リー・ド・フォレスト
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リー・ド・フォレスト(Lee De Forest、1873年8月26日 - 1961年6月30日)は、アメリカの発明家、電気技術者。アイオワ州カウンシルブラッフに牧師の子として生まれる。イェール大学を卒業。ラジオの父と呼ばれる。
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[編集] 業績
マルコーニの無線電信発明に促されて無線研究に従い、燃焼ガスと放電の関係、電波検出器の探求をした。1906年にジョン・フレミングの2極真空管を用いて、その中に第三の電極を入れた真空管で実験を行った。これが後の3極真空管となり、無線界の発展の契機となった。大電気放送局の設立による大陸横断通信事業など通信技術の発展に多大な貢献をした。1922年にIRE栄誉賞(IEEE栄誉賞の前身)を受賞。このほか、無線電話・トーキー・電送写真機などの研究に尽くし、1923年には、トーキー映画を初めて公開した。
[編集] 学生時代
少年期をアラバマ州のタラテガで過ごす。同年代の子供と打ち解けられずに、いつも図書室にこもり、特許庁の報告書を読んでいた。このことからもすでに幼少のころから発明に対する関心が伺える。中学、高校へと進学しても、周りに溶け込めず、同級生からサル顔と呼ばれた。 イェール大学シェヒールド科学学部機械工学科に進学する。朝4時に起床し、芝刈りのアルバイトをするなど、苦学生ではあったが成績はきわめて優秀だった。またこの時期から発明品を生み出し始める。
[編集] 結婚生活
1906年、ルシル・シェアドンと結婚する。彼は彼女の家に受信機を置き、ラブコールを送ったので新聞は「無線でプロポーズされた初めての花嫁」と大きく取り上げた。しかしルシルは夫の研究にはまったく理解を示さず、夫婦生活を拒み、ついには裕福な醸造家との交際が発覚し、離婚。ド・フォレストは1908年にノラという女性と再婚する。新婚旅行中、ド・フォレストはエッフェル塔から640kmも離れた群衆に向けて音楽を流し、新聞の見出しを大きく飾った。しかし1909年、娘ハリエットの誕生後に離婚。
[編集] トリビア
- 大学時代にクラスの投票で一番の嫌われ者に選ばれるが気にしなかったそうだ。
- グリエルモ・マルコーニに宛て就職を依頼する手紙を書くが返事は来なかった。
- レジナルド・フェッセンデンに自分のアイディアを盗んだとして、訴えられ裁判で負けた。

