犬塚博英

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犬塚博英日本民族派運動家。八千矛社代表。民族革新会議顧問(元議長)。民族派の重鎮として知られる人物である。

1948年、福岡県生まれ。長崎大学に入学、民族派学生運動に従事し、椛島有三らと公立大学初の学園正常化を成し遂げた。全国学協(全国学生自治体連絡協議会)書記長、民族派全学連結成準備会委員長を務めた。

1972年鈴木邦男阿部勉らと新右翼団体「一水会」を創設。代表的活動家であったが、1980年に脱退して八千矛社を結成。八千矛社は日本の主要右翼団体の一つとして知られる。

人物[編集]

安田浩一ネットと愛国』のインタビューでは、在特会には批判的である。

『宗教問題』に「愛国教団「生長の家」の変質を問う」を連載。現在の生長の家には批判的である。

参考文献[編集]

  • 猪野健治『日本の右翼』
  • 警備研究会『右翼の潮流』
  • 鈴木邦男 愛国者の座標
  • 安田浩一『ネットと愛国』
  • 山平重樹『ドキュメント新右翼』