ニコラ・テスラ

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ニコラ・テスラ
Nikola Tesla
Никола Тесла
人物情報
生誕 1856年7月10日
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国(現クロアチアの旗 クロアチアスミリャン (Smiljan
死没 1943年1月7日(満86歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市マンハッタン
居住 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市マンハッタン
クロアチアの旗 クロアチア カルロヴァツ
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国 ブダペスト
市民権 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国 (1856 - 1918)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 (1918 - 1943)
出身校 グラーツ工科大学  (Graz University of Technology
プラハ・カレル大学
学問
研究分野 電気工学機械工学
研究機関 エジソン・マシン・ワークス
テスラ電灯社 (Tesla Electric Light & Manufacturing
ウェスティングハウス・エレクトリック
主な業績 交流電流
殺人光線
誘導電動機
テスラコイル
テスラタービン
影響を
受けた人物
エルンスト・マッハ
主な受賞歴 聖サヴァ勲章  (Order of St. Sava(1892年)
エジソンメダル(1916年)
署名
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ラボラトリーでの実験風景

ニコラ・テスラセルビア語ラテン文字表記・英語Nikola Tesla/セルビア語キリル文字表記:Никола Тесла1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家交流電流、ラジオラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度単位テスラ」にその名を残す。

8か国語に堪能で、詩作、音楽哲学にも精通していた。

年譜[編集]

1856年7月9日深夜、オーストリア帝国(現在のクロアチア西部)リカ=コルバヴァ県ゴスピチ (Gospić) 近郊の村スミリャン (Smiljan) で生まれる。父母はセルビア人で、父はセルビア正教会司祭。姉が2人、兄デン(12歳で馬に蹴られた事故死といわれている)、妹が1人。兄を失った5歳の頃から幻覚を頻繁に見るようになったとされる。また、「テスラ以上の神童」と呼ばれた兄を上回るために勉学に励み、特に数学において突出した才能を発揮したとされる。

1880年グラーツのポリテクニック・スクール在学中に交流電磁誘導の原理を発見する。1881年に同校を中退し、ブダペストの国営電信局に就職。23歳でプラハ大学を卒業したらしい[要出典](その後、エジソン社のフランス法人に勤めたともされている)。

1882年、二相交流による回転磁界の原理を考案する。

1884年にアメリカに渡り、エジソンの会社・エジソン電灯に採用される。当時、直流電流による電力事業を展開していた社内にあって、テスラは交流電流による電力事業を提案。これによりエジソンと対立し、1年ほどで職を失うこととなる。

1887年4月、独立したテスラは、Tesla Electric Light Company(テスラ電灯社)を設立し、独自に交流電流による電力事業を推進。同年10月には交流電源の特許を受諾されている。

1888年5月16日、アメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行い、それに感銘を受けたジョージ・ウェスティングハウスから100万ドルの研究費と、特許の使用料を提供されることとなった(契約には、特許の将来買取権が含まれていた)。

テスラの発明した交流発電機は、ウェスティングハウス・エレクトリック社によりナイアガラの滝発電所に取り付けられた。これは三相交流25サイクルによるものであった。また同年には循環磁界を発見。超高周波発生器を開発する。だがウェスティングハウス社技術陣の中でも孤立し、1年で離れることになる。

1891年、100万ボルトまで出力できる高圧変圧器を発明。

1893年無線トランスミッター発明。

1898年点火プラグで米国特許取得。

1901年J・P・モルガンの援助により、ロングアイランド、ショアハムに高さ57mの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー (Wardenclyffe Tower の建設を開始。1905年に完成するも、その後モルガンとの関係が悪化して資金繰りに詰まり、研究は中断。アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、1917年にタワーは標的にされるとの理由で撤去された。

1915年、エジソンとともにノーベル物理学賞受賞候補となるが、共に受賞せず。双方が同時受賞を嫌ったためとも言われている。1930年代にも受賞候補に選ばれるが、受賞はしなかった。

1916年、米国電気工学協会エジソン勲章の授与対象になり一度は断るものの(後述)、再考して1917年にこれを受ける。[1][2]

1943年1月7日ニューヨークマンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。86歳。その死後、数トンに及ぶとされる彼の発明品・設計図は「アメリカ軍とFBIが没収した」「ユーゴスラビアを通じてソ連の手にも渡った」と噂され、なかば伝説のように広がった。実際には一度FBIに押収されて複製された後、母国に返還された。原版はベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管されている。

エジソンとの確執[編集]

テスラがエジソン電灯に入社した当時、エジソンは既に研究者・発明家として実績を積み重ねており、テスラがエジソンに対して憧れや敬意を持って就職したのだとしても何ら不思議はない。給与未払いなどの話も残るが、一般的に両巨人の確執は主に「直流と交流との確執」から始まるとされている。

エジソンは工場の(エジソン好みの直流用に設計された)システムをテスラの交流電源で動かすことが出来たなら、褒賞5万ドルを払うと提案した。直流の優位性・安全性また交流の難しさなどを考慮したうえでの発言だったが、テスラはこれに対して成功させた。しかし交流を認めたくないエジソンは褒賞の件を「冗談」で済ませたため、テスラは激怒し、その後退社することになる。 その後、テスラらの交流陣営とエジソンの直流陣営との紛争が起こり、エジソンによる有名な電気椅子のエピソードなどが発生するが、現在の世界情勢的には、送配電システムは交流がおおよそ主流となっている。

以下はエジソンとの確執をあらわすエピソードである。

  • 1917年、貧しい生活を送っていたテスラの許に、米国電気工学協会からエジソン勲章が授与されるという知らせが届いた。テスラは当然ながら、エジソンの名が冠されたこの賞を断った。「私に名誉の勲章をくださるということですが、それを上着につけてあなた方協会員の前で得意げに見せびらかせばよいという事ですか?あなた方は私の体を飾り立てるばかりで功績を認められそこなった私の頭とその画期的な発明には何も与えてくださらない。今日、あなた方の協会があるのは、おおかた私の頭とその産物が下地を与えたからだというのに」[要出典]
  • エジソンの死後、ニューヨークタイムズのインタビューにおいてエジソンに対しての否定的なコメントを上げている。「私は彼の行う実験の哀れな目撃者のようなものであった。少々の理論や計算だけで彼は労働の90%を削減できただろう。しかし彼は本での学習や数学的な知識を軽視し、自身の発明家としての直感や実践的なアメリカ人的感覚のみを信じていた。( I was almost a sorry witness of his doings, knowing that just a little theory and calculation would have saved him 90 percent of the labor. But he had a veritable contempt for book learning and mathematical knowledge, trusting himself entirely to his inventor's instinct and practical American sense.)」[3]エジソンが典型的な実験科学者であったのに対して、テスラは理論科学者としてその研究手法が水と油であったことが示唆される。

人柄[編集]

  • 幼少期は空想と数々の強迫観念に囚われていたらしい。成人してからは異常な潔癖症で知られた。また、「宇宙人と交信している」「地球を割ってみせる」などの奇怪な発言や行動が多い。
  • その奇抜とも取れる研究内容や、数々の伝説、冷遇された人生なども相まって、彼や彼の発明であるテスラコイルはカルト団体や疑似科学方面から熱い注目を集めることが多々ある。特に、晩年は霊界との通信装置の開発に乗り出すなど研究にオカルト色が強まったこともあり、テスラの名を一層胡散臭いものとして響かせる原因ともなっており、彼への正当な評価を余計に難しくさせている(もっとも、晩年の研究においてオカルト色が強まったのはエジソンも同様である)。しかし冷静に判断すれば、彼は純粋なただの科学者である。その研究テーマが風変わりであることが多々あり、社会とうまくやっていく能力にほんの少々欠けており、生涯でいくつかの“競争”に敗北しただけである。
  • 容貌は長身でとてもハンサムであり、モルガンの令嬢などとのいくつかの恋もあったが、うまくはいかなかった。モルガンが資金援助を打ち切ったのも、娘との関係があるとも言われている。結果的には生涯独身であった。
  • 「公園を歌いながら散歩しつつ思考しており、なにかひらめいたらしくとんぼ返りをした。」と当時の目撃者が記録している。
  • 友人で作家のマーク・トウェインはテスラを「稲妻博士」と呼んでいる。「アメリカSFの父」と呼ばれるヒューゴー・ガーンズバックも友人であり、テスラ死後にそのデスマスクを製作させている。
  • 科学技術の発展に著しい貢献をしたとして、母国セルビアの100ディナールに肖像が使用されている。

世界システム[編集]

ウォーデンクリフ・タワー

世界(無線)システム(World Wireless SystemTesla World systemとも。日本語では「世界システム」と呼ばれることが多い)という電磁波を用いた無線送電装置を開発しようと、ニューヨーク州ロングアイランドに「ウォーデンクリフ・タワー」を建設し実験をした。 しかし、使用された電磁波は150kHzで長波領域の電波であり周波数が低すぎてすぐに拡散してしまい、利用者に到達する頃には電気密度が薄すぎるために電力の伝送は結局失敗した。

IEEEとの関わり[編集]

IEEE(電気電子学会)の最高勲章であるエジソン勲章受賞を1916年に打診され、一度は固辞するものの1917年に受け取る。[4]

1975年には、テスラの名前を冠したIEEE ニコラ・テスラ賞IEEE Nikola Tesla Award)が設けられている。

逸話[編集]

1898年ニューヨーク新聞記者の前で2トンのの塊を粉々に粉砕するという実験がテスラにより行われた。これは高周波振動を発生する装置によるものであるとされる。テスラはこの装置の出力を上げれば、「この地球でもリンゴを割るように真っ二つにできる」と述べた。

関連記事[編集]


出典・脚注[編集]

参考文献[編集]

伝記[編集]

テスラの登場するフィクション[編集]

  • ジョン・ケース(佐藤耕士訳)『ゴーストダンサー』(ランダムハウス講談社文庫、2007年(平成19年)) ISBN 978-4-270-10135-3
  • トマス・ピンチョン(木原善彦訳)『逆光』(新潮社、2010年(平成22年)) 上巻 ISBN 978-4-10-537204-0 下巻 ISBN 978-4-10-537205-7
  • プレステージ
  • K-20 怪人二十面相・伝
  • アダム・ファウアー(矢口誠訳)『心理学的にありえない 上・下』(文芸春秋、2011年)原題はEmpath(y) written by Adam Fawer 感情の通信をテーマに書かれたもので、テスラの研究成果を現代で別の学者が続けて行っていくフィクション。
  • 岩原裕二『ディメンションW』(ヤングガンガンコミックスSUPER、続刊中)
  • 原作:大塚英志、作画:大野安之超鉄大帝テスラ』(角川書店、2000年〜未完)
  • スコット・ウェスターフィールド(小林美幸訳)『ゴリアテ』(早川書房、2012年(平成24年))ISBN 978-4153350076
  • ジャン・エシュノーズ(内藤伸夫訳)『稲妻』( 近代文藝社、2013年)ISBN:978-4-7733-7892-4


外部リンク[編集]