世界救世教

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世界救世教(せかいきゅうせいきょう)とは、大本教の幹部であった岡田茂吉(おかだ もきち、1882年(明治15年)12月23日 - 1955年(昭和30年)2月10日)が1935年(昭和10年)に立教した新宗教系の教団。現在の教主は四代目の岡田陽一

神奈川県箱根町強羅に箱根神仙郷[1]静岡県熱海市熱海瑞雲郷[2]京都府嵯峨野広沢池隣接地)に京都平安郷[3]と、国内3ヶ所に教団の聖地と定めた神殿および庭園を有している[4]。箱根の聖地・箱根神仙郷には箱根美術館、熱海の聖地・熱海瑞雲郷にはMOA美術館があり、教団所蔵の美術品を展示している。

世界救世教の特徴的な宗教活動は、浄霊という手かざしの儀式的行為を各信者が行うこと、自然農法という農法を推進すること、芸術活動を行うことである。

現在の世界救世教は3派体制で運営されている。世界救世教いづのめ教団、東方之光、世界救世教主之光教団である。詳細は、#分派と和解の項を参照のこと。


目次

[編集] 浄霊

浄霊とは、同教団で行われる儀式的行為のことで、病人の患部、あるいは、「急所」と呼ばれる、各病気ごとに有効とする個所に手をかざす事によって、その病状を癒すというものである。いわゆる手かざしである。

世界救世教では、おひかりと呼ばれるペンダント状のものを首にかけることにより、信者ならだれでも行うことが可能な術としている。

岡田茂吉は、病気の原因は薬による二次被害であるとする思想(薬毒)を説き、西洋医療の投薬や手術、東洋医学の漢方にかわる治療として浄霊を推進していた。このため、信者には医学との対立的な姿勢を見せるものもあり、その結果発生したトラブルが新聞に掲載されるようなこともあった。茂吉の死去後、世界救世教は、その方針を教祖存命時よりも、より医学との共存的な姿勢を取る方向に向け、教団自ら医療施設を教団内に設けるなども行った。近年は、浄霊に理解のある医師や学者などと、浄霊の効能を積極的に研究する姿勢を見せている。

また、岡田茂吉が説いた浄霊は、病気治療法としての技術であり、施術者は病気治療の急所などの知識が必要であったが、茂吉の死去後、二代教主らにより、世界救世教の浄霊は宗教的儀式(祈り)の面が強調され、施術者は必ずしも病気の急所などの知識は必要なくなった。

現在の世界救世教では、病気治療的面を強調する会派(東方之光)と、強調せず、宗教儀式的なものとして行う会派(世界救世教いづのめ教団、世界救世教主之光教団)が並立している。また、団体の所属とは別に、信者ひとりひとりの浄霊に対する個人的指向として、病気治療的指向と宗教儀式的指向を持つ者が並立する状態である。

[編集] 自然農法

岡田茂吉は、日本で無農薬有機農法が注目されるはるか以前である昭和20年代より、自然農法という名称で、独自の無農薬有機農法を研究、実践、推進してきた。岡田茂吉の死去後、世界救世教では、琉球大学教授比嘉照夫が提唱するEMを使用した環境浄化の推進を活動に積極的に取り入れ、これが自然農法を支援する技術としても採用された。このため現在では、EMによる有機栽培が、世界救世教の自然農法そのものであるかのように見られている面があるが、歴史的事実はそのとおりではない。

現在の世界救世教では、自然農法にEM技術を使用する会派(世界救世教いづのめ教団、世界救世教主之光教団)と、使用しない会派(東方之光)が並立している。

[編集] 分派と和解

世界救世教は、過去において組織からの離脱や分派活動が目立つ教団でもあった。

それは、強大なカリスマ性を有していた教祖の死去という事件が、教団に大きな動揺をもたらしたことに端を発し、教祖の死去以降、教団の変革が激しく行われたため、教義上の理由から反対する余地が多かったことや、教団の変革のなかに各教会に経済上の不利益を課すものがあったこと、また、改革以前は傘下の教会の独立性が強く離脱しやすかったと同時に、各々の教会主宰者のカリスマ性が強かったことなどが、こうした分派活動を促した側面があると言える。

事実、分派が目立ったのは、激しく変革が行われた岡田茂吉死去の1955年以降(晴明教世界浄霊会など)と、教団運営の中央集権化が図られた1970年以降(救世神教神慈秀明会など)に多い。

上記団体以外にも世界真光文明教団など「真光系」と呼ばれる教団も、教祖である岡田光玉が世界救世教の布教師として活動していたことや、教義の酷似性などから、一般的には世界救世教の分派として捉えられている(真光系教団は、教祖が世界救世教の布教師として活動していた事実を公表はしていない)。

その後、組織運営の主導権をめぐって世界救世教自体が、松本康嗣らの新生派・川合輝明らの再建派・中村力らの護持派に分裂した。数々の法廷闘争などを経て、三派は1997年に和解、2000年に宗教法人世界救世教を包括法人とし、三派がそれぞれ被包括法人として、世界救世教いづのめ教団(新生派)・東方之光(再建派)・世界救世教主之光教団(護持派)として独立した。

なお、世界救世教の被包括法人である三派は、和解時の合意に基づき、2010年に統一され、統合される予定となっている(この統合の時期は、2009年に四代教主によって延期の意向が示された[5])。一度分裂した宗教団体が再度統合する例は、宗教界においても前例が少ない希有な事例とされている[6]。また、世界救世教いづのめ教団は、複数の分派教団と友好協定を結んでいるなど、世界救世教には、分派も多いが和解も多いという特徴がみられる。

[編集] 関連団体

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ "箱根神仙郷". 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日 閲覧。
  2. ^ "熱海瑞雲郷". 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日 閲覧。
  3. ^ "京都平安郷". 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日 閲覧。
  4. ^ "聖地". 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日 閲覧。
  5. ^ 大経綸9号  宗教法人世界救世教 2009年(平成21年)1月1日発行。
  6. ^ 再統合の事例としては、2007年(平成19年)にロシア革命の影響で国内外二派に分裂していたロシア正教会が再統合を果たしている。これは80年ぶりの統合であり、再統合に向けては政権の強力な後押しが背景にあったとされている。世界救世教の再統合は、分裂時の当事者の多くが存命であり、第三者機関の後押しなども見られない自発的な統合であるという意味でも、特殊な事例であると言うことができる。

[編集] 外部リンク