ローレンス・イーグルバーガー

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ローレンス・シドニー・イーグルバーガー
Lawrence Sidney Eagleburger
Eagleburger-big.jpg
ローレンス・シドニー・イーグルバーガー
生年月日 1930年8月1日
出生地 ウィスコンシン州ミルウォーキー
没年月日 2011年6月4日(満80歳没)
死没地 バージニア州
出身校 ウィスコンシン大学マジソン校

内閣 ジョージ・H・W・ブッシュ
任期 1992年12月8日 - 1993年1月23日
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ローレンス・シドニー・イーグルバーガー(Lawrence Sidney Eagleburger, 1930年8月1日 - 2011年6月4日)は、アメリカ合衆国政治家外交官ジョージ・H・W・ブッシュ政権で第62代国務長官を務めた。

生涯[編集]

ウィスコンシン州ミルウォーキー出身。ウィスコンシン大学スティーブンズ・ポイント校を経て、1952年ウィスコンシン大学マジソン校卒、陸軍入隊。1954年陸軍中尉。

1954年大学に戻り、ウィスコンシン大学マジソン校政治学専攻修士課程修了。1957年合衆国外交公務員となり、国務省入省。在ホンジュラス大使館、国務省本省を経て、セルビア・クロアチア語研修を受ける。1961年から1965年まで、在ユーゴスラビア大使館に勤務した。

帰国後、国家安全保障会議欧州上級部長、国務次官特別補左官を経て、1969年にはニクソン政権で国家安全保障担当大統領補佐官となったヘンリー・キッシンジャーの特別補佐官に就任した。その後、ブリュッセルのNATO(北大西洋条約機構)代表部参事官や、国務長官に転じたキッシンジャーに従い、国務省でいくつかの行政職を経験した。

ニクソン大統領辞任後、イーグルバーガーは公職を辞したが、1977年ジミー・カーターによって駐ユーゴスラビア大使に任命された。

1982年レーガン政権で政治担当国務次官に任命された。1989年ブッシュ政権が成立すると、国務副長官となり、長官のジェイムズ・ベイカーを補佐し、ユーゴスラビア問題では政権内において主要なアドバイザーとして活動した。ユーゴ問題におけるイーグルバーガー及び国務省の選択は論争の的となり、結果として、セルビア民兵組織とユーゴスラビア連邦軍によるクロアチアへの介入を招いたことから、ヨーロッパのマスコミによって「セルビアのロレンス」と揶揄された。1992年8月ベーカーが首席補佐官に転じた後、同年12月8日後任の国務長官に就任した。

2006年1月5日ホワイトハウスで行われたブッシュ政権の外交政策に関する会議に歴代の国務長官、国防長官経験者の一人として参加した。

バージニア州ウィリアム・アンド・メアリー大学の外部評議員を務めていた。

2011年6月4日、バージニア州で死去。80歳没[1]

脚注[編集]

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  1. ^ 元米国務長官 イーグルバーガー氏死去 産経新聞 2011年6月5日閲覧

外部リンク[編集]

公職
先代:
ルイス・ディーン・ブラウン
アメリカ合衆国国務副次官(管理担当)
1975年5月14日 - 1977年2月26日
次代:
リチャード・ムース
先代:
ジョージ・ヴェスト
アメリカ合衆国国務次官補(ヨーロッパ・カナダ担当)
1981年5月14日 - 1982年1月26日
次代:
リチャード・バート
先代:
ウォルター・ジョン・ストーセル
アメリカ合衆国国務次官(政治担当)
1982年2月12日 - 1984年5月1日
次代:
マイケル・ヘイデン・アーマコスト
先代:
ジョン・カニンガム・ホワイトヘッド
アメリカ合衆国国務副長官
1989年3月20日 - 1992年8月23日
次代:
クリフトン・レジナルド・ウォートン
先代:
ジェイムズ・ベイカー
アメリカ合衆国国務長官
1992年12月8日 - 1993年1月23日
次代:
ウォーレン・クリストファー
外交職
先代:
ローレンス・シルバーマン
在ユーゴスラビアアメリカ合衆国特命全権大使
1977年6月21日 - 1981年1月24日
次代:
デイヴィッド・アンダーソン