三木市

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みきし
三木市
Miki montage.JPG
Flag of Miki, Hyogo.svg
三木市旗
Miki, Hyogo municipal emblem.svg
三木市章
市旗:1966年昭和41年)8月10日制定
市章:1954年昭和29年)7月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
団体コード 28215-4
面積 176.58km²
総人口 78,393
推計人口、2014年8月1日)
人口密度 444人/km²
隣接自治体 神戸市三田市加古川市
小野市加東市加古郡稲美町
市の木 マツ
市の花 サツキ
推奨花 さざんか(旧吉川町の町花)、
サルビア
三木市役所
所在地 673-0492
兵庫県三木市上の丸町10番30号
北緯34度47分48.9秒東経134度59分24.7秒
Miki city hall in 2013-1-4 No,2.JPG
外部リンク 三木市役所ホームページ

三木市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
旧市街(ひめじ道)
開発された新興住宅地
志染町青山3丁目で撮影
古くから残る水田地帯
志染町四合谷で撮影
公園都市として計画された兵庫県立三木防災公園

三木市(みきし)は、兵庫県南部の東播磨地方に位置するで、神戸都市圏に属する。兵庫県北播磨県民局管内に属している。旧美嚢郡

目次

概要[編集]

三木市の中心部

兵庫県中南部、神戸市の北西に位置し、東経135度線日本標準時子午線上に位置する人口約8万人の都市。市の南部に人口が集中している。[1][2][3][4][5]

三木市中心部周辺の空中写真。美嚢川沿いに市街地が形成されている。1985年撮影の3枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

美嚢川沿いに設置された三木城を中心に城下町が形成されていた。戦国時代には三木合戦の戦地、江戸時代からは三木地区を中心に金物の本格的な生産が開始され、現在は城下町を中心に行政・文化施設が集中している。また、金物を主な産業としており、それによって発展してきた。[1][2][4][5]

1970年代以降には京阪神のニュータウン開発が開始され、志染町広野神戸電鉄粟生線の北側の山林を中心に住宅地開発がなされて人口が急増した。現在では、隣接する神戸市ベッドタウンとして機能し、同市の20%通勤圏である(通勤率は21.1%[6])。また、緑が丘町青山自由が丘さつき台、旧吉川町にあるみなぎ台は、一戸建てが並ぶ閑静な住宅街になっている。旧市街地は市の南西部の美嚢川に沿って広がっており、ひめじ道や湯の山街道などの歴史的な街並みが現存しており、旧市街地と造成された新興住宅地に住む2つの住民層に分けられる。近年、さらに西側の大村地区周辺に大規模店舗が多数立地し、新たな商業地区となっている。北部は水田ゴルフ場が広がっている。[1][2][4][5][7][8][9][10][11][12]

交通の結接点であり、市内に高速道路が4路線(ジャンクション (JCT) が2箇所、サービスエリアが1箇所)、国道が2路線通っている。鉄道路線は神戸電鉄粟生線があり、市内には7駅ある。路線バスについては、神姫バス神姫ゾーンバスのほか、コミュニティバスみっきぃバスが運行されている。[1][2][4][13][14][15]

多数のゴルフ場、公園都市であり、(兵庫県立三木山森林公園兵庫県立三木防災公園など)やレジャー施設や志染の石室伽耶院などの史跡が多数あり、観光資源に恵まれている。[1][2][4][14]

市の由来[編集]

  • 神功皇后が君が峰で休憩時に地元からに入れたを献上したことから、御酒(みき)→三木(みき)、美壷(みつぼ)→美嚢(みのう)となったと伝えられている。[9]

地理[編集]

[16]

美嚢川の黒滝(吉川町金会)
市内では雪が降るのは少ないが、積もることがある。
緑が丘町西1丁目で撮影

兵庫県南部の東播地方(細分した場合は北播)に位置し、県民局は北播磨県民局の担当となっており、日本標準時子午線東経135度線の通る街である。六甲山地の西側・中国山地の南側の播磨平野に含まれ、市域を東から西に美嚢川が流れる。平野部を囲むように河岸段丘となだらかな丘陵が広がる。内陸部であるため降水量は比較的少なく、ため池が多い。美嚢川沿いに旧市街があり、南東部の神戸市との境付近に新興住宅地がある。市内の最高地点は、志染町にあるシビレ山(中腹)の標高453m、最低地点は、別所町下石野の標高19mであるが、標高200m以上の高さは全体の1割未満である。[1][2][4][17][11][18][19][20]

市内の標高(海抜)は、最高地点は453m(志染町)、最低地点は19m(別所町下石野)である。

[編集]

市内にある山は火山活動によって形成された。[21]

  • シビレ山 : 標高465m。山頂は神戸市北区であり、中腹地点が市内の最高峰である。
  • 石上山 : 標高228.6m。
  • 正法寺山 : 標高132m。
  • 三木山 : 標高114m。

河川・湖沼[編集]

[22]

市内には、雨天日が少ないためにため池が多数存在する。[23][1]

用水[編集]

両疏水を総称して淡山疏水[24]と呼ばれている。

地形[編集]

  • 六甲山地の西側・中国山地の南側にある播磨平野の一部に所属し、丹生山系と中国山地によって形成された凹地状の地形、三方を標高200m程の山並みに囲まれていおり、盆地型の地形である。別所地域・志染地域・細川地域・口吉川地域の一部は丘陵地であり、志染地域の東側は六甲山の上昇運動のために東側は標高が高く標高が300mを超えるが、市内に占める割合は僅かである。西側は美嚢川の沿岸である為、標高が50m以下である。丘陵地は高低差が少ないためかつ第四紀層のためにゴルフ場の立地が進められ、別所地域の一部は三方を丘陵地に囲まれた美嚢川沿岸の沖積平野である。[1][2][4][25][26][27]

地質[編集]

気象[編集]

  • 市内は瀬戸内海式気候のために温暖な気候であり、平均気温が毎年15度前後である。晴天日が多く、年間降水量が1000ミリメートル未満の雨天日が少ない気候ためため池が多く立地しているので山田錦の栽培に適している。しかし、中国山地の南端であるためににわか雨がよく降る。平均気温差は市内の西側の別所地区と北東側の吉川地区では0.5℃程度の差がある。は涼しくは暖かいかつ降水量が少なく、晴天日が続くが、雪が降る日がある。自然災害に見舞われることは少ない地域である。[23][15][1][4]
三木の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 8.0
(46.4)
8.7
(47.7)
12.1
(53.8)
18.0
(64.4)
22.6
(72.7)
25.9
(78.6)
29.3
(84.7)
31.2
(88.2)
27.5
(81.5)
21.8
(71.2)
16.2
(61.2)
10.8
(51.4)
19.3
(66.7)
平均最低気温 °C (°F) −0.5
(31.1)
−0.2
(31.6)
2.6
(36.7)
7.9
(46.2)
13.0
(55.4)
17.8
(64)
22.2
(72)
23.2
(73.8)
19.1
(66.4)
12.4
(54.3)
6.5
(43.7)
1.6
(34.9)
10.5
(50.9)
降水量 mm (inch) 35.7
(1.406)
54.3
(2.138)
97.1
(3.823)
102.6
(4.039)
142.2
(5.598)
167.5
(6.594)
141.6
(5.575)
93.4
(3.677)
140.2
(5.52)
97.4
(3.835)
63.8
(2.512)
37.1
(1.461)
1,165.7
(45.894)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 5.5 6.4 10.4 9.4 10.0 11.6 10.3 6.8 10.3 8.5 6.1 5.2 101.0
平均月間日照時間 136.7 130.8 148.3 185.1 180.9 141.2 164.9 205.8 152.5 157.9 150.9 146.2 1,895.2
出典: 気象庁

広袤(こうぼう)[編集]

国土地理院地理情報によると三木市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは22.0km、南北の長さは20.2kmである。

  • 東端 : 東経135度09分(吉川町市野瀬字赤松)
  • 西端 : 東経134度55分(別所町下石野字西山)
  • 南端 : 北緯34度45分(別所町興治字前山)
  • 北端 : 北緯34度56分(吉川町新田字北谷)

人口[編集]

概要[編集]

人口を急激に増加させた開発当時の神戸電鉄粟生線の北側にある緑が丘町
1974年撮影
市制施行からピークまで
  • 市制施行時の1年後の1955年9月30日現在の住民基本台帳の人口は39,530人であった。その後は新興住宅地が造成される前の1970年頃までは4万人前後で横ばい状態であった。しかし、阪神間のニュータウンとして神戸電鉄粟生線の北側の山林を開発し、緑が丘町自由が丘などの大規模な開発計画が上がった。、1970年9月30日現在の住民基本台帳人口は41,678人であったが、その後は計画通りに開発が施行され、住宅造成工事が開始し、住宅が完成すると若年世帯の入居者が相次ぎ、それに伴って小学校・中学校・高等学校の開校が相次ぎ、人口は急激に増加した。その結果、1980年9月30日現在の住民基本台帳の人口は69,959人になった。[29]その後も志染町青山の開発の寄り、更に増え続けたが、短期間の間に入居したことが仇となり、1995年頃から急激に増加した時から25年余りで横ばいとなった。1996年9月30日現在の住民基本台帳では吉川町との編入合併前で最高の78,661人を記録し、一時はその2倍の8万人に迫る勢いで増加し続け、1989年には市の総合計画でその当時は人口増加がこれからも見込みがあり、2001年の目標人口を当時は今後も増え続けると予想されていたので10万人に定めていた。[1][3][30][15][31]
減少期
  • 1990年代以降に顕著となった都心回帰などにより1997年より微減傾向となった。1999年の市の計画では当時、ひょうご情報公園都市さつき台が開発中であり、人口の増加を見込んでおり、2010年に人口を11万2000人と予測されていたが、大幅な人口は期待できなかった。しかし、大幅な人口の増加は無く吉川町との合併で8万人を超えるに留まっている。[1][15][32][33]現在は自然動態・社会動態ともに減少が進行中で、年間で平均約0.6%の減少率を記録しているが、人口流出を防ぐために事業効果と民間の宅地開発で人口増加を目標にしている。吉川町との合併時には人口が市制施行以来8万人を超え、その時は8万3931人であったが、[34]目標人口より下回っており、合併後は更に右肩下がりに減り続け、2012年6月1日に市の推計人口が8万人を割った。[35]現在は約7万9000人である。
増加率

2010年(平成22年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.94%減の81,038人であり、増減率は県下41市町中23位、49行政区域中31位である。

Demography28215.svg
三木市と全国の年齢別人口分布(2005年) 三木市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 三木市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
三木市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 49,071人
1975年 63,746人
1980年 78,297人
1985年 82,636人
1990年 84,445人
1995年 86,562人
2000年 86,117人
2005年 84,361人
2010年 81,038人
総務省統計局 国勢調査より

人口比率[編集]

年齢別の人口分布の特徴としては、高齢化が進むニュータウン世代の人口が多くなっており、それとは逆に生産年齢人口は少なくなっている。また、近年では少子化が目立ちはじめ、典型的な郊外都市の様相を呈している。高齢化率は緑が丘地域が一番高く、志染町青山地区が一番低い。[36]

人口の変遷[編集]

面積[編集]

地区名 三木 別所町 志染町 緑が丘町 細川町 口吉川町 吉川町
面積 20.56 16.90 31.517 1.873 30.60 18.68 56.45

面積の変遷[編集]

[38]

  • 1954年6月1日 : 新設合併による当市誕生に伴い、86.50となる。
  • 1954年7月1日 : 志染村編入に伴い、120.04となる。
  • 1989年11月1日 : 面積が修正され、120.13となる。
  • 2005年10月24日 : 吉川町編入に伴い、176.58となる。

隣接している自治体・行政区[編集]

主な橋梁・トンネル[編集]

橋梁

トンネル

  • 平井トンネル
  • 丹生トンネル
  • 芥子山隧道(水路) - 淡河川疏水

地区[編集]

三木地区[編集]

久留美地区[編集]

別所地区[編集]

志染地区[編集]

緑が丘地区[編集]

1971年4月1日に街開きしたニュータウンである。[16]

細川地区[編集]

口吉川地区[編集]

  • 口吉川村と同一区域である農村地帯である。

吉川地区[編集]

大字の変遷[編集]

歴史[編集]

三木市の歴史も参照。

行政[編集]

歴代市長[編集]

歴代市長[16]
氏名 就任期間
初代 小林利八
こばやし りはち
1954年8月10日 - 1958年8月9日
2-4代 衣巻顕明
きぬまき けんみょう
1958年8月10日 - 1967年11月7日
5-10代 大原義治
おおはら よしはる
1967年12月17日 - 1989年12月2日
11-14代 加古房夫
かこ ふさお
1990年1月21日 - 2006年1月20日
15-17代 薮本吉秀
やぶもと よしひで
2006年1月21日 - (3期目)

財政[編集]

  • 2008年9月29日に財政危機宣言を発表した。その後は危機宣言を脱出するために2009年度に新行財政改革プランを開始して、借金は投資的事業の抑制によって減少している。また、危機宣言の影響で補助金が休止し、三木夏まつり花火大会が休止された。[32][59]

特徴的な条例[編集]

遊技場等及びラブホテルの建築等の規制に関する条例
市民の生活環境や教育環境、あるいは景観の保全を目的に1984年6月25日に制定された上記の条例により、市内にはラブホテル風俗店は一軒も存在しない。また、市内にはラブホテル・風俗店の看板も存在しない。[60][61]

市町村合併[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

日本国外

市章・市旗[編集]

市章[編集]

  •  「木」または「キ」を3つ組み合わせて図案化した図案であり、ハート形にして心臓部を表している。1912年に当時の三木市立三樹小学校の職員が市章を制定し、そのまま三木町の町章として使用され、当市新設後もそのまま継承された。明治時代から大正時代に改元されたことを記念して、三木市立三樹小学校の校章として制定されたことが起源であり、作成にあたって、当市の特産物である金物を意味する「金」を入れたいためにハート形にして採用された。しかし、1963年までは制定者は不明であったが、神戸新聞小野市と共に当市の市章が掲載されていたが、その時に当市の市章の製作者が「三木市の威厳が低下するため」と感じ、市に自己申告されたために制定者が明らかになった。[64] [65]

市旗[編集]

立法[編集]

三木市議会[編集]

  • 定数:18名
  • 任期:2011年(平成23年)5月1日~2015年(平成27年)4月30日
  • 議長:永尾隆保(三木新党・市民クラブ、7期)
  • 副議長:加岳井茂(三木新党・市民クラブ、2期)
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
三木新党・市民クラブ 6 ◎安居圭一、初田稔、泉雄太、堀元子、永尾隆保、加岳井茂
公政会 6 ◎西山博文、穂積豊彦、大西秀樹、藤本幸作、武田篤美、中尾司郎
公明党 3 ◎立石豊子、内藤博史、松原久美子
日本共産党 2 ◎大眉均、板東聖悟
緑風 1 清地秀美

※2014年(平成26年)3月12日現在。

兵庫県議会(三木市選挙区)[編集]

  • 定数:1名
  • 任期:2011年(平成23年)6月11日~2015年(平成27年)6月10日
氏名 会派名 当選回数
仲田一彦 自由民主党 2

※2014年(平成26年)3月12日現在。

経済[編集]

  • 市の主要産業は、金物であり、「金物のまち」として全国的に知られる。また、江戸時代には酒米である「金谷米」の生産が行われており、昭和時代からは「山田錦」の一大産地である。[67]ゴルフ場の数は阪神地区の近郊都市かつ丘陵地あるために高低差が少ないために開発が容易であるために多く立地し、西日本一位である。その中で廣野ゴルフ倶楽部が有名である。また、神戸市北区との市境には、県が整備を進めるひょうご情報公園都市があり、新産業を誘致している。[1][4][68]

産業[編集]

市内にある山田錦の栽培地帯
志染町細目で撮影
市内にある観光葡萄園

農業[編集]

小規模経営農家が多く、水稲稲作が中心である。[1]

昭和時代から生産がおこなわれており、吉川町地区が山田錦発祥の里である。主に肥料もちや水持ちが良好な神戸層群が位置する別所町・細川町・口吉川町・吉川町の地区で生産がおこなわれておりかつ生産量が日本一であり、「酒米の王様」と呼ばれており、品質も最高ランクであるとされている。北海道関東地方四国地方などに酒米用として出荷している。集落と蔵元との契約栽培である村米制度が残り、吉川町市野瀬がこの制度の発祥地である。[1][4][69][67][70][71]

1960年から栽培を開始しており、主に細川地区と口吉川地区が盛んである。1983年からはピオーネの栽培が開始され、生産量は生食用では兵庫県で一番多い。観光農園として7か所の葡萄園が開放されており、ぶどう品評会が1966年から毎年開催されている。[72][73][74]

その他には春にはと菊・を栽培し、乳牛を飼育している。[1]

工業[編集]

詳しくは播州三木打刃物を参照

金属加工を中心とした零細企業を中心として小規模事業所で製造しているものづくり産業が盛んである。[1][71]

金物(鋸、鏝などの利器工匠具)
「金物の町」と呼ばれており、発祥は倭鍛冶の系統と韓鍛冶の系統が合流して誕生し、戦国時代三木合戦により荒廃した三木城の焼けた城下町の復旧、江戸時代は工業都市として確立しており、かつ他地方への出稼ぎ宝暦から天明にかけて盛んになった。明治時代からは第二次世界大戦前までは軍用部品の需要が増え、大正時代には学術研究の対象になったが、第二次世界大戦後は物資の不足とインフレにより低迷していた。しかし、三木貿易協会を設立し、海外進出や企業誘致をした結果、中国のめまぐるしい発展に大工道具の需要が伸びている。[4][69][10][75][76][71]
金物のなかでも、(こて)のシェアは90%を超え、三木ならではの刃物“肥後守”も有名である。(のこ)、(のみ)、(かんな)、鏝(こて)、小刀の5品目は経済産業省により『播州三木打刃物』として伝統的工芸品の指定を受けている。
ひょうご情報公園都市

工業団地[編集]

企業[編集]

三木市に本社を置く主な企業

  • 高階(総合建設)
  • 岡田金属(ゼットソーの鋸製造)
  • コニカミノルタサプライズ関西
  • 小林ギムネ(木工用ドリルの製造)
  • 神和商事(建設・解体業)
  • 津村鋼業(丸のこ刃の製造)
  • 東洋物産(ヘルメット等の安全具製造)
  • 藤原産業(SK11ブランドなどの金物商)
  • 三木紙パック(紙パック製品の製造)
  • ミヤナガ(ドリルピットなどの製造)
  • ヤマヒデ食品(鰹節製造)

三木市に工場を置く主な企業

教育[編集]

市立の学校(小中学校および特別支援学校)の設置は、三木市立学校校区審議会条例[77]を根拠としている。[1]

小学校[編集]


中学校[編集]


高等学校[編集]


大学[編集]

特別支援学校[編集]

その他の学校[編集]

広野自動車教習所

廃止された学校[編集]

生涯学習[編集]

幼稚園[編集]

公立[編集]

  • 三木市立別所幼稚園
  • 三木市立平田幼稚園
  • 三木市立三樹幼稚園
  • 三木市立三木幼稚園
  • 三木市立広野幼稚園
  • 三木市立自由が丘幼稚園
  • 三木市立自由が丘東幼稚園
  • 三木市立緑が丘幼稚園
  • 三木市立緑が丘東幼稚園
  • 三木市立よかわ幼稚園

私立[編集]

  • りんでん学園緑が丘幼稚園
  • ホザナ園

かつて存在した幼稚園[編集]

  • 瑞穂幼稚園 - 星陽幼稚園へ統合。
  • 口吉川幼稚園 - 星陽幼稚園へ統合。
  • 東吉川幼稚園 - よかわ幼稚園へ統合。
  • 上吉川幼稚園 - よかわ幼稚園へ統合。
  • 中吉川幼稚園 - よかわ幼稚園へ統合。
  • 星陽幼稚園 - 三木幼稚園へ統合。
  • 志染幼稚園 - 三木幼稚園へ統合。
  • みなぎ台幼稚園 - よかわ幼稚園へ統合。

保育園[編集]

公立[編集]

私立[編集]

  • 神和保育園
  • エンゼル保育園
  • 一粒園保育所
  • 清心保育園
  • ひろの保育園
  • 羽場保育園
  • えびす保育園
  • いずみ保育園
  • 自由ヶ丘保育園
  • あけぼの保育園

施設[編集]

三木市役所

役所・支所[編集]

詳しくは三木市役所の項を参照

警察・消防[編集]

主な文教施設[編集]

主な公共施設[編集]

  • JGAゴルフミュージアム
  • 三木市クリーンセンター
  • 三木市清掃センター
  • 三木市立屋内ゲートボール場
  • 兵庫県立工業技術センター機械金属工業技術支援センター
  • 公民館 - 市内に10箇所(中央・三木コミュニティスポーツセンター・別所・志染・細川・口吉川・緑が丘・自由が丘・青山・吉川)ある。

図書館[編集]

詳しくは三木市立図書館の項を参照

医療[編集]

三木市立三木市民病院は、隣接する小野市の市民病院と統合したうえ神戸大学の協力も得た北播磨総合医療センター(小野市市場町)が2013年10月1日に開院したことに伴い、前日をもって閉院となった[79][80][81]

主な病院

福祉[編集]

公園[編集]

郵便局・主な金融機関[編集]

三木郵便局

市内には、集配業務を行う三木郵便局のほか、三木別所・三木末広・三木湯の山街道・豊地・三木青山・三木福井・三木緑が丘・稲田・北谷・三木井上・三木口吉川・三木西自由が丘・三木東自由が丘・渡瀬の各郵便局が所在している。

また農協は、みのり農協の三木支店、別所支店、吉川支店、兵庫みらい農協の三木市久留美支店、志染支店、広野支店、豊地支店がある。

主な商業施設[編集]

三木市の都市計画によって計画された「大村商業拠点」の商業施設群

大小問わず、さまざまな業種の店舗や商業施設が立地している。かつてはボウリング場や映画館があった。

スーパーマーケット等

家電量販店

ホームセンター

衣類

スポーツ用品

ドラッグストア

人形

  • 岸本人形 三木店

娯楽公営競技

消費者金融

  • 三木商工共済会

自動車関連

教育関連(学習塾・予備校・家庭教師)

  • 自彊塾
  • IFDM能力開発研究所
  • 芦原塾
  • 家庭教師派遣セミナー
  • 関学ゼミナール
  • 公文式
  • 神戸インターナショナル予備校
  • 教英塾
  • 修学セミナー
  • 創研塾
  • 立花塾 三木教室
  • D.r関塾
  • 長井ゼミナール
  • ヌーベルワーク英語学院
  • 藤井セミナー
  • 三木文教セミナー
  • 明光義塾 三木緑が丘教室
  • 早稲田アカデミー

情報・通信[編集]

三木志染中継局

電話の市外局番[編集]

(0794)7x(旧吉川町)8x。(市内局番6x、 70で小野市内へも通話可能。但し復井町の一部0795は市外局番からかけなければならない。)料金区域は三木区域。

郵便の集配[編集]

  • 三木郵便局:〒673-04xx、673-05xx、673-07xx
  • 稲田郵便局:〒673-11xx
  • 渡瀬郵便局:〒673-12xx

交通[編集]

自動車大阪から1時間弱(高速道)、三宮から45分、名谷から30分、西神から20分、明石加古川からは30分。高速道が市内に中国道山陽道山陽道(神戸淡路鳴門道連絡支線)舞鶴若狭道の4路線、さらに国道175号の三木バイパスが市域西部を南北に縦断しており交通の要衝となっている。神戸電鉄粟生線が南東から北西へに横断している。高速バスは、中国道は大阪駅新大阪駅津山駅加西市内・西脇営業所行きの中国ハイウェイバス山崎 - 三ノ宮線の路線が、山陽道は大阪空港〜姫路駅三ノ宮〜倉敷駅の路線がある。[1][71][13]

鉄道[編集]

神戸電鉄粟生線に沿って市街地が広がっている。市街地は、緑が丘駅から志染駅にかけてのニュータウンエリアと恵比須駅から大村駅にかけての旧市街地に二分される。また、ニュータウンエリアと旧市街地をつなぐ恵比須駅周辺は、公共施設が多く集まっているため、シビックゾーンと呼ばれる。ニュータウンエリアの中心駅は、緑が丘駅志染駅であり、周辺は都市機能が充実している。[1]また、旧市街地の中心駅は三木駅(旧三木福有橋駅)であるが、ここ数年の間は、大村駅から美嚢川にかけてのエリアに商業施設が集まる傾向にある。[71]

志染町(旧志染村)の染街道沿いや旧美嚢郡の細川村・口吉川村・吉川町(奥吉川村、北谷村、中吉川村が合併)には鉄道が通っていないが(のちに三木鉄道三木線が廃止されたため、別所町(旧別所村)にも通っていない)、これは神有電車(現在の神戸電鉄)の線路敷設をする際に地元の年配者が若者の都会流出を懸念し反対したためである[要出典]。そのため、公共交通機関は主に神姫バス神姫ゾーンバスに頼っている。2006年始めからはコミュニティバスである「みっきぃバス」の運行が開始され、低床小型バスが住宅地と市民病院間などを運行している。運賃は定額制(大人150円、子供80円)。現在、徐々に乗客数が伸びてきており、採算性が向上しつつある[要出典]

かつて存在した鉄道路線

路線バス[編集]

旧市街地・新興住宅地・吉川から高速道路を経由して三宮へ向かうバスが運行されている。なお、これらの路線と競合する神戸電鉄粟生線は慢性的な赤字を抱えており、危機的な状況となっている。※詳しくは、神戸電鉄粟生線#粟生線の現状を参照。

一般路線

高速バス

準高速バス(一般路線であるが、途中高速道路又は有料道路を走行)

道路[編集]

山陽自動車道中国自動車道神戸淡路鳴門自動車道へ繋がる山陽自動車道木見支線・舞鶴若狭自動車道の4路線が市内にあり、近畿地方四国地方への道路交通の結節点である。[13]

山陽自動車道
久留美で撮影

高速自動車国道[編集]

一般国道[編集]

市内の郊外を縦断する国道175号
大村で撮影

県道[編集]

市内の中心部と吉川地区を縦断する兵庫県道20号加古川三田線
上の丸町で撮影
市内の中心部と新興住宅地を結ぶ兵庫道22号神戸三木線
志染町中自由が丘2丁目で撮影
主要地方道[編集]
一般県道[編集]

名所・旧跡・観光スポット[編集]

伽耶院

広報みき2005年11月号を参照

寺社・神社[編集]

岩壺神社秋祭り

寺院[編集]

東光寺

史跡・文化財[編集]

志染の石室(窟屋の金水)

博物館・美術館・資料館[編集]

自然・公園[編集]

その他[編集]

竹の湯温泉

祭事・催事[編集]

神社・寺院に関わるものは当該セクションにて併記している。

春季・秋季[編集]

夏季・冬季[編集]

都市計画[編集]

ニュータウン[編集]

山陽自動車道久留美バスストップから見たニュータウン
開発された住宅地
緑が丘町中1丁目で撮影

阪神地区のニュータウンとして志染町広野にある神戸電鉄粟生線の沿線の北側の山林を中心に大規模な宅地開発が始まり、1966年7月自由が丘を皮切りに開発が許可され、1970年頃から緑が丘町青山大和ハウスによって開発が進んだ。[48][71]現在では市の全人口の約4割が、以下の地域の住民である。[4]市はゆとりのある街並みの形成と人口急増の抑制をはかるため、1973年より、第一種・二種低層住居専用地域において宅地一区画の最低面積を165m²に制定していた。県内では芦屋市に次ぐ厳しい基準であったため、ニュータウン地域は大型の一戸建てが閑静に立ち並ぶ住宅街となった。しかし近年、同地域での少子高齢化が目立っていることから、市は若い世代の転入者を増加させるため、2005年より最低面積を130m²に引き下げた。[30]

ニュータウンの変遷[編集]

進行中の計画[編集]

ビーンズドーム
  • 三木総合防災公園
阪神・淡路大震災を教訓に整備された都市公園。隣接する兵庫県広域防災センターと共に、兵庫県の広域防災拠点の中核的な役割を担っている。兵庫県広域防災センターには、兵庫県消防学校、緊急消防援助隊広域訓練施設、独立行政法人防災科学技術研究所による実大三次元震動破壊実験施設(E-ディフェンス)が整備されており、このうちE-ディフェンスは地震を人工的に再現し、建物の破壊や補強設計の実証実験を「実物大」で行うことができる世界最大の加震実験施設である。
  • ビーンズドーム - 屋内テニス場。既製立体トラスを使用したドームとしては日本最大。ドーム内にハードコートが9面あり、国際大会に対応。災害時は、応急活動要員の宿泊や救援物資の集積に使われる。なお、2008年12月から2012年3月までの命名権スポンサーにブルボンが決定し、その期間の名称は「ブルボン ビーンズドーム」となる。その後2015年3月まで延長されている。
  • 陸上競技場 - 日本陸連公認第1種競技場、屋根付メインスタンドの収容観客約20,000人、災害時の備蓄倉庫を兼ねる。
  • 第2陸上競技場 - 日本陸連公認第3種競技場
  • 野球場
  • 球技場 - サッカーコート3面(天然芝2面、人工芝1面)
兵庫県企業庁が主体となり、山陽自動車道三木東ICから、同三木JCTにかけての約390haの丘陵地に、情報関連・流通関連・ものづくり関連の企業を集積させ、新たな情報や産業の拠点として計画された都市開発事業である。
  • 三木歴史・美術の杜構想
三木城跡や平井山本陣跡などの城跡一帯をフィールドミュージアム(博物館群)に見立てた整備を行うとともに、複数の博物館を設置する構想である。同地域の一体的整備とともに、国の文化財指定などの保護と歴史の継承および当市の活性化を目的としている。2010年1月に市長の薮本吉秀が構想を発表した後、史跡の保存などについては2012年度から翌年度にかけて構想を策定している。また、新たに設置する三木歴史資料館(仮称)については、予定地にある三木市立図書館を移転のうえ、2015年度に建設するとしている。[86][87][88]

特色[編集]

緑と公園の多い街[編集]

三木市は緑が多く、それを生かした公園レジャー施設市街地から比較的近いところに多数存在し、同市の1人あたりの都市公園の面積は、20.08m²とかなり多くなっている。週末に市民が利用するほか、観光の拠点としても重要な位置を占めている。以下に代表的なものを挙げる。

スポーツ観光都市[編集]

2007年国土交通省近畿運輸局が実施した観光まちづくりコンサルティング事業で市域が重点地域に選定され、京阪神の住民を主な顧客と想定した「スポーツ観光都市」を目指すことが提言された。同市には多くのスポーツ施設があり、2008年の開催に向けて招致活動を行っていた大阪オリンピックにおいては、総合馬術三木ホースランドパーク)およびマウンテンバイク兵庫県立三木山森林公園)において市内の施設で協議を実施する計画がなされていた。この他、既製立体トラスを使用したドームとしては日本最大の屋内テニスコートであり、フェドカップが開催されたビーンズドームや、名門と謳われ、日本オープンを2度も開催した実績がある広野ゴルフ倶楽部を筆頭に、市内に25ヵ所のゴルフ場が存在する。[30]

三木市に関係のある有名人[編集]

出身[編集]

歴史上の人物(幕末までに生まれた人物)

文化・学術・芸能

政治家

スポーツ選手

在住[編集]

三木市に関係のある作品[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]