直木三十五賞

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直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)は、無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞である。通称は直木賞

かつては芥川賞と同じく無名・新人作家に対する賞であったが、現在では中堅作家が主な対象とされていて、ベテランが受賞することも多い[1]

沿革[編集]

文藝春秋社社長の菊池寛が友人の直木三十五を記念して1935年芥川龍之介賞(芥川賞)とともに創設し、以降年2回発表される。

授賞する作品は選考委員の合議によって決定され、受賞作は『オール讀物』に掲載される。第6回から、財団法人日本文学振興会により運営されている。第二次世界大戦中の1945年から一時中断したが、1949年に復活した。

2014年現在の選考委員は、浅田次郎阿刀田高伊集院静北方謙三桐野夏生高村薫林真理子東野圭吾宮城谷昌光宮部みゆき渡辺淳一の11名(2013年下半期以降)。選考会は、料亭・新喜楽の2階で行われる(芥川賞選考会は1階)。受賞者の記者会見と、その一ヵ月後の授賞式はともに東京會舘で行われる。

受賞者には正賞として懐中時計、副賞として100万円が贈呈される。

傾向[編集]

発足当初の対象は新人による大衆小説であり、芥川賞とは密接不可分の関係にある。また、運営者である日本文学振興会の事務所が社内に置かれている文藝春秋から刊行、あるいは同社の雑誌に掲載された小説に対して多く授賞している傾向があり、文藝春秋とも事実上不可分の関係となっている。

創設時、選考の対象は「無名若しくは新進作家の大衆文芸」(直木賞規定)であったが、戦後になり回を重ねるごとに芥川賞と比べて若手新人が受賞しにくい傾向となった。これは1つには各回の選評にしばしばあるように大衆文学を対象とする賞の性質上、受賞後作家として一本立ちするだけの筆力があるかどうかを選考委員が重視したためであり、背景には「大衆小説は作品を売ることで作家として生計を立ててゆく必要がある」という考え方があったものと推測される。また創設時にはまだ新進のジャンルであった大衆文学の分野における実質唯一の新人賞であった直木賞が、戦後多くの出版社によって後発の大衆文学の賞が創設されていく中にあって、当該分野の中でもっとも長い歴史と権威を持つ、大衆文学の進むべき方向を明らかにする重要な賞として位置づけられるようになったこととも関係があるだろう。

現在ではこのような状態が長く続いたため選考基準に中堅作家という一項が新たに加えられ、実質的には既に一定のキャリアを持つ人気実力派作家のための賞という設定となり、直木賞が当初に持たされていた「文学界の有望新人を発掘する」という機能はおのずから他の新人賞に振られることとなった。結果としてすでに中堅・ベテランの著名作家として名を成している人物に対していわゆる「遅すぎたノミネート」「遅すぎた授賞」を行うケースが多く、さらに既に人気作家となっている者にあっては選考(候補)を辞退する事例も起きており[2]この点で文芸界・各種マスコミの内外で数多くの議論が巻き起こってきたことも事実である。

選考対象の「大衆小説」にまつわる問題としては、推理小説を主たる活動分野とする作家が受賞しにくい傾向がまず挙がる。同様に大衆小説内でも発展期以降の歴史が比較的浅いSFファンタジーなども選考段階では幾度か俎上に上げられてはいるが、実際の授賞事例は景山民夫遠い海から来たCOO』が唯一である。昭和末期に勃興したライトノベルのレーベルから刊行された作品の中にも広義にいえば若年層向けの大衆文学ともいえる要素を内含している作品が一部見られるが、日本文学振興会と密接な関係にある文藝春秋がこのジャンルに対するノウハウを持ち合わせていないためか、ほぼ目が向けられていないに等しい(ライトノベル出身の受賞作家としては桜庭一樹がいるが、受賞作は一般文芸誌に掲載された作品であった)。この様に現在でも空想性が極端に高い推理・SF・ファンタジー等のジャンルに対する評価が総じて低いのも直木賞選考の特徴である。古くより選考委員の席の大半を過去の本賞受賞者が占めていることもあってか、毎回行われる選評での高評価も伝奇小説時代小説歴史小説・人情小説などといった多くの受賞者が属する従来型の大衆文学に属する作品に偏りがちで、新規に開拓された後発ジャンルや選考委員たちが専門知識を持たないか興味の薄いジャンルに対してはジャンルそのものへの理解が乏しい、言い換えれば守旧的な選考を行う傾向が根強い一面がある。この様な風潮によって受賞を逃した作家には小松左京星新一筒井康隆万城目学などがおり、中でも不利とされるSFを専門範囲とし三度にわたり落選の憂き目を見た筒井は、後に『別冊文藝春秋』において、直木賞をもじった「直廾賞」の選考委員たちが皆殺しにされるという、直木賞選考を批判的に風刺した小説「大いなる助走」を発表している。


最年少・最年長受賞記録[編集]

最年少受賞記録
順位 受賞者名 受賞時期 受賞時の年齢
1 堤千代 1940年上半期(第11回)
22歳10ヶ月
2 朝井リョウ 2012年下半期(第148回)
23歳07ヶ月
3 平岩弓枝 1959年上半期(第41回)
27歳04ヶ月
4 山田詠美 1987年上半期(第97回)
28歳05ヶ月
5 三浦しをん 2006年上半期(第135回)
29歳09ヶ月
最年長受賞記録
順位 受賞者名 受賞年 受賞時の年齢
1 星川清司 1989年下半期(第102回)0
68歳02ヶ月
2 古川薫 1990年下半期(第104回)0
65歳07ヶ月
3 佐藤得二 1963年上半期(第49回)0
64歳05ヶ月
4 赤瀬川隼 1995年上半期(第113回)0
63歳08ヶ月
5 なかにし礼 1999年下半期(第122回)0
61歳04ヶ月

受賞作一覧[編集]

第1 - 10回[編集]

  • 第1回(1935年上半期) - 川口松太郎「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」「明治一代女」
  • 第2回(1935年下半期) - 鷲尾雨工『吉野朝太平記』他
  • 第3回(1936年上半期) - 海音寺潮五郎「天正女合戦」「武道傳來記」
  • 第4回(1936年下半期) - 木々高太郎『人生の阿呆』他
  • 第5回(1937年上半期) - 該当作品なし
  • 第6回(1937年下半期) - 井伏鱒二『ジョン萬次郎漂流記』他
  • 第7回(1938年上半期) - 橘外男「ナリン殿下への回想」
  • 第8回(1938年下半期) - 大池唯雄「兜首」「秋田口の兄弟」
  • 第9回(1939年上半期) - 該当作品なし
  • 第10回(1939年下半期) - 該当作品なし

第11 - 20回[編集]

  • 第11回(1940年上半期) - 堤千代「小指」他、河内仙介「軍事郵便」
  • 第12回(1940年下半期) - 村上元三「上総風土記」他
  • 第13回(1941年上半期) - 木村荘十「雲南守備兵」
  • 第14回(1941年下半期) - 該当作品なし
  • 第15回(1942年上半期) - 該当作品なし
  • 第16回(1942年下半期) - 田岡典夫「強情いちご」他、神崎武雄「寛容」他
  • 第17回(1943年上半期) - 山本周五郎「日本婦道記」(受賞辞退)
  • 第18回(1943年下半期) - 森荘已池「山畠」「蛾と笹舟」
  • 第19回(1944年上半期) - 岡田誠三「ニューギニヤ山岳戦」
  • 第20回(1944年下半期) - 該当作品なし

第21 - 30回[編集]

第31 - 40回[編集]

第41 - 50回[編集]

第51 - 60回[編集]

第61 - 70回[編集]

  • 第61回(1969年上半期) - 佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』
  • 第62回(1969年下半期) - 該当作品なし
  • 第63回(1970年上半期) - 結城昌治「軍旗はためく下に」、渡辺淳一「光と影」
  • 第64回(1970年下半期) - 豊田穣『長良川』
  • 第65回(1971年上半期) - 該当作品なし
  • 第66回(1971年下半期) - 該当作品なし
  • 第67回(1972年上半期) - 綱淵謙錠『斬』、井上ひさし「手鎖心中」
  • 第68回(1972年下半期) - 該当作品なし
  • 第69回(1973年上半期) - 長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」、藤沢周平「暗殺の年輪」
  • 第70回(1973年下半期) - 該当作品なし

第71 - 80回[編集]

第81 - 90回[編集]

第91 - 100回[編集]

第101 - 110回[編集]

第111 - 120回[編集]

第121 - 130回[編集]

第131 - 140回[編集]

第141 - 150回[編集]

テレビ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第97回の白石一郎はデビュー32年目、第142回の佐々木譲は30年目、第122回のなかにし礼は(小説に限定しても)29年目、第89回の胡桃沢耕史は28年目、第148回の安部龍太郎は25年目の受賞である。
  2. ^ asahi.com (2008年7月8日). “伊坂幸太郎さん、直木賞選考対象から辞退”. 2011年2月11日閲覧。

外部リンク[編集]