赤報隊事件
赤報隊事件(せきほうたいじけん)とは1987年から1990年にかけて朝日新聞社支局などに対して起きたテロ事件である。指定番号から「警察庁広域重要指定116号事件」とも呼ばれる。未解決事件。
目次 |
[編集] 概要
一連の事件において犯人が「赤報隊」を名乗って犯行声明が出された。また、記者1人が死亡した朝日新聞阪神支局襲撃事件は、言論弾圧事件として大きな注目を集め、新聞・雑誌等では当時、「表現の自由」に対するテロリズムであるという論調がなされていた[1][2]。一方で、右翼の主張がマスコミで報道されないことへの反発からテロに走ったのではないか、との見方もされていた[3]。
警察庁は、「赤報隊」が犯行声明を出した一連の事件を広域重要指定事件に指定した[4]。
全国的な捜査を行ったが、2002年に阪神支局襲撃事件[5]、2003年には静岡支局爆破未遂事件が公訴時効となり[6]、全事件が未解決のままとなった。事件の超法規性、実行犯の海外逃亡による時効期間の延長の可能性等もあり、兵庫県警察の情報収集は現在も続いている。同県警は捜査一課、西宮署に連絡要員を置き、時効後も真相解明を目指している[7]。
また公訴時効成立後の2010年にも、「赤報隊」を称しての不審物送りつけが在日公館などに対して繰り返し行われている[8]。
[編集] 一連の事件
[編集] 朝日新聞東京本社襲撃事件
1987年1月24日午後9時頃、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれた[9]。
その後、「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗って犯行声明が出された。声明には、「われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である 一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」として、「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」とあった[10]。
[編集] 朝日新聞阪神支局襲撃事件
1987年5月3日の憲法記念日、午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が侵入。2階編集室にいた29歳記者と42歳記者に向け発砲。29歳記者が翌5月4日に死亡[11](殉職により記者のまま次長待遇昇格)、42歳記者は右手の小指と薬指を失う。
5月5日、朝日新聞は社説「暴力を憎む」を掲載し、「犯人にどのような言い分があったとしても、こうした暴力がいささかでも正当化されるようなことがあってはならない。われわれは暴力を憎む。暴力によって筆をゆるめることはない」と述べた。
5月6日、時事通信社と共同通信社の両社に、「赤報隊 一同」を名乗る犯行声明が届く。1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにし、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」と殺意をむき出しにした犯行声明であった[12]。
5月7日の参議院予算委員会で中曽根康弘首相は「表現の自由、あるいは言論の自由、憲法の保障する基本的な権利への挑戦で、こういう傾向が出てくることは、世の中のためにも憲法擁護のためにも厳重に阻止しなければならない」と述べた。仁平圀雄警察庁刑事局長は「極めて反社会性の強い事件なので、地元兵庫県警のみならず、全国警察の組織を結集して犯人を検挙し、動機や背後関係を解明する」と答えた[13]。
5月8日、朝日新聞は社説「読者の支援にこたえたい」で「言論機関は、暴力による攻撃に対して、かえって自らを強くするものである。われわれはこれからも暴力や脅しに屈するようなことは決してない」と表明した。同日、日本新聞協会も、同様の趣旨の声明文を公表した[14]。
5月15日、朝日新聞社葬が西宮市市民会館アミティホールで約2300人が参列して行われた。また約3000人が弔問・拝礼に朝日新聞本社・支社を訪れた。東京本社には土井たか子社会党委員長、矢野絢也公明党委員長、江田五月社民連代表など政界人、新聞、テレビ、広告など報道・法曹関係者が弔問し、亡くなった記者を追悼した[15]。
[編集] 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
1987年9月14日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮が銃撃された。無人の居間兼食堂と西隣のマンション外壁に一発ずつ発砲した[16]。
その後、「反日朝日は五十年前にかえれ」と戦後の民主主義体制への敵意を示す犯行声明文が送りつけられた[17]。
[編集] 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
1988年3月11日、静岡市追手町の朝日新聞静岡支局の駐車場に、何者かが時限発火装置付きのピース缶爆弾を仕掛けた。翌日、紙袋に入った爆弾が発見され、この事件は未遂に終わった[18]。
犯行声明では「日本を愛する同志は 朝日 毎日 東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう」と朝日新聞社だけでなく毎日新聞社や中日新聞東京本社(東京新聞)も標的にする旨が記されていた[19]。しかし、実際に毎日・中日の2社を対象とした事件はなかった。
[編集] 中曾根・竹下両元首相脅迫事件
静岡支局事件と同じ1988年3月11日の消印(静岡市内で投函)で、群馬県の中曽根康弘前首相の事務所と、島根県の竹下登首相の実家に脅迫状が郵送された[20]。
中曾根には「靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った。英霊はみんな貴殿をのろっている」「今日また朝日を処罰した。つぎは貴殿のばんだ」と脅迫[21]、竹下には「貴殿が八月に靖国参拝をしなかったら わが隊の処刑リストに名前をのせる」と靖国参拝を要求する内容だった[22]。
[編集] 江副元リクルート会長宅銃撃事件
1988年8月10日午後7時20分頃、江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃一発が発砲された[23]。江副は当時リクルート事件で世間を騒がせていた。
犯行声明では「赤い朝日に何度も広告をだして 金をわたした」からだとしている。また、「反日朝日や毎日に広告をだす企業があれば 反日企業として処罰する」と企業を標的にした内容も犯行声明には記されていた[24]。ただし、リクルート社が他紙に比べ、朝日に多く広告を出していたわけではなかった[25]。
[編集] 愛知韓国人会館放火事件
1990年5月17日午後7時25分頃、名古屋の愛知韓国人会館(民団系)が放火される事件が発生[26]。
犯行声明では当時の韓国・盧泰愚大統領を「ロタイグ」と日本語読みした上で、その来日に反対し、「くれば反日的な在日韓国人を さいごの一人まで処刑」と脅した[27]。盧泰愚の来日は、予定通り行われた[28]。
[編集] 関連事件
「赤報隊」は当初「日本民族独立義勇軍 別働赤報隊」と名乗っていたが、赤報隊事件より前に「日本民族独立義勇軍」を名乗っていた事件が発生している[29]。警察庁広域重要指定事件の対象とはなっていない。いずれも未解決事件になっている[30]。
- 1981年12月8日 - 神戸米国領事館放火事件
- 1982年5月6日 - 横浜元米軍住宅放火事件
- 1983年5月27日 - 大阪ソ連領事館火炎瓶襲撃事件
- 1983年8月13日 - 朝日新聞東京・名古屋両本社放火事件
[編集] 真相究明への取り組み
[編集] 捜査
捜査当局はこれまでに以下のような捜査を行った。
- 阪神支局における取材上のトラブルの有無、事件との関連性の捜査[31]。
- 新右翼とその周辺捜査[32]。
- 1988年5月のYP体制打倒同盟脅迫状事件、1986年 - 88年の亜細亜独立義勇軍関西部隊脅迫状事件の捜査[33]。
- 1991年12月8日に起きた米軍横須賀基地の車両放火事件の捜査[34]。
- 右翼団体とその周辺捜査[35]。
- ある宗教団体の周辺捜査[36]。
- 朝日新聞に反感を抱くグループを幅広く捜査[37]。
- 散弾銃、ワープロなどの物証捜査[38]。
- 指紋、掌紋の照合[39]。
- 「九人のリスト」の集中捜査[40]。
[編集] 警察庁長官の犯人観
国松孝次警察庁長官(当時)は、犯人について新右翼の捜査をしていることを認めた。しかし、「それだけではない」として他の視野での捜査を行っているとした。犯行について「実行犯の補助者」の存在なしでは困難との見方を示した。また犯行声明文を書く司令部の存在について言及した。必ず犯人を検挙する、風化はないと決意を語った[41]。
[編集] 犯人の目撃情報
実行犯の特徴及び犯人に結びつくものは、次の通り。
- 阪神支局事件 身長160-165cm 中肉中背、やや細目、20-40歳、黒の目出し帽 [42]
- 事件の40分前、阪神支局をのぞき込むヤクザか右翼の感じがするがっちりとした体格 の男が目撃される[43]。
- 名古屋本社寮事件 身長約170cm がっちりした体格、3・40代、黒の目出し帽。「何か音がしたろ」と関西なまりで話す[44]。
- 静岡支局事件 60歳ぐらい、ぼさぼさの髪。松屋百貨店の紙袋を持つ[45]。
- リクルート元会長宅事件 身長160cm 細身、肩が広い、20-25歳、野球帽、黒縁の眼鏡、白いマスク姿[46]。
[編集] 犯行声明
捜査当局は犯行声明の分析を言語学者ら(複数)に依頼した。それによると、 犯行声明の筆者は「ある程度知的な三〇代以上の人物」という分析結果が多数を占めた。 捜査当局は、「反日」という言葉(「反日分子」「反日マスコミ」「反日企業」など19か所ある)にも注目して捜査した。教科書問題の評論家は、「反日」という言葉を「以前からよく使っている人物がいる」として、全国的組織のある右翼理論家の名前を指摘した。別の学者が出したあいさつ状(事件前)にも犯行声明との類似点がある[47]。
[編集] 犯人の特徴・プロファイリング
「赤報隊」を名乗った犯人には、以下の特徴が指摘され、プロファイリングがされている。
- 捜査機関・関係者によるもの
-
- 朝日新聞に対する激しい敵意、恨み[48]。
- 靖国公式参拝・教科書問題を動機としている[49]。
- 幕末と現代、二つの「赤報隊」を結ぶ線は必ずある[50]。
- 銃の扱いに慣れている[51]。
- スパイ防止法(国家秘密法)めぐる論争に触発される[52]。
- 右翼理論家(学者)が事件前に出したあいさつ状に犯行声明との類似点がある[53]。
- 右翼の内情に精通している[54]。
- 犯行声明、脅迫状にどの事件も同じワープロ、用紙が使われていた。用紙の折り畳み方も同じで同一人物または同一グループの犯行と考えられる[55]。
- 3 - 4メートルの距離から散弾銃で一人を狙い撃ち、逃走時の危険が増すにも関わらずさらに編集室の奥に踏み込み、もう一人を撃ったやり方から、銃の扱いに手慣れ、大胆で冷静な行動ができる男性である。[56]。
- 被疑者は事件当時年齢20歳-40歳。身長160-170センチ。体形に幅があり、事件によって実行犯が違うという見方がある[57]。
- 右翼的信条の持ち主である[58]。
- 東海地方に足場をもつ可能性がある[59]。
- 朝日新聞によるもの
- 他のメディアによるもの
- 識者によるもの
[編集] 現場の遺留品・犯人の所有物
事件では多くの物証が残された。一連の事件では複数の男が目撃され、兵庫、愛知、静岡県警、警視庁は似顔絵や服装写真を作り、犯人を追った[75]。延べ50万人が捜査対象になった[76]。 判明している情報を以下に記す。
[編集] 散弾銃
[編集] 散弾粒
[編集] ワープロ
[編集] 封筒
[編集] ピース缶爆弾
- 朝日新聞1988年3月15日付朝刊は、ピース缶爆弾に使用された物の遺留品について報じている。
- 静岡支局事件で使われたピース缶爆弾は、秋葉原で18品目中13品目そろえられることから、捜査当局は秋葉原電気街で部品を購入と推理、捜査した。
- 合板に固定したピース缶(黒色猟用火薬、釘)、乾電池、スイッチ、電線などで出来、松屋百貨店の紙袋に入っていた。
- 買い物袋 1枚。縦28センチ、横22センチ、幅12センチの角型。黒色の地に灰色で「MaTSUYa」の文字。松屋店内の自動販売機で販売。100円。約4万枚流通。
- 時計 1個。縦9.1センチ、横11.1センチ、奥行き6.2センチの箱型。全体が黒で、ふち取りはローズピンク。服部セイコーのKG533P型。茨城県石岡市内の工場で生産。定価2600円。約1万個流通。
- 乾電池 2個。縦1.5センチ、横2.5センチ、高さ4.5センチの角型9ボルト電池。大阪府守口市の松下電池工業本社工場で生産された「ナショナルネオハイトップ」で黒色に白と銀のストライプ。トランジスタラジオやラジオに使用。1個200円。年間800万個生産。
- ピース缶 1個。直径約7センチ、高さ8センチ。京都市の日本たばこ産業関西工場製。1987年11月30日に生産。底に「6311OV」の刻印。当日5万2680個生産。東京、京都、愛知、静岡など11都府県の同社物流基地に出荷。販売地域が限定されているため、捜査本部は有力視している。
- 火薬 量は約90グラム、黒色、粒は直径0.4 - 1.2ミリ。黒色猟用火薬。手製弾用。使用者はごく一部(全国で300人)。捜査本部は「犯人に到達する可能性が最も高い」とみる。日本化薬で生産。年間約700キロ生産。
- 釘 約200本。長さ1センチ、軸の太さ1.6ミリ。頭部が平たく大きい。椅子の裏張り布の仮止めやキャンバスを枠に打ち付けるのに使用する「大平鋲」。生産量は釘全体の3%程度。
- スイッチ 1個。縦21.5ミリ、横29ミリ、高さ32.5ミリ。東京都目黒区の明工社製「MU3601」。一般家庭や事務所の蛍光灯用スイッチとして広く使用。100万個以上生産。
- 板 1枚。縦21センチ、幅11センチ、厚さ2センチの合板。
- その他 綿、電線、ビニールテープ、ボルト、ナット、接着剤、着火源など。
[編集] 繊維片
[編集] 指紋
[編集] 掌紋
[編集] 車両
- 1台は82年型の白で、横浜か静岡ナンバー[87]。1987年5月2日午前6時から3日午後1時頃の間に支局南の民間駐車場など現場周辺や、犯行直前の5月3日の午後8時12、3分頃阪神支局前の市道を2人の男が乗り、無灯火でゆっくり走っているところなど[88]、計7人にのぼる目撃者証言がある[87]。捜査当局は目撃情報に該当する車両のうち約2,600台を調べ終えた[87]。
- もう1台は76年か73年型のワインレッドで、三重ナンバー[87]。犯行直後とみられる時間帯に、支局前の一方通行を無灯火で逆行し、阪神電車の踏切を減速せずに渡るところを目撃されており、捜査当局はこの目撃情報に該当する車両約4,000台のうち1,500台の所有者を特定した[87]。
- マークII以外の不審な車両の目撃証言として、1.5-2トン積みで、車体に会社名などが入っていない灰色の保冷車が、5月3日午後8時20分ごろ、支局の南約75メートルの交差点手前に駐車しているところが目撃されている[89]。
[編集] 靴
- 朝日新聞1989年5月3日付朝刊によると、犯人が履いていた靴の情報は次の通り。
[編集] ジャケット
- 朝日新聞1989年5月3日付朝刊によると、犯人が着用していたジャケットの情報は次の通り。
[編集] 犯人の正体
一連の事件を起こした犯人は「赤報隊」名の犯行声明を送りつけた。その正体について、様々な指摘がされている。
[編集] 統一教会(世界基督教統一神霊協会)関係者が捜査対象に
朝日新聞社の発行する『朝日ジャーナル』などが統一教会(世界基督教統一神霊協会)の「霊感商法」批判を展開していた[90]ことに対し、以前から反共主義の立場から『朝日新聞』を「左翼的」、「偏向している」と敵視して来た統一教会側からの反発が強かった[91]ことや上記の統一教会の名を使った脅迫状(事件直後に「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」[92][93]という脅迫状が事件で使われた銃弾と同一の薬莢2個と同封されて届いた)、『朝日ジャーナル』の編集長をしていた筑紫哲也宛に脅迫状が届いていた[94]ことなどから、統一教会の関係者の関与も疑われ、捜査の対象になった[95]。
[編集] 動機「靖国と教科書」
中曽根康弘に出された脅迫状に「貴殿は総理であったとき靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った」とあったことから、捜査幹部は「靖国と教科書」を動機の本筋と見ている[96]。また、捜査当局は靖国参拝、教科書問題への不満からの抗議と判断している[97]。そして歴史教科書問題が事件の発端になった可能性もあるとの見方をしている[98]。
[編集] 国家秘密法批判が触発
1979年国際勝共連合などがスパイ防止法制定促進国民会議を発足させ[99]、1984年4月自民党のほとんどの国会議員、民社党の一部議員、経済界、法曹界の保守派や保守的文化人らがスパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会をスタートさせた[100]。1985年6月自民党が国家秘密法案を国会に提出し、同法案をめぐって激しい論争が起きた[101][102]。最高刑を死刑とするメディア統制法に対し新聞界では反対運動が広がり、朝日、毎日、東京、神奈川新聞、琉球新報、信濃毎日新聞、北海道新聞、共同通信などが反対キャンペーンを張り、朝日は社説で廃案を主張した。1986年11月25日の紙面は「国家秘密法増える反対議会」と題し、全国調査の特集を組むなど朝日新聞が法案を強く批判していた。捜査当局はこのことに触発された可能性もあると見ている[103]。
[編集] 潜在右翼
鈴木邦男は著書『テロ』において野村秋介の「赤報隊は新右翼とは思えない」という発言に触れたり、他にも事件について述べている[104]。鈴木は赤報隊を「絶望的な気持ちを持っていた‘潜在右翼’」と推理した[105]。また元捜査幹部の説として、赤報隊は警察が「潜在右翼」と呼ぶ、三島思想を受け継ぐ新右翼運動の流れの中にいる人物ではないかという[106]。 鈴木はジャーナリスト、大谷昭宏の「赤報隊は目的を達したのか」という質問に、「達したから止めたんでしょう。思想的に世の中を変えたと思っているじゃないですか。15年前は憲法改正と言っただけで、みんな反動だと叩かれた。今は誰でも言っている」と答えている[107]。
[編集] 元自衛官説
2001年11月半ば、朝日新聞大阪本社116号事件取材班に「実行犯は右翼思想を持つ元自衛官。事件当時30歳ぐらい。その後関西の寺の住職になったが、数年前に死んだ」と電話があり、取材班が元自衛官を追跡した。1980年代初め、海外に拠点のある宗教団体に在籍していた。除隊後右翼団体に入り、散弾銃を所持、「右翼は非公然組織を持ち、武器の扱いに精通すべきだ」と話している。1988年右翼団体をやめ、関西の寺に入り、一酸化炭素中毒死したことが判明している[108]。
[編集] 東京在住インテリ系右翼説
右翼的表現を使用し、手慣れた文章で犯行声明を書く。東京都を省略したり、「都内」と送付先を書き出す。「関西」「中京方面」と表現し、東京新聞を標的にしたことから、「東京を拠点に全国規模で活動する中高年のインテリ系右翼」と捜査当局は犯人像を描いた[109]。
[編集] 九人のリスト
1998年1月、警察庁で警視庁、兵庫県警、愛知県警、静岡県警の合同捜査会議が開かれ、動機から思想犯として右翼関係9人(後に1人追加され10人[110])のリストが示された。9人は全員事件との関わりを否定したが、捜査幹部の一人は「彼らの周辺に容疑者がいる可能性は、今も否定できない」と話す[111]。
[編集] 自称阪神支局襲撃実行犯
2009年、『週刊新潮』は阪神支局襲撃の実行犯を名乗る男の手記を4週にわたり掲載した[112][113][114][115]。それによると、在日アメリカ大使館職員に依頼され、関西の暴力団組長に紹介された若者にバイクを運転させて阪神支局に向かい、水平2連銃で記者を撃った。犯行声明文は野村秋介が書き、「赤報隊」と名付けたのも野村だという。大使館員の動機は、預けていた北朝鮮の偽造ドル紙幣の印刷原版を射殺された記者に紛失されたことであり、アメリカ本国の関与はないとしている。
これに対し、朝日新聞は初回記事発売日の夕刊で同じ男性が2005年から2006年にかけて、朝日新聞にも手紙を送ってきており、そのとき男性に会って取材したことや、週刊新潮編集部からの問い合わせに対して、面会内容や取材結果から「本事件の客観的事実と明らかに異なる点が多数ある」と回答したことを明らかにした[116]。さらに、最終記事発売後には朝刊に検証記事を載せ「事実と異なる点が数多く含まれ、真実性はないと判断した」との見解を示した[117]。産経新聞によると、警察当局も「事実と認定できる新しいものはない」「男性が捜査線上に浮かんだことはない」などと、記事の信憑性に疑問を呈したという[118]。読売新聞の取材によると、この男が未解決の八王子スーパー強盗殺人事件の真犯人だと警察当局に主張したこともわかった[119]。職員が襲撃を依頼したと指摘された在日米国大使館のデービッド・マークス報道官は「バカげた記事であり、真剣にコメントするに値しない」と発表した[120]。「事件の指示役」と名指しされた大使館員自身は読売新聞の取材に対し、事件発生当時「在福岡米国領事館に勤務しており、都内にはいなかった」「取材結果のうち、島村氏の主張に沿わない部分は掲載されておらず悪質」と手記を否定した[121]。
これらの検証を受け、自称襲撃犯の男は2009年4月8日、「私は実行犯でない。新潮が作ったストーリーに乗せられた。(記事は)うそだ」と話し、「週刊新潮から90万円を提供された」ことを朝日新聞の取材に対して明らかにした[122]。『週刊新潮』も4月23日号で誤報を認めて「おわび記事」を掲載し、「雑誌ジャーナリズムへの信頼を傷つけ慙愧に堪えない」と述べた[123]。
これに対し、阪神支局襲撃事件の遺族は「息子の死をもてあそび、世間を騒がす手段に使うなんてひどすぎます」「読者や周りの人たちをだましておきながら、『こちらがだまされた』と逃げるなんてひきょうです」とコメントした[124]。
[編集] 犯行組織名
捜査当局は新政府に冤罪で処刑された幕末の赤報隊を気取っての犯行と判断、捜査幹部は赤報隊を名乗った理由を「権力に利用されたという被害者意識、正当に評価されないという不満。幕末の赤報隊に右翼の心情が重なる」とみている[125]。相楽総三の子孫の一人は「尊敬する祖先の名を卑劣なテロに使ったということで、非常にショックを受けると同時に憤りを感じる」と話している[126]。
[編集] 右翼と事件
右翼の事件に関する発言などが報道されている。
[編集] 「事件は東に走る」と予言
1997年暮れに「ある組織の者」と名乗り、朝日新聞神戸支局に殺害された記者の遺族の様子を尋ねる電話があった。捜査に挙がっていない散弾銃について「もう処分した」と話し、記者が「犯人を知っているのか」と聞くと「どうでもええやないか」と切った。 電話の主は関西在住で50歳代の男性。大学時代に三島由紀夫を研究するサークルを創立していた。1987年9月に起きた名古屋本社寮事件のころ、「事件は東に走る」と話し、「極刑の 待ち受けたるを知りつつも 尚も征かん 草莽の士は」という歌を詠んでいる。 兵庫県警の任意の事情聴取に「おとりになって、捜査の目を引きつけようとした。赤報隊が逃げおおせられれば、本望だ」と話したという[127]。サンデープロジェクト「朝日新聞襲撃事件 15年目の真実」(2002年4月28日放送)の中で記者から犯人について問われると、「ノーコメント」と答えている。
[編集] 「朝日は襲撃さるべくして襲撃された」
経団連襲撃事件に関わった元自衛隊員は、阪神支局襲撃事件直後右翼団体機関紙に「靖国・教科書問題で内政干渉の水先案内を買って出た朝日新聞社」という記事を執筆した。その中で「朝日は襲撃さるべくして襲撃された」と述べている。 2002年私塾を開き、「民族派精神」、武道を教える。「日本の教科書が外国にとやかく言われる筋合いはない。国家をおとしめるやつは我慢ならん」と話す[128]。 時効直前、ジャーナリスト・大谷昭宏のインタビューに応じた。「今でも朝日新聞の論調はおかしいか」の質問に肯定し、「再び襲撃されることはありうるか」には「ありうる」と答えている[129]。
[編集] 「我々の同志とは思えない」
戦前、神兵隊事件、平沼騏一郎国務相狙撃事件に関わった中村武彦の話。
[編集] 「思想はわかるが、行動は理解できない」
- 日本民族独立義勇軍や赤報隊の正体は知らない。日本民族独立義勇軍は、我々と同じ主張を訴えてくれたと思い、評価した。赤報隊も、その思想はわかるが、行動は飛躍し過ぎていて理解できない。116号事件が右翼陣営や社会に何らかの影響を与えたのか、今も考えている[131]。
[編集] 影響
[編集] 「反日」の用語
鈴木邦男によると、「反日」の用語が左翼批判の文脈で広く使われるようになったのは、赤報隊事件以降であるという(それ以前には東アジア反日武装戦線を名乗った左翼テロ組織があった。鈴木は赤報隊の手法に、反日武装戦線の影響があったと主張する)。なお鈴木は自身の著書で[132]赤報隊が右翼団体であることを疑問視しており、野村秋介も「赤報隊は右翼ではない」と主張している[133]。
[編集] テロ(新聞社襲撃・記者殺害)を「お灸」と表現
「赤報隊」を名乗った犯人の主張に、右翼のほか保守派の一部には共感を覚える者がいた。たとえば、中村粲は産業経済新聞社の『正論』2001年5月号で、朝日の歴史教科書問題報道を「朝日は銃弾を撃ち込まれ、その後暫くは大人しくしていたようだが、昨今の朝日の傍若無人とも思える偏向紙面を見ると、まだお灸が足りないやうだ」と評した。朝日の“テロを容認するのか”との抗議申し入れを受け、編集部は「誤解を招く表現だった」として、6月号で謝罪文を掲載した。中村は10月号で「朝日新聞の売国的偏向報道の累積が銃撃事件の引き鉄になつたと、因果関係を示唆したに止まる」と反論した。また、「…お灸が足りないやうだ」の意図について、「赤報隊がお灸をすえるつもりだったかもしれないと客観的に叙述しただけだ」と、朝日新聞社116号事件取材班に答えている[134]。
[編集] 対NHK実弾送りつけ事件
2009年2月22日午後、NHK福岡放送局の玄関付近で卓上コンロのカセットボンベが何者かの手で爆破される事件が発生した。防犯カメラにはニット帽にサングラス、マスク姿の男が玄関に入り、自動ドア前にバッグを置き、立ち去る姿が映っていた[135]。この後、NHK放送センター(渋谷)や、長野、福岡、札幌の各放送局に旧日本軍制式銃の三八式歩兵銃の実弾が[136]「赤報隊」の名のワープロ文とともに送付される事件が発生した。郵送に使用された封筒はすべて「エクスパック500」で、消印はいずれも2月23日付の「神田」(東京都)。静岡市の静岡中央郵便局で販売されていた。防犯カメラに1月上旬、白っぽいコートを着た中高年の男の封筒を買う姿が映っていた[137]。警察では関連性を慎重に捜査中。
新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男は、「赤報隊」と同一組織・個人が自称実行犯が金目当ての犯行と語ったことに「週刊新潮」へ抗議のため、NHKを使って警告したと分析している。[138]
また、6月8日NHK広島放送局に届いたA4版茶封筒の中に、旧日本軍使用の三八式歩兵銃の実弾が入っていた。「赤報隊」と記された紙片が同封されていた。消印は5日付「大阪」。2月に東京・渋谷放送センター、札幌、長野、福岡の各放送局に同じ金属片が届いた事件との関連を脅迫容疑で調べている。[139]
[編集] 菅首相、政党幹部脅迫事件
2011年7月1日、菅直人首相の事務所に首相辞任を求める脅迫文と刃物が郵送される事件が起きた。6月27日の消印で大阪府内から投函されていた。自民党幹部や小沢一郎元民主党代表を名指し「天誅を下す」と記され、「赤報隊一同」を名乗っていた。警視庁麹町署は、脅迫容疑で捜査している[140]。
2011年6月30日、小沢一郎元民主党代表事務所に千枚通しを同封し、小沢氏や菅首相の辞任、民主党と自民党の大連立を求め、応じない場合は危害を加えるという内容の脅迫文を送りつけられた。消印は6月28日、大阪府内で投函され、「赤報隊」を名乗っていた。菅首相脅迫事件と筆跡、内容が似ており、同一犯とみて捜査中である[141]。
[編集] 犯人への呼びかけ
本島等元長崎市長が阪神支局襲撃事件の時効を前に、犯人に「あなたに子供がいるのなら、死ぬ前に、親のような生き方をしてはいけないと教えてやってほしい」と呼びかけを行った[142]。阪神支局襲撃事件で重傷を負った記者は「一連の事件が正しいというのなら、逃げ隠れせずに名乗り出て、己の主張を法廷で述べろと言いたい」と呼びかけた[143]。
[編集] 「言論の自由」をめぐる動き
[編集] 言論の自由を考える5・3集会
1988年、朝日新聞労働組合は朝日新聞阪神支局襲撃事件の追悼集会を行った。以降毎年5月3日に、「言論の自由を考える5・3集会」が開催され、言論の自由、報道の自由を考え、平和、民主主義、憲法を語り合う場となっている[144]。
[編集] 「『みる・きく・はなす』はいま」
朝日新聞名古屋本社寮襲撃事件の後、言論をテーマにした「『みる・きく・はなす』はいま」を朝日新聞社会面に毎年連載している(10年分が『言論の不自由』径書房にまとめられている)。5月3日と10月の新聞週間の前後に掲載(時効後は5月)。2002年の第26部では、インターネットでの言論が取り上げられ、朝日新聞銃撃事件に関して1999年に「120周年おめでとうございます。警戒モードに入っていますか。12年前のことを思い出して下さい」といった脅迫メールが東京本社広報室に届いたことや「小尻知博記者一人の生け贄では少なすぎる」と朝日新聞を批判するホームページ、「朝日新聞襲撃事件の時効を祝おう」と呼びかけた掲示板などが紹介された[145]。
[編集] 116号事件取材班
襲撃事件直後に「特命取材班」が結成され[146]、時効後も赤報隊の正体を追っている。1989年、取材班は『襲撃事件取材マニュアル』(84ページ)を作成し、全国の支局に配布した。冒頭には「赤報隊の正体を解明する糸口はどこにあるかわかりません。どんなささいな情報も逃さず取材班へ」と書かれている[147]。2001年5月から1年間「15年目の報告」と題した特集記事を毎月紙面化した(『新聞社襲撃 テロリズムと対峙した15年』岩波書店に収録)。
2003年2月中旬、116号事件取材班は一連の襲撃事件について在京、兵庫・静岡両県の新聞・通信社、テレビ局に事件をどう見ているか、アンケートを実施した[148]。「言論の自由を圧殺するような動きに、どう対応しますか」という問いに対する各社の回答は以下のとおり。
- 読売新聞
- 紙面を通し世論に訴えかけていくべきだと考える。
- 毎日新聞
- 言論抑圧にも、脅しにも、決してひるまずに果敢に戦うことに尽きる。
- 産経新聞
- 新聞倫理綱領の理念にのっとり毅然と対処すべきだ。命をかけてペンの力を信じて書き続ける。
- 東京新聞
- 報道圧殺の動きはオープンにしながら、しっかり対応すべきだ。
- 神戸新聞
- 警戒すべきはテロといった明確な形のものだけではない。不断の自問自答と努力も続けなければ。
- 静岡新聞
- 言論には言論で対処。断固、戦う姿勢を貫きたい。
- 共同通信社
- 暴力で言論の自由を圧殺する動きには、ペンで断固戦うべきだ。
- 時事通信社
- 報道の自由を奪う動きは自ら明らかにし、読者の理解と支持を求める。
- TBS
- 毅然とした態度でそうした事実を報道するとともに、連携し積極的に声を上げる。
- フジテレビ
- 報道の自由は民主主義の砦。決して許せないという毅然たる態度で臨む。
- テレビ朝日
- 報道機関は団結し許さない態度が必要。報道機関は自分の媒体でも視聴者にアピールしていくべきだ。
- テレビ東京
- 言論によってのみ対峙できる。報道活動を強くするしかない。
[編集] 『朝日新聞襲撃事件の10年』
1997年朝日新聞社は編年史別巻『朝日新聞襲撃事件の10年』を出し、その中で次のように述べている。
- (赤報隊が)言論の自由と、戦後の民主主義社会そのものに攻撃を仕掛けてきた事実は、犯行の直接的動機がどうであれ、変わらない。犯行声明の一つに「反日朝日は五十年前にかえれ」とあったのが象徴的メッセージである。それは、読者・国民と共にこの民主主義社会を守り、発展させていこうとする朝日新聞や日本のジャーナリズムに対する脅迫であり、「言うことを聞かないと朝日のような目にあうぞ」という読者・国民に対する脅迫だった。
- とすれば、言論・報道機関の一員として、私たちがいま取り組まなければならない課題は三つあるのではなかろうか。第一に、事件そのものの真相解明に最善を尽くすこと。第二に、言論・報道機関だけでなく、市民の言論・表現の自由を守り、侵害があれば絶対許さない姿勢で立ち向かうこと。第三に、平和憲法の精神を形骸化させ、戦前へ後戻りさせるような動きに対しても毅然として戦うことである。
[編集] 朝日新聞襲撃事件資料室
朝日新聞社は2006年4月13日、阪神支局の新局舎3階に「朝日新聞襲撃事件資料室」を開設した。記者2人が殺傷された阪神支局事件を中心に、言論機関を狙ったテロに関する資料を展示している。市民に公開することで、事件を多くの人に語り継ぎ、言論の自由など民主主義の大切さを伝えるのが目的[149][150]。開館から2011年9月末までの見学者は、社員を含めて3,600人を超えた[151]。展示物は、死亡した記者と重傷を負った記者が銃撃された編集室から採取された散弾粒、血に染まった原稿用紙、重傷を負った記者が身につけていた、散弾粒のあとが残るボールペンと財布、2人が座っていた応接セット、警察が鑑定のため切り取ったあと(四角い穴)が残る4通の犯行声明文、犯人が声明文に使用したワープロ、用紙、封筒の同型品、犯人が身につけていた目出し帽や靴、着衣の類似品、遺影、事件に関連した写真・年表・書籍など、朝日新聞が遺族や関係者から提供を受けたもの[149][150]。一般公開はされてないが、血染めのブルゾンや散弾で体が蜂の巣状になったことのわかるレントゲン写真もある[64]。見学には予約が必要。
[編集] 『明日も喋ろう 弔旗が風に鳴るように』
1993年5月3日、事件で亡くなった記者を追悼する『明日も喋ろう 弔旗が風に鳴るように』(朝日カルチャーセンター)が発刊された。本書では、記者が執筆した記事、生い立ち、生前の写真、関連年表(116号事件の経過と社会)、遺族や朝日新聞社の同僚など関係者、116号事件捜査関係者、記者が取材で知り合った人たちの思いなどが紹介されている。題名は116号事件取材班の「誓いの言葉」から。追悼集には、問答無用の暴力は卑劣であり、暴力でペンの力は弱められない、事件を風化させず語り継ぐという決意が込められ、「事件が解決する日まで、犯人と闘い続ける誓いのあかしにしたい」としている[152]。
[編集] 朝日新聞社への恫喝
[編集] 匿名の脅迫
『朝日ジャーナル』が原理運動を取り上げた記事を掲載した時、4万6000件の抗議電話が朝日新聞東京本社にかかり、朝日新聞編集委員宅に脅迫状が届いた。見知らぬ男数人が『朝日ジャーナル』記者宅周辺をうろつき、一日100件を超える無言電話があった。阪神支局、名古屋本社寮襲撃事件後、「爆弾を仕掛けた」「記者がまた殺されるぞ」という脅迫電話が300件かけられた。1999年1月24日、朝日新聞東京本社広報室に、「一二〇周年おめでとうございます。警戒モードに入っていますか。一二年前のことを思い出して下さい」という匿名メールが届いた[153]。2007年5月24日、朝日新聞さいたま総局には「社員の1人や2人殺されても仕方がない。第2、第3の阪神支局事件は必ず起きる」と社員の殺害をほのめかす脅迫文が送りつけられた[154]。
[編集] 街宣車
1986年12月22日午後4時、朝日新聞東京本社に統一教会と友好関係にある政治団体の街宣車が現れ、2人の男が朝日新聞の国家秘密法案を報道した記事を批判する演説をした。活動は24、25、26と続いた。国家秘密法案、原発事故に関する記事を批判し、「朝日の赤い疑惑」というビラがまかれた。1987年1月になっても街宣が続けられ、5(ベトナム戦争などの記事批判)、6、7、9、10、11、12、15、16、17、19、20、21、22、23、25、26、29と連日のように大音響のスピーカーを使って演説が行われた。最後は国家秘密法問題を取り上げていた[155]。
[編集] 器物破損・放火・発炎筒事件
襲撃事件以後、各地の支局、販売所の窓ガラスが割られ、ゴミ箱に放火される事件が起きた。1988年10月18日未明、水戸支局の窓ガラスが割られ、発炎筒が投げ込まれる事件が発生した。現場では、朝日新聞の昭和天皇に関する記事に抗議するビラがまかれていた。右翼団体の男2人が逮捕されている[156]。
[編集] ネットで脅迫
朝日新聞を批判するウェブサイトでは、「(記者の実名)記者一人の生け贄では少なすぎる」と書かれていた。2ちゃんねるの「朝日新聞襲撃事件の時効を祝おう」には、「赤報隊はよくやった」「皆殺しにすればよかったのに」と2ちゃんねらーによる書き込みがあった[157]。
[編集] 水戸総局への脅迫
2010年3月12日、「朝日新聞に挑戦状」と題した脅迫文が朝日新聞水戸総局にファクシミリで送りつけられる事件が発生した。「20年以上前の阪神支局に赤報隊の散弾銃襲撃事件を忘れたか。即死した記者みたいになりたいか」などと書かれていた。水戸地検は9月17日、脅迫文を送信した医師を脅迫罪で起訴した。起訴状などによると、医師は出身大学に関する朝日新聞の記事に不満を持っていた[158]。
[編集] 事件を利用する動き
[編集] 「冥途の飛脚」名の脅迫状
1996年8月、10月、12月に社会科教科書の執筆者や出版社社長宅、会社に「偏向教科書糾弾期成会 日本主義劇団 冥途の飛脚」、「関西日本原理主義劇団 冥途の飛脚」を名乗り脅迫状が送りつけられた[159]。「貴社の歴史教科書は偏向自虐的な内容で、祖国日本に対する反逆罪を構成致します」「ボンクラ大臣は選挙にうつつを抜かしていても、我々は、覚めた目で事態を注目しています」「飽くまでも合法市民団体だが、会員・会員外の別を問わず、反日マスコミへの如何なる糾弾にも反対せず」「敵の偏向売国勢力が、偏向自虐的教科書を作り続けて来た挙げ句に、従軍慰安婦問題を、事もあろうに、中学校の教科書に一斉に掲載しました。これは、彼らににとって、勢い余っての勇み足であり、我々にとっては、反撃に転ずる天与の機会であり、神風であります」「これを突破口として、南京事件や、更に偏向史観全体を粉砕することです」「赤報隊精神も想起しましょう」などと書かれていた[160]。
2009年2月「赤報隊」と印字された紙、実弾がNHKに送りつけられる事件が発生した。6月鹿児島県と大分県の右翼団体には「赤報隊 りようしてください」と印字された紙が郵送された。両者は文字の特徴が似ていて、同一人物の可能性が高いと見て捜査中。事務所関係者は「こういう手紙に自分自身が動くと思われたこと自体に腹が立つ。民族運動を志す者であれば、堂々と顔が見える運動をしてほしい」と話している。消印は名古屋市中村局[161]。
[編集] 週刊誌などの情報
[編集] 週刊文春
有田芳生が「週刊文春」(1997年5月15日号)で「赤報隊と統一教会を結ぶ点と線」と報道した。その中で警察庁幹部の発言を紹介、事件の動機、物証などから、視野に入れている個人や組織があり、右翼団体とある宗教団体周辺が捜査のタ-ゲットで、右翼と同程度統一教会の周辺にも向けてきたという。オウム真理教事件で「宗教団体への認識が変わった」と話した。統一教会の最大の疑問は「信者による銃砲店の経営」とした。
[編集] 不思議ナックルズ
雑誌「不思議ナックルズ」(vol.10 2007年4月)が「赤報隊」を名乗る犯人の正体について報道した。戦後大物右翼の系列を引く継ぐ活動家A氏の話として、赤報隊は右翼ではないが、右翼マニアの素人でもなく、戦闘能力を持った組織の犯行であり、かなり大きな背景を持っているという。また2006年10月19日、元公安調査官(公安調査庁調査第二部部長を務めた)の菅沼光弘が外国人特派員協会で講演、皇民党事件の背後の‘‘ある組織’’について言及した。同誌は、「この組織を辿ると赤報隊の正体が見えてくる。右翼の大物、財界の大物関係者、そして裏社会の面々が連なる禁断の系譜」としている。
[編集] サンデー毎日
「サンデー毎日」(1997年5月11・18日合併号)「これが116号犯の「顔」だ!未公開似顔絵、捜査独占資料入手」は、次の捜査情報を報じた。阪神支局全員(以前在籍した記者を含む)の記事を事件の一年余り前に遡って調べ、他社記事と比較した。また取材上のトラブル、取材先の散弾銃所持、動機・アリバイの有無などを捜査したが特異なケースはなかったという。また、1988年5月10日、東京都内の半蔵門会館で全国刑事部長会議が開かれ、警察庁捜査第一課長は「赤報隊は戦後の民主体制に反感を抱いていることがうかがわれる。何らかの右翼思想に共鳴する者が、一味に加わっていることが推測される。右翼関係者の捜査、本件を敢行しそうな者に対する情報収集の強化」の捜査方針を指示した。
[編集] 一橋文哉『「赤報隊」の正体』
一橋文哉が月刊誌『新潮45』の記事(2000年5月号 - 2000年7月号)をもとに執筆した。ある人物を父親の影響(神道系宗教で右翼思想を持つ、子供の時から赤報隊について聞く)、銃マニア(銃改造の知識・技術を持つ)などの理由で不審人物と判断しているが、朝日新聞社116号事件取材班は、『「赤報隊」の正体』の「推論」に否定的である[162]。
[編集] 関連年表
- 1987年
- 1988年
- 1990年5月17日 - 愛知韓国人会館放火事件発生[171]。
- 2001年5月 - 朝日新聞、「15年目の報告」連載開始[172]。
- 2002年5月3日 - 阪神支局事件の公訴時効成立。朝日新聞社が「真相に迫る努力続ける」を発表[173]。亡くなった記者の実家で、遺族、朝日新聞関係者らが参列して法要が営なわれた。遺族が「犯人を絶対に許せません」とコメントを発表。兵庫県警本部長が「天国から今後とも真相を明らかにするためのお力を貸していただきたい」とコメントを発表[174]。
- 2003年3月11日 - 静岡支局爆破未遂事件の公訴時効成立[175]。
- 2005年4月20日 - 朝日新聞社は老朽化した阪神支局の建て替えを発表した。事件を風化させないため、新しい支局内に「メモリアル・スペース」(仮称)を設ける計画を発表[176]。
- 2006年4月13日 - 阪神支局に「朝日新聞襲撃事件資料室」が公開される[177]。
- 2007年5月3日 - 兵庫県警西宮警察署長が「言論に対する暴力は許せない。時効を迎えているが、引き続き情報を呼びかけたい」と116号事件関連の情報提供を呼びかける。
- 2010年4月12日 - 兵庫県警警部が「時効後も真相解明は出来る。たたき込まれた捜査情報で犯人を突き止めたい」と話す[178]。
- 2011年7月17日 - 殺害された記者の父親が死去。享年83歳。「なぜ息子が殺されなければならなかったのか。なぜ阪神支局が襲われ、なぜ朝日新聞が狙われたのか」と真相解明を強く願った。「どうか息子のこと、この事件のことを忘れないで」が最後の願い[179]。
[編集] 参考文献
- 朝日新聞社116号事件取材班 『新聞社襲撃 テロリズムと対峙した15年』 岩波書店、2002年。ISBN 4-00-022374-7。
- 『言論の不自由』 朝日新聞社社会部編、径書房、1998年。
- 一橋文哉『「赤報隊」の正体 朝日新聞阪神支局襲撃事件』新潮社、2002年。
- エスエル出版会編『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』エスエル出版会、1987年。
- エスエル出版会編『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』エスエル出版会、1988年。
- 鈴木邦男 『赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相』 エスエル出版会、1990年。
- 鈴木邦男『テロ 東アジア反日武装戦線と赤報隊』彩流社、1990年。
- 福田洋『現代殺人事件史』河出書房新社、1999年。
- 別冊宝島編集部『昭和・平成 日本テロ事件史』宝島文庫、2005年。
- 『ドキュメント 消えた殺人者たち』ワニマガジン社、1999年。
- 『別冊宝島1582 漫画と重大証言で完全推理!昭和・平成コールドケース』宝島社、2009年。
- 『別冊ナックルズVOL.7ニッポン‘‘タブー’’事件簿』 ミリオン出版、2009年。
[編集] 脚注
- ^ 「暴力を憎む」1987年5月5日朝日新聞社説
- ^ 「許せない言論機関への暴力」1987年5月5日毎日新聞社説、「言論は暴力に屈しない」1987年5月7日読売新聞社説
- ^ 鈴木邦男(1990)、pp.16-17
- ^ 警察白書 1988年
- ^ 朝日新聞2002年5月3日
- ^ 朝日新聞2003年3月11日
- ^ 神戸新聞2004年5月4日
- ^ 共同通信2010年12月21日
- ^ 朝日新聞社会部(1998)、p.229、p.239
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.259
- ^ 朝日新聞1987年5月5日
- ^ 朝日新聞1987年5月7日、朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.260
- ^ 朝日新聞1987年5月8日
- ^ 日本新聞協会声明1987年5月8日
- ^ 朝日新聞社『朝日新聞社史』(1995年)
- ^ 朝日新聞社会部(1998)、p.239
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.261
- ^ 朝日新聞1989年3月13日
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.262
- ^ 朝日新聞社会部(1998)、p.240
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.263
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.264
- ^ 朝日新聞社会部(1998)、p.240
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.265
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.111
- ^ 朝日新聞社会部(1998)、p.240
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.266
- ^ 朝日新聞116号事件取材班(2002)、p.69
- ^ 鈴木邦男(1990)、pp.147-152
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.74
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.100、「サンデー毎日」(1997年5月11日・18日合併号)
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、pp.74-78、朝日新聞1989年5月3日、1996年5月3日
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、pp.108-110
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、pp.78-79
- ^ 朝日新聞1989年5月3日、1995年5月3日、1997年5月3日、2000年5月3日、「週刊文春」(1997年5月15日号)、
- ^ 「週刊文春」(1997年5月15日号)
- ^ 朝日新聞1997年5月3日
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、pp.37-40、p.42
- ^ 「週刊文春」(1997年5月15日号)、朝日新聞2002年1月8日
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.117
- ^ 朝日新聞1996年5月3日
- ^ 1997年5月3日、1999年5月3日付朝日新聞朝刊
- ^ 「JNN報道特集 朝日新聞襲撃事件 時効直前!赤報隊の闇に迫る」2002年4月28日放送による
- ^ 1997年5月3日、1999年5月3日付朝日新聞朝刊
- ^ 1999年5月3日付朝日新聞朝刊
- ^ 朝日新聞1997年5月3日、1999年5月3日付朝刊
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.60
- ^ 朝日新聞社社会部(1998)p.234
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.48
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.31
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- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.60
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- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.30
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.28
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.30
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.29
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.73
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)p.59
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班|(2002)、pp.43-45
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、pp.80-84
- ^ 2001年8月3日付朝日新聞朝刊見出し「元首相に脅迫状。赤報隊の影、政界にも」、記事リード「執ように朝日新聞への攻撃を続けてきた赤報隊がなぜ、両元首相を脅迫したのか。2人の周辺の右翼に動きに、赤報隊の影を追った」、朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.43「赤報隊の影、政界にもー元首相に脅迫状」「それまで執拗に朝日新聞への攻撃を続けてきた赤報隊がなぜ、両元首相を脅迫したのか」。尚「週刊文春」(1997年5月15日号)「赤報隊と統一教会を結ぶ点と線」では「捜査当局は靖国神社参拝問題や教科書問題への不満など、政治状況への抗議を行ったものと判断している」との記述がある(p.42-p.43)
- ^ a b 鈴木琢磨 (2007年5月1日). “特集ワイド- 朝日新聞阪神支局襲撃20年 戦いは終わらない”. 毎日新聞
- ^ 「週刊文春」1997年5月15日号、p.42
- ^ ミリオン出版(2009)、p.80
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- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.72
- ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、pp.16-17、『謀略としての朝日新聞襲撃事件』(鹿砦社)p.60
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- ^ [2]衆議院会議録情報 第108回国会 法務委員会 第3号
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- ^ 「週刊文春」(1997年5月15日号)
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