鈴木邦男
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鈴木 邦男(すずき くにお、1943年8月2日 - )は、政治活動家、新右翼団体「一水会」最高顧問、プロレス評論家、予備校講師。また、格闘家としては、合気道三段。(いわゆる富木流)合気道から柔道に進み、柔道も三段。
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[編集] 来歴
福島県郡山市生まれだが、税務署勤務だった父親の都合で高校生の頃まで東北地方を転々とした。1967年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
学生時代は、生長の家学生会全国総連合(以下生学連)に所属し書記長として活動。生学連もその結成に協力した民族派学生組織「全国学生自治体連絡協議会」(後に「全国学生協議会連合」と改称。略称は全国学協)の初代委員長を務めた。しかし、当時の書記長らとの対立が原因で短期間で組織を去っている。
後にテロリズムを否定する鈴木も「学協時代は暴力学生だった」と自ら告白している。その反面でスポーツに打ち込み、議員になったばかりの合気道四段の小渕恵三にぽんぽん投げ飛ばされたというが、合気道を極め、三段の達人となる。現在は柔道に進み三段。
1970年春、早稲田大学大学院修士課程を中退して産経新聞社に入社。主に販売局や広告局に在籍し、一旦は政治活動から離れていたが、1970年11月の三島由紀夫事件で、大学在学中に知り合った森田必勝(元日学同活動家。楯の会に入会したため日学同を除名された)が三島と共に自決したことに衝撃を受け、1973年に退社する。そして、犬塚博英や四宮正貴、阿部勉ら生学連や学協時代の仲間などを中心に「一水会」を創設し会長に就任した。
会長時代の前半は、過激な実力行動で警察に検挙されたこともあるが、後半は、会の政治的な大衆活動からは一定の距離を置き、言論活動に力を注いだ。
1999年には一水会代表を退任。代表在任中より河合塾現代文・小論文講師、日本ジャーナリスト専門学校講師等も勤めた。河合塾では同じく現代文講師で左翼思想家の牧野剛と「左右討論」などの企画も行った。
[編集] 思想遍歴
一水会結成当初の鈴木の活動は、現在のような左右を越えた前向きな活動ではなく、暴力的な行動右翼そのものであった。当時進歩的文化人と呼ばれていた著名人へ、片っ端から仲間たちと電話をかけて「殺すぞ」と脅迫したり、自衛隊の駐屯地でストリップが行われると聞けば、街宣車で門扉に突入する等の過激な活動も行っている。
一方、「左右を弁別せざる」として竹中労、牧田吉明、塩見孝也ら左翼、アナキストとも交流し、たとえ反対陣営に対しても、学べること、共闘できることを模索した(これは戦前の右翼運動の老壮会や猷存社に学んだというが、かなり形態は異なっている)。
また、昭和60年前後には、現在は廃刊となった『朝日ジャーナル』に真面目な政治論文を度々執筆し、これに刺激されて多くの人々が一水会の運動へ参画した。この後次第に鈴木の文章は現在に近い形へと変化していく。
平成になる頃から、かつてテロを公然と肯定していた鈴木は、テロ否定論者に変わり、「極右や極左に言論活動の場を与えればテロはなくなる」と主張した。これに対し、当時一水会を実質的に指導していた木村三浩(統一戦線義勇軍初代議長)は、テロを肯定していたが、組織内に大きな混乱、対立は起こらなかった。
冷戦終結後の鈴木は、「宿敵・左翼の崩壊を危惧する」、「左右の超越を訴える」など既成右翼とは違った主張を展開している。国旗・国歌、愛国心等の諸問題についても、論敵である左翼あるいは身内である右翼に対する皮肉・揶揄をこめて、敢えて左寄りと受け取られかねない発言を行うため、鈴木の主張を批判する者からは、「似非右翼」「左翼に転向している」などと批判されている(一水会代表辞任の一因でもある)。
[編集] 人物
左翼系マスコミの紙面に、その主張が取り上げられる機会も多い。また、左翼の友人も多い。
自分には友達がいないと言った嘆き節の発言もあるが、実際には左右の政治活動家・思想家・文筆家・音楽活動家・芸人・格闘家・元公安警察等、幅広き交友範囲と人脈を有し、そうした事情を活用して種々の文筆活動・講演・討論・対論・取材・トークライブをこなしている。 政治家経験者では元社会党の議員の上田哲と交友がある。 格闘家の前田日明・佐山聡・須藤元気らと親交を持ち、格闘技に対する造嗜も深い。自身も「骨法」(師匠は堀辺正史)を学び、柔道も有段者である。
恋愛については、学生・青年時代は政治運動に忙殺され、異性交遊の機会が乏しかったことを後悔の念を込めて語っている(一時、活動の都合で教育学部に属していたことがあり、周囲に女学生が多かった)。性癖はロリコンでマザコンでマゾを自称(公式サイトより)。
ひと月に30冊の読書をノルマとしている読書家でもある。執筆等の仕事で多忙な月には達成できないこともあるが、年間平均ではこのノルマを大きく達成している。
過去の過激派運動の経験を踏まえ、公安警察はしばしば合法活動家を非合法活動へと追いやっており、治安維持の面ではかえって逆効果だと指摘。公安警察の姿勢あるいは存在そのものに批判的な態度を取っている。サンデープロジェクトにおいて公安警察の問題点をテーマに取り上げた際、公安部の警察官に「日本教職員組合などの左翼系団体の本部に突っ込んで、男を上げろ」と言われたことを暴露した。
討論番組の朝まで生テレビ(テレビ朝日)やバラエティ番組のたかじんのそこまで言って委員会(讀賣テレビ放送)にも数度出演しており、その度に討論内容の詳細や裏話を、自身のサイトの日記上で明かしている。
赤報隊事件との関係を疑われ、当局から家宅捜索も受けた。直接関与は否定しながらも、真犯人の情報を握る旨を匂わせ、沈黙を守り続けている(事件に絡み、放火被害に遭った経験も)。また、真犯人を庇っているとの指摘を元公安警察からされた際には、不敵にも、「鋭い読み」と評している。
イラク日本人人質事件の際は、イラク国内にパイプを持つ、一水会現代表の木村三浩が、事件解決に貢献したとして高く評価。同時に人質自作自演説を展開した産経新聞を批判した。さらに、日本政府や、人質にされた3人と拘束された2人(うち、片方は一水会在籍歴あり)に苦言を呈してもいる。
鈴木の主張・論点は日本国内の問題に関するものが多く、そのため、各国の民族主義勢力の連帯を訴える一水会の活動方針とは多少の距離がある。また、一水会は反米色が鮮明な団体(ブッシュ来日反対闘争や池子の米軍住宅建設反対闘争を展開)だが、鈴木自身の思想は必ずしもこれに一致しない。まして反中国・反朝鮮の姿勢も露わでなく、特定の国家を敵視する傾向は稀薄である。批判や叱咤の矛先は主に国内に向けられている。
既に述べた通り、放火されたこともある借家アパート(みやま荘)にて、現在も独身で質素に生活している。 JR東日本の主流・最大労働組合JR東労組の松崎明とも親交がある。
アムネスティ日本のサイトにおいて死刑廃止を主張する。死刑廃止が日本文化であり日本精神であるとしている [1]。
2006年から2009年の3年間で88名の逮捕者を出す法政大学の学生運動について「この問題は日本人全員が考えなければいけない問題」と発言、運動の主団体である法政大学文化連盟には賛同人として名を連ねている。
[編集] 主著
- 闘うことの意味―プロレス、格闘技、そして人生 (エスエル出版会) 1993年 ISBN 978-4846300128
- 新右翼―民族派の歴史と現在(彩流社) ISBN 4882023091
- がんばれ新左翼(エスエル出版会) ISBN 4846303454 ISBN 4846303446
- 夕刻のコペルニクス(扶桑社) ISBN 4594029671 ISBN 4594024572
- 売国奴よ!―魂を売るべからず(廣済堂出版) ISBN 4331508536
- 言論の覚悟(創出版) ISBN 4924718483
- 鬼の闘論(共著)(創出版) ISBN 4924718653
- 公安警察の手口(筑摩書房・ちくま新書) ISBN 4480061983
- 言論統制列島 誰もいわなかった右翼と左翼(共著)(講談社)ISBN 4062129779
- 天皇家の掟―『皇室典範』を読む(共著)(祥伝社・新書)ISBN 4396110200
- 愛国者は信用できるか(講談社・講談社現代新書)ISBN 4061498428
- 愛国者の座標軸(作品社) 2007年 ISBN 978-4861821677
- 愛国の昭和―戦争と死の七十年(講談社) 2008年 ISBN 978-4062148917
- 失敗の愛国心(理論社・よりみちパン!セ)ISBN 4652078341
- 「蟹工船」を読み解く (データハウス) 2009年 ISBN 978-4781700021
- 愛国と米国-日本人はアメリカを愛せるのか (平凡社・平凡社新書) 2009年 ISBN 978-4582854718
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 一水会
- 鈴木邦男をぶっとばせ!(2008年1月~)
- 鈴木邦男をぶっとばせ!(2007年までの旧サイトで更新は停止されている)
- 鈴木邦男をぶっとばせ!blog出張所
- Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2001.09.10号 Part1)鈴木邦男 さん

