生長の家

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生長の家
設立年 1930年(昭和5年)3月1日
本部 山梨県北杜市
会長 谷口雅宣
設立者 谷口雅春
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生長の家(せいちょうのいえ)は、1930年昭和5年)に谷口雅春により創設された新興宗教団体[1]。 主要な活動資金は、谷口雅春およびその子孫による書籍を出版することで得ている。(但し、著作権の問題などから、近年はそれが難しくなっている。後述)その信仰は、神道仏教キリスト教イスラム教ユダヤ教等の教えに加え、心理学哲学などを融合させている。全宗教の真理は一つと捉えている。宗教法人格を持つ。

概要[編集]

1930年谷口雅春によって創始された。公称信者数は168万人(2010年12月31日現在)、内日本には約65万人程度と主張している。本部は山梨県北杜市大泉町西井出8240-2103

現在の総裁は、谷口雅春の娘婿・谷口清超の二男・谷口雅宣2008年10月28日に父・清超が89歳にて逝去したため、立教記念日の2009年3月1日付を以て、谷口雅宣が第3代生長の家総裁に就任した。

総本山として龍宮住吉本宮長崎県西海市に、別格本山として宝蔵神社京都府宇治市に各々ある。教典として『生命の實相』、『甘露の法雨』、「七つの燈臺の點燈者の神示」などがある。

歴史[編集]

創始から終戦まで[編集]

別角度から

創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、紡績会社勤務のときから1918年大正7年)に大本の専従活動家になり、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任した。同時期に大本の本部で活動していた江守輝子と出会い、1920年(大正9年)11月22日に結婚。

1922年(大正11年)の第一次大本事件を機に、大本から離脱した浅野和三郎と行動を共にし、翌1923年(大正12年)には浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』に加わった。同年関東大震災で被災し、妻・谷口輝子の実家である富山に疎開中の10月10日、長女の谷口恵美子が誕生。

雅春は、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニー勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園西田天香らとも接触した。特に当時流行していたニューソート自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。

1929年昭和4年)12月13日深夜、瞑想中に「今起て!」と神から啓示を受けたことを機に、1930年(昭和5年)3月1日に修身書として雑誌『生長の家』1000部を自費出版した(生長の家ではこの日を以て「立教記念日」としている)。

「人間・神の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」のニューソート流主張により、支持者・講読者を拡大。 『生長の家』誌で発表した雅春の論文は1932年(昭和7年)に『生命の實相』としてまとめられ、1935年(昭和10年)には購読者を組織して「教化団体生長の家」を創設する。各地に支部を設立し、また学校などでも生長の家の講演会が開かれるなど教勢を拡大した。

敗色濃厚な1944年(昭和19年)には紙の配給が止まり『生長の家』誌の発行も一時停止したが、軍国的な「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど教団を挙げて戦争に協力し、天皇信仰・感謝の教えを説いた。

戦後は西洋思想家の著作の邦訳も行っていたが、その翻訳作業の助手の募集を見た者の中に、後に谷口雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超(後の谷口清超)がいた。清超は、1946年(昭和21年)に雅春の一人娘の恵美子と結婚する。

戦後の法人化と政治への参加[編集]

1949年(昭和24年)に「生長の家教団」として宗教法人格を得て、組織の再構築を行った。その後は妊娠中絶反対運動などでも積極的に政治活動を行うようになり、伊勢神宮の神器の法的地位の確立(一宗教法人の私物ではなく皇位継承と特別な関係のあるものと主張)や、靖国神社国家護持運動など右派活動を行った。さらに、建国記念の日の制定や、元号法制化に教団を挙げて協力した他、生長の家政治連合(生政連)を結成し玉置和郎村上正邦らを自由民主党公認候補として参院選に送り込んだ。

1978年(昭和53年)の第2回相愛会男子全国大会(日本武道館で開催)の時には、玉置和郎中川一郎黛敏郎また130名程の国会議員が参加し、渡米中だった、時の首相・福田赳夫から祝電が届いた。

また、学生運動が再高揚した1969年(昭和44年)には、生長の家学生会全国総連合(生学連)が、他の保守系諸団体と共に学生右翼団体全国学生自治体連絡協議会(全国学協)を結成し、「学園正常化」と「YP体制打倒」「反近代・文化防衛」を掲げて、全国の大学で全日本学生自治会総連合と激しく衝突した。鈴木邦男高橋史朗伊藤哲夫などの民族派の活動家や文化人、衛藤晟一井脇ノブ子などの政治家は、生学連もしくは全国学協の出身である。

日本青年協議会(以下日青協)は、もともと全国学協OBによって結成された組織で、草創期の幹部に生長の家出身者が多かったが、生長の家教団とは無関係の組織である。また、日青協の学生組織である反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)は、全国学協内の路線対立、分裂によって生まれた組織である。1973年(昭和48年)に、全国学協中執を中心とする一派が自立草莽・実存民族派路線、反米帝・民族解放路線(第三世界との連帯と反米路線。パレスチナ解放機構等との共闘を主張)を採択したのに対し、もう一派は、反ヤルタ・反憲・民族自立路線の下に新たに反憲学連を結成した。

また、前記の伊藤哲夫の主宰する団体が、保守・右翼系シンクタンクの日本政策研究センターである。日青協が学協OBの組織であるのに対し、政策センターは生学連OBを中心に結成された組織である。

現在、日青協や政策センターは、「日本を守る国民会議」の後継団体である日本会議の加盟団体として、神社本庁やその傘下の神道政治連盟念法眞教仏所護念会崇教真光キリストの幕屋等、生長の家以外の保守的宗教団体と強い関係を構築している。保守的宗教団体に数えられることもある世界基督教統一神霊協会原理研究会とも、全国学協の草創期に一時部分的に共闘したことがある。

世代交代後と現在[編集]

1985年(昭和60年)6月17日に谷口雅春が死去し、娘婿の谷口清超が第2代の総裁に、妻の谷口恵美子が第2代の白鳩会総裁に就任。

1988年(昭和63年)4月26日には雅春の妻で初代白鳩会総裁・谷口輝子が死去。その後1990年平成2年)11月22日には、谷口清超の次男・谷口雅宣が副総裁に就任するし、清超と共に講習会への講師としての出講を行うようになっていく。1993年、「国際平和信仰運動」を提唱し推進、日本政府による太平洋戦争(大東亜戦争)への反省や戦争責任の追及、人権感覚からの女系女性天皇の推進を表明するなど、これまでの愛国・保守(=右翼)的教義から距離を置くような転換を積極的に進めている。また近年では、地球環境問題や遺伝子操作・生命倫理問題、エネルギー問題などの現代科学に対する宗教右派の立場からの主張が多く、教団の教義にもその意向が強く現れてきている。谷口雅宣はリベラルな主張をする一方で、非核三原則に「現実的でない」と反対するなど、保守的な要素も強く、教団は中華民国を支持するなど、外交面にもそれが表れている。

1994年(平成6年)には谷口雅宣の妻・谷口純子が白鳩会副総裁に就任。谷口清超は2005年(平成17年)頃より体調を崩し自宅にて療養・静養中であったが2008年(平成20年)10月28日に死去。それに伴い、2009年(平成21年)3月1日の立教記念日に「生長の家総裁法燈継承祭」が執り行われ、谷口雅宣が第3代の総裁、あわせて妻の谷口純子が、谷口恵美子より白鳩会総裁職を譲り受け、第3代の白鳩会総裁に就任した。

海外活動[編集]

生長の家は日系移民の多いブラジルで盛んで、信者数は250万人などと公称、またサンパウロ州クリチーバ市サンジョゼ・ド・リオ・プレット市サンタマリア市ベレン市ポルト・アレグレ市、等では「生長の家の日」が制定されている、と主張している。

過激派の行動[編集]

生長の家はもともと宗教右派色の強い組織であるが、現在は3代目総裁の谷口雅宣自身が自由民主党に対して、しばしば対立的な言動を行うなど、距離を置くようになり、信徒もそれに習うようになった。

しかし、谷口雅宣の教えが谷口雅春の教えから大きく逸脱しているという考えを持つ信徒は、教団の環境問題を第一とする活動などへの批判を強め、「谷口雅春先生を学ぶ会」などに代表されるように、独自の活動を行うようになった。

生長の家本流運動[編集]

新教育者連盟をはじめとする、生長の家右派の信徒は、積極的に『新しい歴史教科書をつくる会』の活動に参加した。つくる会の構成員には生長の家の信奉者が多いこと、『生命の實相』が1,900万部を売り上げたことでも知られる。また、つくる会の内紛は、生長の家信者の政治闘争がひとつの原因だと言われている。

その後、新教育者連盟は、谷口雅宣と対立し、生長の家の活動から離脱した。また、このころ、内紛により、元幹部による「谷口雅春先生を学ぶ会」、谷口清超の二女夫妻を中核とした「生長の家オーストラリア法人(ときみつる会)」などの別派が本部を離脱している。


『生命の実相』発刊停止問題[編集]

生長の家本流運動を名乗る組織は、生長の家社会事業団を中心に、著作権問題を名目として、『生命の実相』発刊停止を求める訴訟を起こした。[2]結果は、生長の家社会事業団の勝利に終わり、現在、生長の家は布教に利用している聖典の一部を使用できない状態に追い込まれている。これには、宗教弾圧であるとする見方もある。

活動と普及誌及び組織構成[編集]

信徒も含め一般向けの行事として「講習会」が設けられており、全国59教区で隔年開催されている。

一般向けの月刊誌(「普及誌」)としては、『いのちの環』、『白鳩』、『日時計24』の3誌を日本教文社が月1回発行、世界聖典普及協会を通して頒布している。機関紙としては『聖使命』、『生長の家』がある。いずれも月1回発行である。

信者組織としては、男性対象組織「相愛会」(1万人)、女性対象組織「白鳩会」(6万人)、12歳~39歳の男女青年組織「青年会」(3千人、誌・組織共に1998年)が基本の3組織とされている。なお白鳩会のみ、教団全体の総裁・副総裁とは別に、単独組織の総裁・副総裁が設けられており、2009年現在、白鳩会総裁は谷口純子である。なお、教団全体の副総裁、ならびに白鳩会副総裁は空席となっている(1985年11月21日まで総裁・谷口雅春、白鳩会総裁・谷口輝子、2009年2月28日まで総裁・谷口清超、白鳩会総裁・谷口恵美子であった)。

この他に副次的組織として、会社経営者や産業人で構成される「栄える会」、学校教員や教育関係者で構成される「生教会」(生長の家教職員会)が存在する。なお、かつては生教会と同列的な組織に「新教連」(新教育者連盟)が存在したが、2003年に生長の家との包括的関係を解消している。

教義など[編集]

生長の家の教義は谷口雅春の著作特に生命の実相甘露の法雨を基礎とする。尚、生長の家は、神道仏教キリスト教又、天理教大本等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。

行法[編集]

生長の家では、信者は、「神想観」「大祓の人型」(年間二回)「浄心行」「写経」とよばれる「行法」のうちどれか一つでも一日に一回するのが望ましいとされている。

「神想観」は、正座をして先ず招神歌をよみ瞑目合掌する。「大祓の人型」は、紙の札に氏名を書きそれで本人を擦り、息を吹きかけ、それを総本山と各教化部で焼納する。「浄心行」は、自分の思っている悪いこと全てを紙に書き出し、それを本山等で清めた炎で焼却する。「写経」は「甘露の法雨」を写す。といったものである。

供養[編集]

永代供養は、永代祭祀ともいい、供養される者の氏名を専用の「甘露の法雨」経典に書き供養する。生存者の場合は総本山龍宮住吉本宮の誠魂奉安筐に奉安され故人に為ると別格本山宝蔵神社の紫雲殿に遷され永代供養される。

社会への影響・政治活動[編集]

生長の家および生長の家系列の宗教の書籍等では旧日本軍に生長の家信者が少なくなかったことが記される。

一番有名なのは宮城事件を信者の田中静壱が鎮圧したことである。この際、甘露の法雨も持っていたともいわれる。また生長の家の講師が田中静壱の病気を治したのが入信のきっかけだったという。

根本博は生長の家の教義にしたがい終戦後も内モンゴルソビエト連邦と戦った。


浅野健一は、「ネティズン極右的な言論は自然発生的な面もあるが、『生長の家』などのカルト的な宗教団体が反動的な政治家と組んで組織的に展開している。」[3]と述べた。

施設・機関[編集]

日本[編集]

上記の他全国各都道府県に教化部が設けられている。尚、新潟県、東京都、京都府、長崎県は二つの教化部が存在する。又、北海道は札幌、小樽、室蘭、函館、旭川、釧路、北見、帯広に教化部が存在している。 それぞれ、○○教区というふうに呼ばれる。

尚、以下の団体は生長の家本流運動に参加し、宗教法人「生長の家」より離脱している。(#過激派の行動参照)

  • 生長の家社会事業団(東京都国立市
  • 生長の家神の国寮(同上)

日本以外[編集]

  • 生長の家北米伝道本部
  • 生長の家北加中央会館
  • 生長の家トロント会館
  • 生長の家バンクーバー会館
  • 生長の家ニューヨーク会館
  • 生長の家ハワイ綜轄教化部
  • 生長の家ブラジル伝道本部
  • 生長の家ブラジル別格本山
  • 生長の家南米練成道場
  • 生長の家サンタ・テクラ練成道場
  • 生長の家サンタフェー練成道場
  • 中華民國生長之家傳道協會(中華民國・台湾)


参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 週刊ダイヤモンド、2009/09/12、30ページから、“新宗教”
  2. ^ 生長の家社会事業団等との訴訟について
  3. ^ 日本におけるオーマイニュース・モデル成功の条件: 市民参画型ジャーナリズムを創出するために” (2005年2月23日). 2014年7月26日閲覧。

外部リンク[編集]

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