須賀敦子

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須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日 - 1998年3月20日)は、日本随筆家イタリア文学者。 従兄弟に考古学者で同志社大学名誉教授の森浩一がいる。 20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごし、40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として脚光を浴び、50代後半からは随筆家としても注目を浴びる。

目次

[編集] 経歴

大手の水道工事業者の家に生まれる。カトリック系の学校に通い、後にカトリックに入信。教会での活動に打ち込みながら聖心女子大で学んだ後、慶應義塾大の修士課程に進学。フランスの神学にあこがれてパリ大に留学する為に慶應を中退するも、パリの雰囲気が肌に合わず、次第にイタリアに惹かれるようになる。1954年の夏休みにはペルージャでイタリア語を学び、イタリアへの傾倒を決定的なものとする。26歳の時に一旦日本に戻るが、29歳の時に奨学金を得てローマに渡る。この頃からミラノのコルシア書店関係の人脈に接するようになる。

1960年、後に夫となるジュゼッペ・リッカ(ペッピーノ)と知り合う。この年の9月にはペッピーノと婚約し、翌年11月にウディネの教会で結婚。ミラノに居を構え、ペッピーノとともに日本文学のイタリア語訳に取り組む。しかし1967年にはペッピーノが急逝。1971年にはミラノの家を引き払って日本に帰国する。

帰国後は慶應大の嘱託の事務員を務めながら上智大などで語学の非常勤講師を務める。専業非常勤講師の状況は1979年、50歳になるまで続く。1979年に上智大学専任講師、1981年に慶應大にて博士号取得。1985年、日本オリベッティ社の広報誌にてイタリア経験を題材としたエッセイを執筆。以降はエッセイストとしても知られる存在となっていく。1997年に卵巣の腫瘍の手術。翌年死去。


[編集] 年譜

[編集] 作品

[編集] 関連書籍

  • 大竹昭子『須賀敦子のヴェネツィア』『須賀敦子のミラノ』『須賀敦子のローマ』河出書房新社
  • 岡本太郎『須賀敦子のトリエステと記憶の町』『須賀敦子のアッシジと丘の町』同。
  • 稲葉由紀子『須賀敦子のフランス』同。
  • 『KAWADE夢ムック 須賀敦子 霧のむこうに』同。
  • 季刊誌考える人2009年冬号 誰も書かれなかった須賀敦子の本』新潮社