新選組
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新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代後期の幕末期に、主として京都において、反幕府勢力弾圧・警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った軍事組織である。新撰組と表記された資料も多い。局長の近藤勇自身、「選」「撰」の両方の字を用いている。
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[編集] 概要
幕末に設置された京都守護職である会津藩主、松平容保の配下に置かれた。会津藩には武士身分で構成される正規治安部隊、京都見廻組(組長=佐々木只三郎)があり、農民・商人身分で構成される新撰組(組長=近藤勇)は、会津藩の京都における非正規治安部隊(後年は近藤らは幕臣になり正式な治安部隊になる)である。新撰組はいわば“佐幕派の人斬り集団”(本当は捕縛することが目的なのだが、逃げようとしたり、斬りかかって来る不逞浪士があまりにも多かったため)であり、池田屋事件などで京都に潜伏する過激派尊王攘夷論者や不逞浪士の取り締まりにあたった。その一方で、近藤らは新撰組内部で凄惨な権力闘争を行い、敵対勢力を容赦なく殺害した。内規に反した等として粛清された者は相当数にのぼり、一説には勤皇志士との斬りあいで死亡した者より、粛清で落命した者の方が多いともいう。
新撰組は、武士になることを宿願としており、目的達成のために武士に匹敵する活躍をしたため、特に現代の若者たちから幕末日本を象徴する存在とみなされ、根強い人気を誇る。新撰組組員の墓参りをする女性ファンも多く、坂本龍馬ら勤皇の志士と共に“日本史のアイドル的存在”となっているが、明治政府がかれらと敵対する勤皇派志士たちによって設立された経緯もあり、近年まで史学的にもほとんど注目されることがなく、現在における人気は子母沢寛や司馬遼太郎らによる新選組をテーマにした数々の小説やTVドラマ・映画等の影響が大きい。
隊の規律維持のために厳しい局中法度を定め違反者に対し粛清を行ったことや、「誠」の一字の隊旗や袖口に山形の模様を染め抜いた独特の羽織でも知られる。
[編集] 歴史
[編集] 結成
文久2年(1862年)、江戸幕府は将軍・徳川家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を募集した。庄内藩の郷士・清河八郎の建策を幕府が受け入れてのものだった。
翌年文久3年(1863年)2月27日、集まった200名余りの浪士達は将軍上洛に先がけ、浪士組として一団を成し、中山道を西上する。浪士取締役には、松平主税之介、鵜殿鳩翁、窪田鎮克、山岡鉄舟、中条金之助、佐々木只三郎らが任じられた。京に到着後、清河が勤王勢力と通じ、浪士組を天皇配下の兵力にしようとする画策が露見する。浪士取締役の協議の結果、清河の計画を阻止するために浪士組は江戸に戻ることとなった。これに対し近藤勇、土方歳三を中心とする試衛館派と、芹沢鴨を中心とする水戸派は、あくまでも将軍警護の為の京都残留を主張した。
鵜殿鳩翁は、浪士組の殿内義雄と家里次郎に残留者を募るよう指示。これに応えて試衛館派、水戸派、殿内以下、根岸友山一派などが京の壬生村に残ったが、根岸派は直後に脱退、殿内・家里は排斥され、同年3月、新選組の前身である「壬生浪士組」(「精忠浪士組」とも)が結成される。その目的は公武合体に基づく攘夷断行の実現に助力することであった。
壬生村の八木邸や前川邸などを屯所とし、第一次の隊士募集を行う。その結果36人余の集団となった壬生浪士組は、京都守護職・松平容保より、主に尊攘激派(勤王倒幕)浪士達による不逞行為の取り締まりと市中警護を任された。
同年8月に起きた八月十八日の政変に出動し、壬生浪士組はその働きを評価される。そして、新たな隊名を拝命する。ここに「新選組」が誕生した。なお、隊名は武家伝奏(当時は野宮定功と飛鳥井雅典)から賜ったという説と、会津藩主・松平容保から賜ったという二つの説がある。
[編集] 発展
文久3年9月、近藤・土方ら試衛館派は、芹沢ら水戸派を粛清して隊を掌握し、近藤を頂点とする組織を整備する。元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件では尊王攘夷派の蜂起の計画を未然に防ぎ、また、禁門の変でも戦った。
池田屋・禁門の変の働きで朝廷・幕府・会津藩より感状と200両余りの褒賞金を下賜されると、元治元年9月に第二次の隊士募集を行い、更に近藤が江戸へ帰郷した際に伊東甲子太郎らの一派を入隊させる。新選組は200人を超す集団へと成長し、隊士を収容するために壬生屯所から西本願寺(京都市下京区)へ本拠を移転する。慶応3年(1867年)夏頃には幕臣に取り立てられる。
慶応3年3月、伊東らの一派は思想の違いなどから御陵衛士を拝命して隊から分派するが、同年11月、新選組によって粛清される。
[編集] 解散
慶応3年11月に徳川慶喜が大政奉還を行った。旧幕府軍と共に鳥羽・伏見の戦いに参戦するも、新政府軍に敗北。その後、榎本武揚が率いる幕府所有の軍艦で江戸へと移動した。
新選組は幕府から、新政府軍の甲府進軍を阻止する任務を与えられ甲陽鎮撫隊へと名を改め出撃するも敗戦。甲州勝沼の戦いの後、江戸に戻ったが、方針の相違から永倉新八、原田左之助らは分離して靖兵隊を結成した。近藤勇、土方歳三らは再起をかけ、流山へ移動するも、近藤勇が新政府軍に捕われ処刑され、沖田総司も持病であった肺結核の悪化により江戸にて死亡した。
新選組は宇都宮城の戦い、会津戦争などに参戦するが、会津では斎藤一等が離隊する。その後蝦夷共和国の成立を目指す榎本武揚らに合流し、二股口の戦い等で活躍する。新政府軍が箱館に進軍しており、弁天台場で新政府軍と戦っていた新選組を助けようと土方歳三ら数名が助けに向かうが土方歳三が銃弾に当たり死亡し、食料や水も尽きてきたので新選組は降伏した。旧幕府軍は箱館の五稜郭において新政府軍に降伏した。(箱館戦争)
詳細は戊辰戦争を参照。
[編集] 年表
[編集] 文久3年
- 2月8日 浪士組が江戸を出発、2月23日に京都へ到着
- 3月12日 会津藩お預かりになり、壬生浪士組と名乗る
- 3月25日 殿内義雄刺殺
- 6月3日 大坂の力士と乱闘
- 8月12日 大和屋焼き打ち
- 8月18日 八月十八日の政変
- 9月13日 新見錦切腹(異説あり)
- 9月18日 芹沢鴨、平山五郎が内部抗争で粛清され、平間重助脱出(異説あり)
- 9月25日 壬生浪士組が新選組に名を改める
- 9月26日 御倉伊勢武、荒木田左馬之助、楠小十郎、長州藩の間者として粛清
- 12月27日 野口健司切腹
[編集] 元治元年
- 元治元年5月20日 内山彦次郎刺殺
- 元治元年6月5日 池田屋事件 安藤早太郎、新田革左衛門ら負傷し1ヵ月後死亡、奥沢栄助戦死
- 元治元年6月10日 明保野亭事件
- 元治元年7月19日 禁門の変
- 元治元年8月頃 近藤勇の態度に遺憾を感じた永倉新八、原田左之助、斎藤一、島田魁、尾関政一郎らが会津・松平容保に非行五ヶ条を提出。
- 元治元年10月27日 伊東甲子太郎ら新選組に入隊
[編集] 慶応元年
[編集] 慶応2年
[編集] 慶応3年
- 慶応3年3月20日 伊東甲子太郎、藤堂平助ら13人離隊
- 慶応3年6月10日 幕臣取り立てが決まる
- 慶応3年6月15日 不動堂村へ屯所を移す
- 慶応3年6月22日 武田観柳斎刺殺
- 慶応3年11月18日 油小路事件 伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内有之助、服部武雄ら刺殺
- 慶応3年12月7日 天満屋事件
- 慶応3年12月18日 近藤勇が狙撃され負傷
[編集] 慶応4年
- 慶応4年1月3日 鳥羽・伏見の戦い 隊士2名が戦死
- 慶応4年1月5日 淀千両松の戦い 井上源三郎ら14名戦死
- 慶応4年1月6日 橋本の戦い 隊士4名が戦死
- 慶応4年1月10日 新選組、軍艦富士山丸と順動丸で江戸に向かう 途中山崎烝死亡(異説あり)
- 慶応4年3月6日 甲州勝沼の戦い 隊士2名が戦死
- 慶応4年3月12日 永倉新八、原田左之助ら靖兵隊となり離隊
- 慶応4年3月13日 五兵衛新田(現在の東京都足立区綾瀬4丁目)の金子家を中心に屯所を設営して滞在(4月1日まで)
- 慶応4年4月2日 下総流山に陣を敷く
- 慶応4年4月3日 近藤勇、新政府軍に投降する
- 慶応4年4月12日 土方歳三、旧幕府軍に加わる
- 慶応4年4月19日 宇都宮城の戦い
- 慶応4年4月25日 近藤勇、板橋で斬首
- 慶応4年閏4月25日 白河口の戦い
- 慶応4年5月17日 原田左之助死亡(異説あり)
- 慶応4年5月30日 沖田総司、肺結核により死亡
- 慶応4年8月21日 母成峠の戦い
- 慶応4年8月24日 山口二郎、池田七三郎ら13人会津に残留
- 明治元年10月26日 旧幕府軍、箱館・五稜郭へ入城する
[編集] 明治2年
- 明治2年4月13日 第一次二股口の戦い
- 明治2年4月24日 第二次二股口の戦い
- 明治2年5月5日 市村鉄之助箱館脱出
- 明治2年5月11日 一本木関門付近で土方歳三戦死
- 明治2年5月14日 相馬主計新選組局長就任 弁天台場の新選組、降伏する
- 明治2年5月18日 旧幕府軍降伏 戊辰戦争終結
[編集] 実像
[編集] 局中法度・内部粛清
局中法度(局中法度書)は「軍中法度」と並び新選組の規律維持のために定められたとされている。成立は会津藩預となった浪士組時代に近藤ら試衛館派から芹沢ら水戸派に提示されたと考えられている。
法として機能し始めたのは「新選組」と名を改め近藤・土方を中心とする組織が整ってからで、伊東甲子太郎ら一派の粛清の際にも適用されたといわれる。第一条「士道ニ背キ間敷事」など抽象的な内容で、解釈は局長や副長の一存に委ねられるものであった。鳥羽伏見の戦い以前に、新選組隊内において粛清された隊士は初代局長芹沢鴨や新見錦らを含めて41名である。
子母沢寛の著書『新撰組始末記』で紹介されて以来、有名となり、以下の5ヶ条として知られるが、同時代史料にはこれを全て記録した物は現在までのところ発見されていない。しかし、明治になってから永倉新八が残した回想録には、法度「禁令」という物があり ここには「私ノ闘争ヲ不許」を欠く4ヵ条が示されている。そのため、局中法度とは、この禁令に、別に定められていた「軍中法度」を混ぜて子母沢が創作したものと推測されている。また、天然理心流入門の際に誓約させられる神文帳との類似性も指摘されている。
一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
一、私ノ闘争ヲ不許
右条々相背候者切腹申付ベク候也
[編集] 治安維持
後述する数々の創作物の影響もあり、幕末、京都の治安維持の主力を担っていたのは新選組であるとの認識も一般には強いが、実際は重要な御所近辺は会津直轄隊の精鋭2000人、その周りは幕臣で構成される見廻組500人が固めていた。新選組はというと200人で伏見(当時は京都とは別の町であった)などを担当していた。
もっとも京都見廻組などが律儀に管轄を守っていたのに対し、新撰組は浪士の逃亡などを理由に管轄破りをすることも少なくなかったといわれる。
[編集] 装備
[編集] 羽織
袖口に山形の模様(ダンダラ模様)を白く染め抜いた浅葱色(薄い水色)の羽織を着用していたとされ、映画などでは隊士はほとんどこの姿で表される。羽織のダンダラは忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りするときに着ていた羽織の柄で、浅葱色は武士が切腹の時に着る切腹裃の色だと伝えられているが、羽織は実際には最初の1年ほどで廃止されたらしく、池田屋事件の時に着用していたとする証言が最後の記録である。
作ったのは大文字屋呉服店(現在の大丸)。一説では、大文字屋では無く「呉服問屋・菱屋」と言う話もある。また、誠の文字を染め抜いた隊旗は高島屋で作ったと言われている。
[編集] 隊旗
赤地に白字で「誠」を染め抜き、隊服と同じようにダンダラが入っていたとする隊旗が一般的。「誠」という字が旗が揺れたときに、近藤の実家「試衛館」の「試」に見えるからという理由も隠されているらしい。近藤派の存在を大きくしたかった土方の野望だとも言われる。
他にも隊旗があり全部で6種類あるとされている。また、その隊旗が現れたとき、敵は恐怖で凍りついたと言われる。この旗は現在の高島屋にあたる古着・木綿商によって特注で製作されたものである。
[編集] 組織
新選組は局長を頂点に副長が補佐し、以下に副長助勤・監察方(諜報)・勘定方(会計)などを配置した。副長助勤は組長として平隊士を統率した。各組は一番から十番まであり、各組の人員は十人前後。また、組長の下に伍長を置いた。なお、新選組の組織編制は、職務の複数制を原則とする江戸時代の各組織と違い一人制であり洋式軍制などの影響が指摘されている。
隊士達は日常的には武術の稽古や京都市内の見回りや潜伏している浪士の探索などを行った。剣術集団である新選組は、中心となる近藤ら試衛館の天然理心流に加えて神道無念流、北辰一刀流などさまざまな剣術流派に加え、槍術や柔術などを学んだ隊士もおり、実戦本意の集団戦法の集団であった。
結成当時には財政難であったと推測されるが、京都守護職配下時代は、隊の運営資金を会津藩からの御用金で賄っていた。また、一部は豪商などから提出させた。その後、幕府配下になると、各隊士は幕府から給料を得た。諸々の事件への出動により報償金が下されることもあった。
以下に構成員。新選組の隊名を用いる以前(壬生浪士組)の時期を含む。
[編集] 歴代局長
[編集] 会津新選組隊長
[編集] 箱館新選組隊長
[編集] 歴代副長
[編集] 総長
[編集] 参謀
[編集] 組長・組頭
- 一番隊組長:沖田総司
- 二番隊組長:永倉新八
- 三番隊組長:斎藤一
- 四番隊組長:松原忠司
- 五番隊組長:武田観柳斎
- 六番隊組長:井上源三郎
- 七番隊組長:谷三十郎
- 八番隊組長:藤堂平助
- 九番隊組長:鈴木三樹三郎
- 十番隊組長:原田左之助
~1864年編成時組頭
[編集] 諸士取調役兼監察方/浪士調役
- 山崎蒸
- 島田魁
- 川島勝司
- 林信太郎
- 浅野薫(藤太郎)
- 篠原泰之進
- 新井忠雄
- 服部武雄
- 芦屋昇
- 吉村貫一郎
- 尾形俊太郎
- 大石鍬次郎
- 安富才助
- 岸島芳太郎
- 安藤勇次郎
- 茨木司
- 村上清
- 谷周平(近藤周平)
- 川村隼人
- 近藤隼雄
[編集] 勘定方
[編集] 会計方
[編集] 伍長
- 奥沢栄助
- 島田魁
- 川島勝司
- 林信太郎
- 葛山武八郎
- 前野五郎
- 阿部十郎
- 山武八郎
- 伊東鉄五郎
- 近藤芳助
- 粂部正親
- 加納鷲雄
- 中西昇
- 小原幸造
- 富山弥兵衛
- 中村小三郎
- 池田小太郎
- 橋本皆助
- 茨木司
- 尾関政一郎
- 志村武蔵
[編集] 初期副長助勤
[編集] 国事探偵方
[編集] 文武師範
- 撃剣師範 沖田総司
- 撃剣師範 池田小三郎
- 撃剣師範 田中寅蔵
- 撃剣師範 新井忠雄
- 撃剣師範 吉村貫一郎
- 撃剣師範 斎藤一
- 柔術師範 篠原泰之進
- 柔術師範 柳田三二郎
- 柔術師範 松原忠司
- 槍術師範 谷三十郎
- 槍術師範 谷万太郎
- 馬術師範 安富才助
- 砲術師範 清原清
- 砲術師範 阿部十郎
- 文学師範 武田観柳斎
- 文学師範 斯波雄蔵
- 文学師範 尾形俊太郎
- 文学師範 毛内有之助
[編集] 平隊士/同志
下記以外の隊士はを参照。
- 蟻通七五三之進
- 佐々木蔵之助
- 馬詰柳太郎
- 馬詰信十郎
- 濱口鬼一
- 中村金吾
- 土方対馬
- 森六郎
- 山野八十八
- 蟻通勘吾
- 宿院良蔵
- 馬越大太郎
- 馬越三郎
- 松崎静馬
- 篠塚峯蔵
- 藤本彦之助
- 伊藤与八郎
- 柳田三二郎
- 上田金吾
- 和田隼人
- 中村久馬
- 菅野六郎
- 三品仲治
- 伊木八郎
- 木内峰太
- 松本喜次郎
- 竹内元太郎(石川武雄)
- 新田革左衛門
- 松山幾之助
- 塚本善之助
- 室宅之助
- 和田重郎
- 牧野源七郎
- 小川一作
- 佐野七五三之助
- 中西昇
- 柴田彦三郎
- 木下弥三郎
- 木下巌
- 沼尻小文吾
- 上坂甲太郎
- 宮川数馬
- 水口市松
- 金子次郎作
- 三浦啓之助
- 輪堂貞造
- 池田七三郎
- 富川十郎
- 中村五郎
- 中島登
- 加藤羆
- 施山多喜人
- 田村銀之助
- 三好胖
- 菊池央
- 桜井数馬
- 松本捨助
- 井上泰助
- 大谷良輔
- 漢一郎
- 市村辰之助
- 鷲崎連
- 高梁雄之進
- 加賀爪勝之進
- 広瀬時宏
- 伊藤源助
- 木村広太
- 柏尾一郎
- 日下部遠江
- 日下部四郎
- 岩崎一郎(南一郎)
- 上田馬之助
[編集] 美男五人衆
[編集] 自称新選組隊士・関係者など
[編集] 壬生浪士組同士
[編集] 箱館新選組
- 箱館新選組隊長相馬主計
- 陸軍奉行並土方歳三
- 陸軍奉行並添役大野右仲
- 改役頭取森常吉
- 頭取改役島田魁
- 頭取改役角ヶ谷糺
- 改役下役会計頭取青地源太郎
- 会計方山崎八蔵
- 土方附属市村鉄之助
- 土方附属野村利三郎
一分隊
一分隊平隊士
二分隊
二分隊平隊士
三分隊
三分隊平隊士
- 秋山義三郎
- 岩崎勝二郎
- 大河内太郎
- 神戸四郎
- 木下勝蔵
- 木村忠二郎
- 佐々木一
- 佐藤房太郎
- 高橋恭輔
- 田村一郎
- 千葉栄
- 坪田忠蔵
- 鶴岡鎌四郎
- 寺井主税
- 寺嶋繁三
- 福与男也
- 前田岩太郎
- 真崎宅太郎
- 枡沢騰馬
四分隊
四分隊平隊士
所属隊不明
[編集] 医師
幕府西洋医学所頭取の医師である松本良順は近藤勇の招きで隊士の診察を行い、戊辰戦争でも軍医を務めた。 なお、松本良順は新選組に豚を飼うようすすめ、西本願寺駐屯時に神戸から子豚を持ち込み養豚させ(餌は残飯)、豚肉を隊士に食べさせていた。解体は木屋町の医者南部精一の弟子に頼んでいたという。
[編集] 新選組を題材にした作品
新選組を主題としたもののみを掲げる。幕末を扱った作品には敵役などで登場する事が多い。薩長中心の明治新政府が成立すると、太平洋戦争の戦前までは皇国史観の元、勤皇志士の敵である新選組は悪役として扱われる事が多かった。昭和初期に子母沢寛が新選組3部作を発表すると認識が広まり、戦後の価値観の転換で新選組が主役に扱われる事も多くなり、各隊士にもスポットが当てられ創作がされるようになった。また、その余波により、時代設定を変えて、新選組の枠組や有名隊士らをモチーフにした創作も数々生まれた。
[編集] 小説
- 新撰組始末記、新撰組遺聞、新撰組物語 子母沢寛著
- 『燃えよ剣』 司馬遼太郎著 - 長編
- 『新選組血風録』 司馬遼太郎著 - 短編集
- 「壬生狂言の夜」『果心居士の幻術』 司馬遼太郎著 - 短編
- 『幕末新撰組、近藤勇白書』 池波正太郎著
- 『壬生義士伝』 浅田次郎著
- 『女たちの新撰組~花期花会』 江宮隆之著、河出書房新社
- 近藤勇、歳三 往きてまた、新撰組 藤堂平助、総司 炎の如く 秋山香乃著
- 『黒龍の柩』 北方謙三著
- 『沖田総司、土方歳三、沖田総司拾遺』 大内美予子著
- 『紅の肖像―土方歳三』 遊馬 佑著
- 『あさぎ色の風』 藤堂夏央著
- 『激録新撰組』(上・中・下・別巻 全4巻) 原康史著、東京スポーツ新聞社
- 『総司残英抄』 戸部新十郎著、徳間文庫
- 『新撰組が行く』 童門冬二著、集英社文庫
- 『ウエスタン武芸帳』 菊地秀行著、朝日ソノラマ - 沖田総司が西部開拓期アメリカで活躍する。
- 『新選組風雲録』(洛中篇・激闘篇・落日篇・戊辰篇・函館篇) 広瀬仁紀著、文春文庫
- 『バラガキ 土方歳三青春譜』 中場利一著、講談社文庫
- 『地虫鳴く』 木内昇著、河出書房新社
- 『いつの日か還る 新選組伍長島田魁伝』 中村彰彦著、文春文庫
- 『新選組秘帖』 中村彰彦著、文春文庫
[編集] テレビドラマ
- 風雲新選組・近藤勇(1961年 主演:嵐寛寿郎(近藤勇))
- 新撰組始末記(1961年 主演:中村竹弥(近藤勇))
- 新撰組血風録(1965年 - 66年 全26話 監督:河野寿一ほか 主演:栗塚旭(土方歳三)、舟橋元 (近藤勇)、島田順司 (沖田総司))
- 燃えよ剣(1970年 全26話 監督:河野寿一ほか 主演:栗塚旭(土方歳三))
- 新撰組(1973年 主演:栗塚旭(土方歳三))
- 新撰組始末記(1977年 出演:平幹二朗(近藤勇)、古谷一行(土方歳三)、草刈正雄(沖田総司))
- 沖田総司 華麗なる暗殺者(1982年 主演:郷ひろみ(沖田総司))
- 壬生の恋歌(1983年 出演:三田村邦彦)
- 京都マル秘指令 ザ新選組(1984年 現代の京都を舞台に隊士になぞった人物達が活躍するアクションドラマ)
- 燃えて散る 炎の剣士 沖田総司(1984年 主演:田原俊彦(沖田総司))
- 新撰組(1987年 出演:松方弘樹(近藤勇)、竹脇無我(土方歳三)、東山紀之(沖田総司))
- 燃えよ剣(1990年 主演:役所広司(土方歳三))
- 新撰組 池田屋の血闘(1992年 出演:里見浩太朗、野村宏伸、地井武男)
- 新撰組血風録(1998年 主演:渡哲也(近藤勇))
- 壬生義士伝~新撰組でいちばん強かった男~(2002年 全四部 監督:松原信吾、長尾啓司 主演:渡辺謙(吉村貫一郎) (テレビ東京の新春ワイド時代劇)
- 新選組!(2004年NHK大河ドラマ 脚本:三谷幸喜 主演:香取慎吾(近藤勇))
- 新選組!! 土方歳三 最期の一日(2006年NHK正月時代劇 脚本:三谷幸喜 主演:山本耕史(土方歳三)
- 輪違屋糸里(2007年 原作:浅田次郎 主演:上戸彩(糸里)
新撰組列伝
[編集] 映画
- 『新撰組 第一部京洛風雲の巻、第二部池田屋騒動、第三部魔剣乱舞』(1952年)萩原遼監督、月形龍之介(近藤勇)
- 『新選組鬼隊長』(1954年)河野寿一監督、片岡千恵蔵(近藤勇)、原健策(土方歳三)、中村錦之助(沖田総司)
- 『新選組』(1958年)佐々木康監督、片岡千恵蔵(近藤勇)、山形勲(土方歳三)
- 『壮烈新選組 幕末の動乱』(1960年)佐々木康監督、片岡千恵蔵(近藤勇)、黒川弥太郎(土方歳三)、若山富三郎(沖田総司)
- 『風雲新撰組』(1961年)毛利正樹監督、嵐寛寿郎(近藤勇)龍崎一郎(土方歳三)
- 『新選組血風録 近藤勇』(1963年)小沢茂弘監督、市川右太衛門(近藤勇)、加藤武(土方歳三)
- 『新選組始末記』(1963年、大映)三隅研次監督、市川雷蔵(山崎蒸)、若山富三郎(近藤勇)天知茂(土方歳三)
- 『幕末惨酷物語』(1964年)加藤泰監督、河原崎長一郎(沖田総司)、中村竹弥(近藤勇)、西村晃(土方歳三)
- 『土方歳三 燃えよ剣』(1966年)市村泰一監督、栗塚旭(土方歳三)、和崎俊哉(近藤勇)、内田良平(七里研之助)
- 『新撰組』(1969年)沢島忠監督、三船敏郎(近藤勇)小林桂樹(土方歳三)北大路欣也(沖田総司)
- 『沖田総司』(1974年)出目昌伸監督、草刈正雄(沖田総司)高橋幸治(土方歳三)米倉斉加年(近藤勇)
- 『幕末純情伝』(1991年)薬師寺光幸監督、牧瀬里穂(沖田総司 )
- 『御法度』(1999年)大島渚監督、ビートたけし(土方歳三)松田龍平(加納惣三郎)、武田真治(沖田総司)
- 『新撰組』(2000年、メディアボックス): 市川崑監督、中村敦夫(近藤勇)、中井貴一 (土方歳三)、原田龍二(沖田総司)
- 『壬生義士伝』(2003年)滝田洋二郎監督、中井貴一(吉村貫一郎)、佐藤浩市(斎藤一)
- 『矜持 ~KYOUJI~ Twilight File Ⅱ』(2006年)高瀬将嗣監督、加勢大周(沖田総司)