東京佐川急便事件

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東京佐川急便事件(とうきょうさがわきゅうびんじけん)は、自由民主党経世会金丸信会長が、佐川急便側から5億円のヤミ献金を受領したとし、1992年10月衆議院議員辞職に追い込まれた汚職事件

概要[編集]

皇民党事件[編集]

皇民党事件も参照

  • 恩義のある田中角栄を、竹下が裏切ったことが原因であった模様。竹下は、これに対処するため、腹心の金丸信に相談。金丸は、佐川急便の渡辺広康社長(当時)に、暴力団稲川会会長石井隆匡との仲介を依頼。東京都内のホテルで竹下、金丸、渡辺、小沢一郎が善後策を協議。その結果、竹下は田中邸を訪れ、謝罪することになった。門前払いとなったが、事件は沈静化した。魚住汎英は、この件で稲川聖城(稲川会総裁)に会いに行ったと話している。

東京の高級料亭で金丸信が石井に面会し、「私が彼(石井)と会ったのは感謝の気持ちからです。もちろん、よくないとはわかっていましたが、ともかくそうしたのです。」と言ったという。

  • 数週間後の1987年11月、竹下登は、首相に就任。この成功により渡辺広康は、政界に強いコネクションができた事を、おおいに喜んだ。その後、東京佐川急便は、石井隆匡が経営権を保有していた岩間カントリークラブ(旧平和相互銀行グループ)をはじめ、石井と関係のある会社に対して、次々と融資や巨額の債務保証を、行う様になる。東京佐川急便が債務保証を行った融資。その総額は、約4395億円に上り、40企業(うち稲川会のフロント企業は6社、総額1000億円)と1個人(石井本人)に及んだ。

バブル崩壊[編集]

  • 1991年2月から始まったバブル経済崩壊。石井隆匡の利息の支払いが、滞るようになった。これにより巨額負債の返済不能が確実となった。このため、東京佐川急便の幹部はパニックとなり、石井に、返済計画の提出を求めた。だが、石井は、「更なる資金が必要」と返答。東京佐川急便は、さらに債務保証をした。

莫大な債務を負うことになった東京佐川急便は、倒産寸前となり、親会社の佐川急便に吸収された。

裁判記録によると、石井隆匡の部下が、数週間おきに東京佐川急便を訪れ、保証を求めた。また、当時の東京佐川急便の幹部は、石井の経歴を理解していた模様。
  • 1991年7月、渡辺広康ら東京佐川急便の幹部は、全員解雇された。同月、検察により東京佐川急便の幹部は、信託義務違反の容疑で起訴
  • 1991年9月、石井隆匡は病死。

疑惑[編集]

一六戦争[編集]

一六戦争も参照

  • 5億円の政治献金を巡り、小沢一郎は、検察への徹底抗戦を主張した。一方、同じ経世会の梶山静六は、早期の事態収拾を図ることを求めた。以前より関係が悪かった小沢と梶山の対立は、ここで決定的となり、経世会内部の亀裂も深刻化。金丸信の失脚後、派閥後継を巡る内部抗争のきっかけとなった。
  • 1992年2月、東京佐川急便が、新潟県出身の日本社会党吉田和子のパーティー券を、500万円分購入した際、ヤミ献金疑惑が浮上。吉田和子は、党役職を辞任。新潟県選出の社会党の筒井信隆(「ニューウェーブの会」事務局長)も献金疑惑が浮上。筒井も党役職を辞任。
  • 新潟県知事金子清も、東京佐川急便の1億円献金疑惑で1992年9月に辞職。

ただ、他の大物議員や闇資金ルートは、解明されないまま事件は、闇に葬られた。

真相の究明へ[編集]

竹下登は、渡辺広康とホテルで会談したことは認めたが、「私という人間の持つ一つの体質が今論理構成されましたような悲劇を生んでおる、これは私自身顧みて、罪万死に値するというふうに思うわけでございます。」と不明瞭な言動を述べ、明確な回答をしなかった。

  • 1993年2月17日、衆議院予算委員会は、小沢一郎を証人喚問したが、「私はお茶くみをしていただけで話の内容は知らない」と述べ、関与を否定。金丸の5億円献金も、「全く知らない」と答えた。竹下登・小沢一郎の証人喚問は、いずれも不発。

自民党は、社会党の筒井信隆・吉田和子[注 1]安恒良一比例代表)ら11名の野党議員を証人喚問を要求し、対抗した。だが、泥仕合を続けただけで終わった。

  • 1993年3月、離党と議員辞職の勧告を拒否し続けた為、安恒良一は、社会党規律委員会により社会党を除名処分となった。
  • 1993年年4月、安恒良一の1億円以上の所得隠しが発覚。東京佐川急便からのヤミ献金と疑われたが、真実は不明のままとなった。

影響[編集]

自民党・社会党に対して、疑惑が持たれた重大事件だったが、真相が明らかにならなかった。この事から既成政党への批判の声が高まり、政治不信が深まった。金丸の失脚により、梶山静六自民党幹事長に就任。小沢一郎は、非主流派になり、羽田孜渡部恒三と共に、経世会を離脱し、「羽田グループ」を旗揚げした。

55年体制の崩壊[編集]

1993年6月18日、宮沢内閣は、社会党・公明党民社党社会民主連合から不信任案を提出された。羽田派を中心とする小沢一郎・羽田孜・渡部恒三、奥田敬和石井一藤井裕久熊谷弘ら自民党議員39名が賛成し、不信任案が255対220で可決。宮沢内閣は、日本国憲法第7条第3号により衆議院を解散第40回衆議院議員総選挙が行われることになった。

  • 1993年6月23日、羽田孜と小沢一郎は、「政界再編」「政治改革」を呼号し、新生党を結成。小沢一郎が、代表幹事に就任した。この動きに対し、官房長官の河野洋平は、夕方の定例記者会見で、「政治不信を招いたのは離党した人達ではないのか」と厳しく批判。清和会の幹部からも、批判する声が上がった。
  • 政治評論家の立花隆は、小沢一郎が「政治改革」を掲げ、新生党を結成したことを、1993年6月24日付の『朝日新聞』朝刊で、「ちゃんちゃらおかしい」と酷評した。

新党結成[編集]

椿事件参照

  • 日本新党の小沢一郎、武村正義、細川護煕は、候補者を擁立。新生党・新党さきがけに同調した。これによって、日本新党を中心とした「新党ブーム」が起こる。この中で、「自民党が悪い」「政権交代を」という雰囲気が流れたらしい。
  • この時、自民党は、過半数を獲得できず、野党に転落。社会党は、支援団体の連合の方針転換や上野建一の辞職[注 2]により、55年体制成立以来、最低の70議席と惨敗。それに対し、日本新党・新生党・新党さきがけが躍進。

宮澤喜一内閣は、総辞職。1955年鳩山一郎内閣から38年渡り続いた55年体制は、幕を閉じた。

  • 東京佐川急便事件を契機とし、55年体制は崩壊、政界再編は実現。8政党・会派連立による細川内閣が成立した。

細川政権の発足[編集]

献金疑惑[編集]

  • 1994年3月、政権基盤が揺らぐ中、細川護煕に東京佐川急便からの献金疑惑が浮上し、野党自民党から連日、追及された。細川護煕は、「既に返済している」と釈明したが、自民党からの糾弾が止むことは無く、国会が空転し、内閣支持率が急落した。
  • 1994年4月、細川護煕は、総理大臣を辞職。細川連立政権は、9か月の短命政権に終わった。国会の予算審議に入る前に、総理大臣が辞任するという極めて異例の事態となった。追及は、細川護煕が辞職したため、停止された。
  • 1998年、細川護煕は、衆議院議員を任期途中で辞職し、以後、文化人・細川家当主としての活動に専念していた。

都知事選への出馬[編集]

  • 2014年1月、細川護煕は「脱原発」を掲げ、立候補を表明。政治活動を再開。だが、20年前の献金疑惑が再び話題になった。

猪瀬前知事辞職の原因に近い疑惑であった為、他の対立陣営から追及された。細川護煕側は、証拠を公表し、都知事選挙に臨んだ。

後日談[編集]

細川護煕を追及した元自民党の参議院議員村上正邦会長に拠れば、佐川急便からの借り入れ問題は「デッチ上げ」だったという。自民党は、「細川が借入金を佐川にしっかり返済していた」ことを知っていた。しかし、「倒閣できる」と考えた為、参議院の予算委筆頭理事いう立場を用いて、細川護煕を国会で追及した。また、「(無実を)証明する貸し付け記録」も出てきていたが、「(佐川急便に)借りっぱなしになっている自民党の大物たちの名前が(貸し付け記録に)連なっていた」為、出せなかった模様[1]

事件の名称について[編集]

この事件は、当初、「佐川急便事件」と呼ばれることが多かった。だが、2001年奈良県において、再び佐川急便が関係する贈収賄事件が発生した。そのため、奈良の事件を「奈良佐川急便事件」、当事件を「東京佐川急便事件」と呼ぶようになった。

佐川グループの動き[編集]

  • 佐川急便は、配送区域に次々と認可を受け、全国展開していた。これは、自民党の議員へ多額の資金提供をする政界からの支援があったからだと言われている。
  • 佐川急便グループは、この事件により東京佐川急便の救済目的など、急遽グループの地域法人を合併するなどを行った。東京佐川急便は、のちの佐川急便東京支社、佐川急便関東支社となり、2007年3月21日より本社直轄下の関東・営業部となった。その後、別件で2002年に北海道急便以外の地域法人の合併を成功させている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ NEWSポストセブン2014年1月27日 細川氏佐川問題追及の張本人 あれは「デッチ上げ、無茶苦茶」オリジナル

注釈[編集]

  1. ^ 日本社会党の安恒良一は、多額の借入金などが問題視されていた
  2. ^ 「真里谷事件」1992年3月、倒産したゴルフ場開発会社「真里谷」(千葉県木更津市の「真里谷カントリークラブ」。ゴルフ場自体は経営者が代わり「きみさらずゴルフリンクス」として現存)からの不明朗な資金提供疑惑のため引責辞職。