日本皇民党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本皇民党(にほんこうみんとう)は、高松市に総本部を置く稲川会系の右翼標榜暴力団

[編集] 概要

1972年に稲本虎翁が高松市に右翼団体として設立し、総裁となる。稲本は山口組宅見勝と五分の兄弟分である。

その後、稲本は高松の大日本義和団岩崎寿昭とも兄弟分であり、中国四国九州の130の右翼団体を束ねて西日本獅子の会を結成し、同会の理事長となる。

1987年自民党総裁選に立候補していた竹下登へのほめ殺し街頭演説を行い(皇民党事件)、金丸信副総裁(当時)の意を受けた渡辺広康東京佐川急便社長が石井進稲川会会長を介し現金工作を行って打開を図った(これは1993年に表面化したゼネコン汚職事件の捜査が進むに連れ明らかになった)。

1990年、京都府警に党員が逮捕され、京都府知事選を奇貨として楠木三十四を擁立、府警本部長批判を行った。党員は釈放されたが、現職の荒巻禎一陣営は、皇民党の行動が共産党推薦の木村万平への追い風になりかねないと危機感を抱き、手を引くよう要請した。立候補後の辞退はできないが、皇民党は政見放送に出演せず、選挙運動を中止。結果は荒巻が大勝した。

1990年12月、湾岸戦争の最中のイラクに人質解放のため向かったアントニオ猪木に稲本が同行。

1991年秋に急死した稲本の葬儀には畑時夫が本葬儀委員長を務め、本葬儀顧問に岡村吾一中村武彦志賀敏行高橋正義木村秀二といった大物右翼が並んだ。 稲本に代わって大島竜珉が総裁となる。

日本皇民党の幹部の一人で、韓国籍の高鐘守リース契約されていた高級車を返還しなかった為、横領容疑で逮捕された。彼はその2ヶ月後の2004年4月23日には、大阪にある中国総領事館に街宣車を突入させる事件に関係したとして逮捕されている。(直接の実行犯ではない)

[編集] 関連項目

[編集] 公式サイト

他の言語