有吉佐和子

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有吉 佐和子
(ありよし さわこ)
誕生 1931年1月20日
和歌山県和歌山市真砂丁
死没 1984年8月30日(満53歳没)
東京都杉並区
職業 小説家劇作家演出家
国籍 日本の旗 日本
教育 準学士
最終学歴 東京女子大学短期大学部英語科
活動期間 1954年 - 1984年
ジャンル 小説戯曲脚本
代表作 紀ノ川』(1959年)
華岡青洲の妻』(1967年)
恍惚の人』(1972年)
主な受賞歴 小説新潮賞(1963年)
女流文学賞(1967年)
文藝春秋読者賞(1968年)
芸術選奨(1970年)
日本文学大賞(1970年)
毎日芸術賞(1979年)
処女作 『落陽の賦(落陽)』
配偶者 神彰1962年 - 1964年
子供 有吉玉青
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有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本小説家劇作家演出家和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナ。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。娘はエッセイストの有吉玉青

経歴[編集]

長州藩有吉熊次郎は曽祖父にあたる。横浜正金銀行勤務の父の赴任に伴い、小学校時代を旧オランダ領東インドバタヴィアおよびスラバヤで過ごす。

1941年に帰国後、東京市立第四高女(現・都立竹台高校)から疎開先の和歌山高女(現・和歌山県立桐蔭高校)へ。その後、光塩高女を経て、府立第五高女(現・都立富士高校)卒業。東京女子大学英文学科に入学したが休学後1952年同短期大学部英語学科卒業。大蔵省外郭団体の職員を経て舞踊家吾妻徳穂の秘書となる。

大学在学中から演劇評論家を志望し、雑誌『演劇界』嘱託となる。同人誌『白痴群』、第15次『新思潮』に参加。1956年に『地唄』が文學界新人賞候補、ついで芥川賞候補となり一躍文壇デビューを果たした。初期には主として日本の古典芸能を題材とした短編が多いが1959年、自らの家系をモデルとした長編『紀ノ川』で小説家としての地位を確立した。

1962年神彰(興行師。有吉との離婚後、居酒屋チェーン「北の家族」経営者となる)と結婚。長女として有吉玉青をもうけるが神の事業の失敗により1964年離婚した。1970年代に入ると代表作となる『恍惚の人』や『複合汚染』が大きな反響を呼び、いわゆる「社会派」的イメージが定着した。その流れの中で、第10期中央教育審議会委員に任命されたほか、参院選全国区に出馬した市川房枝の応援や、「四畳半襖の下張」裁判の弁護側証人として東京地裁で証言するなどの社会的活動も行った。

またしばしば国内外へ取材旅行に出かけ1959年から1960年にかけてロックフェラー財団の奨学金を得てニューヨーク州サラ・ローレンス大学に9か月間留学、1970年 - 1971年にはハワイ大学で半年間「江戸後期の戯曲文学」を講義している。特に中国との縁が深く(後述)、1961年には亀井勝一郎らと国交回復前の中華人民共和国を訪問し、以後たびたび招待された。1965年には天主教(中国におけるカトリックを指す)調査のため半年滞在し[1]1978年には『有吉佐和子の中国レポート』執筆のため人民公社に入っている。

この他1968年には友人の文化人類学者畑中幸子が調査中だったニューギニア山中の村を訪れて『女二人のニューギニア』という爆笑エッセイを書いた。しかし、帰国後にマラリアに罹った。

1984年8月30日未明、急性心不全[2][3]のため東京都都杉並区内の自宅で死去。53歳の若さだった。死後、妙法寺東京都杉並区堀ノ内)に『有吉佐和子の碑』が建立され、命日の8月30日に『有吉忌』と題する追善法要が執り行われている[4]

主な作品[編集]

ストーリーテラーとしての才能と旺盛な好奇心をもち、多分野に亘る長期間の綿密な取材に基づいた作品を次々に発表して、同世代の女性を中心とする多くの読者を獲得した。主な作品をテーマ別に大きく分類すると以下の通りになる。

出発点である古典芸能や花柳界を扱った作品
『断弦』『香華』『連舞』『乱舞』『一の糸』『芝桜』『木瓜の花』
歴史に題材を取った作品
『助左衛門四代記』『華岡青洲の妻』『出雲の阿国』『真砂屋お峰』『和宮様御留』
特に激動の近代を生き抜いた女性の一生をたゆまず流れる川のイメージにオーバーラップさせる一連の「川もの」
『紀ノ川』『有田川』『日高川』『鬼怒川』
現代の社会矛盾に鋭い目を向けた作品
現代化にゆれる離島の生活を採り上げた『私は忘れない』や『海暗』、人種差別問題に深く切り込んだ『非色』などから、認知症老人とその介護を描いた『恍惚の人』、化学合成物質が人体へ与える悪影響に警鐘を鳴らした『複合汚染』を経て、『有吉佐和子の中国レポート』『日本の島々、昔と今。』のような後期ルポルタージュにつながる。
現代人の人間関係の機微をテーマにした作品
夫の死後に正妻、妾と小姑の三人が一つ屋根の下に暮らすことになって起こるドタバタを通して老いを見つめた『三婆』、不倫を楽しむ男性の破滅を描く『不信のとき』、社宅団地に住む「奥さま」たちの生活を喜劇的に描いた『夕陽カ丘三号館』、次々と人手に渡っていく青磁の壺の持ち主の人間模様をオムニバス形式で追う『青い壺』、27人の関係者へのインタビューという形式によって一女性の虚実を浮かび上がらせる『悪女について』、演劇界のどろどろした内情をミステリータッチに描いた『開幕ベルは華やかに』などがある。

演劇に造詣が深く、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』などいくつかの戯曲作品があり、また自作小説を中心に脚本化や舞台演出も数多く手がけた。ベストセラーが多いため、作品はしばしば映画化・ドラマ化されている。

文壇の評価と研究史[編集]

デビュー当初、マスコミからは曾野綾子とならぶ「才女」ともてはやされたが、芥川賞直木賞とも候補に終わった(「才女」には才能のある女の意味だけでなく、それ以前の女性作家のような人生経験に基づいた作品ではなく、頭だけで書いている、という揶揄も含まれていた[5])。『群像』編集長を務めた大久保房男は在任中有吉の作品を一度も掲載しなかった。また武田友寿千頭剛など一部を除き、同時代の批評家をはじめとする文壇からは敬遠されていた。本人の激しい気性も理由の一つであろうが、文学的にはその物語性の強さが私小説的純文学の気風に合わなかったことが早くから指摘されている。また、一見古風なテーマを好む伝統主義者のように見えるが、実際には伝統を外部から客観的に、時にはエキゾチシズムをもってながめる「外地育ち」「エトランゼ(異邦人)」の視線があるという評価も確立している。一方、歴史を題材とした作品(特に『華岡青洲の妻』『真砂屋お峰』)では史実と矛盾したところが多く見られるとして、歴史小説家からの評価は今なお厳しい。

こうした中、1984年、有吉の死去に際して、橋本治は有吉文学に通底するモチーフを「女性があっけらかんと生きるのって素敵じゃない?」、つまり筋を通して働くことで男性の束縛から自立した女性の自由と誇りの擁護であると喝破し、これまでの批評家に見られない新しい筆致で肯定的に論じた[6]

没後、半田美永宮内淳子をはじめ、学界の中で有吉を研究対象にする近代文学研究者が増えている。

没後20年を記念して2004年に出版された井上謙・半田美永・宮内淳子編『有吉佐和子の世界』は複数の文学研究者が集まり、ポストコロニアル批評などの新しいアプローチによって正面から有吉とその文学を追究した初めての単行本である。特に巻末の年譜と関連文献目録はこれまでで最も詳細である。

1994年と2005年に関川夏央は有吉を論じ、その生き急いだ感のある一生を「サーモスタットのない人生」と評した。関川は後期作品(『複合汚染』『悪女について』『開幕ベルは華やかに』)に構成の破綻が見られると指摘しているほか、紀行文『女二人のニューギニア』と『有吉佐和子の中国レポート』を対比して、前者の明るさ、おもしろさと後者の焦燥感との落差の原因を「老い」に求め、また彼女の非私小説的作風が畑中幸子を描いた前者と自分自身の奮闘を描いた後者のできばえの差にあらわれていると書いている。

これと関連して関川は、そもそも彼女には自分自身の内面を書く能力も意志もなく、自分と似た性格を持つ他の女性を外から観察して描くことにおいて卓抜さを発揮したのだと評している[7]が、有吉のこうした傾向は彼女の持つ「外地育ちの視線」と呼応している。「お嬢さま」「才女」「外地育ち」という彼女の位置は、いずれも対象を外部から分析的にとらえるアプローチに結びついており、精神の内省的な把握を重視する姿勢からは遠かった。しかし同時に、そうした「外部」からの視角をもったがゆえに、それまで「内部」では気付かれなかった斬新な論点を世に先駆けて提起することができたのである。

人物[編集]

長州人エリートを父方に、紀州の名家を母方にもつ「お嬢さま」で、幼い頃から病弱であり、学校は休みがちで、家で蔵書を乱読した。『孝経』の素読を受け、漢籍の素養があったことはあまり知られていない。理知的で頭の回転が速く、ものおじしない一方、喜怒哀楽と感情の起伏が激しかった。このような直情径行型の性格は、デビュー当時は「老人キラー」として肯定的に受け入れられていたが、中年期以降高名なベストセラー作家として丁重に扱われるようになると逆にマイナスに働き、ときに周囲との摩擦や衝突を引き起こした。また小説家として早くから成功したこと、その作風が文壇主流に認められなかったことから、心中には常にベストセラーを世に送ることで実績を誇示しつづけなければならないプレッシャーがあったと考えられる。

藪内流茶道をたしなみ、「青庵」の茶名をもっていた。和服を好み、外国訪問時には華やかな和装でしばしば周囲の注目を集めた。国交回復前の中国に日本の作家団として招待されたときにも、派手な服装の自粛をすすめられたにもかかわらず、華やかな着物で訪問して歓迎され、周恩来に「今日の私の着物の柄が牡丹(中国の国花)でなくて残念です」と言ったところ、周から「牡丹はあなた自身ですね」と返されている。しかしこうした日本文化への造詣は主として大学在学中に歌舞伎界への出入りを始めてからわずかの間に身につけたものである。

『三婆』『恍惚の人』をはじめ、「老い」をとりあげた作品が多いが、自らの「老化」を語るとき「以前は一度辞書を引けばすぐ覚えられた英単語を忘れるようになった」ことを挙げている。その聡明さがしのばれる。

なお、有吉の作品と人物を考える上で不可欠なのは母親秋津の存在である。代表作となった『紀ノ川』は秋津(文緒)と佐和子(華子)自身との関係を含む母方の家系をモデルとした小説であるが、執筆のきっかけとなったのはマスコミの寵児であった佐和子に秋津が言った「あなたが何を書いたというのか」のひとことであり、これを発表してすぐにアメリカへ留学したのも、マスコミから脱出して自分を見つめなおすためであった。また実生活でも、佐和子の離婚後から生まれたばかりの孫の養育のために同居した秋津は、その後佐和子の死まで実質的な秘書役を務め、作品の批評から資料の整理、常用薬の管理までを引き受けるなど、公私に亘ってその生活に大きな影響力をもっていた。[8]「四畳半襖の下張裁判」に触発され、「ポルノグラフィーを書く」と宣言して連載を始めた『油屋おこん』が実質的な中断に終わった理由のひとつは、主人公の年齢が娘と同年であったこととならんで、秋津の反対があったからだといわれている。

『笑っていいとも!』テレビジャック事件[編集]

活躍の裏では、長く不眠症に苦しみ長編を書き終わる毎に体力を消耗して入院し、特に中年期以降の健康状態は心身共に安定していなかった。なおテレビにはデビュー当初、NHKで放映された『私だけが知っている』にレギュラー出演していた事があるがそれ以降は執筆活動を優先して極力出演を避けていた。

死の約2か月前である1984年6月22日金曜日、「笑っていいとも!」の「テレホンショッキング」に前日6月21日の木曜日に俳優有島一郎から紹介され同番組に生涯唯一の出演を果たす。なお出演を承諾した理由の一つに「『テレフォンショッキング』に出ていないと娘(有吉玉青)に莫迦にされるから」だった[9]

その同番組の本番中に発生した「『笑っていいとも!』テレビジャック事件」は大きな話題となった[2]。しかし、前日彼女に番組出演を依頼した有島を初め、橋本治(有吉の紹介で翌週の月曜出演)[9]池田満寿夫[10]筒井康隆[11]らはいずれも「痛々しくて見ていられなかった」と評している。また同番組でタモリとのトーク中に彼女自身「不眠症が続いて毎日誘眠剤(睡眠薬)を服用しないと寝られないの」とも語っていた[2]。更にその後、有吉の訃報を伝えたマスコミは揃ってこの事件を彼女の奇行として大きく採り上げた。

爆笑問題の日曜サンデー』(2010年1月10日放送回)で佐和子の特集が組まれ娘の玉青がゲスト出演した。その際に玉青は、この「テレビジャック事件」は番組側から頼まれてやった演出であった事を明かした。「母は一生懸命で真面目な人だから頑張った。途中でお客さんからブーイングがあったみたいだけど母は頼まれた事だからとやり通した」と振り返りその時の佐和子の様子を「本当に可哀相だった」と述べている。また玉青は2013年に出版された『タモリ論』の中でこの出来事が取り上げられた際、事実誤認があると著者の樋口毅宏に抗議している。樋口は番組内での有吉を「みるからにイッちゃって」いたとし、その「暴走」ぶりに激高した明石家さんまがついには「死ねババア」とまで口走ったと記していたが、抗議を受けて映像を入手し検証したところ、番組内容が演出だったことの証拠となる箇所があり、また有吉は終始冷静かつ穏やかで、明石家さんまも「死ねババア」などという発言はしておらず、番組のエンディングにも登場した佐和子に対し「私きょう出てきてね、喋ったの『帰ってよ!』だけですよ。先生についていきます」と述べていた。[12]。樋口は「全部、長い歳月を経ての妄想、そして幻想だった」として佐和子、玉青、さんまに謝罪し、「『有吉いいとも!事件』はなかったのだと、伝説を打ち止めにしたい」と述べた[12]

交友関係[編集]

著名作家として交友関係は広かった。特に劇作家・演出家として水谷八重子 (初代)山田五十鈴草笛光子宮城まり子司葉子など演劇界・芸能界とは深い交流があった。また青年期の石原慎太郎は同世代作家(芥川賞候補(その後受賞)となったのが有吉より1期前)として有吉に親愛感を抱いており、有吉の死去に際して「若い頃一緒にナイトクラブに行ったとき口説こうと思ったが彼女がニンニクを食べた後だったので辟易してあきらめた」と書いている[10]秦野章はマージャン友達で、有吉は彼の著書[13]の帯に「彼は知恵の壺から出てきた男だ。かつて一度も間違ったことはない」という推薦文を寄せた。菅直人は市川房枝の若者応援団のリーダーとして『複合汚染』冒頭に登場しているが、有吉は菅が自分を市川の代わりとして勝手に候補者にかつぎあげようとも考えていたと聞いてゾッとし、「ハンサムだけど嫌われなければならない」と思いつめてことさらにガミガミ怒鳴りつけたと記している。阿川弘之とは古くから親交があり、二人を一巻にまとめて収録している文学全集が複数あるが、阿川自身は有吉の生前からエッセイでかなり手厳しい人物評を書いており、娘阿川佐和子の名を有吉からとったという風評をくりかえし否定している。

国外で関係の深かった中国では老舎や夏衍、謝冰心など作家の他、政府要人、特に廖承志と親しく、また唐家は1965年の有吉滞在時に通訳を務め、『有吉佐和子の中国レポート』では「唐少年」と呼ばれている。老舎の妻と娘は『人民日報』に有吉の追悼文を寄稿している[14]

受賞歴[編集]

  • 1957年 「石の庭」(テレビドラマ脚本)で第12回芸術祭テレビ部門奨励賞
  • 1958年 「ほむら」(新作義太夫の作詞)で第13回芸術祭文部大臣賞
  • 1963年 『香華』で第1回婦人公論読者賞、第10回小説新潮賞
  • 1964年 『香華』で第1回マドモアゼル読者賞
  • 1967年 『華岡青洲の妻』で第6回女流文学賞
  • 1967年 「赤猪子」(あかいこ、舞踊劇脚本)で芸術祭文部大臣賞
  • 1968年 『海暗』で第29回文藝春秋読者賞
  • 1968年 『出雲の阿国』で第6回婦人公論読者賞
  • 1970年 『出雲の阿国』で第20回芸術選奨文部大臣賞
  • 1970年 『出雲の阿国』で第2回日本文学大賞
  • 1979年 『和宮様御留』で第20回毎日芸術賞

作品・著書[編集]

  • 落陽の賦(1954年、処女作。1961年に「落陽」と改題)
  • 地唄(1956年。本来は長編『断弦』の一部)
  • 処女連祷 三笠書房 1957 のち集英社文庫
  • まつしろけのけ 文藝春秋社 1957
  • 断弦 大日本雄弁会講談社 1957 のち文春文庫
  • 花のいのち 小説・林芙美子 中央公論社 1958
  • ずいひつ 新制社 1958
  • 美っつい庵主さん 新潮社 1958 のち文庫
  • げいしゃわるつ・いたりあの 中央公論社 1959
  • 江口の里 中央公論社 1959 のち文庫
  • 紀ノ川 中央公論社 1959 のち文庫、角川文庫、新潮文庫
  • こぶとりじいさん 伊東万燿絵 講談社 1959 (講談社の絵本)
  • 私は忘れない 中央公論社 1960 のち新潮文庫
  • 祈祷 講談社 1960
  • 新女大学 中央公論社 1960
  • 有吉佐和子集 筑摩書房 1961 (新鋭文学叢書)
  • 三婆 新潮社 1961 のち文庫、「地唄・三婆」講談社文芸文庫
  • ほむら 講談社 1961
  • 女弟子 中央公論社 1961
  • 更紗夫人 集英社 1962 のち文庫
  • 閉店時間 講談社 1962
  • 雛の日記 文藝春秋新社 1962
  • 脚光 講談社 1962
  • 香華 中央公論社 1962 のち新潮文庫
  • 若草の歌 集英社 1963
  • 連舞 集英社 1963 のち文庫
  • 助左衛門四代記 文藝春秋新社 1963 のち新潮文庫
  • 有田川 講談社 1963 のち角川文庫
  • 仮縫 集英社 1963 のち文庫
  • つるの恩返し 講談社 1964 (講談社のマザー絵本)
  • 非色 中央公論社 1964 のち角川文庫
  • ぷえるとりこ日記 文藝春秋新社 1964 のち角川文庫、岩波文庫
  • 女館 講談社 1965
  • 一の糸 新潮社 1965 のち文庫
  • 日高川 文藝春秋新社 1966
  • ライオンのめがね 熊田千佳慕絵 講談社 1966 (講談社の絵本)
  • 乱舞 集英社 1967 のち文庫
  • 華岡青洲の妻 新潮社 1967 のち文庫
  • 地唄 新潮文庫 1967
  • 不信のとき 新潮社 1968 のち文庫
  • 海暗 文藝春秋 1968 のち新潮文庫
  • 新潮日本文学 有吉佐和子集 新潮社 1968
  • かみながひめ 秋野不矩絵 ポプラ社 1969 (むかしむかし絵本)
  • 女二人のニューギニア 朝日新聞社 1969 のち文庫
  • 出雲の阿国 中央公論社 1969-72 のち文庫
  • ふるあめりかに袖はぬらさじ 中央公論社 1970 のち文庫
  • 芝桜 新潮社 1970 のち文庫
  • 夕陽ヵ丘三号館 新潮社 1971 のち文春文庫
  • 針女 新潮社 1971 のち文庫
  • 恍惚の人 新潮社 1972 のち文庫
  • 日本の文学 阿川弘之・庄野潤三・有吉佐和子 中央公論社 1973
  • 孟姜女考 新潮社 1973
  • 木瓜の花 新潮社 1973 のち文庫
  • 真砂屋お峰 中央公論社 1974 のち文庫
  • 母子変容 講談社 1974 のち文庫
  • 複合汚染 新潮社 1975 のち文庫
  • 鬼怒川 新潮社 1975 のち文庫
  • 筑摩現代文学大系 芝木好子・有吉佐和子集 筑摩書房 1976
  • 青い壷 文藝春秋 1977 のち文庫
  • 複合汚染その後 潮出版社 1977
  • 和宮様御留 講談社 1978 のち文庫
  • 悪女について 新潮社 1978 のち文庫
  • 有吉佐和子の中国レポート 新潮社 1979 のち文庫
  • 日本の島々、昔と今 集英社 1981 のち文庫、中公文庫、岩波文庫
  • 開幕ベルは華やかに 新潮社 1982 のち文庫
  • 有吉佐和子と七人のスポーツマン エキサイティングなヒーローたちの語りは男のアンソロジー 潮出版社 1984

戯曲・脚本[編集]

  • 石の庭(1957年): テレビドラマ:1957年NHK大阪
  • ふるあめりかに袖はぬらさじ -亀遊の死(1970年)
  • 山彦ものがたり(1975年)

翻訳[編集]

  • ダニエル・ベリガン『ケイトンズヴィル事件の九人』(戯曲、エリザベス・ミラーと共訳、1972年)
  • ブノワット・グルー『最後の植民地』(カトリーヌ・カドゥと共訳、1979年)

選集[編集]

  • 有吉佐和子選集(全13巻、新潮社、1970-71年)
  • 有吉佐和子選集第二期(全13巻、新潮社、1977-78年)

外国語訳[編集]

  • 暗流(海暗)梅韬譯 香港 七十年代雜誌社 1974
  • 有吉佐和子小说选 文洁若 叶渭渠译 北京 人民文学出版社 1977
  • 恍愡的人 秀豐 渭慧譯 香港 朝陽出版社 1978
  • The Doctor’s Wife(華岡青洲の妻)広中和歌子、Ann Siller Kostant訳、講談社インターナショナル、1978
  • The River Ki(紀ノ川)Mildred Tahara訳、講談社インターナショナル、1980
  • The Twilight Years(恍惚の人)Mildred Tahara訳、講談社インターナショナル 1984
  • The Kabuki Dancer(出雲の阿国)James R. Brandon訳 講談社インターナショナル 1994

映画化・テレビドラマ化リスト[編集]

注:初出発表年順

処女連祷(1957年)
テレビドラマ:1958年日本テレビ系
美っつい庵主さん(うっついあんじゅさん)(1957年)
映画:1958年日活「美しい庵主さん」
更紗夫人(1958年)
テレビドラマ:1967年NHK
紀ノ川(1959年)
映画:1966年松竹「紀ノ川 ─花の巻・文緒の巻」
テレビドラマ:1964年NHK
私は忘れない(1959年)
映画:1960年松竹
新女大学(1959年)
映画:1960年東宝「新・女大学」
香華(1961-62年)
映画:1964年松竹
テレビドラマ:1965年NET系、1969年フジテレビ系
三婆(さんばば)(1961年)
テレビドラマ:1961年TBS系、1974年NET系、1978年TBS系、1985年フジテレビ系、1989年TBS系、1991年-93年テレビ東京系
閉店時間(1961年)
映画:1962年大映
助左衛門四代記(1962年)
テレビドラマ:1968年TBS系
仮縫(1963年)
映画:1969年東宝「華麗なる闘い」
テレビドラマ:1977年NHK
一の糸(1964-65年)
テレビドラマ:1969年NHK
日高川(1965年)
テレビドラマ:詳細不明
乱舞(みだれまい)(1966-67年)
テレビドラマ:1969年フジテレビ系
華岡青洲の妻(1966年)
映画:1967年大映 監督:増村保造 脚本:新藤兼人
テレビドラマ:1967年NET系、1973年TBS系、2005年NHK「木曜時代劇
出雲の阿国(1967-69年)
テレビドラマ:1973年NET系、1980年日本テレビ系、2006年NHK「出雲の阿国」
不信のとき(1967年)
映画:1968年大映
テレビドラマ:1968年TBS系、1978年フジテレビ系、1984年フジテレビ系、2006年フジテレビ系『不信のとき〜ウーマン・ウォーズ〜
海暗(うみくら)(1967年)
芝桜(1969-70年)
テレビドラマ:1970年フジテレビ系
針女(しんみょう)(1969-70年)
テレビドラマ:1972年NHK
夕陽カ丘三号館(1970年)
テレビドラマ:詳細不明
恍惚の人(1972年)
映画:1973年東宝
テレビドラマ:2006年日本テレビ系
木瓜の花(ぼけのはな)(1972-73年)
テレビドラマ:1983年日本テレビ系
母子変容(1973年)
テレビドラマ:1989年フジテレビ系
和宮様御留(かずのみやさまおとめ)(1977-78年)
テレビドラマ:1981年フジテレビ系、1991年テレビ朝日系
悪女について(1978年)
テレビドラマ:1978年テレビ朝日系、2012年TBS系
開幕ベルは華やかに(1982年)
テレビドラマ:1983年テレビ朝日系、2002年テレビ東京系

脚注[編集]

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  1. ^ 中国天主教--1965年の調査より
  2. ^ a b c 樋口毅宏、「「笑っていいとも!」と有吉佐和子、三十年目の真実」『新潮45』2014年1月号、新潮社、2014年1月18日閲覧。
  3. ^ 山田風太郎(『人間臨終図巻I』徳間書店、初版1986年、1996年再版、P304)と関川夏央(「サーモスタットのない人生」角川ソフィア文庫版、P36)は死因について疑問を呈している。主治医の村嶋英世(現、医療法人ファミリー会村島医院院長)は取材に応じて病死としている
  4. ^ 妙法寺の碑 (PDF) 広報すぎなみ(2004年8月21日号/No.1689) 7頁『散歩道』有吉玉青
  5. ^ . NHKラジオアーカイブス 元文芸誌編集長大村彦次郎談. http://www.nhk.or.jp/r2bunka/ 
  6. ^ 橋本は同年『母子変容』講談社文庫版解説で初めて有吉作品を評し、最晩年の有吉はこの書評に感激して橋本と対談したが、公表された対談はこれが最後となった(「人生、見せ場づくり」『潮』1984年11月)。村上春樹との生前最後の対談は公表されていない。
  7. ^ 内面描写排除という評価自体は早くから(例えば進藤純孝「郷愁と脱皮の間〈有吉佐和子〉 『紀ノ川』をめぐって」『De Luxeわれらの文学15 阿川弘之・有吉佐和子』解説、講談社、1969年。宮内淳子『作家の自伝109 有吉佐和子』解説、2000年)あるが、それが能力の問題だと断定した論者は関川が初めてである。しかし『作家の自伝109 有吉佐和子』所収の初期随筆には生い立ちについて自己の内面的な観察を語る部分が見られる。一方後期の随筆には「理解は誤解だ」という評論家日沼倫太郎のことばがたびたび引用されており、内面的理解を言語化することへの懐疑がかいまみえる。
  8. ^ 玉青を含む3人の関係については丸川賀世子『有吉佐和子とわたし』に詳しい描写がある。
  9. ^ a b 「誰が彼女を殺したか」
  10. ^ a b 「有吉佐和子ちょっといい話」『文藝春秋』1984年11月号。
  11. ^ 『笑犬樓よりの眺望』新潮文庫、1996年7月。
  12. ^ a b 樋口毅宏「笑っていいとも!」と有吉佐和子、三十年目の真実(新潮45)
  13. ^ 秦野章『何が権力か。 マスコミはリンチもする』(講談社、1984年7月)ISBN 4062013762
  14. ^ 胡絜青、舒乙《有吉佐和子,你走得太早(有吉佐和子、あなたは逝くのが早すぎた)『人民日報』1984年10月9日。

参考文献[編集]

  • 千頭剛『有吉佐和子 『家』に生きる人々を書く作家』(汐文社、1975年1月)
  • 『面白半分7月臨時増刊号 全特集有吉佐和子』(1976年6月)
  • 橋本治「誰が彼女を殺したか」(初出『月刊カドカワ』1984年11月号)『恋愛論』(講談社文庫、1986年)所収 ISBN 4061837907
  • 有吉玉青『身がわり 母・有吉佐和子との日日(にちにち)』(初出1989年。新潮社文庫、1992年3月)ISBN 4101132704
  • 丸川賀世子『有吉佐和子とわたし』(文藝春秋、1993年7月) ISBN 4163477802
  • 宮内淳子・橋本治寄稿『有吉佐和子 新潮日本文学アルバム71』(新潮社、1995年5月) ISBN 4106206757
  • 関川夏央「サーモスタットのない人生」荒俣宏編『知識人99人の死に方』(初出1994年。角川ソフィア文庫、2000年10月)所収 ISBN 404169034X
  • 佐伯彰一・松本健一監修、有吉佐和子著、宮内淳子編『作家の自伝109 有吉佐和子』(日本図書センター、2000年11月)ISBN 4820595555
  • 井上謙・半田美永・宮内淳子編『有吉佐和子の世界』(翰林書房、2004年10月) ISBN 4877371931
  • 関川夏央「有吉佐和子的人生」(初出2005-06年)『女流 林芙美子と有吉佐和子』(集英社、2006年9月)所収 ISBN 4087748189

外部リンク[編集]