天才
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天才(てんさい)とは、先天的に常人をはるかに超えた能力を持った人を言う。
単に「天才」と言う場合は、主に知能についてであるが、「○○の天才」といったように芸術やスポーツ等様々な分野の人物を指しても使われる。
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[編集] 概要
能力の多寡によって、天才と一般人とを分類することは非常に困難である。折角素晴らしい能力を持ちながらも、それを発揮する機会も無く、唯の「偏屈人間」として生涯を閉じる圧倒的多数の者や、たとえ才能を存分に発揮しても、たまたま運が悪く、評価されずに不遇の人生を閉じるゴッホのような天才もたくさんいる。なお、たとえ演説の才能に優れ人心掌握術に天才的能力を発揮したヒットラーのような人物は、後世尊敬を受けるべきでないため、一般的用語としての天才には含まれない。つまり、天才一般は、それらの才覚によって社会に利益をもたらす存在といえる。
一般に、天才には夭折する人が多いといわれている。これはその才能が惜しまれながらも失われたことによる評価も含むのであろうが、後述するように奇人・変人の域にあり、周囲との摩擦により彼等の多くが現実には不幸で自殺に走り易く、また非常識な感性のため薬物中毒やアルコール中毒に侵される者も多く、健康を省みないで、容易に病死に至る、といった破滅型天才の性格という事情にも絡む。幸運にも才能を発揮することで後世に名を残した天才達に共通する実態は、幼少時から周囲からは変人扱いされ、しかも一般には感受性が豊かで、更に才能を巡る周囲の妬みにより、現実には孤独で不幸な生涯を過ごす者が多い。また、彼等の圧倒的多数が、先天的或いは後天的原因により多少なりとも心や脳の病気など、現代でいううつ病や統合失調症等、何らかの精神疾患に悩まされていた事実が、過去の文献からも明らかとなっている。更に、天才は一般的に人格的問題を抱えた者も多く、一般的に良き家庭人ではなく、男性であれば、生涯を通して独身、或いは結婚しても生殖活動に無関心で、結果として子孫を残さずに一代で途絶える傾向が高い。勿論、様々なケースがあり、天才のいずれもが奇人変人で夭折というわけではなく、(本人の努力により)常識人として過ごした後に晩年になって才能が開花した者や、或いは、若くして成功者となった者は婚姻を繰り返して子孫を沢山残す者、或いは良心的道徳観念を無視した犯罪的生殖活動に異常な情熱を注ぐジャン=ジャック・ルソーのような天才もいる。要するに、天才とは、非常識で型破りな変人で、本人は不幸ではあるが、人類にとっては幸運にも、たまたま彼等の秀でた才能が社会に発揮された人物といえる。
また、近年の脳科学の研究では、天才と一般人とで、トータルすれば能力量に差は無いが、天才の場合「一般人であれば誰でも出来ることが出来ない反面、一般人には困難なことをた易くこなしてしまう」という、アンバランスに偏った才能の持ち主であるという説が有力となっている。日本では中学で教わるオームの法則も知らないものの、確固たる電気王エジソンが劣等生だった史実は余りにも有名であるが、世界の近代法の礎となったフランス民法典をたった一人で構築したナポレオンは、軍人のみならず法律家としても天才といえる。ところが、意外にも学生時代の彼の成績は、皇帝となった後で、飛び級にて短期間に卒業したと宣伝されたものの、現実には数学で一時期比較的良い成績を収めたこともあったそうだが、いずれの科目も中の下を低迷していたのである。なお、幼少時にイタズラを教師から咎められ「お前は一体何様のつもりだ」と言われたナポレオンは、威厳をもって「私は、一人の人間である」と応じた風変わりな少年で、学生時代の画期的な逸話は彼が陣頭指揮した雪合戦での圧倒的勝利だったそうである。もっとも、そのようなナポレオンも、フランス革命が無ければ、軍人としても法律家としても活躍する機会が無く「フランス革命で、最後の当たりくじを、たまたま引いた幸運者」と揶揄する意見もある。
子孫を残した天才につき、後年子孫の動向を追跡調査したところ、一定の確率にて、やはり型破りな人物が産れることが多い。しかし、残念ながら彼等の多くは犯罪者や精神病院で生涯を過ごす等、単なる奇人・変人としての不遇な生涯を過ごすことが多い。そのようなことから、天才は、たまたま秀でた才能と、時代の要請や与えられた環境とが、ラッキーに合致した者であり、遺伝学的には劣性であるとする説もある。
そのようなアンバランスな才能のため、天才は、特定分野や一定範囲内に限って優れた才覚を発揮し、芸術(音楽・美術・文学)やスポーツ、芸能・マスコミ、政治・科学・数学・哲学ほか、様々な分野毎に天才と称される人が見られる。
[編集] 天才の成り立ち
天才とは一般に、天性の素質に恵まれて才能を発揮する者とみなされる。しかし各々の天才と呼ばれる者の成り立ちを伝記などから紐解く限りでは、必ずしも彼らが幼少の頃から天才扱いされているとは限らない。大人社会での一般常識を身に付けるための訓練が主要な幼少時には、むしろ問題児であるケースの方が圧倒的に高い。実際に「神童(総合的な学業成績に秀でた子供)も、大人になればただの人」などという警句にみられるように、幼い頃に学業成績に秀でたからといっても、それが大人になっても続くとは限らない。確かに、芸術やスポーツの世界では、努力を怠らなければ幼少時の才能が大人になって開花する相関性がある。しかし、複雑な頭脳活動を要する学問の世界では、単に学業成績に秀でた秀才と、斬新な独創性を発揮する天才とは、皮肉にも相反する傾向がある。
特に幼少時に学業成績で優れた能力を発揮するタイプは、教師の言うことを素直に疑問も無くスポンジの如く吸収出来るタイプである。彼等は、その恵まれた吸収力によって、学業成績に秀でた秀才として評価され、大学教授や研究者としての職を得ても、皮肉にも「独自の視点」や「独創性」に秀でた天才としての能力には劣る皮肉がある。幼少時のエジソンが質問魔故に問題児扱いされたように、天才肌の児童は、深い理解に伴う疑問や批判精神が湧き出ることから、相当の努力をしなければ学業成績に秀でた秀才になることが出来ない傾向がある。だが、同じ事項をマスターしたときの理解の深さでは、秀才タイプを圧倒的に凌駕する才能を発揮する。ところが、残念なことに、本来頭脳明晰な天才児が、学業成績不振のために思春期にグレてしまうケースも残念ながら多いものと考えられる。ところで、ユダヤ人に学術分野での天才の出現率が高い理由として、彼等の生まれ育つ家庭環境が、徹底的な論理的社会で、かつ地道な努力を怠らない文化であるため、他の民族グループであれば挫折するであろう天才児が、根気良く努力を続けることにあるものと推測される。
とはいえ、子供の頃から問題行動を含めて特異性の見られた人が、後年になって高く評価されるケースも多く、そのような特異性を持つ子供を幼い頃から専門的に養育する事で、天才とされる人を育てようと考える人は少なくない。幼児教育でも、親心や親の欲目から我が子を天才的な存在に育てたがる人は多い。
その一方、米国などではギフテッド(意訳すれば「授かりものの才能」)と呼ばれる、専門の教育で才能を開花する余地のある子供らが見出されている。アメリカ教育省は1993年に定義を発表、これに合致する児童に特別な教育(特別支援教育の一種)を与え、その才能を育てようという模索が続けられている。これらでは従来、所謂学習障害とみなされていた者も部分的に含まれるかもしれない。欠点に着目してそこをカバーするのか、長所を見出してそこを集中的に伸ばすかという問題も絡む。同様に扱われる存在として芸術性を発揮するタレンテッドがある。詳しくはギフテッドを参照されたし。
[編集] 天才と凡人(常識)
天才といえば聞こえが良いが、上述のように、アンバランスに偏った才能の持ち主であるため、芸術、スポーツ、学問いずれの分野でも、価値観も非常識であるケースが多い。天才芸術家による薬物中毒汚染や金銭感覚の逸脱は余りにも有名であるが、道徳的にも法的にも非常識で、中には自分についての善悪の価値観すら欠如している者も多く、結果として、天才による、周囲からの物笑いとなるような「奇行」は、数多い。
良く知られている「天才の奇行」の逸話には、アルキメデスが行水中にアルキメデスの原理を発見し、裸で街の中を走り回った伝説が有名である。サルバドール・ダリは1936年のロンドン講演にて演壇に潜水ヘルメットを被って登場するも呼吸できずに卒倒、居合わせた聴衆は彼の「息が出来ない!」とする仕草を含め、唯のジョークだと勘違いしていたという逸話が伝えられている。更に、1960年代の時点でアフリカ系アメリカ人であるにも拘らず、専用の自家用飛行機を所有する程の成功を修めた「ソウルミュージックの父」ジェームス・ブラウンは、或る晩自宅でコカイン吸引中に、3人目となる妻とケンカをし、公園のトイレ内で「便所でクソしたヤツは誰だ~っ!!」と怒鳴って便器に向かってマシンガンを乱射し、駆け付けたパトカーから逃れるために車でカーチェースの挙句、隣の州迄逃走したものの、ガス欠で捕まり、その後2年間を刑務所で過ごすハメに陥った。
[編集] 定義と評価
クレッチマーは天才の定義を「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」とした。チェーザレ・ロンブローゾは「天才は狂気だ」といった。トーマス・エジソンは「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」と述べている。ただしこの言葉は現在一般で言われている意味とは別の意味があることは余り知られていない(後述)。
中には生前には狂人扱いされながらも、後年になってその功績が評価され、天才扱いされるに至った人すら見られる(→ゴッホ)。この辺りは、「ナントカと天才紙一重」という慣用句が如実に物語っている。なおこの「ナントカ」の部分は馬鹿(片仮名で「バカ」とも)ないし気違い(差別用語に注意)という語になる場合もある。
知能指数(IQ)で、ある程度の区分をもうける向きもあり、知能指数が150(平均は100である)ないし所定の値を上げ、これを超える辺りから知能面での天才という風潮もかつては見られたが、近年では知能指数の高低は必ずしも客観的に人の知力を数値化できないという見方も出ており、同指標による分類は行い難い傾向が見られる。これには同値が検査年齢や状況・出題傾向さらにはIQテストに対する慣れなどによっても大きく結果に差が出る問題も絡んでいる。
なお知能指数の高さは必ずしも天才性(創造性など)とは結びつかない。日本で有名な人物では山下清のように、知的障害があっても芸術面で高い評価を得ている人物も存在する。彼のように特異な一分野でのみ異常ともいえる才能を発揮する人たちも見られる。(→サヴァン症候群)
[編集] 天才の努力とひらめき
エジソンの言葉として知られている「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」だが、この霊感とも呼べる「ひらめき(閃き:inspiration)」が一般に軽視される傾向もままある。99%までもの弛まぬ努力も確かに必須なのではあるが、1%のひらめきを大切にし、これを生かす事が出来なければ天才ではなく、エジソンは自身を指して自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していた[1]。
またエジソンはペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた事が知られており、またレオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタインもメモ魔としてつとに有名であった。余禄としては、双方とも研究以上にジョークを作ることに没頭したことでも知られている。過去の偉人の例においても、メモ魔として「思い付き」をきちんと残していた者は少なくない。文豪で知られたヘミングウェイもメモ魔で、メモした事を端から忘れてしまうため、彼の鞄が1922年にメモごと盗難にあった際には、その時多くの長編・短編のプロットも同時に失われたという。
[編集] 架空の天才
天才は古くより、人類の歴史において文明の発展に大きく寄与してきた。このため尊敬と羨望を集める存在としても扱われ、架空の作品中でもしばしば登場する。身近な例では漫画などの大衆娯楽にもしばしばストックキャラクターの類型として登場する。
このデウス・エクス・マキナ的な舞台装置としての天才は、場合によってはマッドサイエンティストのように、滑稽ないし異常な性格を持つ役柄として登場する事もある。また「自称天才」のようなキャラクターも登場するが、自称の場合では本物の天才に及ばない劣等感から、悲惨な事件を起こすなど歪んだ性格のキャラクターであることも多い。
その一方で天才を人為的に作り出そうというアプローチを取り上げたSF作品も多い。代表的なところとしては『アルジャーノンに花束を』が挙げられるが、この作品では脳への薬理的な働きかけと外科的手法とにより次第に知能が向上して一時的な天才となった者が、愚かだが状況に不満も抱かずに過ごしていた頃から、知能があがるにつれて猜疑心を抱いたり孤独に悩まされたりといった状況を経て、やがて己の知能が失われることに気付いて思い悩み、やがて最初の無垢な愚か者になっていく様子が描かれている。
[編集] 脚注
- ^ トーマス・エジソン#ひらめき・『快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る』ISBN 4-532-19020-7
[編集] 関連文献
- 『天才』宮城音弥 岩波新書(青版 621)ISBN 4004120705
- 『天才の精神病理―科学的創造の秘密』飯田 真, 中井久夫 岩波現代文庫 ISBN 400600057X
- 『天才 創造のパトグラフィー』福島章 講談社現代新書 ISBN 4061457217
- 『天才の証明』高岡英夫 恵雅堂出版 (1996/02) ISBN-10: 4874300227

