宏池会
自由民主党の党章に用いられる陰十四菊
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| 略称 | 古賀派 |
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| 前身 | 自由党(吉田派) |
| 設立年 | 1957年(昭和32年) |
| 種類 | 自由民主党の派閥 |
| 本部 | 日本自転車会館 |
| 位置 | 東京都港区赤坂 |
| メンバー | 自由民主党所属国会議員 |
| 事務総長 | 逢沢一郎 |
| 会長 | 古賀誠 |
| 設立者 | 池田勇人 |
| 関連組織 | 大勇会(河野グループ) 宏池会(堀内派) 宏池会(加藤派) |
| 予算 | 207,742,774円[1] |
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流れとしては、池田派→前尾派→大平派→鈴木派→宮沢派→加藤派→(二派閥分裂中)→古賀派。2000年11月の加藤の乱に伴う派閥分裂後は、
- 加藤派→小里派→谷垣派
- 堀内派→丹羽・古賀派→古賀派
の二派閥に分かれていたが2008年5月13日、分裂していた二派閥が統一。
目次 |
[編集] 概要
創設者の池田勇人以来、大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と4人の総理・総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の総裁を出しており、自他共に保守本流の名門派閥と見なされてきた。元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍する。しかし政策には強いが政局に弱いなどとも評され、「公家集団」などと揶揄されることもしばしばみられる。
政策面では、歴史的に明確な一貫性があるわけではないが、自民党内では中道派に属し、特に安全保障では日米関係を重視しながらも、ややハト派的傾向が見られる。小泉政権以降、自民党の主流が保守化する中、後述の宏池会再結集においては意識的にリベラル派の再結集をアピールした。
「宏池会」の名は、後漢の学者・馬融の「高崗の榭(うてな)に臥し、以って宏池に臨む」という一文(出典は『広成頌』)から、陽明学者安岡正篤が命名したものである。池田勇人の「池」の字、池田の出身地である広島の「ひろ」を「宏」に掛けているともいわれる。
創設以来、日本自転車会館(旧称:赤坂貿易会館→日本短波放送会館)に事務所が置かれている。
[編集] 沿革
[編集] 結成
池田は、旧自由党の吉田茂派(吉田学校)を同門の佐藤栄作と分ける形で派閥を形成し、池田の下には前尾繁三郎・大平正芳・黒金泰美・鈴木善幸・宮沢喜一・小坂善太郎など官僚系を中心とした人材が結集した。また、派のブレーンにはやはり大蔵官僚出身の下村治・田村敏雄などが集まり政策を立案していった。離合集散を繰り返した他の自民党各派閥に比べて、各会長の下一致結束して、分裂することなく派閥を継続してきたとされる。
[編集] 大平派時代
もっとも、宏池会において常に平和裏に領袖の交代が実現したわけではなく、佐藤四選を許した前尾繁三郎に飽き足りない田中六助・田沢吉郎・塩崎潤ら若手議員は大平正芳を担いで、前尾を会長から下ろした(大平クーデター)。
大平派においては、伊東正義・斎藤邦吉・佐々木義武が「大平派三羽烏」と呼ばれた。大平は総理総裁に就任すると椎名裁定以来の総幹分離の慣例を破って総裁派閥である斎藤邦吉を幹事長に起用し、大平―斎藤ラインで1979年衆院選を行い、自派閥衆議院議員を50名に増やした。
[編集] 鈴木派・宮沢派時代
また、大平急逝後、鈴木善幸が宏池会代表(のち会長)・首相となるが、そのもとでは、宮沢喜一と田中六助の間に「一六戦争」と呼ばれる暗闘が繰り広げられた。宮沢は早くから将来を嘱望される存在であったものの、人望と政治的手腕に欠け、一方の田中(六)は鈴木善幸の擁立や新自由クラブとの連立工作などで存在感を増していく。背景には宮沢嫌いで知られる田中角栄と、宮沢と同じく大蔵省出身の福田赳夫による「角福戦争」がある。
鈴木退陣後は中曽根康弘総裁の下で主流派を占めていたが、中曽根が田中派に傾倒していくに従って溝が広がり、「半主流派」などと揶揄される。二階堂擁立構想では、鈴木ら派幹部が主導的役割を演じた。田中(六)が糖尿病の悪化で政界を去ると、鈴木は宮沢に派を禅譲。宮沢は1987年の自民党総裁選に出馬するも、「中曽根裁定」により竹下登に敗れた。
宮沢は1991年に竹下派の後押しもあって念願の総裁に就くが、その竹下派の分裂が引き金になり、自民党は野党に転落することになった。野党転落後は宮沢が会長に留任したまま、宏池会の河野洋平が総裁となり、1994年に自社連立を実現させ、与党に復帰する。しかし河野総裁の任期中から宮沢の後継争いも絡んで加藤紘一と河野との対立が深刻化し(「KK戦争」)、加藤が総裁選で橋本龍太郎を支持したこともあり、河野は総裁続投断念に追い込まれる。こうして、河野は総理大臣に就任しない最初の自民党総裁となった。
宮沢後継を巡る対立はその後も燻り続けたが、宮澤から加藤へ派閥の継承が決定的になると1998年12月に河野は派閥を離脱、派内の反加藤議員を結集して翌年1月に大勇会(現:為公会)を結成した。長らく結束を保ってきた宏池会にとって最初の分裂だったが、翌年には更なる激震に見舞われることになる。
[編集] 加藤の乱と派閥の分裂
2000年11月に野党から提出された森内閣不信任案に加藤は同調。しかし、派閥全体を動かすことができずに尻すぼみに終わった(加藤の乱)。結果、加藤を支持するグループと、反加藤グループ(堀内派)に分裂し、両派が互いに「宏池会」と名乗る異例な事態となった(加藤グループは、2年後に加藤が秘書のスキャンダルで議員辞職に追い込まれて小里貞利が継承。その後小里が政界引退し、2005年9月26日の派閥総会で谷垣禎一が会長に就任)。
宏池会分裂時(2000年11月 - 2008年5月)の各派閥についての詳細は、以下の項目も参照。
[編集] 小泉政権
5年半の長期政権となった小泉政権においては、谷垣派は谷垣自身がほぼ一貫して重要閣僚を担っていたため事実上の主流派として政権を支える一方、堀内派は政権に対する距離が定まらず、2003年の総裁選などでも派内対立が激化した。2005年のいわゆる郵政法案とその後の郵政解散を巡っては、堀内会長が反対票を投じて離党に追い込まれ、古賀も棄権票を投じたため誓約書を書かされた上でようやく公認を得るなど苦汁を舐めさせられている。小泉の「脱派閥」方針で一貫して派閥の弱体化が進んだ時期だったが、相対的に小泉の出身派閥である清和会の存在感が増していくと、それに対する対抗の意味もあり、宏池会の再結集が語られるようになっていった。
[編集] 宏池会結集構想
2006年に入ると、河野グループも含めた旧宮澤派の流れを汲む三派の再結集を目指す大宏池会構想が具体的に表面化した。谷垣と河野グループ(当時)所属の麻生太郎がポスト小泉に名乗りを上げているため、2006年9月の自民党総裁選が終了した10月頃の合同で三派幹部の認識は一致しており、「大宏池会」への流れは加速していると見られてきた。
ところが、総裁候補を有しない丹羽・古賀派内部では若手議員を中心に安倍待望論が根強く、丹羽雄哉・古賀誠も事実上の安倍支持を表明、更に丹羽・古賀派のベテランである柳澤伯夫が安倍陣営の選対本部長に就任(後に厚生労働大臣)。安倍が勝利した総裁選後の人事では丹羽・古賀派からは丹羽が総務会長に就任したのに加え、4人を閣僚に送り込み、河野グループ(2006年12月以降、麻生派)でも麻生外相が留任するなど主流派となったのと対照的に、谷垣派は完全に要職から外れた。さらに総裁選後は丹羽・古賀派の古賀系の議員による丹羽外しの動きが見られた。
翌2007年、安倍退陣後の総裁選においては、総裁選の過程で早くから谷垣・古賀が派として福田康夫支持を打ち出し、対立候補の麻生を一転劣勢に追い込んだため「麻生包囲網」などと言われた。福田政権においては古賀・谷垣自ら三役入りする一方で、麻生は入閣を拒否し反主流派にまわった。かつての盟友である麻生・古賀の関係が冷え込んだのもこの時期である。
このように三派の関係や各派内部においても溝が生じたため、総裁選を過ぎた後は、大宏池会としての合流は困難な情勢となった。
[編集] 古賀派・谷垣派の再合流
他方、上述の総裁選をきっかけに谷垣・古賀両派の関係は緊密化し、2007年末になって麻生派抜きの「中宏池会」として古賀派と谷垣派が2008年5月にも再合流することで両派閥が合意。これに伴い「宏池会」の名称で2つの派閥が並立する状態は7年ぶりに収束することになった。
その後、再合流は通常国会前が望ましいとの観点から2008年5月13日に前倒しされ、現在では古賀が派閥会長に、谷垣が代表世話人に、堀内光雄が名誉会長に、逢沢一郎が事務総長に、それぞれ就任した。
中宏池会の成立により宏池会(2008年10月15日現在[1]、61人)は、清和政策研究会(2008年6月20日現在[2]、玉澤徳一郎含めて89名)、平成研究会(2008年2月13日現在[3][4]、69人)に次ぐ第3派閥となり、ハト派勢力として党内に影響を与えると見られた。
[編集] 総裁派閥に
自民党が野党に転落した第45回衆議院議員選挙では宏池会も所属衆議院議員を25人と半減させたが、第1派閥の清和会、第2派閥の平成研がそれぞれ1/3に議席数を減らしたため、衆議院では第1派閥となった。
麻生総裁退任を受けた2009年9月の自民党総裁選では、谷垣禎一が勝利。自派も含めて幅広く支持を集めての圧勝だったが、小野寺五典が自ら立候補を模索した上河野太郎支持に回った他、菅義偉も派閥を退会して河野を積極的に支持するなど、総裁選は派閥単位の動きよりは世代対立の様相を呈した。宏池会が総裁派閥となるのは、皮肉にも前回の野党転落時の河野洋平以来14年ぶりだが、党中央への権限集中をもたらす小選挙区制が定着する一方、国政選挙での相次ぐ退潮で議員の数も減った状況で、総裁派閥としてのメリットを生かせるかは微妙な情勢となっている。
[編集] 現在の構成
[編集] 役員
| 会長 | 名誉会長 | 代表世話人 | 名誉顧問 | 顧問 | 会長代行 | 副会長 (衆議院) |
副会長 (参議院) |
事務総長 | 事務総長代理、広報局長兼社会経済調査委員会会長 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 古賀誠 | 堀内光雄 | 谷垣禎一 | 瓦力 丹羽雄哉 |
左藤恵 森田一 真鍋賢二 |
太田誠一 | 川崎二郎 柳澤伯夫 金子一義 園田博之 二田孝治 鈴木俊一 |
溝手顕正 市川一朗 加治屋義人 |
逢沢一郎 | 塩崎恭久 |
宏池会合流のパーティーでの紹介に基づく各人事詳細
- 会長 - 古賀誠
- 名誉会長 - 堀内光雄
- 代表世話人 - 谷垣禎一
- 代表世話人補佐- 実川幸夫、望月義夫、山本幸三
- 名誉顧問 - 瓦力、丹羽雄哉
- 顧問 - 左藤恵(元衆議院議員、元郵政大臣、法務大臣、国土庁長官)、森田一(大平正芳女婿、元衆議院議員、元運輸大臣兼北海道開発庁長官)、真鍋賢二(前参議院議員、元環境庁長官)
- 会長代行 - 太田誠一
- 会長代行補佐 - 根本匠、宮澤洋一、林芳正
- 副会長 - 川崎二郎、柳澤伯夫、金子一義、園田博之、二田孝治、鈴木俊一、溝手顕正、市川一朗、加治屋義人
- 副会長補佐 - 岸田文雄、小野寺五典、近藤基彦、寺田稔、葉梨康弘、三ツ矢憲生、岸宏一、、西島英利、水落敏栄
- 事務総長 - 逢沢一郎
- 事務総長代理、広報局長兼社会経済調査委員会会長 - 塩崎恭久
- 事務総長補佐 - 今井宏、岩永峯一、遠藤利明、佐藤勉、竹本直一、西野陽、宮腰光寛
- 広報局長代理 - 中谷元
- 広報局長補佐 - 山本公一、北村誠吾、田中直紀
- 社会経済調査委員会会長代理 - 村田吉隆
- 社会経済調査委員会会長補佐 - 上川陽子、平井卓也、加納時男
- 派内選挙対策総局長 - 福井照
- 派内選挙対策総局長代理 - 小里泰弘
- 派内選挙対策総局長補佐 - 井沢京子、木原誠二、清水鴻一郎、土井真樹、萩原誠司、林潤、藤井勇治、盛山正仁
- 派閥離脱中役員特別補佐 - 原田令嗣、松山政司
[編集] 衆議院議員
| 古賀誠 (10回、福岡7区) |
谷垣禎一 (10回、京都5区) |
川崎二郎 (9回、比例東海) |
金子一義 (8回、岐阜4区) |
逢沢一郎 (8回、岡山1区) |
| 村田吉隆 (7回、比例中国) |
中谷元 (7回、高知2区) |
山本公一 (6回、愛媛4区) |
岸田文雄 (6回、広島1区) |
西野陽 (6回、大阪13区) |
| 竹本直一 (5回、比例近畿) |
山本幸三 (5回、比例九州) |
遠藤利明 (5回、比例東北) |
宮腰光寛 (5回、富山2区) |
塩崎恭久 (5回・参1回、愛媛1区) |
| 佐藤勉 (5回、比例北関東) |
北村誠吾 (4回、比例九州) |
福井照 (4回、高知1区) |
小野寺五典 (4回、宮城6区) |
三ツ矢憲生 (3回、三重5区) |
| 小里泰弘 (2回、鹿児島4区) |
徳田毅 (2回、鹿児島2区) |
(計22名)
[編集] 参議院議員
| 溝手顕正 (4回、広島県) |
林芳正 (3回、山口県) |
岸宏一 (3回、山形県) |
加治屋義人 (2回、鹿児島県) |
宮沢洋一 (1回・衆院3回、広島県) |
| 藤井基之 (2回、比例区) |
松山政司 (2回、福岡県) |
水落敏栄 (2回、比例区) |
(計8名)
[編集] 備考
- 田中直紀参議院議員(参2回・衆3回、新潟県)は、宏池会 (古賀派)を経て中宏池会結成(2008年5月13日)にも参加していたが、無所属・民主党会派の田中真紀子衆議院議員の夫という立場でもあるため、2008年9月26日、「地元の事情」を理由に自由民主党に離党届を提出した。細田博之幹事長預かりとなっていた離党届は、翌10月15日、党本部から正式に離党を受理承認され、田中直紀参議院議員は無所属議員となり、2009年8月に妻の田中真紀子と共に民主党に入党した。これは夫人からの選挙応援に差し障りがないようにするためと見られた[5][6][1]。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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