森繁久彌

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もりしげ ひさや
森繁久彌
本名 同じ(旧姓:菅沼)
別名 爺、爺や、モリシゲ、シゲさん
生年月日 1913年5月4日(96歳)
出生地 日本大阪府北河内郡枚方町蔵の谷
(現:枚方市
血液型 B型
職業 俳優作曲家作詞家アナウンサー
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1936年 - 2007年

森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - )は、日本俳優コメディアン。森繁事務所所属。「森繁久弥」とも表記される。身長171cm、体重78kg。大阪府枚方市蔵谷(ひらかたパーク付近に位置する)出身。

目次

[編集] 略歴

  • 旧制第二高校教員、日本銀行、大阪市庁(現・大阪市役所)、大阪電燈等の重役職を経て、後に実業家となった父・菅沼達吉(1858?-1915?)と、大きな海産物問屋の娘であった母・馬詰愛江との間に出来た3人兄弟の末っ子。江戸時代には江戸の大目付だった名門の出身だった。しかし、久彌が2歳の時、父が死去。母方の実家も、色々と子細、経緯等があって、7歳の時に母方の祖父の姓を継いで「馬詰」姓から「森繁」姓となった。長男・弘(1907-194?)は馬詰家を継ぎ、次男・俊哉(1910頃-1982)はそのまま菅沼家を継ぎ、3男・久彌は森繁家を継ぎ、名字も「森繁」となる。戸籍上の養父は南海電鉄の鉄道技師であった森繁平三郎。
  • 堂島尋常高等小学校、旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)、早稲田第一高等学院(現・早稲田大学高等学院)を経て、1934年に早稲田大学商学部へ進学。在学中は演劇部にて先輩部員の谷口千吉山本薩夫と共に活動。この頃に萬壽子夫人(当時、東京女子大学の学生)と知り合う。その後、山本らが左翼活動で大学を追われてからは部の中心的存在となり、アマチュア劇団に加わり、築地小劇場で『アンナ・クリスティ』を上演した。
  • 1936年、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。長兄の紹介で東京宝塚(現・東宝)新劇団へ入団。その後は、日本劇場の舞台進行係を振出しに、東宝新劇団、東宝劇団、緑波一座と劇団を渡り歩く。下積み時代は馬の足などしか役が付かなかった。日劇で藤山一郎ショーの舞台進行を務めた時、藤山に頼み込み通行人の警官役で舞台に立つも、全くウケなかったなどの辛酸を嘗めた。座長の古川ロッパに認められた緑派一座では、盟友となる山茶花究と出会う。1937年、退座。
  • 1939年、NHKアナウンサー試験に合格し満洲に渡る。満州電信電話の放送局に勤務。満洲映画協会の映画のナレーション等を手掛ける。甘粕正彦とも交流があった。満州巡業に来た5代目古今亭志ん生6代目三遊亭圓生らとも親交を結ぶ。この頃、新京の劇団に所属していた芦田伸介と知り合う。アナウンサーになったきっかけは、「徴兵制度を避ける為。海外へ赴任出来る当時としては数少ない仕事であったから」と、後の著書に記している。その一方で、川一本を隔てたソ連軍に対する謀略放送(見つかれば確実に生きて帰れないほどの接近をしたこともあったという)に行ったり、蘭花特別攻撃隊(B29に体当たり攻撃を行う航空隊(本土での「震天隊」に相当)の為の歌「空に咲く」の作詞も行っている。1945年、敗戦を新京で迎え、ソビエト連邦軍に連行されるなどして苦労の末、1946年11月に帰国。
  • 戦後も劇団を渡り歩く。1947年、衣笠貞之助監督の『女優』に端役で映画初出演。1949年、再建したばかりの新宿ムーラン・ルージュに入団。演技だけでは無く、アドリブのギャグを混ぜて歌も歌うなど、他のコメディアンとは一線を画す存在として次第に注目を集める。
  • 1950年、NHKがアメリカの『ビング・クロスビー・ショー』に倣った『愉快な仲間』を放送。メインの藤山一郎の相手役のコメディアンとして抜擢され、ムーラン・ルージュを退団。『愉快な仲間』は2人のコンビネーションが人気を呼び、3年近く続く人気番組となった。この放送がきっかけで映画や舞台に次々と声が掛かり、一躍人気タレントとなった。同年、新東宝『腰抜け二刀流』で映画初主演。1952年、源氏鶏太原作のサラリーマン喜劇(河村黎吉主演『三等重役』)に要領のよい人事課長役で助演。本作は好評を博し、後に河村が急逝したこともあって、森繁が社長役として主演の「社長」シリーズへと発展する。1953年からマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに三枚目の森の石松役で出演、シリーズ第8作の『海道一の暴れん坊』で無念の死を遂げるまで大活躍する。
  • 1955年、豊田四郎監督の『夫婦善哉』に淡島千景と共に主演。この映画での演技は、それまで数々の映画に出演して次第に確立していった森繁の名声を決定的なものにした。同年、久松静児監督の日活警察日記』で田舎の人情警官を演じ、これも代表作の一つとなる。これにより、単なるコメディアンから実力派俳優へと転進する。
  • 1959年の第10回NHK紅白歌合戦から1965年の第16回NHK紅白歌合戦まで、7年連続で歌手としてNHK紅白歌合戦に連続出場。このうち、第10回は森繁の歌のラジオの音声が現存し、第14回(1963年)と第16回は映像が現存する。第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で森繁の歌も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。第14回と第16回はNHK BS-2で再放映されている。
  • また、ラジオ、テレビでも盛んに活躍。その独特な話り口は「森繁節」として親しまれた。
  • 舞台では、900回にわたってユダヤ人・テヴィエ役を演じたミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」で広く知られた。
  • 1986年、早稲田大学の卒業式に記念講演の講師として招かれた際、大学から卒業証書を受け、正式に卒業を認められた。
  • 近年は年齢・体力的なこともあり、2004年正月放送『向田邦子の恋文』を最後に俳優活動を行っていない。1990年代以降、恒例であった芸能関係者の葬式での弔辞も、2004年1月の坂本朝一元NHK会長での弔辞を最後に行っていない。
  • 2007年2月23日、「最後の作品」と銘打った朗読DVD『霜夜狸(しもよだぬき)』が発売。1991年に舞台用に録音されながらも、お蔵入りになった作品を元に新たに編集したものである。現代社会への憂いを込めた「久弥の独り言」も収録されている(元々、森繁自身が録音する予定であったが、声が弱っていることから、親交の深い竹脇無我が代読したもの)。
  • 今も天気のいい日は散歩や観劇に出掛け、食欲も旺盛でフォアグラやステーキを平らげ、ホットブランデーを愛飲するという元気な日々を送っている(関係者談)。「体は思うように動かないが心は現役である」というコメントを発表した。

[編集] 人物

  • 久彌という名前は、父が大実業家・岩崎久彌と深い親交を持っていたことに由来する。
  • 幕末の奥儒者・成島柳北は大叔父にあたる。父・菅沼達吉は、大目付・森泰次郎の次男であり、菅沼家の養子となった。森泰次郎と成島柳北は、松本家の出身の兄弟であり(泰次郎が兄)、それぞれ、森家、成島家の養子となっている。
  • 向田邦子が本格的な放送作家となるきっかけを作った。
  • 『知床旅情』でシンガーソングライターとしてもデビューしている。
  • 『森繁自伝』で日本文芸家協会の推薦を受け会員となった。
  • 泉酒造の商品パッケージに使われている文字にも達筆ぶりが伺える。
  • 岐阜県海津市にある「水と緑の館」の名誉館長でもある。
  • 射撃を趣味にしていた時期があった。所有していた散弾銃は、独創的な機構を持つイタリア製の銘銃「コスミ」であったことが射撃界では知られている。芸能人・文化人の射撃好きで結成している『芸能文化人ガンクラブ』会長を長年務めている。
  • 老年に入ってからは、整えられた白い口髭と顎髭を蓄えている。
  • 記念すべき『徹子の部屋』第1回放送分のゲスト(1976年2月)である。放送中に突然、黒柳徹子の胸を触り(台本である可能性が高い)、ハプニングシーンとなった。この時の映像は、バラエティ番組で「徹子の部屋」第1回放送シーンが流れるたびに使われる。
  • 7代目立川談志は、『立川談志 日本の笑芸百選』(NHKBS-2)や自身の著書等で「日本最高の喜劇役者は森繁久彌」と絶賛している(ただしすべてを絶賛しているわけでは無い)。
  • 竹脇無我の父・竹脇昌作とはアナウンサー時代からの親友で、竹脇無我は森繁と自殺した自分の父の姿とがだぶることから、彼を「オヤジ」と呼び慕っている。
  • 森繁の成功の影響で、コメディアンの中から、ベテランになるにつれてシリアスな演技者となりたがる者が多発したため、小林信彦は著書『日本の喜劇人』でそのような傾向の人々を「森繁病」と呼んだ。なお、小林は同書で、森繁は元来シリアスな役者志望者であり、たまたまコメディアンとしての才能もあったため一時的にそのように注目されたのであって、そのため彼の「転身」を、他のコメディアンが単純に真似するのはおかしいとしている。

[編集] 受賞・受章歴

1991年、伝統芸能以外の俳優では初の文化勲章を受章している。

[編集] 役職

[編集] 映画

[編集] 東宝 社員・重役シリーズ

  • 1952年 三等重役、続三等重役(浦島人事課長)
  • 1953年 一等社員 三等重役兄弟篇(天栗太郎)
  • 1954年 坊ちゃん社員、続坊ちゃん社員(番太)
  • 1955年 森繁の新入社員、森繁のやりくり社員、森繁のデマカセ紳士
  • 1956年 森繁の新婚旅行、森繁よ何処へ行く
  • 1957年 森繁の僕は美容師
  • 1959年 新三等重役(沢村四郎・主演)
  • 1960年 新三等重役 旅と女と酒の巻、当るも八卦の巻、亭主教育の巻(沢村四郎・主演)
  • 1964年 裸の重役

[編集] 東宝 社長シリーズ(主演)

  • 1956年 へそくり社長、続へそくり社長(田代善之助)
  • 1956年 はりきり社長(大神田平八郎)
  • 1958年 社長三代記、続社長三代記(浅川啓太郎)
  • 1959年 社長太平記、続社長太平記(牧田庄太郎)
  • 1960年 サラリーマン忠臣蔵(大石良雄)
  • 1961年 続サラリーマン忠臣蔵(大石良雄)
  • 1961年 社長道中記、続社長道中記(三沢英之助)
  • 1962年 サラリーマン清水港、続サラリーマン清水港(山本長五郎)
  • 1962年 社長洋行記、続社長洋行記(本田英之助)
  • 1963年 社長漫遊記、続社長漫遊記(堂本平太郎)
  • 1963年 社長外遊記、続社長外遊記(風間圭之助)
  • 1964年 社長紳士録、続社長紳士録(小泉礼太郎)
  • 1965年 社長忍法帖、続社長忍法帖(岩戸久太郎)
  • 1966年 社長行状記、続社長行状記(栗原弥一郎)
  • 1967年 社長千一夜、続社長千一夜(庄司啓太郎)
  • 1968年 社長繁盛記、続社長繁盛記(高山圭太郎)
  • 1969年 社長えんま帖、続社長えんま帖(大高長太郎)
  • 1970年 社長学ABC、続社長学ABC(網野参太郎)

[編集] 東宝 駅前シリーズ 他(主演)

  • 1958年 喜劇 駅前旅館(生野次平)
  • 1961年 喜劇 駅前団地、喜劇 駅前弁当(柳田金太郎)
  • 1962年 喜劇 駅前温泉、喜劇 駅前飯店(柳田金太郎)
  • 1963年 喜劇 とんかつ一代(五井久作)
  • 1963年 喜劇 駅前茶釜(柳田金太郎)
  • 1964年 喜劇 駅前女将、喜劇 駅前怪談、喜劇 駅前音頭、喜劇 駅前天神(森田徳之助)
  • 1965年 喜劇 駅前医院、喜劇 駅前金融、喜劇 駅前大学(森田徳之助)
  • 1965年 喜劇 各駅停車
  • 1966年 喜劇 駅前弁天、喜劇 駅前漫画、喜劇 駅前番頭、喜劇 駅前競馬(森田徳之助)
  • 1966年 喜劇 仰げば尊し(浜口丈太郎)
  • 1967年 喜劇 駅前満貫、喜劇 駅前学園、喜劇 駅前探検、喜劇 駅前百年(森田徳之助)
  • 1968年 喜劇 駅前開運、喜劇 駅前火山、喜劇 駅前桟橋(森田徳之助)
  • 1973年 喜劇 黄綬褒章
  • 1976年 喜劇 百点満点(北上大三)
松竹
  • 1971年 喜劇 女は男のふるさとヨ、喜劇 女生きてます(金沢)
  • 1972年 喜劇 女売出します(金沢)

[編集] 次郎長シリーズ

東宝「次郎長三国志

  • 1953年 次郎長初旅、次郎長と石松、勢揃い清水港、殴込み甲州路、旅がらす次郎長一家(森の石松)
  • 1954年 初祝い清水港、海道一の暴れん坊(森の石松)

日活「次郎長遊侠伝」

  • 1955年 秋葉の火祭り、天城鴉

東宝「次郎長意外伝」

  • 1957年 灰神楽の三太郎、大暴れ三太郎笠(森の石松)

[編集] その他(主な出演)

[編集] アニメ(声の出演)

[編集] テレビドラマ

[編集] 日本テレビ放送網 年末時代劇スペシャル

[編集] 東京放送 水戸黄門

当初は光圀役を演じる予定だった。

  • 第5部 第24話「二人の御老公・佐賀」(前佐賀藩鍋島光茂
  • 第14部 第19話「悪を懲らした喧嘩友達・会津」(会津藩松平正容
  • 第15部 第12話「偽黄門様は喧嘩医者・小倉」(玄磧医師)
  • 第22部 第23話「悪計暴いた備前焼・岡山」(備前遊山)
  • 第23部 第22話「白いお髭の意地比べ・萩」(前長州藩毛利綱広
  • 1000回記念3時間スペシャル(紀伊國屋文左衛門

[編集] その他(主な出演)

NHK

TBS

関西テレビ

テレビ朝日

テレビ東京

[編集] CM

[編集] ラジオ他


[編集] 舞台

  • 1967年~1986年 ミュージカル 屋根の上のヴァイオリン弾き(テビィエ)
  • 佐渡島他吉の生涯
  • 暖簾
  • 孤愁の岸
  • 狐狸狐狸ばなし
  • 台所太平記
  • 赤ひげ診療譚

[編集] 作詞・作曲

1970年 知床旅情

[編集] 関連項目

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