中村彰彦
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中村 彰彦(なかむら あきひこ、1949年6月23日 - )は、小説家。直木賞受賞。栃木県栃木市出身。本名「加藤 保栄」。主に、歴史小説・時代小説を中心に執筆している。
[編集] スタイル
自身ではいずれのジャンルに属するかを拘泥しないが、飽くなき史実第一主義者で、従来の順逆史観(官製史観)排除の姿勢を採る。その点で司馬遼太郎らの大御所歴史小説家や、池波正太郎、藤沢周平らの時代小説家とも一線を画す。「私には歴史の主役として名を残した人々よりも静かに舞台を去っていった者たちを書きたがるという傾向があるようだ」と語るように、過去の先達に疑義を挟み、教科書や世間一般に知られた偉人ではなく、埋もれた逸材に焦点を当てた紀実小説家ともいえる。文体は硬調で随所に漢語的、古語表現が見られる。季節感を重視し、年号を陽暦換算する。憂国忌代表世話人、会津史学会会員。
「私は史料が完璧に揃っている人物にはあまり興味を感じない。そのような人物を描くのであれば、別に小説というスタイルを採ることはない。史伝を書けばいいのだ」(「明治新選組」あとがき)というが、師を綱淵謙錠と仰ぎ、海音寺潮五郎からの系譜に繋がる。会津史研究を生涯のテーマに「紙碑」を次々と打ち立てる。
特に、『徳川幕閣として4代将軍家綱を支え、パックス・トクガワーナ(徳川の平和)の礎を築いた会津藩祖保科正之の屈指の名君ぶりを世に知らしめた功績は大きい。日本史の伝記シリーズとして定評があり、「菊池寛賞」を受けた吉川弘文館の人物叢書でさえ保科正之は扱っていない。会津藩は勤皇順逆史観において否定されるべき「悪役」であり、薩摩の重野安繹や肥前の久米邦武らの西南雄藩出身者が作った維新の修史事業(国史の編纂事業)から意図的に排除された。政治がポピュリズム(大衆迎合主義)の様相を呈する現在、リーダーシップと責任感の問題を考えるためにも、保科正之のような知足の人から受ける感動は小さくない。』(中村彰彦著「名君の碑」山内昌之東大大学院教授の解説より)東北大時代には馬術部に所属、これが「夏目伊織の門人」となるきっかけとなり、その博識が発揮される。「酒は栄川、漆器は会津塗、好物はニシンの山椒漬と会津身知らず柿」という会津通。
[編集] 経歴
東北大学文学部在学中に『風船ガムの海』で第34回文學界新人賞佳作入選。 大学卒業後の1973年から1991年まで文藝春秋に編集者として勤務し、鉄道作家宮脇俊三の紀行のいくつかに同行、歴史検証の才能を見出され、のち作家に転じた。 「週刊文春」「諸君!」「オール讀物」「別冊文藝春秋」の各編集部および文藝出版部次長を歴任。 1987年、『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年には『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を受賞する。
[編集] 著書
- 『明治を駆けぬけた女たち』
- 『明治新選組』
- 『鬼官兵衛烈風録』
- 『遊撃隊始末』
- 『その名は町野主水』
- 『五左衛門坂の敵討』
- 『松平容保は朝敵にあらず』
- 『二つの山河』
- 『竜馬伝説を追え』
- 『闘将伝小説立見鑑三郎』
- 『修理さま雪は』
- 『名君保科正之』
- 『名君の碑』
- 『侍たちの海』
- 『柳生最後の日』
- 『脱藩大名の戊辰戦争』
- 『いつの日か還る』
- 『加賀百万石の智恵』
- 『ルービックキューブ自由自在』(共著)
- 『新選組全史幕末・京都編』
- 『新選組全史戊辰・箱館編』
- 『幕末を読み直す』
- 『知恵伊豆に聞け』
- 『新選組紀行』
- 『恋形見』
- 『烈士と呼ばれた男』
- 『捜魂記』
- 『江戸の機構改革』(共著)
- 『落花は枝に還らずとも』
- 『山川家の兄弟』
- 『天保暴れ奉行』
- 『東に名臣あり』


