オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア
オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア(Oliver Wendell Holmes Jr、1841年3月8日-1935年3月6日)は、アメリカ合衆国の法律家。連邦最高裁判所判事。
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生涯 [編集]
1841年にボストンに生まれる。父のオリバー・ウェンデル・ホームズ・シニアは医者で著名な詩人。
1861年ハーバード大学卒業後に南北戦争では自ら志願してマサチューセッツ軍に入隊し、ボールズブラフの戦いなどで3度も重傷を負う。除隊後ハーバード・ロー・スクールに入学し、優秀な成績で卒業する。
1866年ボストンで弁護士として勤務する傍ら、母校で講義をし、1882年ハーバード・ロー・スクール教授に就任。金子堅太郎の家庭教師も勤めた。
1881年、『コモン・ロー』を出版。
1899年マサチューセッツ州最高裁裁判所判事に任命。
1902年セオドア・ルーズベルト大統領に連邦最高裁判所判事に任命される。以後、1905年ロクナー対ニューヨーク事件、1919年シェンク対アメリカ合衆国事件等数々の著名な判決に関わる。「ジョン・マーシャルに次ぐ偉大な判事」と呼ばれた。
1935年3月6日、94歳の誕生日の二日前に亡くなる。
思想 [編集]
『コモン・ロー』における「法の生命は論理ではなく、経験であった。」との一言は有名。生涯にわたって哲学書は一冊も書かなかったが、形而上学クラブのメンバーの一人でプラグマティズムで著名なウィリアム・ジェイムズらと親交があった[1]。
グラント・ギルモア(Grant Gilmore)によれば、クリストファー・コロンブス・ラングデルと共に法形式主義(Legal Formalism)の代表の一人ともされるが、経験や行為を重視し、法学を裁判の結果を予測する学であるととられる見方はまさにプラグマティズムに基づくものであるとされ、社会学的法学の祖ともされる。
脚注 [編集]
- ^ 鶴見、2008、pp105-118
参考文献 [編集]
- 伊藤正己・木下毅『アメリカ法入門(4版)』(日本評論社)
- 阿川尚之『憲法で読むアメリカ史』(上・下)(PHP研究所, 2005) ISBN 4-569-63361-7
- 鶴見俊輔『アメリカ哲学(戦後日本思想の原点)』(こぶし書房、2008)
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア『コモン・ロー』(英語)[1]