阪東妻三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ばんどう つまさぶろう
阪東 妻三郎
阪東 妻三郎
本名 田村 傳吉
別名 岡山 俊太郎
生年月日 1901年12月14日
没年月日 1953年7月7日(満51歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府南豊島郡角筈村
死没地 日本の旗 日本 京都府京都市
職業 俳優
ジャンル 映画、とくに剣戟映画
活動期間 1918年 - 1953年
配偶者 伏見直子
家族 田村高廣 長男
田村俊磨 次男
田村正和 三男
田村亮 四男
水上保広 婚外子
主な作品
雄呂血

阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう、1901年12月14日 - 1953年7月7日)は、日本の映画俳優である。本名田村 傳吉(たむら でんきち)、サイレント映画時代に岡山 俊太郎(おかやま しゅんたろう)の名で監督作がある。身長 172センチメートル。

端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優として親しまれ、「阪妻(バンツマ)」の愛称で呼ばれた。大正末年から昭和初年にかけての剣戟ブームを生み出した日本の代表的剣戟俳優であり、「剣戟王(けんげきおう)」の異名を持つ[1]。日本映画史においてサイレント映画からトーキーへの転換期に活躍、双方で高い実績を残した人物としてしばしば名を挙げられる。

目次

[編集] 来歴・人物

1901年(明治34年)12月14日東京府南豊島郡角筈村(現在の東京都新宿区西新宿)に、木綿問屋の息子として生まれる。

1916年(大正5年)旧制・尋常小学校高等科を卒業後、十一代目片岡仁左衛門に入門、1918年(大正7年)に初舞台を踏む。だが旧態依然な歌舞伎の世界に飽き足らず、1923年(大正12年)、マキノ映画製作所結成にあたり、スカウトされ入社する。寿々喜多呂九平脚本の『鮮血の手型』で主役デビューをして、同じコンビで発表した『影法師』は大好評で、時代劇俳優の第一人者としての地位は決定的なものとなる。

千葉の阪妻プロの撮影所。

その後、恩師である牧野省三監督が東亜キネマから独立すると、阪東妻三郎プロダクションを設立する。1925年(大正14年)には、『雄呂血』を公開。その虚無的な英雄像はその時代の風潮ともマッチし、大ヒットとなる。また、その大胆な殺陣で「乱闘劇のバンツマ」として一世を風靡する。松竹と提携し、ヒット作を飛ばすが、阪妻のヒーロー像は次第にマンネリズムを生み、人気は徐々に低落する。1936年(昭和11年)、『怒涛一番乗』を最後に12年続いた阪妻プロはついに解散した。

その後、活動の場を日活に移す。殺陣の軽快さは若かりし日の姿には及ばないものの、重厚な演技で主役を張り続けた。

この頃に普及し始めたトーキーに初めて出演した際、自身の甲高く細い声がファンの失望を呼んだことが人気低落の理由のひとつと考え、独自にボイストレーニングを行う。やがて努力の甲斐あり坂東は迫力のある発声を体得したが、無理な訓練がたたり喉が潰れ、以後しゃがれ声になった。しかし坂東は声が変わってしまったことを全く後悔せず、「こういう声の方が凄みが出る。前よりずっといい」と語っていたという。そして再生一作目となる『恋山彦』前後篇では、「剣戟王・阪妻」の復活を告げる素晴らしい立ち回りとともに、喉の奥から搾り出すような独特の台詞回しで好評を博した。

その後も戦時中は『血煙高田の馬場』、『魔像』、『江戸最後の日』、『将軍と参謀と兵』、『無法松の一生』などの傑作に主演、戦後には、時代劇では『大江戸五人男』、天才棋士坂田三吉を演じた『王将』、コミカルな現代劇『破れ太鼓』などの作品に主演し、大河内伝次郎とともに正真正銘の「スター」であり続けた。

1953年(昭和28年)7月2日、『あばれ獅子』撮影中に持病の高血圧から体調を崩し、同年7月7日脳内出血により死去。51歳没。

妻は伏見直子。5人の子どものうち、長男の高廣2006年死去)、三男の正和、四男のの3人は俳優となり(二男の田村俊磨は実業家で、高廣・正和のマネージャーも務めた)、その活躍は現在に至る。婚外子に俳優の水上保広がいる。

[編集] 芸風

坂東はサイレント映画時代から培った、動きと表情を駆使する技術で演技全体に抜群の説得力を与えた。特に坂東が殺陣の見せ場で行う、両脚を大きく広げて踏ん張った体勢で手に持った刀をゆっくりと眼前に下ろし、首を左右にゆらゆらと動かす仕草は「バンツマ」の代名詞として広く知られている。これについて俳優の高橋英樹は「子供の頃、チャンバラごっこが好きな男の子はみんな坂東さんの真似をしていましたよ。僕くらいの年齢ならバンツマのあれ(首をゆらゆらさせる仕草)を全く知らないという人の方が少ないんじゃないですか」と述べており、坂東の演技が幅広い年齢層に浸透していたことが伺える。

[編集] おもな出演作品

雄呂血』(1925年)

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.38

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語