チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ

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チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ
Charles Evans Hughes-01.jpg
生年月日 1862年4月11日
出生地 ニューヨーク州グレンズフォールズ
没年月日 1948年8月27日(86歳)
死没地 マサチューセッツ州オスタービル
出身校 マディソン大学,
ブラウン大学,
コロンビア大学
現職 政治家, 弁護士, 教授, 判事.
所属政党 共和党
配偶者 アントワネット・カーター・ヒューズ

任期 1930年2月13日[1] - 1941年6月30日

任期 1921年3月5日 - 1925年3月4日
元首 ウォレン・G・ハーディング
カルビン・クーリッジ

任期 1910年10月10日 - 1916年6月10日

任期 1907年1月1日 - 1910年10月6日
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チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ: Charles Evans Hughes, Sr., 1862年4月11日 - 1948年8月27日)は、アメリカ合衆国政治家法律家

ニューヨーク州知事(1907年 - 1910年)、ハーディングクーリッジ政権の国務長官1921年 - 1925年)、連邦最高裁判所長官1930年 - 1941年)。1916年共和党大統領候補。1881年ブラウン大学を同期最年少(19歳)かつ2番で卒業、1884年コロンビア大学ロースクールをトップクラスの成績で卒業。コーネル大学ロースクール教授を務めた(1891年 - 1893年)。

生い立ち[編集]

チャールズ・エヴァンズ・ヒューズは1862年4月11日にニューヨーク州グレンズフォールズで生まれる。一家は1859年にニューヨークに移り住んだ。母親はヒューズを私立学校に入学させる。彼は北部バプテスト教会メインライン・プロテスタントで活発に活動した。

ヒューズはマディソン大学(現在のコルゲート大学)に入学し、デルタ・ウプシロンのメンバーとなる。その後ブラウン大学に転籍し、デルタ・ウプシロンの活動を続け、1881年に19歳というクラス最年少で卒業した。1882年にコロンビア大学ロー・スクールに入学、1884年に首席で卒業する。

1885年に彼はアントワネット・カーターに出会う。カーターは彼が勤務した法律事務所の所長の娘であり、2人は1888年に結婚した。夫妻は1人の息子、チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ・ジュニアと3人の娘をもうけた。娘の1人、エリザベス・ヒューズ・ゴセットは世界で初めてインシュリンの注射を接種された人物であり[2]、後には最高裁歴史協会の代表を務めた。

1891年、ヒューズはコーネル大学ロースクールの教授に就任し弁護士の業務から離れたが、1893年には元いたニューヨークの法律事務所に復帰した。彼は弁護士業を行うと同時に、ニューヨーク・ロースクールで教鞭を執った。当時同校ではウッドロウ・ウィルソンも教鞭を執っていた。1905年、ヒューズはニューヨーク州立法府公益企業評価委員会の委員に指名された。彼は府政を発見し、それによってニューヨークのガス料金は値下げされることとなった。その結果、彼はニューヨークで保険業界の調査を任命された。

州知事[編集]

ヒューズは1907年から1910年までニューヨーク州知事を務める。彼は1906年の選挙でウィリアム・ランドルフ・ハーストを破り、州全体における唯一の共和党候補の当選者であった。1908年、ウィリアム・ハワード・タフトから副大統領候補の要請を受けたが、彼は再び州知事に立候補するためそれを断った。

参照[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
フランク・ヒギンズ
ニューヨーク州知事
1907年 - 1910年
次代:
ホーレス・ホワイト
先代:
ベインブリッジ・コルビー
アメリカ合衆国国務長官
Served under: ウォレン・G・ハーディング, カルビン・クーリッジ

1921年3月4日 - 1925年3月4日
次代:
フランク・ケロッグ
司法職
先代:
デヴィッド・ジョサイア・ブリューワー
アメリカ合衆国最高裁陪席判事
1910年10月10日 - 1916年6月10日
次代:
ジョン・ヘッシン・クラーク
先代:
ウィリアム・ハワード・タフト
アメリカ合衆国連邦最高裁判所長官
1930年2月13日 - 1941年6月30日
次代:
ハーラン・F・ストーン
党職
先代:
ウィリアム・ハワード・タフト
共和党大統領候補
1916年
次代:
ウォレン・G・ハーディング
非営利団体
先代:
ローソン・パーディ
ナショナル・ミュニシパル・リーグ理事長
1919年 - 1921年
次代:
ヘンリー・M・ウェイト
受賞や功績
先代:
アルフォンソ13世
タイム誌の表紙となった人物
1924年12月29日
次代:
ファン・ベルモンテ