山口瞳

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文学
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山口 瞳(やまぐち ひとみ、本名同じ、1926年(大正15年)11月3日1995年(平成7年)8月30日)は、日本男性作家エッセイスト作家映画評論家山口正介は息子。

目次

[編集] 生涯

東京市麻布区に生まれ育つ。父親はアイディアマンの実業家。母親は横須賀柏木田遊郭の経営者の娘で(ただし、その事実は、終生子供には隠していた)、美人で社交的で粋な女性。非常に雰囲気が明るく、交友関係も広く、派手な家庭であった。長唄三味線家元の杵屋勝東治、その息子である、後の若山富三郎勝新太郎も出入りしていた。

父親の事業が一時失敗し、落魄して川崎の尻手付近に「都落ち」したこともあり、山口の中ではその赤貧時代が原風景としていつまでも残り、派手好きでありながら、一方で非常に謹直であるという複雑な性格の元となった。家族の間では「冷血動物」とあだ名されたという。

小学校時代は、野球に熱中し、同級生に元東急フライヤーズ投手黒尾重明がいた。旧制麻布中学を経て旧制第一早稲田高等学院を中退。

兵役の後、1946年鎌倉アカデミアに入学し、在学中から同人誌に作品を発表。なお、鎌倉アカデミア時代には、歌人吉野秀雄に師事した。

小出版社・国土社に入社して編集者となる。だが、正式の大学を出ていないことに対するコンプレックスを指摘されたことと、また、師事していた高橋義孝から「正式な大学を出れば、もっと大きな出版社に紹介してあげる」と言われたことから、國學院大學文学部に入り直し、1954年に卒業。河出書房の「知性」編集部に勤務していたが、1957年3月に同社が倒産。同誌の続刊を図る編集長の小石原昭に従って新設の知性社に移るも、同誌は2号で廃刊となったため再び失職。

1958年開高健の推薦で壽屋(現・サントリー)に入社。PR雑誌「洋酒天国」の編集や、コピーライターとして活躍する。ハワイ旅行が当たる懸賞コピートリスを飲んでHawaiiへ行こう!」が代表作。

婦人画報」に連載した『江分利満氏の優雅な生活』で、1963年に第48回直木賞を受賞、同作品は映画化もされた。受賞後しばらくは二足の草鞋を履いたが、「週刊新潮」の伝説的編集者斉藤十一からコラムの連載依頼を受けたことから、文筆業に専念するためにサントリーを退社。

代表作は、「週刊新潮」に1963年から31年間、延べ1614回、死去まで一度も穴を開けることなく連載を続けたコラム・日記の『男性自身』シリーズ、自らの両親の生い立ちを題材とした『血族』(第27回菊池寛賞受賞)、『家族』など。競馬将棋、野球に造詣が深く、全国の地方競馬場を踏破した『草競馬流浪記』、プロ棋士と駒落ちで対戦した記録『山口瞳血涙十番勝負』、プロ野球から草野球まで、野球に関するエッセイをまとめた『草野球必勝法』などの著書もある。

糖尿病を患っていたが、克服。晩年は小説の執筆をやめ、『男性自身』に集中して仕事をしていた。死の直前は肺癌が急速に悪化。本人には告知されず、家族がホスピスへ移すことを相談している最中に突然、状態が急変し、死去。死が急であったため、結果的に、『男性自身』は「アナ空き」がないことになった。

[編集] エピソード

将棋とのかかわり

将棋には幼少の頃から熱心に打ち込み、専業作家になってからも、原田泰夫の弟子である山口英夫を自宅に呼んで稽古をつけてもらっていた。また、将棋棋士たちの世界のことが一般に知られていないことに義憤をいだき、「将棋界の宣伝マン」と自ら名乗った。「将棋界は大天才の集団」と唱え、著書や観戦記などで、個性的な将棋棋士たちを紹介した。

また、対局で出会ったプロ棋士山田道美と飛車落ちの新定跡「瞳流位取り戦法」を研究・創案。これを用いて「血涙十番勝負」では、飛車落ちで、当時のトッププロであった米長邦雄、原田泰夫に勝利し、山田道美と引き分け、3勝6敗1分けという結果を残した。だが、アマチュアの段位を貰うことは頑なに拒んだ。

しかし、その「血涙十番勝負」の企画で、蛸島彰子初段(当時)と平手対局するにあたり、将棋連盟の強い要望によりアマ四段の免状を受けている。これは、万が一プロの二段(当時、女流棋界は発足する前で、蛸島は奨励会の初段としてプロを目指していた)が無段の人間に負けては示しがつかない、というのが理由である。

また「子供の頃からの夢」であった、名人戦第1局の観戦記執筆もかなえた。

だが、晩年には、山口英夫や将棋連盟の渉外担当を務めていた芹澤博文との間にトラブルが起きたことや、将棋界の保守的な体質に対して不信感を抱いた事もあり、将棋界との交流を絶った。

ただし、1987年に創設された、将棋を愛する作家、ジャーナリスト、観戦記者たちの団体「将棋ペンクラブ」には参加し、「将棋ペンクラブ大賞」の選考委員も、死去するまでつとめた。

礼儀作法

サラリーマン向けの礼儀作法についての作品も多く、『礼儀作法入門』はロングセラーとなっている。サントリーの新聞広告での新成人や新社会人へのメッセージは、毎年成人の日4月1日の恒例となっていた。

向田邦子

晩年の向田邦子の、最も近くにいた作家の一人。その随筆や短編小説に惚れ込み、第83回直木賞では向田を強く推薦して受賞に至らしめた。仕事の上での交友関係も続いたが、向田の突然の事故死には大きなショックを受け、「アル中寸前」にまで陥ったという。こうした向田とのエピソードの多くは、『男性自身 木槿の花』に収められている。

なお、山口は向田の死後、「向田邦子は八方美人的なところがあり、誰もが『自分が一番愛されている』と思わせる天才だった。それゆえ嘘つきだった」と評した。競馬を介して交流があった色川武大が死去した際も、同趣旨の追悼文を書いた。

国立にて

かねがね「山手線の外側には住まない」と発言していたが、サントリー退社当時、息子の山口正介が東京郊外の国立市の中学校に通っていたことから、国立に居を移し、気に入って終生の棲家とした。国立に移住する際、師と仰いだ高橋義孝の紹介による若手女性建築家に自宅の設計をまかせたところ、「コンクリート打ちっぱなし、家の真ん中にある半地下の部屋が食堂」という、非常にモダンで実験的な家ができあがった。山口自身は、和風な家が好みであったが、高橋との義理のため、このうちに我慢して住んだ。大雨の際に地下の食堂が浸水したり、晩年の足が不自由になった際でも、食堂にいくため一々階段を下りなければならない等、「実験的な家」は住むには不自由な家であった。『男性自身』でも度々地元・国立のことに触れていて、なかでも谷保天満宮(やぼてんまんぐう)はお気に入りの場所だった。谷保天満宮では、伊丹十三宮本信子の結婚式が行われ、山口夫妻はその立会人を務めた。気さくな人柄で谷保駅前の焼き鳥屋に夜毎顔を出し、地元の人々との交流を大切にしていた。『居酒屋兆治』はそんな経緯から生まれた作品である。また、やはり近所に住む彫刻家関保寿ドストエフスキーに容貌が似ていることから、作中では「ドスト氏」と表現)とは特に気が合い、一緒に数多く旅行をした。旅行先では、地方競馬に興じたり、油絵を描くなどして、楽しんだ。

妻とは鎌倉アカデミア時代に知り合った。彼女が現在でいうパニック障害(当時はノイローゼと診断)であったため、電車に乗れず、共に外出する際は、いつもタクシーを用いた。妻と幼い息子を連れて、銀座バーにでかけたこともあるという。

平和主義者

筋金入りの反戦主義者であり、「人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったということで充分ではないか」「もし、こういう(非武装の)国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに価しないと考える」など、強固な信念に基づく見解を『男性自身』などで述べている。

[編集] 著作

[編集] 男性自身シリーズ(新潮社)

  • 1 男性自身(1965)
  • 2 ポケットの穴 (1966)
  • 3 旧友再会 (1967)
  • 4 父のステッキ (1968)
  • 5 壁に耳あり (1969)
  • 6 少年達よ、未来は (1970) 
  • 7 天下の美女 (1971)
  • 8 変奇館日常 (1972)
  • 9 変奇館の春 (1973)
  • 10 隠居志願 (1974)
  • 11 銀婚式決算報告 (1975)
  • 12 元日の客 (1976)
  • 13 巨人ファン善人説 (1977)
  • 14 人生仮免許 (1978)
  • 15 展覧会の絵 (1980)
  • 16 卑怯者の弁 (1981)
  • 17 木槿の花 (1982)
  • 18 禁酒時代 (1983)
  • 19 余計なお世話 (1984)
  • 20 私本歳時記 (1985)
  • 21 私の根本思想 (1986) 
  • 22 梔子の花 (1987)
  • 23 還暦老人ボケ日記 (1989)
  • 24 還暦老人憂愁日記 (1989)
  • 25 還暦老人極楽蜻蛉 (1991)
  • 26 年金老人奮戦日記 (1994)
  • 27 江分利満氏の優雅なサヨナラ (1995)

[編集] 小説

  • 江分利満氏の優雅な生活
  • けっぱり先生
  • 愛ってなに?
  • 人殺し

他多数

[編集] 参考資料

  • ぼくの父はこうして死んだ 男性自身外伝(山口正介)新潮社 1996
  • この人生に乾杯!山口瞳と三十人 TBSブリタニカ 1996
  • 親子三人(山口正介) 新潮社 1997
  • 変奇館の主人山口瞳評伝・書誌(中野朗) 響文社 1999
  • 山口瞳(Kawade夢ムック)江分利満氏の研究読本 河出書房新社 2003
  • 瞳さんと(山口治子著・中島茂信聞き書き) 小学館 2007
  • 山口瞳の行きつけの店(山口正介)ランダムハウス講談社 2007
  • 国立の先生山口瞳を読もう(常盤新平、中野朗) 柏艪舎 2007

[編集] 外部リンク

  • 江分利満氏に乾杯-上記評伝著者のファンサイト。ファンクラブ「山口瞳の会」の案内もあり。
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