tBHF
32.3 三宮駅
tSTRrf hSTR hSTR tÜWcru tÜWor
神戸高速東西線
hSTR hSTR tÜWo+l tÜWclo
神戸市営地下鉄西神・山手線
TUNNELa-ELEV HST-ELEV
exGRENZE legende + tHST
exGRENZE legende + tHST
exGRENZE legende
元町駅
tBHF hSTR tSTR
花隈駅
tSTR hSTR tHST
西元町駅
tABZrg hKRZt tSTRrf
tBHF + HUB84
tBHF + HUB84
tBHF
exGRENZE legende + BHF-ELEV
exGRENZE legende + BHF-ELEV + HUB82
exGRENZE legende
高速神戸駅 神戸駅
tSTR hSTR
JR西:山陽本線(JR神戸線)
tKBHFr + HUB84
tKBHFr + HUB84
tKBHFr
tBHF + HUB82
tBHF + HUB82
tBHF
hSTR
新開地駅 神戸高速:東西線
tSTR
神戸高速:南北線

大阪・梅田付近の接続路線

hSTR + POINTERl
hSTR + POINTERl
hSTR
阪急神戸宝塚
御堂筋線
tSTR + POINTERr
tSTR + POINTERr
tSTR
hSTR
京都本線
延伸計画線
extSTR + POINTERr
extSTR + POINTERr
extSTR
tSTR hSTR
東海道本線
東海道本線
extSTR tSTR hSTR hÜWo+l
 (JR京都線
JR神戸 ←
extSTR tSTR hSTR hSTR tSTRrg
谷町線
宝塚線
hÜWo+r extSTR tSTR KBFe-ELEV hSTR tSTR
阪急 梅田駅
大阪駅
hABZ3lf xtKRZh HBHF-ELEV tKRZh hSTRq hABZ3rf tKRZh
大阪環状線
大阪環状線
extSTR tSTR tSTR
阪神 梅田駅
tSTRq xtKRZt tKBHFr tBHF tSTRrg tSTRq tSTRrf
梅田駅 M16
阪神本線
extSTR tSTR tBHF
東梅田駅 T20
Y11 西梅田駅
tKBHFxa tSTR tSTRlf tSTRq tSTRq
→谷町線
北新地駅
tSTRq tKRZt tBHFq tKRZt tSTRq tSTRq tSTRq
北新地駅
JR東西線
tSTR tSTR
JR東西線
四つ橋線
tSTR tSTR
御堂筋線
ウィキメディア・コモンズ
直線主体の阪急神戸線の線路

神戸本線(こうべほんせん)は、大阪府大阪市北区梅田駅から兵庫県神戸市中央区三宮駅までを結ぶ阪急電鉄鉄道路線。神戸本線自体を指して、またはその支線を含めて通称神戸線と呼ばれる。

目次

[編集] 路線データ

[編集] 概要

阪神間を高速で走行することを前提に建設されたため、ほぼ直線的に大阪・神戸間を結んでいる。最初期の計画では伊丹付近の開発を名目に敷設免許を申請したことから、現行よりも北よりの伊丹駅門戸厄神駅付近を通るルートとなっていた。後、阪神間の短絡を目的に現在のルートに変更されたため、その見返りに伊丹線が建設された。また、阪神間の住宅地を並行する阪神本線JR神戸線東海道本線)よりも山手を通っている。

直線区間が多く、また大都市圏内の私鉄路線としては駅間距離が比較的長いため、昼間時は普通列車も含めてほぼ全区間で100km/h前後の速度(最高速度は115km/h)で運転される。

ただし、御影駅手前(大阪方面)にはS字に迂回するカーブが存在する[1]ため、この区間では最高90km/hに制限される。この区間では長らく最高65km/hに制限され減速を強いられてきたが、線形改良(緩和曲線延長・ロングレール化・カント修正)により1993年7月に最高70km/hに、2006年10月に最高90km/hに向上した。

神崎川駅西側の神崎川橋梁には防潮扉が設置されており、台風接近による高潮や、地震後の津波等への対策として閉鎖されることがある。この場合、梅田 - 園田間は運休(このうち梅田 - 十三間は神戸本線のみ運休)となるが、過去には十三 - 神崎川間で上り線のみを利用して折り返し運転されたことや、園田駅に用意されている折り返し線を利用して園田 - 三宮間の普通列車のみで折り返し運転がなされたこともある。梅田 - 西宮北口間の代替路線としては、宝塚本線(梅田 - 宝塚)・今津(北)線(宝塚 - 西宮北口)を経由しての利用の案内がなされたことがある。

[編集] 延伸構想

2004年10月の近畿地方交通審議会答申第8号で、「既存施設の改良に関し検討すべき主な事業」のうち、「乗り継ぎ利便性の向上に資する事業」として、三宮駅付近で神戸市営地下鉄西神・山手線との相互直通運転が盛り込まれた[2]

2015年頃を目途に、春日野道駅以西を地下化、直通が実現した場合は、神戸高速鉄道との相互直通運転は廃止となる可能性もある。もっとも、現時点では神戸市側が難色を示しているという報道もある[3]

また、近畿地方交通審議会答申第8号では、阪急・大阪市の提案により、大阪市営地下鉄四つ橋線西梅田 - 北梅田(仮称) - 十三間2.9kmの延伸が「中長期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線」として盛り込まれ[2]、2004年8月には「2015年頃を目途に、四つ橋線を十三駅まで延伸し、阪急神戸本線との相互直通運転を行う」との報道もなされた。ただし、答申自体は阪急との乗り入れに触れられておらず、現実には集電方式の違いや、西梅田駅とほぼ同深度にある阪神本線のトンネルが延伸の支障になるなどの問題があったことから、報道内容や実現性などが疑問視されていた。これに関連して、2006年12月に四つ橋線の十三駅までの延伸構想に関する報道がなされており、また阪急新大阪連絡線の整備構想もあわせて報道されたことから、阪急神戸本線と四つ橋線の相互乗り入れに関する内容は収束の傾向にある。

西梅田・十三連絡線大阪市営地下鉄四つ橋線阪急新大阪連絡線の記事も参照のこと。

[編集] 運行形態

阪急電鉄は神戸高速鉄道三宮 - 西代間の第二種鉄道事業者であり、三宮駅から神戸高速鉄道東西線新開地駅まで直通運転をしている。

平日、土曜・休日ともに 5時 - 22時頃まで特急普通がほぼ10分間隔で運転される基本ダイヤとなっており、22時以降は特急の代わりとして快速急行が運転される。平日の朝ラッシュ時間帯にはこれに加えて通勤特急と梅田方面行きのみ通勤急行が、平日の夕ラッシュ時間帯には神戸方面行きのみ通勤急行が運転される。

土曜は休日ダイヤが適用されている。以前は、月曜から土曜までが平日ダイヤ、日曜・祝日が休日ダイヤ(ただし1980年代半ばまで昼間時は特急と普通が交互に12分間隔で運転されていた)で運転されていたが、関西では京阪電鉄に次いで1992年12月に宝塚線、1993年2月に京都線で土曜ダイヤを導入しており、これに続く形で神戸線も1993年7月に土曜ダイヤを導入した。ちなみに当時、相互直通運転を行っていた山陽電鉄、神戸高速鉄道東西線・山陽電鉄本線に乗り入れていた阪神電鉄も同日から土曜ダイヤを導入している。のちにこの土曜ダイヤは、休日ダイヤを基本に、輸送量の不足する朝のみ西宮北口→梅田の普通を増発するパターンとなり、2006年10月28日のダイヤ改正[4]以降は完全に廃止されて休日ダイヤへ統合された(ただし、休日ダイヤで運転する、8月中旬のお盆期間と年末の平日朝のみ臨時で西宮北口→梅田の普通を増発)。

乗務員は全列車とも西宮北口駅で交替する。なお、交替した乗務員は西宮北口駅発車時、警笛吹鳴を行うことがある。

以下に各種別の詳細を示す。列車の時刻は特記なければ2006年10月28日のダイヤ改正時点のもの。現行の停車駅は駅一覧を参照。

[編集] 特急

神戸線の代表的種別で、深夜を除きほぼ終日運転される。早朝・深夜に西宮北口発着の列車もあるが、基本は梅田 - 神戸高速鉄道東西線新開地の運転である。平日朝ラッシュ時は10両編成運転もある。1930年の運転開始以来、戦時中阪神・淡路大震災直後を除き、ほぼ一貫して設定されている。阪神・淡路大震災後の1995年6月12日の改正で岡本に、2006年10月28日の改正で夙川に新たに停車するようになった[4]2000年から沿線の王子動物園ジャイアントパンダが公開されており、行楽シーズンには最寄り駅である王子公園に臨時停車することもあったが、現在では行われていない。昼間時は十三 - 西宮北口間の115km/h運転のため7000系以降のワンハンドル車に運用が限定され、この115km/h運転を行う特急をA特急と呼ぶ(代走でツーハンドル車が運用されることも時々ある)。

昼間時(土休日では終日)は高速神戸駅阪神本線の普通電車(高速神戸駅折り返し)との接続に考慮されている。また、梅田 - 宝塚間は宝塚本線の急行に乗車するよりも、実際には特急で西宮北口駅まで行き、今津(北)線に乗り換えたほうが宝塚へ先着することも少なくない。但し同区間を今津(北)線経由で乗車するよう奨励(促進)する案内活動は、実際には行われていない。

[編集] 通勤特急

特急の停車駅に伊丹線との接続駅である塚口を加えた種別。1995年6月12日改正で運転を開始。平日朝ラッシュ時にのみ運転される。列車によっては10両編成運転もある。停車駅は梅田から岡本までは快速急行と、岡本から新開地間は特急と同じ(快速急行との違いは、六甲を通過するだけである)。

[編集] 快速急行

深夜の速達型優等列車としての役割があり、早朝に新開地→梅田1本が運転されるほかは基本的に22時以降の運転となる。1987年12月改正で運転を開始。平日の夕方ラッシュ時に入る前の時間帯、土曜日の昼間や、春秋の休日に、臨時列車として運転されたこともあった(通称「大運転」)。2006年10月28日のダイヤ改正で停車駅が通勤特急との違いが六甲に停車するだけの違いになった。深夜時間帯には新開地発西宮北口行きの列車も運転している(これは同時間帯の特急からの格下げによるものである)。

[編集] 急行

伊丹線との接続駅である塚口および西宮北口 - 三宮の各駅への速達列車として、早朝・平日朝ラッシュ時・深夜のみ運転される。早朝に三宮→梅田で1本、平日朝ラッシュ時と深夜23時以降に梅田→三宮または西宮北口で運転される。特急と並び、戦前から存在する種別である。2001年のダイヤ改正までは平日夕方以降にも運転されていたが、今はその時間帯は通勤急行になっている。過去には高速神戸、新開地駅発着の列車も存在していた。

[編集] 通勤急行

武庫之荘での乗降客の増加に起因する梅田 - 園田間の混雑率を緩和することを目的に設定された列車。1995年6月改正で運転を開始。急行と同じく塚口 - 三宮の各駅への速達列車として、平日ラッシュ時中心に運転される。なお朝方は三宮→梅田のみ、夕方・夜間は梅田→三宮のみの運転(折り返しの上りは普通で運転される)。朝方のうち3本は西宮北口から10両編成で運転。2007年10月26日までは、このうち三宮発7:25発と7:38発の2列車について座席収納装置のある8200系が座席収納の状態で増結車両に充当されていた。また夕方・夜間の列車は必ず西宮北口で特急の待避を行う。

[編集] 臨時急行

阪神競馬場での競馬開催日夕方には、今津線仁川→梅田で直通運転を行う臨時急行が運転される(仁川発15:30頃 - 17:00で最短10分間隔)。2006年10月28日のダイヤ改正前までは桜花賞宝塚記念といった阪神競馬場でのGI開催日朝のみ梅田→仁川(梅田発8:37、8:57、9:17)も運転されていたが、利用客の減少などによる理由で運行中止された[5]。途中の停車駅は十三、塚口のみである(阪急今津線の記事も参照のこと)。かつて1980年代は昼前まで梅田→仁川が運転されていた。また、夕方の西宮北口→梅田の急行の一部を運休させて仁川始発に振り替えていたこともあった。

[編集] 準急

平日朝ラッシュ時に今津線からの直通列車として、宝塚→梅田のみ運転される。1957年10月に運転を開始。梅田到着後は1本を除き折り返し急行となる。なお配線の関係上、西宮北口では神戸線への連絡線を通り、信号停車はするが客扱いはしないので実質通過となる。このため、神戸本線を走行する急行・通勤急行よりも準急の方が実質格上という珍しい停車駅設定となっている(ただし路線図などでは準急が格下として扱われている)。これは、この種別が今津線直通のものしか存在しておらず、あくまで前述の「臨時急行」に対する「準急」であり、神戸本線の「急行」に対する「準急」ではないからであると考えられる。

かつては仁川始発梅田行や、1995年6月12日より2001年3月のダイヤ改正までは平日夕方に3本の梅田→宝塚の列車もあったが、この列車は今津線内のホーム有効長の関係上、6両編成で運転されていた(阪急今津線の記事も参照のこと)。

[編集] 普通

各駅停車の種別で、終日運転される。運転系統は主に梅田 - 三宮、梅田 - 西宮北口。昼間時は梅田 - 三宮で運転し、この時間帯では上下列車とも西宮北口で必ず特急との待避・接続を行うが、西宮北口出発後は梅田・三宮まで先着するダイヤとなっている。阪神大震災前は特急が梅田 - 三宮間で所要時間が最速で26分で運転(平日、土曜日のみ)されていたために六甲での待避が強いられていた。 なお高速神戸・新開地へは原則として早朝・平日朝ラッシュ時・深夜のみ乗り入れるが、平日夕方に運行本数調整のため西宮北口→高速神戸が3本運転されている。平日の朝1本のみ武庫之荘発梅田行きがある。

平日の夕方 - 夜間にかけて下り列車がすべて西宮北口折り返しになる時間帯があり、その間に西宮北口以西は通勤急行(塚口以西各駅停車)がカバーしている。

[編集] 使用車両

神戸本線の車両は原則として8両編成で運転される。ただし、朝ラッシュ時には2両を増結し、10両で運転する列車が数本ある。

運行される車両は以下のとおり。

[編集] 歴史

[編集] ルート選定

箕面有馬電気軌道阪神急行電鉄と社名を改め、1920年に十三 - 神戸(のちの上筒井駅:現在の神戸市中央区坂口通2丁目に位置した)間を開業させたのが始まり。ルートに関しては、沿線開発を考慮して人家のほとんど無かった山手沿いを直線で突き抜けるように敷設することにした。

前述の通り、当初の予定では現行線より北側、後に建設された山陽新幹線に近い伊丹門戸厄神東光寺を経由するルートでの敷設が検討されていたが、ルートの短絡化を追求し、尼崎市内において現行よりもやや南よりのルートを計画したものの、短絡化を追求しつつ伊丹への交通の便も確保した結果、伊丹線を建設するとともに、結局は塚口・西宮北口を経由する現行ルートを採用した。その結果、当初予定よりも高速運転が可能になった。

また、神戸線は先行して開業していた宝塚線と同じく軌道法準拠で敷設されたものの、高規格であることから同法本来の制限速度であった時速25マイル(約40km)よりも高い、時速35マイル(約56km)での運行が認可された。後には、さらに110km/hまで軌道法準拠でスピードアップを行っている。

さらに駅間距離も先行して開業していた阪神本線より長く取られ、特に神崎川 - 西宮北口間に至っては、開業時は途中駅が塚口駅1つのみとされており、その駅間平均距離は5.75kmにも達していた(後の昭和期における住宅開発で、園田と武庫之荘の駅が追加開業した)。

なお建設時は第一次世界大戦勃発のため、鉄鋼などの資材価格が高騰しており、船成金と呼ばれていた岸本汽船・松岡汽船に資金援助を求めたほか、神崎川 - 西宮北口間では鉄の使用を節約すべく、日本初のコンクリート製電柱を採用した。

当初、梅田 - 十三間では併用軌道の宝塚線に乗り入れていたが、後に同区間が高架・専用軌道化された際に宝塚線と分離された(なお地上の旧線は北野線として、1949年まで存続する)。

1936年には高架線で三宮乗り入れ(開設当時は神戸駅を名乗った)を果たす。神戸への高架線での乗り入れに関しては、三宮へは地下線で乗り入れるよう阪急に要望していた神戸市と対立したため工事が遅れ、上筒井の駅が16年間暫定ターミナルとなっていた(こちらの項目も参照のこと)。

[編集] 阪神電気鉄道との確執

大阪 - 神戸間には、開業時既に国鉄東海道本線(省線)と阪神電気鉄道本線が開通しており、特に後者は東海道本線から高頻度運転を行うことによって多くの乗客を移行させることに成功していたため、並行する阪急の新線建設には反発し、いろいろと横槍を入れた。それは後々まで尾を引き、例えば西宮神社で祭事がある際に阪急では西宮戎駅という臨時駅を設置して乗客に対処したが、当時阪神地域の電力事業も行っていた阪神電鉄では乗客をとられるのが面白くないのか、その臨時駅から神社までの街灯をすべて消してしまうといった、まるで子供の喧嘩のようなことも行ったという。阪急も仕返しとして、阪神傘下の摂津電気自動車による香枦園駅(現香櫨園駅) - 苦楽園間無軌道電車(トロリーバス)敷設計画を牽制する形で、甲陽線の建設を行ったりしている(その他の抗争についてはこちらも参照)。さらに阪神では、第二阪神線という対抗路線の建設まで目論んだ。

時代が変わり、戦後昭和40年代になると、神戸高速鉄道に両者の電車が直通するようになり、さらに国鉄分割民営化で誕生したJR西日本が「アーバンネットワーク」と銘打って東海道本線(JR神戸線)の阪神間輸送に力を入れるようになると、両者とも乗客数が減少する事態になって競い合うどころではなくなってきた。1995年の阪神・淡路大震災で各社とも大きな被害を受けると、いち早く復旧したJRへの乗客流出傾向が鮮明になり、定期券の利用に関して阪急・阪神共通で利用できるよう便宜を図る(※1)など協調する面も見られるようになり、村上ファンドによる阪神株の買い集めを経て、遂には両者の経営統合による「阪急阪神東宝グループ」の誕生に至った(※2)。

(※1)阪急・阪神の通勤定期券共通利用 … 梅田 - 三宮間を含む通勤定期券を利用している場合は阪急・阪神双方の梅田駅・三宮駅で、また三宮 - 高速神戸間を含む通勤定期券を利用している場合は阪急・阪神双方の三宮駅から高速神戸駅までの神戸高速線内各駅(花隈西元町元町)で、それぞれ乗降が可能[6]。通勤定期券はいずれも磁気式に限る。1996年10月から実施。
(※2)阪急・阪神経営統合で詳述。

[編集] 開業から終戦までの推移

開業時、「綺麗で早うて、ガラアキ、眺めの素敵によい涼しい電車」をキャッチコピーとして大阪梅田 - 神戸上筒井間を50分(開業から5日間は60分)で結び、国鉄の大阪 - 三宮間51分、阪神の同60分に対して優位に立つ(なお、対する阪神のキャッチコピーは「またずにのれる阪神電車」で、その通り電車の頻発運行を行い対抗した)。

なお、西宮以西の三線が近接する区間では、阪急がもっとも高台を走っていることから大阪湾なども戦前は眺められ、まさに「眺めの素敵によい」路線であった。阪急の総帥小林一三は、開業まもない時期の神戸線電車に試乗して、「眼下に阪神を見下ろして高速で走るのは実に爽快であった」とも述べていたという。

しかし沿線が過疎であったことから乗客数は多くなく、必然的に沿線開発と、阪神間直通客の確保に力を入れざるを得なくなった。

前者の方では宝塚線開業時同様、住宅開発が積極的に進められた。この頃になると、阪急のみならず芦屋六麓荘などといった民間業者も開発に参入するようになり、結果として伊丹西宮七園夙川六麓荘町御影などが新興住宅地高級住宅街となった。これらの開発はそれ独自の文化も生み出し、後に阪神間モダニズムと呼ばれるようになる。

後者に関しては、電車の速達化が積極的に推し進められるようになる。もともと阪神本線と比較して駅数が少なく、各駅停車でも前述したような速達運転が行われていた神戸線であるが、1922年5月には集電装置を他の私鉄に先駆けてポールからパンタグラフに交換し、同年12月には梅田 - 上筒井間の所要時間を40分に短縮した。1926年には前述したように梅田 - 十三間の線路別複々線専用軌道化が完成して35分とし、そして1930年4月1日には900形を使用して途中西宮北口のみ停車する特急を新設し、30分にまで短縮する。速度向上はその後も続き、1932年10月には28分、1934年7月には25分とした。1936年4月には三宮までの乗り入れを達成するが、距離が若干伸びたにもかかわらず、西宮北口のみ停車による25分運転を維持した。この特急運転は、太平洋戦争の戦況が悪化した1944年まで続けられた。

  • なお1934年からは、鉄道省が運営する東海道本線でも電化の完成によって急行電車(急電)の運転が開始されており、大阪 - 三ノ宮間を途中無停車により24分で結んでいた。阪急の三宮乗り入れとスピードアップは、これへの対抗の意味も含んでいたといわれている。また線形が悪くスピードアップがしにくい阪神では、元町までの地下線による延伸を1936年に行っており、「大阪・神戸の中央へまたずにのれる」というアピールを行っている。
  • 1936年10月29日には大阪湾の神戸沖で観艦式(天皇が、隊列して航行する各艦艇を海上で閲兵する行事)が行われ、大日本帝国海軍の有する戦艦巡洋艦航空母艦が集まった。阪急では前述した展望の良さを生かし、軍艦を見ようと詰め掛けた乗客を捌くべく、宝塚線の車両や若手社員を動員して終夜運転なども行い、輸送に努めた。しかし、変電所の容量不足で電車が動かなくなるトラブルも起こったという。
  • 阪急では特急の運転に伴い、梅田駅正面に「神戸ユキ急行電車のりば」・「神戸行特急廿五分」と掲げてアピールした。ちなみに、この大阪梅田 - 神戸三宮間25分運転での表定速度は、高速運転を行ったことで知られる新京阪鉄道(後、京阪電気鉄道新京阪線→阪急電鉄京都本線)のP-6形による「超特急」の表定速度(京阪京都 - 天神橋間34分運転で、74.8km/h)よりも高い78.0km/hで、戦前の記録では阪和電気鉄道の「超特急」が記録した81.6km/hについで日本第2位を誇った。これは現在もなお、阪急の特急の最速である。
  • また開業時から1942年まで、梅田 - 十三間を移動する乗客は宝塚線電車を利用するように定められ、神戸線電車には乗車できなかった。これは郊外路線の宝塚線と、都市間路線の神戸線を完全に分ける施策によるといわれているが、宝塚線のラッシュ時には大混雑する列車の横を、さほど乗客が乗っていない神戸線の電車が追い抜いていくこともあったとされ、乗客からの評判は悪かったとされる。
  • 三宮乗り入れ後、西灘(現:王子公園) - 上筒井間の旧線に関しては、支線の上筒井線として1940年まで90形電車単行による折り返し運行が行われた。

[編集] 終戦後

終戦後の1949年、神戸線での特急運転が再開された。このとき十三駅を停車駅に加えた。梅田 - 三宮間での特急所要時間は1949年の運転開始当初30分で、その後はおおむね28分で推移した。1993年の改正ダイヤで、平日のみ停車駅を維持したまま25分台(正確には梅田 - 三宮間25分50秒の運転であるが、時刻表は1分未満の端数を切り捨てるために、25分の表記がなされた)での運転を復活させ、1995年1月17日阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)前日の1995年1月16日まで続けられた(とはいえこの頃には、山陽新幹線はおろか、JR在来線の新快速が大阪 - 三ノ宮間21分運転を実施していた)。

震災により神戸本線も西宮北口 - 夙川間の高架橋、それに神戸阪急ビルが破壊されるなど甚大な被害を受け、暫定運行を強いられた。そんな中、同じように被災していた阪神間鉄道で、JR神戸線が4月に先行して全線開業を果たした。これにより、JRを利用するようになった乗客がそのまま戻ってこなくなるという事態も招き、阪急と阪神にとって経営上の打撃となった。

全線復旧した1995年6月以後は、すべての特急がJR摂津本山駅に近接する岡本駅へ停車するようになった。これは競合による同駅の乗客減少を食い止めるという目的のみならず、当時の普通が六甲駅で特急の通過待ちを行う関係で普通の所要時間が延びており、神戸市内から御影 - 夙川間各駅へ向かう乗客などには不評であったため、日中に関しそれを解消する目的があった。同時に、通勤時間帯の需要に応じた列車種別を新たに設けている。

また2006年10月には経営統合を行った阪神とともに、5か月後の2007年3月に開設されるJRのさくら夙川駅へ対応するためダイヤ改正が行われ、阪急神戸本線では線形・ATS改良による速度向上と特急の夙川駅停車、同駅における甲陽線との接続改善を実施、阪神本線では香櫨園駅への区間特急停車が実現した。

現在の神戸線特急の梅田 - 三宮間所要時間は、最速で上り下り共に27分となっている。

[編集] 京都線との直通特急

1949年12月3日、神戸(現:三宮) - 京阪神京都(現:大宮)間に直通特急の運転が開始された。当時の京都線は1500V電化、神戸線は600V電化と電圧が異なっていたことから、800系2編成を複電圧車に改造し、直通列車に充当することとした。

直通特急の停車駅は西宮北口・十三・高槻市西院で、梅田駅には入線せず十三駅構内の折り返し線を用いて直通を行う形態をとっていた[7]

しかし直し利用の乗客数は少なく、1951年10月8日に京神間直通特急の運転は廃止された。

[編集] 山陽電気鉄道との直通運転

1968年の神戸高速鉄道東西線開業後は、阪急の列車が山陽電気鉄道須磨浦公園駅まで、山陽の列車が六甲駅までと相互直通運転を行っていたが、阪神が山陽姫路駅 - 阪神梅田駅間で直通特急の運転を開始した1998年2月、山陽との直通運転は中止されている。

  • 直通運転開始以来、阪急側からの列車は、ごく一部の例外を除き、終日、特急が直通していた。ただし山陽電鉄線への乗り入れは、ホーム長の制約などから、6両編成に限定されていた(直通運転開始前の特急は7両が標準)。
  • 後の8両編成化においても、山陽直通特急は6両の制約が付き纏った。このため、輸送力が必要な平日朝夕時間帯の列車については、1970年(昭和45年)12月改正以降、三宮駅での増結・解放が行われるようになった。
  • 特急の慢性的な輸送力不足に対応するため、1984年(昭和59年)3月25日改正より、休日の山陽直通列車はすべて普通となり、特急は全列車が新開地・高速神戸発着となり8両編成化された(高速神戸発着の特急は新開地の折り返しホームが阪神電鉄の車両があるため)。1987年(昭和62年)12月13日改正からは、平日昼間(主に9時から15時)の山陽直通列車もすべて普通となり、同時間帯の特急は新開地・高速神戸発着の8両編成に統一され、輸送力の増強が行われた。その一方で、すべての須磨浦公園発着の特急が、三宮駅での増結・解放の対象になったわけではなく、最も利用客が多い平日朝夕に、須磨浦公園発着の特急が6両で運転されるような事態も発生した。
  • 1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で、一部区間が不通となったため、山陽電鉄線への直通は中止された。同年8月より山陽電鉄線への直通が再開されたが、平日の終日、土休日の梅田駅発の15時まで(15時以降は普通のみ)は特急が直通するようになり、須磨浦公園・東須磨発着の特急は6両編成で運転されるようになった(一部は三宮駅で増結・解放を行う)。この状態で1998年(平成10年)の直通運転中止を迎えることとなる。
  • この直通運転中止については、阪急側では列車により6両・8両と編成がバラバラになり乗客が混乱していたことと、1995年の阪神・淡路大震災以降、JR神戸線への利用客流出で新開地以西の直通利用客が減少してきていること、山陽電鉄車両に阪急型列車選別装置がないため踏切制御や列車運行管理システムの運用で支障を来していたことや、短編成運用による輸送力不均衡、そして1984年に起こった山陽電鉄乗り入れ列車との衝突事故もあり、その事故が遠因で阪急側が支障と捉えていたことが理由にあげられるという見解がある[要出典]
  • しかし臨時列車などの運転に対応するため、乗り入れ免許はそのまま維持されており、1998年 - 2000年頃の夏に掛けて、須磨海水浴場等への乗客輸送で臨時特急「ドルフィン号」として7・8月の土曜・日曜・祝日限定で梅田駅から山陽電鉄須磨浦公園駅まで運転されていたことがある。

この直通運転に見られる、他社線乗り入れによって自社の輸送力に制約が発生する問題は、阪神なんば線直通運転開始後の近鉄奈良線に対しても指摘されている。

[編集] 年表

  • 1920年(大正9年)7月16日 阪神急行電鉄が十三 - 神戸(のちの上筒井)間を開業。
  • 1926年(大正15年)7月5日 梅田 - 十三間が高架化。複線の別線を新設し宝塚線と分離。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 特急運転開始(全線所要時間30分、西宮北口のみ停車)。
  • 1934年(昭和9年)7月1日 特急の所要時間を25分に短縮、以後、「阪神間25分」は「快速阪急」の象徴となる。
  • 1936年(昭和11年)4月1日 西灘(現在の王子公園) - 神戸(現在の三宮)間が開業。西灘駅開業。これまでの神戸駅を上筒井駅に改称、西灘 - 上筒井間は上筒井線となる。特急は距離延伸にもかかわらず25分運転を維持。
  • 1936年(昭和11年)9月12日 園田駅開業。
  • 1937年(昭和12年)10月20日 武庫之荘駅開業。
  • 1940年(昭和15年)5月20日 上筒井線廃止。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 戦時中に運転休止されていた急行が復活。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 戦時中に運転休止されていた特急が復活(所要時間30分、昼間12分間隔、十三と西宮北口に停車)。
  • 1949年(昭和24年)12月1日 最高速度110km/h認可。
  • 1949年(昭和24年)12月3日 神戸 - 京都間直通の特急を運転開始。
  • 1950年(昭和25年) 特急の所要時間を28分に短縮。
  • 1951年(昭和26年)10月8日 神戸 - 京都間直通特急を廃止。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 平日昼間の運転間隔を12分から10分に短縮。特急・普通が昼間10分間隔で運転されるダイヤは、現在まで50年以上続いている。
  • 1957年(昭和32年)10月1日 平日朝の今津線直通準急が運転を開始。
  • 1967年(昭和42年)10月8日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
  • 1968年(昭和43年)3月20日 ダイヤ改正により、神戸高速鉄道方面への直通運転(三宮以西は回送扱い)を開始。
  • 1968年(昭和43年)4月7日 神戸高速鉄道・山陽電気鉄道と相互直通運転を開始。神戸駅を三宮駅と改称。
  • 1970年(昭和45年)12月14日 ダイヤ改正により、平日朝夕、三宮駅での須磨浦公園発着の特急の増結・解放運用を開始。
  • 1978年(昭和53年)3月10日 全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
  • 1980年(昭和55年)4月5日 園田駅付近高架化完成。
  • 1984年(昭和59年)3月25日 西宮北口駅の平面交差解消。休日の須磨浦公園直通列車はすべて普通列車となる。
  • 1984年(昭和59年)5月5日 六甲駅構内で山陽電気鉄道回送列車との衝突事故発生。
  • 1984年(昭和59年)6月1日 西灘駅を王子公園駅と改称。
  • 1985年(昭和60年)10月19日 平日朝の特急10両運転を開始。
  • 1987年(昭和62年)12月13日 ダイヤ改正。十三、塚口、西宮北口、夙川、六甲に停車する快速急行の運行を開始。特急は阪神間26 - 27分にスピードアップ。休日昼間も10分間隔運転。平日朝夕を除き、須磨浦公園直通列車は普通列車となる。
  • 1993年(平成5年)7月18日 ダイヤ改正により、梅田 - 三宮間の特急25分運転が復活。
  • 1995年(平成7年)1月17日 阪神・淡路大震災で全線が不通に。
  • 1995年(平成7年)1月18日 梅田 - 西宮北口間での運転を再開。
  • 1995年(平成7年)2月13日 御影 - 王子公園間が復旧し運転を再開。同区間で普通列車の折り返し運転を開始。
  • 1995年(平成7年)3月13日 王子公園 - 三宮間が復旧し運転を再開。御影 - 三宮間で普通列車の折り返し運転を開始。
  • 1995年(平成7年)4月7日 夙川 - 岡本間が復旧。同区間で普通列車の折り返し運転を開始。
  • 1995年(平成7年)6月1日 岡本 - 御影間が復旧。神戸高速鉄道の三宮 - 花隈間復旧に伴い、夙川 - 神戸高速鉄道新開地駅間で普通列車の折り返し運転を開始。
  • 1995年(平成7年)6月12日 西宮北口 - 夙川間が復旧し、神戸本線全線での運転を再開。これに合わせてダイヤ改正を実施し、特急の停車駅に塚口駅を加えた通勤特急、急行の停車駅に武庫之荘駅を加えた通勤急行の運行を開始。岡本駅が特急をはじめとする全列車の停車駅に。今津(北)線を経由する夕方の準急を運転開始。
  • 1995年(平成7年)8月13日 山陽電気鉄道須磨浦公園駅までの乗り入れを再開。須磨浦公園直通は平日・休日とも終日、特急が主体となる。
  • 1998年(平成10年)2月15日 山陽電気鉄道との相互直通運転を中止し、神戸高速鉄道新開地駅までの乗り入れへと変更。
  • 2001年(平成13年)3月10日 今津(北)線を経由する夕方の準急を廃止。全列車8両編成化。
  • 2006年(平成18年)10月28日 昼間時間帯の神崎川駅 - 西宮北口駅における最高速度が115km/hに引き上げられ(阪急線内で最速、日本の民鉄4位)、特急・通勤特急が新たに夙川駅に停車[4]。また、このダイヤ改正により、梅田→仁川の「臨時急行」が廃止(仁川→梅田の臨時急行は存続)。

[編集] 駅一覧

凡例
●:停車、◆:一部列車が通過、|↑:通過、↑:片方向のみ運転
急行:平日の朝・深夜、土休日の深夜のみ運転。阪神競馬開催時に梅田行きのみ運転される臨時急行は◆印の西宮北口駅を通過。
準急:平日朝に梅田行きのみ運転。
通勤急行:平日朝に梅田行きのみ、平日夕に三宮行きのみ運転。
普通:各駅に停車するため省略。
駅名 駅間キロ 営業キロ 準急 通勤急行 急行 快速急行 通勤特急 特急 接続路線 所在地
神戸本線
梅田駅 - 0.0 阪神電気鉄道:本線
大阪市営地下鉄:御堂筋線(M16)、谷町線東梅田駅:T20)、四つ橋線西梅田駅:Y11)
西日本旅客鉄道:東海道本線JR京都線JR神戸線JR宝塚線)・大阪環状線大阪駅)、JR東西線北新地駅
大阪府 大阪市北区
中津駅 0.9 0.9  
十三駅 1.5 2.4 阪急電鉄:宝塚本線京都本線 大阪市淀川区
神崎川駅 1.7 4.1  
園田駅 3.1 7.2   兵庫県 尼崎市
塚口駅 3.0 10.2 阪急電鉄:伊丹線
武庫之荘駅 2.1 12.3  
西宮北口駅 3.3 15.6 阪急電鉄:今津線 西宮市
夙川駅 2.7 18.3 宝塚方面 阪急電鉄:甲陽線
芦屋川駅 2.7 21.0   芦屋市
岡本駅 2.4 23.4 西日本旅客鉄道:東海道本線(JR神戸線)(摂津本山駅 神戸市東灘区
御影駅 2.2 25.6  
六甲駅 1.8 27.4   神戸市灘区
王子公園駅 1.8 29.2  
春日野道駅 1.5 30.7   神戸市中央区
三宮駅 1.6 32.3 阪神電気鉄道:本線
神戸市営地下鉄:西神・山手線(S03)、海岸線三宮・花時計前駅:K01)
神戸新交通:ポートアイランド線(P01)
西日本旅客鉄道:東海道本線(JR神戸線)(三ノ宮駅
神戸高速線
花隈駅 1.3 33.6       兵庫県 神戸市中央区
高速神戸駅 0.9 34.5   西日本旅客鉄道:東海道本線・山陽本線(JR神戸線)(神戸駅
神戸市営地下鉄:海岸線ハーバーランド駅:K04)
新開地駅 0.6 35.1   神戸高速鉄道:東西線南北線 神戸市兵庫区

[編集] 廃駅

駅名は廃止時のもの。

[編集] 過去の接続路線

[編集] 新駅構想

西宮北口駅 - 武庫之荘駅間の武庫川橋梁上に、新駅を設置する構想がある。武庫川橋梁架け替え時に島式ホームが設置できるスペースが残されており、沿線住民も新駅開設を望んでいる状況にあるが、これまでは予算がなく見送られてきた。だが、新駅設置に向け、山田知西宮市長が意欲を見せ(2008年12月10日の市議会本会議で発言)、阪急電鉄角和夫社長も前向きな意向を示すなど、具体的に動きを見せている[8]

[編集] その他

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 神戸線建設時、ルート上に朝日新聞創業者の一人、村山龍平の邸宅があり、村山が近所のカネボウ社長武藤山治住友財閥総理事鈴木馬左也両氏や近隣住民を誘って反対運動を行い、用地買収に難航したことによる。
  2. ^ a b c 関連する外部リンク
  3. ^ 神戸市営地下鉄直通関連の記事
  4. ^ a b c 2006年10月28日のダイヤ改正に関連するページ
  5. ^ 『関西の鉄道』No.52 2007年新春号、関西鉄道研究会、2007年
  6. ^ 定期券のご案内 -「阪神電鉄との梅田・三宮間通勤定期券の相互利用について」の詳細。
  7. ^ 当時は梅田 - 十三間の三複線が完成しておらず、梅田発着の京都線列車は宝塚線の線路に乗り入れる形で運転を実施しており、神戸線から十三線(当時の十三 - 淡路間の正式線路名称)へは十三駅で直接乗り入れることが可能であった。
  8. ^ 「武庫川新駅」に意欲 阪急電鉄 神戸新聞 2008年12月17日
  9. ^ 関連する外部リンク
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