ラエリアン・ムーブメント

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日本のラエリアン

ラエリアン・ムーブメント(Raelian Movement)はラエルことフランス人のモータースポーツ系ジャーナリストクロード・ボリロン(Claude Vorilhon)が創始した新宗教[1](宗教法人として登記はされていない)。欧米ではラエリズム (Raelism)と呼ばれる場合もある。

公式アナウンスによると、ラエルは1973年12月13日にフランス中部で遭遇した異星人「エロヒム」から人類の起源と未来に関する重要なメッセージを受け取り、そのメッセージを地球人類に普及する事を目的としてこの団体を創立したとされる[2]

概要[編集]

伝聞によると1973年、フランス人のモータースポーツジャーナリスト、クロード・ボリロンは、フランス中部のクレルモン=フェラン近くの火山のクレーターで、空飛ぶ円盤から現れたエロヒムと名乗る異星人とコンタクトしたとされている。エロヒムは原典ヘブライ語旧約聖書に出てくる単語であり「天空から飛来した人々」を意味している。そのエロヒムからメッセージを伝えられ、ラエルという名を授けられたとされている。ラエルとはヘブライ語で「エロヒムの大使」の意である。

このメッセージによれば、現在の地球上の生命は、25,000年進んだ科学技術力をもつエロヒムによって、科学的に創造されたとしている。また、生命創造の前に地球の大気組成を科学的に調査し、生物に適した惑星にするために大陸を形成したとしている。

を、「科学を理解できなかった時代の古い概念」と位置づけており、霊魂も現実には存在しないと考えている。これは無神論的な宗教であると主張している。また生物の進化は、現実には起こらないと考えている。進化論ではなく、生命の科学的創造により、より高度な生物が誕生したとされる。創世記は過去の生命創造の証となるという。有神論的創造説とは異なり、外宇宙の知的生命による創造科学論であるとしている。

エロヒムのメッセージでは、アダムとイブはDNAレベルで創造された「試験管ベビー」であり、実験場のひとつエデンの園イスラエルにあったと書かれている。またエロヒムの1人アマミキヨが最初に降り立ったのは日本の沖縄県であったとされており、現在も海底神殿などの遺跡が残されていると主張している。

またこの団体の広報によると折に触れエロヒムは人類と接触しており、そのためエロヒムは原始的人類の理解を越えた神として振舞ってきたと信じている。モーゼブッダイエスマホメットなどの預言者は、エロヒムのメッセンジャーであったとされる。

創始者のラエルを含めラエリアンムーブメントのメンバー全員が無給でこのメッセージ普及活動に従事している。メンバーからの寄付金はエロヒムを地球に迎えるための大使館建設及び講演会・セミナー開催必要経費などに充てられている。ラエリアンのメンバー全員がエロヒム迎える大使館建設およびエロヒムからのメッセージ普及という2つを目的に活動を続けている。 2003年11月の時点で、世界90カ国に活動拠点があり、6万人以上のメンバーが在籍しているといわれる。中でもラエリアンムーブメント日本支部は最も規模が大きく、公式アナウンスによれば6,000人以上のメンバーを擁している。 現在は、ラエリアンムーブメント主催によるメッセージ講演会が全国各地で開催されている。

教義[編集]

ラエリアン・ムーブメントの教義は、ラエルが異星人エロヒムの1人と会って告げられたメッセージを真実と認め、エロヒムを人類の創造主と認めて、彼らの要望どおり地球に迎え入れることである。ラエリアンとは、このメッセージを理解できた人のことをいう。メッセージは、ラエルの著作『地球人は科学的に創造された』にまとめられており、概要は以下のとおりである。

1973年のメッセージ[編集]

この団体の広報によると、ラエルは1973年にフランス中部の山岳地帯で、空飛ぶ円盤から降りてきた異星人と遭遇した。異星人は世界中の言語を話せるといい、フランス語でラエルと会話した。その後、同じ場所に円盤は出現し、ラエルは6日間にわたり円盤内で異星人からメッセージを聞き、それをノートに書きとめた。

異星人は自らをエロヒム(ヘブライ語で「天空から飛来した者たち」の意)と名乗り、2万5千年前に、彼らの科学者たちが地球にやってきて、生命創造実験を開始したと語った。彼らの惑星では、生命創造実験は危険であるとされ、禁止されていたからである。彼らは地球で、ひとつの大陸を形成した後に、化学物質から植物の細胞を創造した。全ての生命を創造し、現代で言うエコロジーと呼ばれる生態系を作った、とされる。

人間の文明が進歩することは、創造者=エロヒムの安全を脅かすことであり、科学に関しては無知にする必要があった。しかし、実験場の1つであるエデンで、創造者の科学者たちが人間に、科学技術を発展させれば創造者と同様になれる、ということを教えてしまった。そのため実験場内での人間の保護を止め、人間は実験場から外界に出されることとなった。このことにより、追放された創造者の科学者たちは、人間の娘たちを妻にした。そして、彼らの子供たちの子孫がイスラエルの民となった。この後、彼方の惑星の創造者たちは人間を危険なものとして、洪水によって全ての生命を抹殺した。しかし、数千キロメートル離れた上空で保存されていた細胞を使って再び生命は創造された、と説かれている。

モーゼエリヤエゼキエルらの前に姿を現したエロヒムは、その後ひとりの「メシア」を遣わすために、マリアに創造者の子をもうけた。イエスやモーゼによる様々な奇跡は、創造者の科学技術によるものである。イエス・キリストは、エロヒムが人類を創造した証としての聖書を、世界中に広める役割を持っていた。この役割は、本来はイスラエル人に与えられていたものである。

ラエルはモーゼ、釈迦、イエス・キリスト、ムハンマドなどのエロヒムが遣わした預言者たちに続く、アポカリプスの時代(全ての事が科学的に理解できる時代)の最後の預言者になる。ラエルは、ラエルの名でメッセージを広め伝えることと、エロヒムを迎える大使館を作ることを要請される。

エロヒム自身も別の惑星からの創造者により創造され、将来人類も創造者となり他の惑星に生命を誕生させる時が来るという。またエロヒムは、他の多くの惑星と経済的交流をもっているが、エロヒムと同等の科学水準にある惑星の文明は発見できていない。創造者の世界では、生物ロボットを使うことにより労働の義務がなく、貨幣制度結婚制度も存在せず、知性が高い人々によって選ばれた天才たちによって統治されているという。人類の破滅を避けるためには、天才たちによる天才政治、人道的人類主義、単一の貨幣制度および世界政府実現が必要であると記されている。

1975年のメッセージ[編集]

この団体の広報によると、ラエルは、1975年にロックプラで再びエロヒムと会った。そして地球近くの基地を経由して、エロヒムが他の惑星上に造った楽園を訪れた。そこは「不死の惑星」と呼ばれ、科学的に不死となったイエス・キリストや仏陀、モーゼなどの預言者たちと、選ばれた不死の地球人たちがいた。

エロヒムが人類を滅ぼすことはしない。ただし、人類自身の手による大破局が訪れた場合は、ラエルに従う人々及びエロヒムのメッセージは知らなかったが人類の発展に貢献した人々だけが救われる。

ヤーウェはエロヒム不死会議の議長であり、地球における人工生命創造計画の指揮をした。エロヒムはすべての人間を観察していて、その生涯の行為において採点され、死後「不死の惑星」に再生されるか否か、裁きを受けると記されている。 は存在せず、霊魂も存在しない。死んだ後は、科学によるものでない限り何も残らない。 エロヒムを迎える大使館はイスラエルエルサレム近くに希望するが、もしイスラエルが拒否すれば大使館は別の国に建てられて、イスラエルは破壊される。現在は日本に大使館を建設する計画が進んでおり、ここにエロヒムが再び来訪すれば、人類は新たなる黄金時代に入る。エロヒムと共にキリストなどの預言者が大使館にやって来る。過去にエロヒムは、ルルドをはじめとして、世界各地で援助に値すると判断した人々に、救いの手を差しのべて来た。 

1997年のメッセージ[編集]

この団体の広報によるとその後1997年にもメッセージがあり、イスラエルの民とのつながりは終わりに近く、エロヒムの保護を失い離散するだろうとしている。新しい時代での仏教は、ラエリアンに近い宗教である。全ての諸国に、大使館建設のための許可と必要な治外法権を要請する。1kmの領地の半径は陸でも、航行が禁止されていれば水面でも良い。大使館を建てる国の将来は保障され繁栄し、将来何千年も全地球の精神的科学的センターになる、とのメッセージがあったと記されている。

クローン人間[編集]

ラエリアン・ムーブメントの司教ガイドであるブリジット・ボワセリエ(Brigitte Boisselier)代表は、クローンエイド(Clonaid)という専門会社を設立して研究を行い、2003年にクローン人間が誕生したことを発表した。また2004年にも同社は複数のクローン人間の誕生を発表した。日本でも発表した事実については、文部科学省の作業部会と国会で取り上げられている[3][4]

疑問[編集]

但しこのような新興宗教に対しては、さまざまな情報を精査しながら、客観性を持って判断することが必要である。

フランスの「Le Progres de Lyon」誌に2003年1月16日に掲載された記事では、創始者の古い友人の証言として、「皆で冗談として話した作り話を、彼は事実として出版社に売り込み始めた」とある。

ラエリアン・ムーブメントの「バイブル」とされるメッセージ本の内容も、創始者の初出版(1974)より以前に何冊も「聖書分析」に関する本を出版している、フランスの「ジャン・センディー」という研究家の発表内容に酷似している。(ジャン・センディーはUFOコンタクティ―ではないし、飽くまで自説としての聖書分析の内容を発表しているに過ぎない。)

 ジャン・センディ―著作(英語・フランス語) 無料ダウンロードページ→ http://raelian.com/download/

何れも、現地フランスやかつての拠点であった海外各地では周知の事実であるが(そのため日本に拠点を移したとも言われる)、日本のメンバーは知らない人が多い。 (詳しくは「ラエリアン・ドット・コム ‐ 脱会したラエリアンたちの証言」 http://raelian.com/jp/ へ。)

以下、参照 ↓ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ジャンジャック・アレン(Jean-Jacques Arene)記者の証言

(ラエルの幼時の友、2003年1月16日のル・プログレ・デゥ・リヨン(Le Progres de Lyon)誌から抜粋) 

Le Progres de Lyon on 16 Jan 2003 "1973年の一夕、我々はクレモン・フェラン(Clemont-Ferrand)市内のガヤール(Gaillard)と いう場所にパーティを開き、異星人たちを招待しました. 我々は3人でした。 クロード・ヴォリロン(Claude Vorilhon)はフランク・メッサグ(Franck Messegue)の話―どうやって父がお金を稼いだか―に強い印象を受けたようです. 彼[Vorilhon]はオートポップ(Autopop)という雑誌を運営していたばかりでした。けど、運営状 況はよくなかったんです." "私はそのとき20歳でした. 我々は一団となってクレモン・フェランで遊びに行きました. 我々は一緒に集まって、酒屋に行ったりクラブに遊びに行ったりしました. パーティの後、私たちは夜っぴてできるだけ一番すごいうそを作りながら騒ぎました. 異星人の話はフランクから始まりました. ピュイ・デゥ・ドム(Puy de D om e)から近くて静かなどころで散歩中に、 私はピュイ・デゥ・ラー・ヴァシ ュー(Puy de la V ache)とピュイ・デゥ・ラーソラー(Puy de Lassolas)を提案しました。 オートバイのを乗 っていってやった話だと覚えています" "私たちにはただの冗談でしたか、クロードにはそうじゃなかったんです. 次の日、彼はラー・モンターニュー編集局に行って自分のストーリを話しました. その後、彼は消えました. 状況がからくるって始めたときから彼はクレモン・フェランから、知り合いの人から去りまし た. 私が記憶する限り彼はモリス・メッセグの成功(ハーブ茶の販売で稼いだこと)に魅了されて いた状態でした. 彼の息子は自分の父の手法を詳しく説明していて、ヴォリロンは一つ一つ逃さないように傾聴 しました."

参考:ラー・モンターニュー(La Montagne)は1974年3月4日ジャン・センディー(Jean Sendy)の開催された講演会が紹介された同じジャーナルである

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]