近未来政治研究会

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近未来研究会[1]
自由民主党の党章に用いられる陰十四菊
略称 山崎派
前身 政策科学研究所(旧渡辺派)
設立年 1998年(平成10年)11月30日
種類 自由民主党派閥
本部 平河中央ビル
位置 東京都千代田区平河町
メンバー 自由民主党所属国会議員
事務総長 石原伸晃
会長 山崎拓
設立者 山崎拓
関連組織 志帥会村上亀井派)
予算 78,780,338円[1]
  1. ^ a b 平成22年分政治資金収支報告書参照
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近未来政治研究会(きんみらいせいじけんきゅうかい)は自由民主党の派閥の1つ。通称山崎派

目次

[編集] 概要

1998年11月30日政策科学研究所(中曽根派→渡辺派→旧渡辺派)から分離独立した山崎グループ37名によって結成された。会長は山崎拓

憲法改正に熱心な派閥で、過去に派閥のメンバー全員で改憲論や政策集の単行本を出版している。

[編集] 沿革

当初は山中貞則が山崎の後見役として在籍していたが、山崎が小渕恵三に対抗して1999年自由民主党総裁選挙に強行出馬したのを機に離脱した。

小泉内閣では山崎が党幹事長副総裁として主流派入りするが、2003年の衆院選では山崎のスキャンダルが響き落選。山崎は副総裁を辞任したが、同派の会長継続を支持され、非議員ながら内閣総理大臣補佐官に任命され、政治的影響力を維持し続けた。山崎は2005年4月24日の補欠選挙で当選、政界に復帰した。

小泉政権下での急激な勢力拡大もあってか、他派閥出身者や野党からの出戻り組も少なくないが、結成以来、山崎や派閥幹部の保岡興治関谷勝嗣亀井善之らの面倒見が良かったため、他派に比べても依然まとまりがある。しかし、06年自民党総裁選では、反安倍晋三志向の山崎に対して、一部が安倍支持に動いた為、結束力にほころびが出始めているともされる。2007年には郵政造反組だった武田良太古川禎久が入会。

2007年12月には元政調会長の石原伸晃が入会したが、これは政界関係者から驚きを持って迎えられた。山崎が石原を入会させたことは、国民的知名度が高く資金力もある石原を次期派閥領袖候補に据えることで、武部勤甘利明など山崎に反発する派内の動きを牽制することで、山崎の政治的影響力を保つ目的があったとされる。

北朝鮮問題については独自の動きを見せる。山崎が側近の田野瀬良太郎と訪朝した際には政府・与党内から強い不満が噴出した。2008年5月の派閥会合で役員人事を一新。甘利を会長代行、石原を事務総長、山崎の腹心である木村義雄を事務総長代理、関谷を顧問に据えるなど派閥の引き締めを図った。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では改選前の37議席から16議席へと勢力が激減した。会長の山崎も再度落選したが、派閥の存続のためにという理由で会長職を続けることになった。その後古川や武田は退会する。同年所属議員の激減による財政難から派閥事務所を閉鎖し、活動の拠点を山崎の個人事務所に移すことを決定した。

2010年9月、会長・山崎の国政復帰見込みがない(70歳定年、国民新党への移籍もなし)事から運営資金の目途が立たないため、解散し無派閥の議員グループに衣替えすることも検討されている[1]

2011年6月、会長代行の甘利によって「さいこう日本」が結成された[2]

[編集] 現在の構成

[編集] 役員

会長 会長代行 副会長 事務総長 事務総長代理 顧問
山崎拓 甘利明 野田毅
保岡興治
深谷隆司
武部勤
石原伸晃 木村義雄 関谷勝嗣

(2008年5月の派閥役員人事より)

[編集] 衆議院議員

野田毅
(13回、比例九州) 
甘利明
(9回、比例南関東)
大野功統
(8回、香川3区
武部勤
(8回、比例北海道)
石原伸晃
(7回、東京8区
田野瀬良太郎
(6回、奈良4区
林幹雄
(6回、比例南関東)
田中和徳
(5回、比例南関東)
平沢勝栄
(5回、東京17区
石田真敏
(4回、比例近畿)
金子恭之
(4回、熊本5区
森山裕
(3回・参院1回、鹿児島5区
坂本哲志
(3回、熊本3区

(計13名)

[編集] 参議院議員

岡田広(3回、茨城県 小泉昭男(2回、神奈川県

(計2名)

[編集] かつて所属していた人物

  • 森田健作(俳優、元参議院議員、元衆議院議員、現千葉県知事
    2003年、埼玉県知事選挙に立候補しようとした際、山崎に説得され断念。同年の総選挙には出馬せず、国政から身を引いた。2009年、千葉県知事選挙に出馬して当選。
  • 自見庄三郎(参議院議員、前衆議院議員、現国民新党所属)
    初当選以来、渡辺美智雄と山崎の腹心。かつて山崎が派閥を立ち上げる以前に結成していた政策集団のほとんどに名を連ねる側近中の側近だったが、2005年の「郵政国会」で郵政民営化反対の方針を貫き、山崎派所属議員でただ一人反対票を投じた。その後の選挙で落選し、造反組に対する勧告に従って離党。2006年、国民新党から国政復帰する方針を表明し、翌年の2007年参院選比例代表区で国民新党唯一の比例議席を獲得した。なお、山崎とは離党後も一個人の立場で親交があった。
  • 船田元(前衆議院議員)
    山崎派発足時は山崎の腹心で、派内の憲法改正論議でも熱心だったが、いわゆる「政界失楽園」のあおりで落選したことを契機に退会。2003年衆院選に当選し、平成研究会(当時津島派)に所属。
  • 畑恵(元参議院議員)
    船田との結婚に対する批判を受け、自民党が2001年の選挙では比例代表候補名簿から除外。これに反発して東京選挙区から無所属で立候補するも結果落選。

[編集] その他国政選挙落選・引退者

※は、第45回衆議院議員総選挙における落選者(原則国会議員でなくなったことにより一時的に退会せざるを得なくなった人たちで、実質的な構成員であることに変わりない)、◆は、政界を引退、●は、故人。括弧内は、議員でなくなった時点での議会所属。

なお、首領の山崎拓は落選後も会長職にとどまっているため、ここには含まれない。

[編集] 脚注

  1. ^ “自民党:山崎派が解散を検討…派閥「溶解」進む”. 毎日新聞. (2010年9月13日). http://mainichi.jp/select/today/news/20100914k0000m010025000c.html 2010年9月13日閲覧。 
  2. ^ “自民・甘利氏ら「さいこう日本」立ち上げ”. 産経新聞. (2011年6月21日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110621/stt11062101210001-n1.htm 2012年2月7日閲覧。 

[編集] 関連項目

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