1916年アメリカ合衆国大統領選挙

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選挙結果の図。青色がウィルソンとマーシャル、赤色がヒューズとフェアバンクス、が勝利した州を示す。数字は各州の選挙人数。

1916年アメリカ合衆国大統領選挙(1916ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1916)は、ヨーロッパ第一次世界大戦に巻き込まれていたときに行われた。大衆の感情はまだ中立支持だったが、ドイツ軍ベルギーフランス北部に侵略して占領し、市民を虐待したために、イギリスやフランス(連合国)の側に傾いていた。しかし、連合国側に対する同情にも拘らず、アメリカ人有権者の大半は戦争に巻き込まれないことを望み、中立政策の継続を好んだ。選挙戦では民主党現職大統領ウッドロウ・ウィルソンが、共和党候補で合衆国最高裁判所判事のチャールズ・エヴァンズ・ヒューズと戦った。激しい選挙戦の後で、ウィルソンが僅差でヒューズを破った。

候補者の指名[編集]

共和党の指名[編集]

共和党の指名候補者

共和党全国党大会の会場、シカゴのコリセウム

1916年共和党全国大会6月7日から10日までシカゴで開催された。大会での党のボス達の主要目的は1912年アメリカ合衆国大統領選挙で起きた党の辛い分裂を修復することだった。1912年ではセオドア・ルーズベルトが離党して自ら、共和党のリベラルな者大半を糾合して進歩党を結党した。当時現職大統領のウィリアム・タフトは通常の共和党候補指名を獲得した。この共和党の分裂で共和党票は分散し、民主党候補ウィルソンの当選に繋がった。1916年の時は幾人かの指名候補が公然と名のりを上げていたが、党のボスである最も著名な保守派上院議員エリフ・ルート(ニューヨーク州)と改革派上院議員ジョン・W・ウィークス(マサチューセッツ州)は、両派に受け入れられる中道の者を望んだ。彼等は合衆国最高裁判所判事チャールズ・エヴァンズ・ヒューズに目を向けた。ヒューズは1910年以降判事を務めており、6年間政治問題について公の場で話していないという利点があった。ヒューズは積極的に指名を求めたわけではなかったが、それを断れないことが分かり、3回目の投票で大統領候補に指名された。元副大統領のチャールズ・W・フェアバンクスが副大統領候補として指名された。ヒューズは主要政党から大統領候補に指名された唯一の最高裁判事である。

投票回 1 2 3
チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ 253 326 950
ジョン・W・ウィークス 105 102 2
エリフ・ルート 103 89 9
チャールズ・W・フェアバンクス 89 75 7
アルバート・B・カミンズ 85 77 2
セオドア・ルーズベルト 81 65 19
セオドア・E・バートン 78 69 9
ローレンス・Y・シャーマン 66 59 5
フィランダー・C・ノックス 36 30 6
ヘンリー・フォード 32 29 9
マーティン・G・ブランボー 29 22 2
ロバート・M・ラフォレット・シニア 25 25 23
ウィリアム・タフト 14 4 0
トマス・C・デュポン 7 13 6
ヘンリー・カボット・ロッジ 7 2 0
ジョン・ウォナメイカー 5 1 1
フランク・B・ウィリス 1 2 2
ウィリアム・E・ボラー 2 0 2
ウォレン・ハーディング 1 0 1
サミュエル・W・マコール 0 1 1
レオナード・ウッド 0 1 1

民主党の指名[編集]

民主党の指名候補者

1916年民主党全国大会6月14日から16日までセントルイスで開催された。ウィルソンは党内での人気が高く、圧倒的多数で再指名された。その副大統領トーマス・R・マーシャルも反対無く再指名された。

進歩党の指名[編集]

進歩党は元大統領のルーズベルトを再指名したが、ルーズベルトは辞退してヒューズを支持した。ルーズベルトが指名を辞退した時点で党は直ぐに崩壊した。党員の大半は共和党に復党したが、少なからぬ者達が、第一次世界大戦に参戦しないでいるウィルソンを支持した。ルーズベルトは個人的と政治的な理由の両方で進歩等の指名を断った。再度第3の政党公認で選挙に出ることは、民主党に勝たせるだけだと確信するようになった。また、ウィルソン大統領はドイツや他のヨーロッパで戦争をしている国々が合衆国を「脅す」ことを認めていると考えたので、ウィルソンのことをひどく嫌うようになっていた。

一般選挙[編集]

秋の選挙運動[編集]

ヨーロッパでの戦争が選挙運動での大きな問題となった。ウィルソンは中立を続けることを訴えて再選を求めた。その選挙スローガン「彼が我々を戦争から離している」が大きな人気を得た。ヒューズは大々的な徴兵と軍備計画を訴えた。ウィルソン寄りの新聞は、ヒューズが選ばれたら、密かにアメリカを参戦させることを考えていると主張した。ウィルソンがドイツに対して無制限の潜水艦攻撃を停止するように圧力を掛けているので、ヒューズがウィルソンの平和綱領を攻撃するのは難しかった。ヒューズは、アメリカがメキシコの内戦で様々な派を支持している軍事干渉を批判した。また、ウイルソンが様々な「労働組合寄り」の法律(例えば1日8時間の労働時間制限)を支持しているが、これは事業の利益には有害であるという根拠で攻撃した。しかし、ヒューズの批判はあまり注目を浴びず、特にそのような法律を支持している工場労働者の間で顕著だった。ヒューズは元大統領ルーズベルトの様々な援助に助けられ、また共和党が当時連邦議会の多数党であるという事実も力があった。ヒューズはカリフォルニア州で重要な誤りを犯した。選挙の直前にカリフォルニア州中を運動して歩いた。ロングビーチにいるときに、強力な共和党州知事ハイラム・ジョンソンと同じホテルに泊まった。ヒューズはジョンソンがそのホテルにいることをたぶん知らないで、そのスイートルームにジョンソンを問うことをしなかった。ジョンソンはこのことを冷遇されたと思い、ヒューズに対する全面的な支持を与えることは無かった。接戦のカリフォルニア州でヒューズが惜敗したことを考えれば、このうっかりが随分高くついたことになった。

結果[編集]

投票日の夜に、ヒューズは東部と中西部の州でリードを奪い、幾つかの新聞はヒューズの勝利を宣言した。しかし、ウィルソンは敗北を認めず、南部西部の開票で盛り返して最終的にリードを奪い返した。最後の要となった州はカリフォルニア州であり、投票数100万票近い中でわずか3,800票差でウィルソンが制した。選挙人投票でもアメリカ史の中で最も接近したものになった。当選するためには266票が必要だったが、ウィルソンは30州から277票を集め、ヒューズは18州から254票を集めた。もしヒューズがカリフォルニア州を制し、その選挙人票13を得ておれば、当選していた。一般投票ではやはり接戦だったがウィルソンの方が49%で多数となり、ヒューズは46%だった。1916年の選挙戦で民間の伝説となったのは、投票日の夜にヒューズが大統領に選ばれたと思って就寝したということである。翌朝記者が電話でウィルソンの巻き返しに対するヒューズの反応を得ようとしたとき、誰か(話によってこれが彼の息子だったり、執事だったり、従者だったりする)が電話に出て、「大統領は眠っている」と記者に応えた。その記者は「彼が目覚めたときにもはや大統領ではないと伝えてくれ」と反論した。この選挙について興味あることは、やはり接戦だった2000年の選挙結果と比べたときに、7つの州(カリフォルニア州、インディアナ州、メリーランド州、ニューメキシコ州、サウスダコタ州、ワシントン州、およびウェストバージニア州)を除いて結果が全く反対になっているということである。

副大統領のマーシャルは、1828年ジョン・カルフーン以来となる2期目に選ばれた副大統領となった。

ウィルソンは、出身州(ニュージャージー州)を制することができずに大統領に当選したことでは2人目となった。最初は1844年ジェームズ・ポークであり、出身州のテネシー州だけでなく、出生州のノースカロライナ州でも敗れた。

ウィルソンはまた、一般選挙で過半数が取れず2期続けて多数で再選された大統領としては初めての者だった。次に同様な結果になったのはビル・クリントンだった。さらに現職大統領として勝利した時の得票率差3.1%は当時の最小であり、2004年の選挙でジョージ・W・ブッシュが50.7%を取り、対抗馬ジョン・ケリーが48.2%を取ったのでその差が2.5%となり、最小差記録を更新した。


大統領選の結果
大統領候補者
出身州 
党   得票数 得票率 選挙人得票数 副大統領候補者
出身州
選挙人得票数 
ウッドロウ・ウィルソン
ニュージャージー州
民主党 9,126,868 49.2% 277 トーマス・R・マーシャル
インディアナ州
277
チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ
ニューヨーク州
共和党 8,548,728 46.1% 254 チャールズ・W・フェアバンクス
インディアナ州
254
アラン・L・ベンソン
ニューヨーク州
アメリカ社会党 590,524 3.2% 0 ジョージ・R・カークパトリック
ニュージャージー州
0
J・フランクリン・ハンリー
インディアナ州
禁酒党 221,302 1.2% 0 アイラ・ランドリス
テネシー州
0
その他 - 49,163 0.3% 0 - 0
合計 18,536,585 100% 531 - 531
選出必要数 266 - 266

接戦州[編集]

赤色は共和党、青色は民主党が制したことを示す。

  1. ミネソタ州, 0.1%
  2. ニューハンプシャー州, 0.1%
  3. カリフォルニア州, 0.3%
  4. インディアナ州, 0.9%
  5. ウェストバージニア州, 1.0%
  6. ノースダコタ州, 1.5%
  7. デラウェア州, 2.4%
  8. オレゴン州, 2.6%
  9. ミズーリ州, 2.7%
  10. コネチカット州, 3.2%
  11. サウスダコタ州, 3.9%
  12. マサチューセッツ州, 3.9%
  13. メイン州, 4.0%
  14. ワシントン州, 4.2%
  15. ロードアイランド州, 5.1%
  16. ケンタッキー州, 5.4%
  17. カンザス州, 5.8
  18. ウィスコンシン州, 6.5%
  19. ニューヨーク州, 7.0%
  20. オハイオ州, 7.6%
  21. メリーランド州, 8.0%
  22. ミシガン州, 8.2%
  23. イリノイ州, 9.2%

参考文献[編集]

  • William M. Leary, Jr. "Woodrow Wilson, Irish Americans, and the Election of 1916," The Journal of American History, Vol. 54, No. 1. (Jun., 1967), pp. 57-72. in JSTOR
  • Link, Arthur S. Wilson: Campaigns For Progressivism and Peace 1916-1917 (ISBN 0-691-04576-3) (1965)
  • Link, Arthur Stanley. Woodrow Wilson and the Progressive Era, 1910-1917 (1972)
  • Lovell, S. D. The Presidential Election of 1916 (1980)
  • Pusey, Merlo J. Charles Evans Hughes (1951) vol 1.

外部リンク[編集]