新快速
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新快速(しんかいそく)とは、西日本旅客鉄道(JR西日本)の京阪神圏と、東海旅客鉄道(JR東海)の中京圏を走る快速列車の種別の一つ。ともに、快速より停車駅が少ない列車種別であるが、前者と後者では性格が異なる。
また、旧・日本国有鉄道(国鉄)時代には阪和線にも新快速が運転されていた事がある。
目次 |
[編集] JR西日本
JR西日本の新快速の英語表記は、Special Rapid Serviceである。
[編集] 北陸・東海道・山陽本線
[編集] 概要
JR西日本が京阪神地区(アーバンネットワーク)の東海道・山陽本線系統(北陸本線(敦賀 - 米原間)・琵琶湖線・湖西線・JR京都線・JR神戸線)・山陽本線(姫路 - 上郡間)・赤穂線(相生 - 播州赤穂間)で運行する快速列車の種別の一つで、京阪神圏都市間輸送の基軸を担う最速達列車である。同社のアーバンネットワークを代表する列車で、私鉄で言うところの特別料金を徴収しない特急列車に相当する一般列車としての最上位種別である。複々線を生かした緩急接続や京阪神間外への直通運転、早朝から深夜までのフリークエントサービスなどのダイヤ面での工夫、線路施設を生かした最高速度130km/hによる高速運転[1]、そして転換クロスシートを配した落ち着いた車内などが利用客に支持され、並行する他私鉄にとって強い脅威になっている、いわばJR西日本の看板的存在である。
新快速という種別名称は、1970年(昭和45年)の運転開始時に快速(Rapid Service)の上位種別として新たに設定されたものであるが、同様の性格の列車は、既に首都圏の中央線快速でも"特別快速"として運転されていた。これと同じ名称にならなかったのは、東京と同じ名称を使いたくないという当時の大阪鉄道管理局の意向であったといわれる。英語案内表記については、1990年代途中までは正に「新快速」を直訳したNew Rapid Service であったが、これでは英語としておかしいということで「特別快速」を意味するSpecial Rapid Service に変更されている。また、駅の発車案内では、赤色で'S.Rapid'と表示される(米原では、後述するJR東海の新快速にもこの表記が使われる)。
[編集] 停車駅
基本的な停車駅は以下の通り。なお = で示した駅間は互いに隣接しており、通過駅は無い。
| 路線名 | 停車駅 |
|---|---|
| 東海道・山陽本線 (琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線) |
米原 = 彦根 - 能登川 - 近江八幡 - 野洲 = 守山 - 草津 - 石山 - 大津 = 山科 = 京都 - 高槻 - 新大阪 = 大阪 - 尼崎 - 芦屋 - 三ノ宮 - 神戸 - 明石 = 西明石 - 加古川 - 姫路 - (この間は各駅に停車) - 上郡 |
| 北陸本線 | 敦賀 - (この間は各駅に停車) - 米原…京都方面へ |
| 湖西線 | 敦賀方面から…近江塩津 - (この間は各駅に停車) - 近江舞子 -<志賀> -堅田 - 比叡山坂本 - 大津京 = 山科…京都方面へ |
| 赤穂線 | 姫路方面から…相生 - (この間は各駅に停車) - 播州赤穂 |
- < >は湖西レジャー号のみ停車
- 各駅に停車する区間は、運行区間が重複し同様に各駅停車区間が存在する「快速」と違い、各種表示や案内においては区間や運行方向を問わず始発駅から終着駅まで「新快速」で統一されている(各駅停車区間であっても「普通」としての表示・案内はしない)。これは、「新快速」という名称自体がある種ブランド化していることの表れでもある。なお、これらの各駅停車区間においても、臨時列車などでは通過駅が設定される場合もある。
- 湖西線に入る列車のうち、大阪発着となるラッシュ時間帯のものは、大阪 - 京都は新快速、湖西線内は快速運転になる(なお、快速は新快速停車駅のほかにおごと温泉に停車する。また、上り朝の便は新旭・近江高島・北小松を通過する)。
- 近江塩津以北に乗り入れる新快速は、早朝・夕晩は米原経由[2]、日中は湖西線経由で運転される(近江塩津折り返しは米原経由のみ)。
[編集] 運転状況等
当初、京都 - 西明石間で運転を開始した新快速は、その後徐々に運転区間を延ばしてきた。現在の運転区間は、敦賀 - 北陸本線・琵琶湖線経由または湖西線経由 - 播州赤穂・上郡間である。
日中の1時間あたりの各区間の運転本数は、敦賀 - (湖西線) - 山科が1本、近江塩津 - 長浜が1本、長浜 - 野洲が2本、野洲 - 山科が3本、山科 - 姫路が4本、姫路 - 播州赤穂が1本となっており、朝夕ラッシュ時にはさらに本数が増える。敦賀発米原経由の播州赤穂行きも存在し[3]、走行距離は275.5kmに及ぶ(東京から浜松を越え、東京-大阪の中間地点直前にある鷲津までの276.6kmに匹敵する)。各区間の現在の運転形態などは北陸本線、湖西線、琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線の項をそれぞれ参照。
2008年3月15日改正時点での昼間の運転時分は、長浜 - 大阪間が91分、近江今津 - 大阪間が78分、京都 - 大阪間が29分、大阪 - 三ノ宮間が20分、大阪 - 姫路間が61分となっている。新快速運転を行う米原 - 姫路間198.4kmの表定速度は約83km/hである。同区間はJR各社の在来線の中でも特に線形や設備が良いこともあり、この数字は、東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏の特急列車の表定速度(概ね65-90km/h)とほぼ同程度である。
快速列車(高槻以東・明石以西は普通列車)、各駅停車(京阪神緩行線)との接続も極めて良好で昼間時間帯においては京都・高槻・大阪・芦屋・三ノ宮では各駅停車に、加古川・野洲では普通列車(高槻 - 明石間は快速列車)にそれぞれ緩急接続を行っている。また播州赤穂発着の列車は相生で山陽本線経由の岡山方面行の列車に、播州赤穂では赤穂線経由の岡山方面行きの列車と相互接続を行っている。また明石・尼崎においても各駅停車と同時進入、発車がみられるが列車線と電車線でホームが分かれているため乗り換えはやや不便である。
平日の朝に以下の多層建て列車が存在する。2009年3月のダイヤ改正では、以下の2本。
- 網干6:23発 前8両長浜行き 後4両湖西線経由敦賀行き(京都で切り離し)
- 姫路7:32発 前4両野洲行き 後8両近江今津行き(同上、野洲行きは京都から各駅停車)
また、この他に米原で前後編成に別れて運転するものが上下各1本ある。
全列車が223系1000・2000番台で、最長12両で運転されている。ただし、ホーム有効長の関係から12両で運転可能なのは米原 - 網干間のみで、北陸本線虎姫以北は4両、それ以外の区間では8両に制限される。そのため、近江今津・米原・京都・姫路・網干で12両編成や8両編成を分割併合している。なお、湖西線内を「快速」扱いで走る平日朝ラッシュ時の新快速に限り、近江今津から姫路まで12両運転を行っている。
2009年1月、2011年春のダイヤ改正より、東海道本線と山陽本線では新快速の全列車を12両編成化すると新聞報道された。現在建設中の大阪駅北ビルの開業や同駅南側にあるアクティ大阪の大幅増床により大阪駅の利用者が増え混雑集中が予想されるため全列車12両編成として混雑緩和を図るとされている。但し、赤穂線や湖西線、北陸線などの末端部(12両非対応区間)については現在のところ公表されていない。
[編集] 臨時停車・臨時列車
[編集] 臨時停車
新快速には特に愛称を付与していないが、ハイキングやスキー客の利便を図るため、土休日ダイヤにおいて朝の近江今津・敦賀方面行きの4本と、午後の敦賀からの4本を志賀駅に臨時停車させ「湖西レジャー」号として運転している。案内には、新快速「レジャー琵琶湖」号と表記されることもある。
毎年8月に開催されるびわ湖大花火大会の開催日に限り膳所にも停車する。
[編集] 臨時列車
沿線のイベントや行楽期においては、臨時列車の運転を行っている。
山陰本線(嵯峨野線)嵯峨嵐山への観光客輸送のため、臨時列車(一部列車の嵯峨野線内は定期列車の代行運転)として、京都で折り返して嵯峨野線内に乗り入れる「嵐山さくら号」「嵐山わかば号」「嵐山もみじ号」が春・夏・秋の行楽シーズンに運転され、高槻以西では新快速と案内されている。現在は運転されていない。
毎年4月第2土・日曜日に湖西線マキノすぐ近くの海津大崎で桜の見頃を迎えると、事前に通常の連結順序を入れ替え、京都駅での切り離しの際、本来なら京都止まりとなる8両編成を先に発車させた上で永原駅[4]まで運転させ、残った4両が通常の敦賀行きとしてその後を追って発車するパターンもある。
毎年8月に行われる神戸海上花火大会や、12月に行われる神戸ルミナリエ期間中は臨時新快速が設定されているほか、12月14日の赤穂義士祭では一部の姫路行きが播州赤穂まで延長運転されるほか、紅葉シーズンには京都発大阪行きの221系による臨時新快速が運転されることもある。
かつて青春18きっぷシーズンに米原方面からの列車を岡山まで延長運転したことがあったが、現在は運転されていない。
[編集] 歴史
京阪神地区は、JRと私鉄が並行していることから、歴史的に激しいサービスの競争が繰り広げられている。
[編集] 関西急電
関西地方で最初に開業した鉄道は旧・日本国有鉄道(国鉄・官営鉄道)の路線で、1874年(明治7年)に大阪 - 神戸間、1877年(明治10年)に京都 - 大阪間の路線をそれぞれ開業させた。当時、輸送の多くは国鉄の独占であった。
しかし、1905年(明治38年)4月に阪神電気鉄道が大阪出入橋 - 神戸三宮間(現在の阪神本線)、1910年(明治43年)4月に京阪電気鉄道が京都五条 - 大阪天満橋間の路線(現在の京阪本線)を開業させて以来、大阪 - 神戸間の阪急神戸線、京都(西院) - 大阪(天神橋)間で新京阪鉄道 - 京阪新京阪線 - 阪急京都線、兵庫 - 姫路間において山陽電気鉄道本線と競合する並行私鉄が誕生し、市街地に近い路線、短い駅間隔、短編成と本数の多さを売り物とし、国鉄の客の多くを奪うのに成功する。
私鉄に対抗すべく国鉄は、まず1930年(昭和5年)に阪神間・京阪間などで蒸気機関車牽引の快速小運転列車を設定、続く1934年(昭和9年)7月の吹田 - 須磨間が電化された際には、大阪 - 神戸間に28分運転(各停は当時38分)を行う「急行電車」(関西急電)を設定、その後1937年(昭和12年)10月に吹田 - 京都間が電化されると運転区間を京都 - 神戸間に拡大した。それに先立つ1935年(昭和10年)には、急電用の車両として流線形を採用した52系も登場させている。当時の急電の京都 - 神戸間の停車駅は、大阪、三ノ宮と元町(1936年(昭和11年)4月1日から停車)の3駅だけであった。
その後、1942年(昭和17年)には太平洋戦争による戦時体制強化に伴い運転を休止するが、1949年(昭和24年)4月に再び運転を開始した。1957年(昭和32年)にはこの「急行電車」が「快速電車」と名称を変更している。これは料金を要する急行列車・準急列車との区別が紛らわしいという理由である。
[編集] 新快速の設定
新快速は「快速」の更なる速達化として、1970年(昭和45年)10月の日本万国博覧会(大阪万博)の終了直後に初めて設定された。当初の運転区間は京都 - 西明石間で、新幹線停車駅である新大阪を通過し、途中停車駅は大阪・三ノ宮・明石のみとした。運転本数は日中の毎時1本の6往復のみであった。
1971年(昭和46年)4月26日 運転区間が草津へ延長される。草津までの停車駅は大津と石山。この当時はスカ色113系を使用していた。ちなみにスカ色113系は万博輸送のために横須賀線から転入した車であったためで、関西で見慣れない色だったため識別に有利だったが、のちに湘南色に変更された車が多く、113系末期は混色での運転が多かった。
1972年(昭和47年)3月 山陽新幹線の岡山延伸開業により余剰となった急行形電車の153系(いわゆる「東海形」)を投入し、日中京都 - 大阪 - 明石間で15分おき運転の大増発を行った。
この時新快速に転用された153系は「新快速色」と呼ばれる青帯塗装に変更し、「ブルーライナー」の車両愛称を付与した。
大阪 - 京都間を29分で運行し、両駅で1分停車したため、大阪と京都を毎時ちょうどに出発できた。京都駅および大阪駅の駅舎壁面上部に時計を形どり「29分間」を強調した広告がこの頃存在した。ただし、当時の幹線では保守間合いと呼ばれる列車の運転休止時間帯があり、厳密には必ずしも運転間隔が一定でなかった。なお、当時は草津 - 西明石間運転の列車と京都 - 姫路間運転の列車があり、姫路発着の列車は西明石に停車しなかった。
当時の特急「雷鳥」は、大阪を毎時0分に新快速と同時発車していた。しかし「雷鳥」は新快速よりも大阪・京都間の余裕時分を多く取っていた[5]。そのため、特急と新快速が共に新大阪を通過した後に新快速が「雷鳥」を追い抜いていく光景が、北陸方面に向かう「雷鳥」が走る度に繰り広げられた。「雷鳥」が走る急行線(外側線)のダイヤを作成・管理していた国鉄本社は、これではあまりにみっともないという事で、新快速のダイヤを管理する大阪鉄道管理局に新快速のダイヤをずらすように指示したものの、大阪管理局はパターンダイヤを変更する事は利用者にとって不便になるという理由を付けて拒否した。本音は、(東京)本社への対抗心だった事は容易に推察され、当時の国鉄OBもそれを認める発言をしている。やむを得ず本社側が「雷鳥」のダイヤを5分ずらす事にした。また市販の時刻表では、「雷鳥」と新快速を意識的に併記しないようにしていた。
1973年(昭和48年) 姫路発着列車が毎時2本に増発される。
1974年(昭和49年)7月 湖西線が開業し、毎時1本の列車が堅田(観光シーズンは近江今津)まで乗り入れるようになった。
1978年(昭和53年)10月改正 神戸が停車駅となる。
- 並行する阪急が6300系、京阪が3000系という転換クロスシートの座席を持った特急専用車を運転していたのに対し、新快速はボックス型の固定シートであった。これらに対抗するため料金不要車両ながら転換クロスシートを持ち、シートに枕カバーが付く、当時の国鉄としては破格の車両で、「シティライナー」の車両愛称を付与し、導入時にはヘッドマークが公募された。この117系は戦前の関西急電の伝統である茶色をまとい、この茶色はのちの車両にも受け継がれることになる。当時の新快速は私鉄に比べてまだ劣勢ではあったが、117系の評判はよく、153系を急ピッチで置き換えた。同年7月の時点で117系は6両×21本が揃う。
1985年(昭和60年)3月14日 草津 - 京都間が時間2本に増発された。また、新大阪に停車するようになった。新幹線が停車する新大阪の通過は、新幹線利用の遠方客を中心に誤乗を招いていた。
1986年(昭和61年)11月1日 新たに山科・西明石が停車駅に加えられる。また分割民営化を控えて、従来国鉄本社直轄だった「外側線」「列車線」が大阪鉄道管理局に開放され、草津 - 西明石間の複々線区間で新快速はそれまでの「内側線」(緩行線・電車線)から外側線走行に変更となり、普通電車の支障がなくなったことから、大阪 - 京都間、大阪 - 神戸間などでそれぞれ3 - 5分程の時間短縮が図られた。のちに新大阪 - 大阪間については平日朝夕ラッシュ時以外内側線を走行するようになった。同時に一部列車が彦根と近江舞子(湖西線内は各駅停車に変更)まで延長されるとともに、草津以東各駅停車であった新快速の停車駅が削減され、現在の停車パターンによる速達運転が開始された。それに伴いマイナーチェンジの117系100番台が6両×3編成増備される。しかしながら、この時点においても朝夕ラッシュ時には新快速の設定はなく、外側線を走行する快速がラッシュ時の最速列車であった。また国鉄の鉄道管理局境が彦根 - 米原間であり、新快速の東端は彦根であった。
[編集] 民営化後
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄(日本国有鉄道)が分割民営化、JR西日本(西日本旅客鉄道株式会社)が発足した。新会社発足時の車両は国鉄最後のダイヤ改正(1986年11月1日)時のダイヤをそのまま継承した。
1988年(昭和63年)3月13日 夕ラッシュ時に10往復あまりが増発された。同時間帯に米原直通が登場する。
1989年(平成元年)3月11日 初めて朝の通勤時間帯に新快速を運転し、また最終列車を神戸・京都方面ともに大阪23時発と大幅に繰り下げ、現在の終日に渡って新快速を運転するダイヤの基礎ができた。また221系が新製投入されはじめ、新快速の一部列車でも運用を開始する。終日、琵琶湖線(東海道本線)の運転区間を彦根から米原まで延長する。
1990年(平成2年)3月10日 昼間時間帯の新快速が高槻と芦屋に停車。最高速度を110km/hから115km/hに引き上げ、京都 - 大阪間を高槻に追加停車しながらもダイヤ改正前と同じ29分で運転した。
1991年(平成3年)3月16日 使用車両を朝通勤時間帯・深夜の一部を除き221系に統一。日中の新快速の120km/h運転を開始。
1991年(平成3年)9月14日 北陸本線・田村 - 長浜間が直流に切り替えられ、米原発着の一部の新快速を長浜へ延長した。またこの改正から昼間も徐々に8両編成に増結を開始する。
1993年(平成5年) 新快速の全列車を8両以上とする。
1995年(平成7年)4月1日 同年1月17日に発生した震災によって発生した不通区間が復旧する。私鉄他線が未復旧のため、JR神戸線内で新快速を臨時に朝上り4本、夜下り3本増発。この臨時新快速の運転開始時は他線区から集めた113系を快速に用いて117系・221系を捻出した。のち7月に223系1000番台48両が導入され(223系新快速の登場)、私鉄他社復旧後も臨時増発分の運転は継続された。
1995年(平成7年)9月1日 平日の朝夕の通勤時間帯を除いて、高槻と芦屋が終日停車となる。またJR神戸線では震災復旧時から運転されていたラッシュ時の新快速が定期運転になる。夕方の大阪始発下りの新快速が19時前後に集められ、18:30 - 19:15の間7.5分間隔での運転となる。
1996年(平成8年)3月 湖西線の運転区間が近江舞子から近江今津、一部永原にまで延長されるとともに、線内の快速運転が復活する。また、ほとんどの米原での折り返し列車が長浜まで延長される。
1997年(平成9年)3月8日 尼崎と高槻に終日停車。この時点の使用車両は223系と221系で、前者は主に運転区間の短い野洲・草津発着と湖西線直通列車に、後者は長浜発着列車に充当された。またラッシュ時には221系と223系の混結もあった。
1999年(平成11年)5月10日 朝通勤時間帯の新快速を223系に統一。これにより、草津 - 西明石間で通勤電車としては国内初の130km/hでの運転を開始するようになった。この改正に合わせ223系2000番台が登場し、その後も増備が続くことになる。また、長らく1往復のみ残っていた117系使用列車が221系に置き換えられ、117系の新快速運用はなくなった。
2000年(平成12年)3月11日 223系に統一し、米原 - 姫路間で終日130km/hの運転を開始した。大阪 - 京都間27分、大阪 - 三ノ宮間18分の運転となり、このときの運転時分が新快速の最速記録である。そのため1972年以来の京都駅の00・15・30・45発が崩れることになった。なお、新快速の最高速度の引き上げに合わせて同区間を走行する特急列車の最高速度が引き上げられ、特急と新快速はほぼ平行ダイヤ[6]となり、京都-姫路間では各線へ直通する特急が新快速の等間隔間に割って入る形になった。
2003年(平成15年)12月1日 芦屋が終日停車となり、このため、大阪 - 三ノ宮間の所要時間は19分に延びた。
2004年(平成16年)10月16日 朝の通勤時間帯に増発が行われ、神戸・京都方面から大阪へ向かう新快速の8分間隔運転が実現するようになった。また夕通勤時間帯のピーク時に神戸・京都方面とも基本15分ヘッドの間に大阪始発の新快速が増発され、7.5分間隔で運転されるようになった。またこの改正で、早朝に走っていた米原 - 西明石間の下り快速を新快速に格上げしたため18年ぶりに西明石止めの列車が復活した。
2005年(平成17年)3月1日、昼間時間帯にも赤穂線・播州赤穂駅まで1時間に1本のみ直通運転されるようになった。従来の本線側、上郡・岡山方面からの普通列車は相生までとなり、播州赤穂発着の新快速に接続できるよう考慮されている。長浜市が新快速の乗り入れにより観光客の誘致に成功し、敦賀市も直流化による乗り入れを働きかけたのを見て、赤穂市でも同様の目的で新快速の日中乗り入れを働きかけたことによる。
2005年10月 同年4月に発生したJR福知山線脱線事故を受け若干の余裕時分が作られた。震災後の私鉄からの転移、芦屋の追加停車などで乗客数が増加傾向にあり、かつ普通列車との接続などで遅延が多発していたためである。
2006年(平成18年)3月18日 再度余裕時分の見直しが行われ、新快速も所要時間が伸び、再び京都では00・15・30・45分発となった。また、日中の播州赤穂への直通列車は利用好評で、姫路以西で以前の4両から8両で直通するようになった。これにより従来8両固定編成を主に充当していた近江今津・長浜発着の系統を敦賀延長に備えて4+4両編成に変更している[7]。
2006年10月21日 北陸本線・長浜 - 敦賀間、湖西線・永原 - 近江塩津間が直流電化に切り替えられ、一部の新快速が長浜・永原からそれぞれ敦賀(または近江塩津)まで直通運転を開始した。これによって最長列車で総距離275.5km、所要時間3時間59分の敦賀発米原経由播州赤穂行きが登場した(この最長記録は2009年3月14日改正時点でも破られておらず、登場以来総距離トップの座を守り続けている)。この改正で223系2000番台の6連J編成の新快速運用がなくなり、これまでの米原・京都・姫路・網干に加え近江今津では増解結も行われるようになる[8]。
2008年(平成20年)3月15日 休日午後の一部列車が編成増強された。この運用変更により、敦賀発米原経由播州赤穂行き列車は、列車としてはつながっているものの、敦賀発は最長網干までとなり、全区間を直通する車両はなくなった(但し近江塩津発米原経由播州赤穂行き(総距離ランキングにして第3位)には1本だけ全区間通しての車両運用が存在している)。
2009年(平成21年)3月14日 快速列車からの格上げの形で新快速が増発され、大阪駅基準でそれまでの平日では23時40分発、土休日では23時20分発だった終電が京都方面は京都行き、神戸方面は西明石行きで0時25分発にまで運転時間帯が拡大した[9]。なお、この改正で再びJ編成2編成連結(12両)の新快速運用が復活している。
[編集] 並行私鉄との競争
概要の項で述べたとおり、新快速の登場は平行する私鉄との乗客獲得競争によるものである。高い運賃、均等でない運転間隔の利用しにくいダイヤなど、国鉄は常時劣勢な立場であった。特に距離の長い京阪間では、阪急電鉄・京阪電気鉄道が転換クロスシートを持つ特急料金不要の特急専用車を京阪間無停車で頻発させていて、「関西は私鉄王国」といわれる所以でもあった。
しかし、JR西日本発足後は並行する私鉄は一転して防戦に追われた。これはJR東海に対する名古屋鉄道にも言えるが、国鉄時代末期に京阪間では117系登場に前後し阪急・京阪ともに特急車の置き換えを行い、さらには京阪本線の出町柳延長(鴨東線開業)を機会に新型車を登場させ、後にダブルデッカーを組み込んだ。また、阪神電気鉄道や山陽電気鉄道にも転換クロスシート車両が登場し、1998年(平成10年)2月より阪神梅田駅 - 山陽姫路駅間の直通特急「姫路ライナー」・「大阪ライナー」を運転するなどの対抗策を打ち出した。また2009年3月20日に阪神なんば線が開通し 神戸方面から大阪南部・奈良・和歌山方面への利便性が格段に向上した。阪神なんば線開通後は大阪ミナミへ乗り換えなしで行けることを積極的にPRしている。
それでも、速度・所要時間ではJRに対抗できずに苦戦を強いられている。新快速の高槻停車直前に阪急が特急の高槻市停車を始めたものの、JRから利用客を取り戻す材料にはならなかった。さらにはJRが複々線を生かした緩急接続で普通列車のみ停車の小駅に対しても時間短縮の効果を上げ、私鉄との所要時間差は決定的なものになった。そのため、各私鉄は特急をはじめとする優等列車の途中駅停車の増加、こまめな緩急接続などにより対梅田への所要時間短縮をめざしたが、結果として優等列車の速度低下、所要時間増になってしまっている。
[編集] 躍進の功罪
JR発足後は221系登場で、大きな窓、明るい車内は新生JRの格好なPR材料となり、「昼間特割きっぷ」の周知とも相まって徐々に私鉄からの乗客の転移が見られるようになった。主要駅周辺の金券ショップで本来は12枚綴りの回数券である「昼間特割きっぷ」のばら売りがされるようになったことは主婦層を中心とした利用拡大に寄与した。
さらに大きな転機となったのが、1995年(平成7年)1月の阪神・淡路大震災である。この震災で各鉄道が大きな被害を受け、長期運休を余儀なくされた。その中から、阪神間でもっとも早く開通したのがJRであった。貨物輸送も担う幹線であり復旧が急がれ、またJR各社の応援も得たことも大きかった。
復旧後のJR神戸線は、複々線の大きな線路容量を生かして、未だ不通区間のあった他私鉄からの転移客も吸収した。特に混雑の激しい新快速は予備車を使って増発し、その後223系1000番台を急遽追加投入して輸送力確保に努めた。その結果、高速運転や頻発運転、さらには通勤定期代の安さなども認知され、他私鉄が開通後もそのままJRを利用する転移客が目立った。また被害の激しかった阪神間での沿線人口が減り、加古川・姫路方面への転居者が多かったこともJRに有利に働いた。
また、京阪間においても最速27分という高速運転や奈良線・嵯峨野線の増発による京都経由の新たなルートの確立(京阪宇治線・近鉄京都線-京阪本線、嵐電-阪急京都線の流動がそれぞれJR側に動いた)、さらには京都駅ビル自身の集客力強化などといった施策が功を奏し、並行私鉄から乗客を集めるのに成功した。また、京都を越え直通運転する琵琶湖線沿線、特に草津・守山を中心とする(大都市へ直接アクセスする)並行私鉄のない地域では新快速による時間短縮効果が大阪・京都への通勤客を中心とする人口増を呼ぶとともに京都市内からの大学の新キャンパス設置や滋賀県内の企業の誘致など新たな需要の拡大を生んでいる。
他社からの利用者流入など、JR化後の各種施策の成果により、新快速の乗客は徐々に増えてきた。221系投入後は2扉の117系が客扱いで遅延を起こすようになり早々に撤退を余儀なくされ、また221系の新快速ものちに8両編成主体に変わっていった。ちなみに221系の初回投入時は新快速用が6両、快速T電用は4+4の8両の編成であった。
震災後に乗客が急増した神戸線の増発用として急遽製作された223系1000番台は、扉間の座席を1列減らしてドア周囲を広く取ると同時にその空間を利用した補助席を新たに設け、ラッシュ時の混雑緩和と日中時間帯の着席サービス確保を計った。朝夕時間帯の新快速の増発は、さらに利用客の新快速への集中を招くことになったため、223系の増備が進むに従い、朝の快速も223系使用で揃えられ神戸 - 大阪間が快速先着になるなどダイヤに手を加えられている。また223系の大量増備によって各列車の所要時間の短縮に大きく貢献している。
JR西日本の独り勝ち状態と言われた矢先の2005年(平成17年)4月25日にJR福知山線脱線事故が発生、私鉄との競争を意識しすぎた余裕のないダイヤがマスコミなどの攻撃対象となった。そのため翌2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正では余裕時間の見直しが行われ、主要駅での停車時間の延長、余裕を持った折り返し運用などが実施され、京都 - 大阪間が28分に、大阪 - 三ノ宮間では20分にと、それぞれ改正前より1分の所要時間増となった。所要時間が増えたのは新快速運転開始以来初めてのことである。福知山線事故、そしてこの所要時間増と逆風のもとで、JRを利用していた客の私鉄への再転移も報じられたが、結果的にはJR京都・JR神戸線での大きな影響はなかった。
このように利用客を確実に伸ばしていった反面、混雑が激しい列車が多くなっている。大阪駅起点で、現行の昼間のダイヤでは下り神戸・姫路方面は明石駅以西で、上り京都・米原方面では京都駅以東の最先着列車となる。JRとしても土休日の12両編成列車の増発や救済となる臨時列車を走らす等の対策をしてはいるが、特に青春18きっぷの有効期間中の一部列車の混雑には有効な手段がないままになっている。但し、2011年春のダイヤ改正で全列車12両編成にすると新聞報道され、これが実現すると混雑はかなり緩和されるとみられる。
[編集] 歴代の新快速用車両
国鉄大阪地区・JR西日本、東海道山陽線新快速の使用車種
- 113系電車 - 1970年10月 - 1972年3月。
- 2004年10月10日にリバイバル新快速として、7両編成の湘南色車を使用し京都 - 西明石間を運転した。
- 153系電車 - 1972年3月 - 1980年7月。制御車の一部は165系電車クハ165を使用。
- 117系電車 - 1980年1月 - 1999年5月10日。1990年に115km/h化改造。
- 2004年10月10日にリバイバル新快速として、12両編成の原色車を使用し草津 - 姫路間を運転した。2009年4月4日に臨時で使用。
- 221系電車 - 1989年3月 - 2000年3月。1990年3月10日に115km/h化、1991年3月16日から120km/h化。2000年以降も臨時で使用。
- 223系電車1000番台・2000番台 - 1995年8月 - 。2000番台の投入とともに2000年3月11日から130km/h化。
[編集] 阪和線
阪和線の場合、実際にこの種別名で運行されたのは旧国鉄時代の1972年(昭和47年)から1978年までの間であった。しかし、「料金が別途かからない最速達列車」という事であればJR化以降に関空特快ウイングがあった。
なお、本節では旧国鉄時代のそれについて言及し、関空特快「ウイング」については関空快速・紀州路快速を参照。
[編集] 新快速の運行概要
1972年3月15日のダイヤ改正で天王寺 - 和歌山間に設定された。途中停車駅は鳳のみで、所要時間45 - 51分で阪和間を結んだ。最速便の所要時間は前身の阪和電気鉄道が設定していた超特急以来のものである。日中の9時台から15時台に1時間間隔で運行していた。
車両は、それまで東海道・山陽本線の快速・新快速に使用していた113系が、このダイヤ改正で東海道・山陽本線に登場した153系「ブルーライナー」と全く同じ専用のカラーリング(灰色9号地色に青22号特帯色)に塗装を変更して投入された。新造車両ではなかったものの阪和線では初めての冷房付きの車両で、旧形電車中心だった阪和線の中では一際目立つ存在だった。円形に羽根を付けたデザインの専用ヘッドマークも新調の上装着された。そして1973年9月20日に関西本線の湊町駅(現・JR難波) - 奈良間が電化されると、関西本線快速用車両が当時の阪和線の車両配置区所であった鳳電車区所属となり、一部は阪和線と共通運用になったため、上記塗装とは帯色だけが異なるカラーリング(灰色9号地色に朱色3号帯色)の「春日塗り」の通称がある「関西快速色」の113系も充当されるようになった。「ブルーライナー」に採用された塗装はその後も「阪和色」の通称で呼ばれ、現在もほとんどがリニューアル色になったものの阪和線・紀勢本線用の113系で引き続き使用されており、当時を偲ぶことができる貴重な存在となっている。
阪和電鉄以来の速達運転を実現した新快速だったが、元々阪和間の直通需要は京阪神間に比べると規模が小さく、利用は限られていた。このため、1977年には和泉砂川と熊取を停車駅に追加し、所要時間は48 - 51分になった。しかし、大きく利用状況は改善せず、紀勢本線が電化された1978年10月2日のダイヤ改正で快速に統合される形で廃止された。
2007年現在では、天王寺 - 和歌山間の所要時間は南紀系統の特急列車で40分を切っているが、特別料金不要の列車で45分を切るものは設定されていないのみならず、新快速廃止以降は50分を切るものも運行されていない。一方快速列車は土・休日ダイヤの早朝下り2本を除いた全ての便が60分以上かかっている。
[編集] 歴代の新快速用車両
阪和線新快速
- 113系電車 - 1972年3月 - 1978年10月。
[編集] JR東海の新快速
JR東海の新快速の英語表記は、New Rapid Trainである。
[編集] 概要
JR東海が東海道本線浜松駅~米原駅間に設定している快速列車の一種である。同線では他に「特別快速」と「快速」、そして「区間快速」といった列車種別が存在する。それぞれに微妙な停車駅の違いがあり、単にそれらを区分するための種別の一つとして「新快速」があるといえる。他の種別との違いは以下のとおりである。
これらの違いは、すべて名古屋駅以東の停車駅の違いによるものであり、名古屋以西での違いはない。ただし、1999年12月のダイヤ改正までは、穂積駅には快速は停車し新快速は通過するという違いがあった。
[編集] 停車駅
基本的な停車駅は以下のとおり。
- 浜松 - (この間各駅停車) - 豊橋 - <三河大塚*> - <三河三谷> - 蒲郡 - <幸田> - 岡崎 - 安城 - 刈谷 - 大府 - 金山 - 名古屋 - 尾張一宮 - 岐阜 - (この間各駅停車) - 米原
- <>内の駅は一部の列車のみ停車。 *印は土休日のみ上りの一部列車が停車。
※JR東海名古屋地区各線の運行形態も参照のこと。
[編集] 運行状況
- データイム(日中)
- 快速と交互に15分間隔で運転されるのが基本である。主に豊橋 - 大垣間に設定されている。原則として岐阜・名古屋・刈谷・岡崎で普通列車と緩急接続を行う。
- ラッシュ時(豊橋 - 名古屋)
- 朝の豊橋方面から名古屋方面への下り列車は、特別快速との交互運転が基本であり、運転間隔は合わせて8分となるほか、一部に岡崎駅発着列車がある。また、夕方から夜にかけての豊橋方面行き上り列車は、特別快速との15分間隔の交互運転が基本となり、一部時間帯では運転間隔が短縮される。幸田・三河三谷のいずれかに停車(両方とも停車する列車もあり)する。21時台以降は、区間快速との交互運転となる。
- ラッシュ時(名古屋 - 大垣)
- 朝の大垣方面から名古屋方面行きの上り列車は、20分に快速2本・新快速1本の体制で運転される。夕方の大垣方面行きは特別快速との15分間隔の交互運転が基本で、一部快速(金山駅 - 米原駅間の運転で稲沢にも追加停車)が加わり10分間隔となる時間帯もある。一部は米原まで直通する。
車両は313系が用いられ、2006年10月1日のダイヤ改正からは同5000番台が中心となっている。過去には、313系と311系との併結運転、311系や117系、211系を使用した列車設定もあった。117系は2008年3月15日の改正より平日朝の岡崎駅発着列車に限り復活した。
名古屋からの標準所要時間は、豊橋まで46分、浜松まで78分、大垣まで30分となっている。日中の下り列車は名古屋 - 尾張一宮間を9分45秒(尾張一宮15秒停車)、尾張一宮 - 岐阜間を7分45秒で走り、名岐間の表定速度は102.4km/hに達する。日中の列車は豊橋 - 大垣間を1時間20分、表定速度87.3km/hで結び、特別料金不要列車としては日本最速である[1]。
[編集] 歴史
※名鉄特急#国鉄・JR東海道本線の中京圏における輸送も参照のこと。
[編集] 設定以前の状況
国鉄時代末期になるまで東海道本線(豊橋-名古屋-大垣間)は日中1時間あたり快速1本・普通1本のとても貧弱な様相であった。1971年に運転を開始した快速に使用していた153系(155系・159系含む)の取替にあたって私鉄対抗で好評を得ていた117系を1982年(昭和57年)に投入し「東海ライナー」と命名したが、当時の普通列車は本数が少なく、米原・大垣と静岡・熱海・東京との直通運転が多かったために運転間隔も統一されていないなど、「使いやすいダイヤ」には程遠い状態であった。対する当時の名古屋鉄道名古屋本線では、特急・高速・急行を合わせて毎時約7本が設定されており、国鉄の輸送実績はこれに遠く及ばないものであった。
が、民営分割化がいよいよ目前に迫った1986年(昭和61年)11月の国鉄最後のダイヤ改正で名古屋鉄道管理局は名古屋圏の普通列車の輸送改善を目玉として6両編成9本の117系を新製先頭車を加えて4両編成18本にするなど、豊橋大垣間で快速列車と普通列車の大幅な増発を実施しフリークエンシーを向上させた。さらに翌春誕生したJR東海はこの区間を東海道新幹線に次いで経営上重要な区間として位置付け、新型車両の投入と増発により、並走する名鉄名古屋本線に対抗していくこととなる。
[編集] フラッグシップとしての新快速時代
1989年(平成元年)3月に新快速がはじめて設定された。運行区間は蒲郡 - 大垣間に限定され、また当時は岐阜 - 大垣間は無停車であった。車両は当初117系が用いられ、最高速度は110km/hであったが、同年7月に311系を新造、新快速に集中的に投入することにより、最高速度が120km/hに引き上げられた。その後1年を経て、311系は増備が続けられ新快速の全列車に投入されるとともに、運行区間も豊橋までへと拡大している。これにより、新快速=311系、快速=117系という棲み分けがなされ、120km/h運転を行う新快速は、快速に比べて特別なフラッグシップ的存在となっていた。一方快速はこの頃から運転区間が浜松 - 米原間と比較的長距離を走る列車も増えていった。
この頃から並行する名鉄名古屋本線との立場が逆転し、優位に立つようになる。劣勢になった名鉄では1990年に特急券不要の高速を特急に格上げし、名古屋本線では一部指定席の特急が登場した。さらに翌年には専用車両(一部指定使用のパノラマスーパー)を登場させ、巻き返しを図っていった。停車駅面では知立、新安城通過の列車が増えていった。
[編集] 快速との性能統一・特別快速の設定
1999年(平成11年)に313系が登場し、311系を置き換える形で新快速に投入され、同年12月4日の改正で日中の列車はすべて313系化された。最高速度は120km/hのままであるが、加速性能の向上により所要時間の短縮を実現している。また、朝方はこの改正時に同時に新設した特別快速にほとんどが変更された。この改正で、日中の普通列車を大垣折り返しから岐阜折り返しに短縮したことに伴い、岐阜 - 大垣間の快速・新快速は各駅に停車するようになった。同時に幸田、三河三谷に停車する列車も夕方以降に新設された。この列車は夕方以降の快速を格上げした列車であり、ラッシュ時には米原や浜松方面へ直通する列車も増発された。
ここでの大きな変化は、快速にも313系が投入されたことにより、新快速と快速の性能統一がなされたことが挙げられる。全体の底上げを行うことで、旧来の「停車駅が少なく、スピードが速い」という新快速のフラッグシップ的な要素は消え、「停車駅が1駅少ない快速」の位置付けに変化した。同時に登場した特別快速も同様である。
313系の大量投入により、それまでの新快速運用にあった311系は普通列車に用いられることとなった。ただし、高速性をさほど必要としないラッシュ時間帯には311系も用いられ、同時間帯には117系の新快速も再設定された。これは、停車駅が1駅少ない快速となったことを受けてのものであり、313系の新快速より所要時間に余裕を持ったダイヤで運行された。
そのほか、313系の投入により、朝夕に豊橋で2両を分割した飯田線への直通運転が行われ、豊川・新城方面からの通勤サービスが図られていた。飯田線直通の大半は特別快速であったが、一部新快速にも見られた。
[編集] 輸送力増強
2006年(平成18年)10月1日のダイヤ改正において、終日混雑が激しい東海道本線の快速列車増強が実施された。新たに313系5000番台72両を投入し、昼間時においてはそれまでの4両編成から6両編成に編成を増強するとともに、朝夕のラッシュ時の増発および編成増強も行われている。一方で、飯田線への付属編成直通乗り入れは全廃されたほか、浜松への直通列車は大幅削減となった。
また、三河三谷および幸田については、これまで一部の快速・新快速で千鳥停車が行われてきたが、この改正で両駅に停車する新快速も設定された。一方で、両駅ともに停車する「快速」は設定されていないことから、「新快速」の位置付けはさらに曖昧なものとなり、「共和を通過する快速」との意味合いのみが残ったと言える。このほか、土休日においては、ラグーナ蒲郡へのアクセス改善として三河大塚停車の新快速(上りのみ)も設定された。
2008年(平成20年)3月15日の改正では、平日朝に岡崎発着の新快速が3本増発された。313系では車両運用に余裕がなく、117系での運転となっている。また、深夜にも増発が行われ、豊橋発下りの最終が22:56となり名鉄特急の最終(22:45発)より遅くなったほか、岡崎発の列車なども増発された。
[編集] 歴代の新快速用車両
JR東海で運行された車両を以下に記す。現在は原則として313系電車のみの運行である。
- 117系電車
- 営業最高速度110km/h。1989年3月~1990年まで用いられたが、その後311系電車に置き換えることにより運用消滅。2001年10月改正で夕方一本の豊橋発米原行きのみ再設定されたが、2006年10月改正で設定が消滅。2008年3月改正で平日朝の岡崎発名古屋行き2本、米原発岡崎行き1本に使用。加えて2009年3月改正に夜の豊橋発大垣行き1本が設定された。
- 211系電車(0番台)
- 営業最高速度110km/h。後に120km/hに改造され、311系と共通の性能とされた。1990年まで新快速の運用にあったが、117系同様311系化により運用消滅。その後、2003年10月改正で夕方1本の大垣発豊橋行きのみ再設定されたが、2006年10月以降設定なし。
- 311系電車
- 営業最高速度120km/h。1989年7月より主力として運行されたが、1999年12月改正時に313系に置き換わる形で日中の新快速運用がほぼ消滅し、ラッシュ時のみの設定となる。その後の2006年10月改正時に、313系の追加投入が行われ、設定が一旦消滅した。2009年3月現在は朝に豊橋発大垣行1本が設定されている。
- 313系電車(0番台・5000番台)
- 営業最高速度120km/h。130km/h運転準備工事済みであるほか、311系に比べ加速性能が向上している。1999年から新快速の主力として運用。さらに2006年10月改正で5000番台が投入され、原則として終日すべての新快速が313系で運行されている。
[編集] 脚注
- ^ 最高速度130km/hによる高速運転は特別料金不要の列車としては日本最速である。 ちなみに他料金不要列車で新快速と同じ最高130km/hの列車には千歳線快速「エアポート」、常磐線特別快速、瀬戸大橋線快速「マリンライナー」(ただしエアポートのuシート、常磐線特別快速およびマリンライナーのダブルデッカー車は有料)、つくばエクスプレス線(設定最高。通常は125km/h)、中央本線「セントラルライナー」(料金不要区間は多治見 - 中津川)がある。
- ^ これは上り列車の場合、湖西線経由が大阪発15:15(ほかに平日は18:22もあり)を最後に運転されなくなることから、それを補完しつつ、本来なら米原経由近江塩津折り返しとなっている大阪毎時30分発の列車をさらに敦賀まで延長する形で、米原 - 敦賀間の利便性を確保するため。
- ^ ただし、市販の時刻表の上では1本の列車として扱われている(途中停車駅は実に39駅に及ぶ)が、実際には敦賀を4両編成で出発し、米原で前方に8両編成を増結して合計12両編成で運行した後、網干で敦賀からの4両編成を切り離しているため、最終的に播州赤穂まで行くのは米原で増結した8両編成だけである。したがってそうであってもすべての車両が全区間通しで直通しているわけではない。
- ^ マキノ駅には折り返しの設備がないのと、8両編成が永原駅までしか入線できないため。
- ^ 当時の「雷鳥」の大阪 - 京都間の標準所要時間は34分で、新快速よりも5分程度遅かった。その分、大阪出発が5 - 6分程度までの遅れであれば、次に停まる京都での定時発車が可能であった。当時の新快速の最高速度が110km/h(昭和47年3月以降、ただし高槻以西は100km/h)であるにもかかわらず、最高速度がそれより10km/h速いはずの特急が追い抜かれたというエピソードが残っている点や、所要時間の差から見ても、特急が大阪 - 京都間ではいかに遅く走っていたかが窺い知れる。なお、JR発足後に「雷鳥」も所要時間29分、2000年には27分へと短縮されている
- ^ その後現在まで新快速が特急に抜かれる場面は近江今津や姫路での分割併合に伴う長時間停車や京都-草津間の複々線区間(待避に伴う長時間停車はない)などの末端部分でのみ見ることができる。
- ^ 但し、4両+4両の場合、8両固定編成より座席定員が減少する(補助席を除く総座席数は8両固定編成の場合、1000番台は428席、2000番台は424席であるのに対し、4両+4両編成は1000番台×2の408席、2000番台×2の400席、1000番台+2000番台の404席に)のみならず立客スペースも狭まるうえに車内の通り抜けもできない。
- ^ 元々、近江中庄・マキノ・永原の3駅では8両編成の停車はできるが、近江塩津・新疋田・敦賀の3駅はホーム高さの関係で4両編成までしか停車できないため。
- ^ JR西日本 (2008-12-19). "平成21年3月14日(土)改正PDF". 2009年04月11日 閲覧。
[編集] 関連項目
- アーバンネットワーク
- JR東海名古屋地区各線の運行形態
- JR九州811系電車 前面に「New Rapid Train」のロゴが入った電車。
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