丸谷才一

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丸谷 才一
(まるや さいいち)
誕生 1925年8月27日
日本の旗 日本山形県鶴岡市
死没 2012年10月13日(満87歳没)
職業 小説家文芸評論家英文学者
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 修士文学
最終学歴 東京大大学院英文科
活動期間 1960年 - 2012年
ジャンル 小説評論随筆翻訳
代表作 笹まくら』(1966年)
『年の残り』(1968年)
『たった一人の反乱』(1972年)
裏声で歌へ君が代』(1982年)
『女ざかり』(1993年)
主な受賞歴 本文参照
パートナー 根村絢子
子供 根村亮長男
親族 山本甚作(従兄弟)、落合良(甥)
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丸谷 才一(まるや さいいち、1925年大正14年)8月27日 - 2012年平成24年)10月13日)は、日本小説家文芸評論家翻訳家随筆家

主な作品に『笹まくら』『年の残り』『たつた一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までをのぞいて、歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽妙で知的な作品を書くことを目指した[1]小説の傍ら『忠臣蔵とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』などの評論随筆も多数発表しており、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く、「文壇三大音声」(〜おんじょう)の一人と自負していた[2]

経歴[編集]

1925年山形県鶴岡市馬場町乙三番地にて、開業医・丸谷熊次郎(1956年死去、74歳)とその妻・千(せん。1978年死去、85歳)との間に次男として誕生。1932年、鶴岡市立朝暘第一尋常小学校に入学、1938年、同小学校を卒業、旧制鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)に入学、1943年、同中学校を卒業。中学在学中に勤労動員を体験して軍への嫌悪感を募らせる。当時の優等生は陸軍士官学校海軍兵学校に進むことを期待されていたにも関わらず、校長の勧めを無視して上京して東京の城北予備校に1年間通学(1943年4月から1944年春)。予備校時代に作家の安岡章太郎と知り合う。1944年旧制新潟高等学校文科乙類に入学。百目鬼恭三郎と知り合う。1学年上には編集者・作家の綱淵謙錠がいる。

1945年3月、召集(学徒動員)によって山形の歩兵第32連隊に入営し、8月15日は青森で迎え、9月に復学する。1947年3月、新潟高等学校 (旧制)を卒業。

1947年4月、東京大学文学部英文科に入学。中野好夫平井正穂のもとで主に現代イギリス文学を研究、ジェイムズ・ジョイスを知り大きな影響を受ける。1950年3月、卒業。卒業論文は「James Joyce」(英文)。4月、同大学院修士課程に進む。修士課程時代には桐朋学園で英語教師としても勤務しており、当時の教え子には小澤征爾高橋悠治がいた[注 1]1951年1月、東京都立北園高等学校講師(1954年3月まで)。

1952年1月、篠田一士菅野昭正川村二郎らとともに季刊同人雑誌『秩序』(白林社)を創刊。その第1号に短編小説「ゆがんだ太陽」を掲載した。また同誌2号から7号に『エホバの顔を避けて』を連載。4月、杉並区にある高千穂高等学校[注 2]の講師となる。5月、グレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』を『不良少年』の邦題で翻訳、筑摩書房より刊行。以後英文学の翻訳を行う。

1953年9月、國學院大學の専任講師となる。1954年の春まで、同人雑誌「現代評論」の同人仲間であった山口瞳が同じ学校の学生として在籍していた[4]1954年4月、國學院大学助教授に昇進。ここで中野孝次らと知り合う[注 3]。また、桐朋学園の非常勤講師となる。同年10月、東大英文科の同級生で演劇批評家の根村絢子と結婚。戸籍上は根村姓を継いだ。

1960年10月、初の長編小説『エホバの顔を避けて』を刊行。1964年、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』上・下を永川玲二高松雄一と共訳、刊行。1965年3月、國學院大學を退職。東京大学英文科非常勤講師として4月より2年間「ジェイムス・ジョイス」を講義。1966年7月、2つめの長編小説『笹まくら』、10月、評論集『梨のつぶて』刊行、新仮名遣いを使用する。1967年、『笹まくら』で河出文化賞を受賞。『鐘』刊行。1968年3月『年の残り』発表、7月に同作品で第59回芥川賞受賞。

1972年4月、長編小説第3作『たった一人の反乱』を刊行し話題となる。12月、同作品で第8回谷崎潤一郎賞受賞。以後ほぼ10年に1作のペースで長編小説を刊行する。1973年4月、評論『後鳥羽院』を刊行し翌年読売文学賞受賞。1974年7月、中編小説『横しぐれ』発表。これ以降の著作は歴史的仮名遣いを使用。1975年、「四畳半襖の下張事件」において、被告人野坂昭如の特別弁護人として出廷。

1982年8月、長編第4作『裏声で歌へ君が代』刊行。1984年4月から10月まで、東京大学文学部講師をつとめる。1985年、評論『忠臣蔵とは何か』を発表し、忠臣蔵における御霊信仰カーニバル性について国文学者諏訪春雄と論争を行う。同作品はこの年の野間文芸賞を受賞した。1988年、『樹影譚』で川端康成文学賞受賞。1991年種田山頭火を扱った『横しぐれ』の英訳(デニス・キーン訳、『RAIN IN THE WIND』)がイギリスのインディペンデント外国小説賞特別賞受賞。

1993年1月、長編第5作『女ざかり』がベストセラーとなり、翌年吉永小百合主演で映画化された。1995年、鶴岡市名誉市民に推戴される。1998年日本芸術院会員に選出。1999年、評論『新々百人一首』が刊行し翌年に大佛次郎賞受賞。

2003年11月、長編第6作『輝く日の宮』が第31回泉鏡花文学賞を受賞。2004年1月、2003年度朝日賞を受賞。2006年10月27日文化功労者に選ばれる。2010年2月、ジェイムズ・ジョイスの『若い藝術家の肖像(改訳版)』が読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞。2011年10月25日文化勲章の受章が決定。

2012年7月17日、山形県の名誉県民の称号が贈られる。10月7日、体調を崩し入院、同月13日に心不全のために死去[6]。87歳没。夫婦のお墓は鎌倉霊園にあり、墓碑銘岡野弘彦が生前に依頼されていた「玩亭墓」で、碑の裏には夫婦の略歴と「ぱさぱさと 股間につかふ 扇かな」(大岡信『新 折々の歌』所収)の句がある[7]

受賞一覧[編集]

文学活動[編集]

小説家としては寡作である。長編小説に主力を注ぎ、本人も、周囲も、長編小説家と見なすことが多い。かつて筒井康隆は「ディケンズ的退廃」と絶賛した[要出典]。初期からモダニズム文学の影響を受け、英国風の風俗性とユーモア、知的な味わいを重視して、近代日本の従来の私小説的な文学風土に対するつよい批評意識のもとに小説を書いてきた。

前期の作品ではイギリス風の風俗小説と私小説が持つ叙情性をない交ぜにしたようなところがある[要出典]。『エホバの顔を避けて』は本人も習作としている。エホバとの関係を通して、圧倒的な権威によって抑圧されそこから逃れようとする魂の状況を描く。またジョイスの影響によって取入れられた内的独白の手法は、長編第二作『笹まくら』においてより大きなかたちで完成を見ることになる。

『笹まくら』は「十五年戦争中を徴兵忌避者としてすごした男が、戦争が終わって後もその過去が彼にさまざまな影響を与えつづける」という精神の様相を描いたもので、『エホバの顔を避けて』以来の主題、戦争の気持わるい実感を描ききった(鹿島茂に「『笹まくら』は戦争後遺症小説である」という言がある)。また彼の小説の柱である風俗性が生かされている。

文芸雑誌などに発表する文章では歴史的仮名遣い(ただし、漢字音については字音仮名遣を採用していない)を用い、その文体を清水義範に『猿蟹合戦とは何か』(『国語入試問題必勝法』に収録、元ネタは『忠臣蔵とは何か』)としてパロディにされたこともある。丸谷は『国語入試問題必勝法』文庫版に解説を寄せており、その中で清水の才能を認めながらも、同時に『猿蟹合戦とは何か』を評価できかねる気持ちを正直に告白し、複雑な心境をうかがわせた。またフリーウェアの旧字旧仮名遣い変換辞書「丸谷君」の名は丸谷才一に由来する。

評論家としての丸谷の仕事は、和歌伝統の日本文学史上の位置づけにある。『日本文学史早わかり』で主張された、アンソロジー中心の文学史論は、大岡信による紀貫之菅原道真再評価とともに、同時代の文学に大きな刺激を与えた。これは後の『新々百人一首』につながり、また石川淳安東次男、大岡信とともに歌仙連句を文壇に復興させることにも貢献した。石川淳の後を受け、朝日新聞1973年1974年度の文芸時評(のちに『雁のたより』で出版)を担当、文芸雑誌にこだわらない評価をくだした。日本におけるジェームズ・ジョイス研究の第一人者としても知られる。また純文学のみならず、ミステリー小説に関する評論も手がけている。

イギリスの書評が文学になっていることの衝撃を受ける。それは内容の紹介、本の評価、書評には文章を読む楽しみがそなわっていなくてはならないこと、批評性(これが最も重要なことと丸谷は考えていた)である[8]。毎日新聞が書評欄の大刷新を行った際(1992年)には同社の委嘱によって顧問に就任。企画段階から深くかかわり、特色ある紙面づくりに大きく寄与した。同顧問は2010年に辞した。書評を文芸の一つとして見なすべく主張し、毎日書評賞を発足させた。書評の長さを四百字詰原稿用紙で3.5枚と5枚のふたつにする。リヴューアーの名前を大切にし、大きく出す。本の選択は編集会議など開かずに、リヴューアーがほんとうに扱いたい本を扱う。希望が重なったときは、先着順。全体に明るい雰囲気にするために、第1ページに和田誠のイラストを大きく使うなど。[8]

芥川賞(1978年から1985年まで。1990年から)、谷崎潤一郎賞(1978年から)や読売文学賞(1982年から)、毎日書評賞などの選考委員を長年にわたり勤めた。

村上春樹の才能を早くから見いだし、村上のデビュー作『風の歌を聴け』を群像新人文学賞において激賞。また、受賞はしなかったが芥川賞の選考においても村上を強く推した[注 4] [注 5] [注 6] [注 7] [注 8]

著書[編集]

小説[編集]

作品名 種類 出版社 出版年月日 備考
エホバの顔を避けて 長編 河出書房新社 1960年10月10日 『秩序』第2号(1952年10月25日)~第7号(1960年7月1日)掲載。
笹まくら 長編 河出書房新社 1966年7月20日
にぎやかな街で 作品集 文藝春秋 1968年3月10日 収録作品は「にぎやかな街で」「贈り物」「秘密」。
年の残り 作品集 文藝春秋 1968年9月15日 収録作品は「年の残り」「川のない街で」「男ざかり」「思想と無思想の間」。
たった一人の反乱 長編 講談社 1972年4月20日
彼方へ 長編 河出書房新社 1973年9月29日 文藝』1962年10月号掲載。
横しぐれ 作品集 講談社 1975年3月8日 収録作品は「横しぐれ」「だらだら坂」「中年」「初旅」。
裏声で歌へ君が代 長編 新潮社 1982年8月25日
樹影譚 作品集 文藝春秋 1988年8月1日 収録作品は「鈍感な青年」「樹影譚」「夢を買ひます」。
女ざかり 長編 文藝春秋 1993年1月10日
輝く日の宮 長編 講談社 2003年6月10日
持ち重りする薔薇の花 長編 新潮社 2011年10月25日 『新潮』2011年10月号掲載。

評論・随筆[編集]

  • 梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集』 晶文社、1966 新版1979
  • 『女性対男性』 文藝春秋、1970 のち文庫
  • 『大きなお世話』 朝日新聞社、1971 のち文春文庫
  • 『後鳥羽院 日本詩人選』 筑摩書房、1973
  • 日本語のために』 新潮社、1974 のち文庫・同新編版(2011.3)
  • 『月夜の晩』 番町書房、1974
  • 『食通知ったかぶり』 文藝春秋、1975 のち文庫、中公文庫(2010.2)
  • 『星めがね』 集英社、1975
  • 『雁のたより』 朝日新聞社、1975 のち文庫 (文芸時評)
  • 『悠々鬱々』 毎日新聞社〈現代の視界1〉、1975
  • 男のポケット』 新潮社、1976 のち文庫
  • 『遊び時間』 大和書房、1976 のち中公文庫
  • 『低空飛行』 新潮社、1977 のち文庫
  • 文章読本』 中央公論社、1977 のち文庫・改版1995
  • 『日本文学史早わかり』 講談社、1978 のち文庫、同文芸文庫
  • 『コロンブスの卵』 筑摩書房、1979 のち文庫
  • 『遊び時間 2』 大和書房 (書評集)、1980 のち中公文庫
  • 『好きな背広』 文藝春秋、1983 のち文庫
  • 『夜明けのおやすみ』 朝日新聞社〈現代のエッセイ〉、1984
  • 『遊び時間 3』 大和書房 (書評集)、1984、改題「ウナギと山芋」 中公文庫
  • 『忠臣蔵とは何か』 講談社、1984、のち文芸文庫
  • 『みみづくの夢』 中央公論社、1985 のち文庫
  • 挨拶はむづかしい』 朝日新聞社、1985 のち文庫、『合本 挨拶はたいへんだ』2013.9
  • 桜もさよならも日本語』 新潮社、1986 のち文庫(一部「完本 日本語~」に収む)
  • 『6月16日の花火』 岩波書店、1986
  • 『犬だって散歩する』 講談社、1986 のち文庫
  • 『夜中の乾杯』 文藝春秋、1987 のち文庫
  • 『鳥の歌』 福武書店、1987 のち文庫
  • 『男ごころ』 新潮社、1989 のち文庫 (書評集)
  • 『猫だつて夢を見る』 文藝春秋、1989 のち文庫
  • 『山といへば川』 マガジンハウス、1991 のち中公文庫 (書評集)
  • 『軽いつづら』 新潮社、1993 のち文庫
  • 『青い雨傘』 文藝春秋、1995 のち文庫
  • 『木星とシャーベット』 マガジンハウス、1995 (書評集)
  • 『七十句』 立風書房、1995
  • 『恋と女の日本文学』 講談社、1996 のち文庫
  • 『どこ吹く風』 講談社、1997
  • 『男もの女もの』 文藝春秋、1998 のち文庫
  • 『新々百人一首』 新潮社、1999 のち文庫
  • 思考のレッスン』 文藝春秋、1999 のち文庫
  • 『闊歩する漱石』 講談社、2000 のち文庫
  • 挨拶はたいへんだ』 朝日新聞社、2001 のち文庫、『合本 挨拶はたいへんだ』2013.9
  • 『花火屋の大将』 文藝春秋、2002 のち文庫
  • 『絵具屋の女房』 文藝春秋、2003 のち文庫
  • ゴシップ的日本語論』 文藝春秋、2004 のち文庫
  • 『猫のつもりが虎』 マガジンハウス、2004 のち文春文庫
  • 『後鳥羽院 第二版』 筑摩書房、2004、ちくま学芸文庫(2013.3)
  • 『綾とりで天の川』 文藝春秋、2005 のち文庫
  • いろんな色のインクで』 マガジンハウス、2005 (書評集)
  • 『双六で東海道』 文藝春秋、2006 のち文庫(2010.12)
  • 『袖のボタン』 朝日新聞社、2007 のち文庫(2011.3)
  • 『蝶々は誰からの手紙』 マガジンハウス、2008 (書評集)
  • 『月とメロン』 文藝春秋、2008 のち文庫(2011.8)
  • 『人形のBWH』 文藝春秋、2009 のち文庫(2012.5)
  • 『人間的なアルファベット』 講談社、2010 のち文庫(2013.3)
  • 『あいさつは一仕事』 朝日新聞出版、2010 のち文庫(2013.4)
  • 『星のあひびき』 集英社、2010 のち文庫(2013.9) (書評集)
  • 『樹液そして果実』 集英社、2011
  • 『人魚はア・カペラで歌ふ』 文藝春秋、2012.1
  • 『快楽としての読書 海外篇』 ちくま文庫、2012.4 (書評集:新編再刊)
  • 『快楽としての読書 日本篇』 ちくま文庫、2012.4、同上
  • 『快楽としてのミステリー』 ちくま文庫、2012.11、同上
  • 『無地のネクタイ』 岩波書店、2013.2、解説池澤夏樹
  • 『恋と日本文学と本居宣長/女の救はれ』 講談社文芸文庫、2013.4(新編再刊)
  • 『別れの挨拶』 集英社、2013.10 (書評集)

作品集[編集]

  • 『新鋭作家叢書 丸谷才一集』 河出書房新社、1972 (『笹まくら』・『贈り物』・『「笹まくら」創作ノート』)
  • 『新潮現代文学63 丸谷才一』 新潮社、1979 (『笹まくら』・『年の残り』・『思想と無思想の間』・『横しぐれ』)
  • 『丸谷才一批評集』全6巻 文藝春秋、1995-1996
  1. 日本文学史の試み
  2. 源氏そして新古今
  3. 芝居は忠臣蔵
  4. 近代小説のために
  5. 同時代の作家たち
  6. 日本語で生きる
  • 『丸谷才一全集』全12巻、文藝春秋、2013-2014
※前半6巻は「小説」、後半6巻は「評論」、編集委員は池澤夏樹・辻原登・三浦雅士・湯川豊。

対談(複数名)[編集]

  • 対談集『古典それから現代』構想社、1978
  • 対談集『言葉あるいは日本語』構想社、1979
  • 対談集『冗談そして閑談』青土社、1983
  • 対談集『日本語そして言葉』集英社、1984
  • 対談集『文学ときどき酒』集英社、1985、中公文庫、2011
  • 対談集『世紀末そして忠臣蔵』立風書房、1987
  • 対談集『歓談そして空論』立風書房、1991
  • 対談集『大いに盛りあがる』立風書房、1997
  • 対談集『おっとりと論じよう』文藝春秋、2005

山崎正和との対談[編集]

  • 『雑談 歴史と人物』中央公論社、1976
  • 『鼎談書評』 山崎正和木村尚三郎と、文藝春秋、1979
  • 『鼎談書評-三人で本を読む』 山崎・木村と 文藝春秋、1985
  • 『鼎談書評-固い本やわらかい本』 山崎・木村と 文藝春秋、1986
  • 『日本の町』文藝春秋、1987 のち文庫
  • 『見わたせば柳さくら』中央公論社、1988 のち文庫
  • 『半日の客 一夜の友』文藝春秋、1995 のち文庫
  • 『二十世紀を読む』中央公論社、1996 のち文庫
  • 『日本史を読む』中央公論社、1998 のち文庫
  • 『日本語の21世紀のために』文春新書、2002

ジャーナリズム大批判シリーズ[編集]

  • 『丸谷才一と16人の東京ジャーナリズム大批判』青土社、1989
  • 『丸谷才一と16人の世紀末ジャーナリズム大批判』青土社、1990
  • 『丸谷才一と17人の90年代ジャーナリズム大批判』青土社、1993
  • 『丸谷才一と17人のちかごろジャーナリズム大批判』青土社、1994
  • 『丸谷才一と21人のもうすぐ21世紀ジャーナリズム大合評』都市出版、1998
  • 『丸谷才一と22人の千年紀ジャーナリズム大合評』都市出版、2001

共著・編著ほか[編集]

  • 『深夜の散歩』福永武彦中村真一郎共著、早川書房、1963 のち講談社文庫、ハヤカワ文庫
  • 『歌仙』石川淳大岡信安東次男共著、青土社、1981
  • 編『ジェイムズ・ジョイス』早川書房、1974 新版1992
  • 編『四畳半襖の下張裁判・全記録』朝日新聞社、1976
  • 編『ポケットの本机の本』新潮社(楽しみと冒険) 1979
  • 編『作家の証言-四畳半襖の下張裁判』朝日選書、1979
  • 編『百人一首』河出書房新社、1979
  • 編『花柳小説名作選』集英社文庫、1980
  • 編『探偵たちよスパイたちよ』集英社、1981
  • 編『国語改革を批判する』中央公論社〈日本語の世界16〉、1983、中公文庫 1999
  • 『新著百選』伊東光晴共編、朝日新聞社、1983
  • 『男の風俗・男の酒』山口瞳共著、TBSブリタニカ、1984
  • 花のパロディ大全集 井上ひさし共編 (朝日文庫) 1984
  • 星のパロディ大全集 井上ひさし共編 (朝日文庫) 1984
  • 月のパロディ大全集 井上ひさし共編 (朝日文庫) 1984
  • 編『遊びなのか学問か』新潮社(エッセイ・おとなの時間) 1985
  • 対談『日本語で一番大事なもの』 大野晋共著、中央公論社、1987 のち文庫
  • 編『恋文から論文まで』福武書店(日本語で生きる3) 1987
  • 『浅酌歌仙』石川淳・大岡信・安東次男・杉本秀太郎、集英社、1988
  • 編『やまとことば』河出書房新社(ことば読本) 1989
  • 対談『光る源氏の物語』上・下、大野晋共著、中央公論社、1989 のち文庫
  • 『とくとく歌仙』井上ひさし、大岡信高橋治、文藝春秋、1991
  • 『近代日本の百冊を選ぶ』伊東光晴、大岡信、森毅、山崎正和選、講談社、1994
  • 対談ほか『丸谷才一 不思議な文学史を生きる』文藝春秋、1994、新井敏記編・インタビュー
  • 編『私の選んだ文庫ベスト3』 毎日新聞社、1995 のちハヤカワ文庫
  • 編『丸谷才一の日本語相談』 朝日文芸文庫、1995 のち朝日新聞社
  • 対談『女の小説』和田誠、光文社、1998 のち文庫
  • 編『本読みの達人が選んだ「この3冊」』 毎日新聞社、1998
  • 『千年紀のベスト100作品を選ぶ』三浦雅士鹿島茂 講談社、2001、光文社知恵の森文庫 2007
  • 『すばる歌仙』 大岡信、岡野弘彦、集英社、2005
  • 『文学全集を立ちあげる』 三浦雅士、鹿島茂、文藝春秋、2006、文春文庫 2010
  • 『歌仙の愉しみ』 大岡信、岡野弘彦、岩波新書、2008
  • 『文学のレッスン』 聞き手湯川豊 新潮社、2010、新潮文庫 2013
  • 『毎日新聞「今週の本棚」 20年名作選』全3巻、池澤夏樹共編、毎日新聞社、2012.5‐2012.11
  • 編『丸谷才一編・花柳小説傑作選』講談社文芸文庫、2013 

作家・作品論[編集]

  • 『群像日本の作家 25 丸谷才一』小学館、1997
  • ソーントン不破直子 『戸籍の謎と丸谷才一』春風社、2013 
  • 『追悼総特集 丸谷才一 古典と外文と作家・批評家』河出書房新社〈夢ムック〉、2014.2
  • 『書物の達人 丸谷才一』菅野昭正編 集英社新書、2014.6

訳書[編集]

参考文献[編集]

  • 『丸谷才一全集』第12巻、文藝春秋、2014年9月10日、「書誌・年譜(武藤康史編)」

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 小澤征爾だって高橋悠治だって、わたしが声を張り上げて『それは猫であるべくあまりに大きすぎるからライオンにちがひない』なんてことを教えてやつたのである」と丸谷は述べている[3]。なお丸谷と開高健井上光晴 は「文壇三大音声」と呼ばれていたという。
  2. ^ 高千穂高等学校は1973年に休校。1990年、正式に廃校となった。
  3. ^ 「わたしの二十代の末から十数年間の国学院時代――と名づけてゐるのですが、その国学院時代のわたしの生活にいちばん縁の深いのはこの三人(注・橋本一明菊池武一佐藤謙三)でした。この三人に、安東次男さんと中野孝次永川玲二とを加へれば、わたしのあのころの、学校教師としての生活が全部出て来る。」と丸谷は述べている[5]
  4. ^ 第22回群像新人文学賞における『風の歌を聴け』(1979年)の丸谷の選評。「とにかくなかなかの才筆で、殊に小説の流れがちっとも淀んでゐないところがすばらしい。二十九歳の青年がこれだけのものを書くとすれば、今の日本の文学趣味は大きく変化しかけてゐると思はれます。この新人の登場は一つの事件ですが、しかしそれが強い印象を与へるのは、彼の背後にある(と推定される)文学趣味の変革のせいでせう」[9]
  5. ^ 第81回芥川賞における『風の歌を聴け』の丸谷の選評。「もしもこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ」[10]
  6. ^ 第83回芥川賞における『1973年のピンボール』(1980年)の丸谷の選評。「村上春樹さんの中篇小説は、古風な誠実主義をからかひながら自分の青春の実感である喪失感や虚無感を示さうとしたものでせう。ずいぶん上手になつたと感心しましたが、大事な仕掛けであるピンボールがどうもうまくきいてゐない。双子の娘たちのあつかひ方にしても、もう一工夫してもらひたいと思ひました」[11]
  7. ^ 羊をめぐる冒険』(1982年)の丸谷の評。「現代日本人と、日本の持ってる土俗的なものとの関係をずいぶんよく書いているな、と思ってぼくは面白かった。そういう、現代日本にある土俗的なもの、古代的なものに対して、日本の若い知識人が持っている知的困惑、それをあのくらい丁寧に付き合って書いた小説はないんじゃないの。非常に面白いところをやっているとぼくは思います。知的冒険という性格の小説で、なかなかいいとぼくは思う。あれは一種の『古事記』だもの(笑)」[12]
  8. ^ 第21回谷崎潤一郎賞における『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)の丸谷の選評。「村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワーンダーランド』は、優雅な抒情的世界を長篇小説といふ形でほぼ破綻なく構築してゐるのが手柄である。われわれの小説がリアリズムから脱出しなければならないことは、多くの作家が感じてゐることだが、リアリズムばなれは得てしてデタラメになりがちだつた。しかし村上氏はリアリズムを捨てながら論理的に書く。独特の清新な風情はそこから生じるのである。この甘美な憂愁の底には、まことにふてぶてしい、現実に対する態度があるだらう」[13]

出典[編集]

  1. ^ 丸谷才一さん死去:深い教養とユーモア 「考える快楽」描き日本問う」 『毎日新聞』 2012年10月14日朝刊。
  2. ^ 他の二人は開高健井上光晴である(「昭和史における丸谷才一」菅野昭正編『書物の達人 丸谷才一』集英社新書 2014年pp.33-61)。
  3. ^ 丸谷才一「わたしの声について……」『男のポケット』新潮社、1976年4月。
  4. ^ 丸谷才一『低空飛行』新潮文庫、1980年5月、山口瞳の解説より。
  5. ^ 丸谷才一『低空飛行』新潮文庫、149頁。
  6. ^ 丸谷才一さん死去 作家・評論家・英文学者、87歳 朝日新聞 2012年10月13日閲覧
  7. ^ 「怪談・俳諧・墓誌」(『書物の達人 丸谷才一』]pp.97-124)。
  8. ^ a b 湯川豊「書評の意味ーー本の共同体を求めて」(菅野昭正編『書物の達人 丸谷才一』集英社新書 2014年pp.63-95)
  9. ^ 『丸谷才一全集』第12巻、文藝春秋、2014年9月10日、363頁。
  10. ^ 『丸谷才一全集』第12巻、前掲書、255頁。
  11. ^ 『丸谷才一全集』第12巻、前掲書、258頁。
  12. ^ 『丸谷才一批評集 第1巻 日本文学史の試み』文藝春秋、1996年5月、150頁。
  13. ^ 『丸谷才一全集』第12巻、前掲書、307頁。