マデレーン・オルブライト

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マデレーン・オルブライト


任期
1997年1月23日 – 2001年1月20日
大統領 ビル・クリントン
前任者 ウォーレン・クリストファー
後任者 コリン・パウエル

任期
1993年1月27日 – 1997年1月21日
大統領 ビル・クリントン
前任者 エドワード・J・パーキンス
後任者 ビル・リチャードソン

出生 1937年5月15日(74歳)
チェコスロバキア, プラハ[1]
本名 Marie Jana Korbelová
国籍 チェコの旗 チェコ, アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
政党 民主党
配偶者 ジョセフ・メディル・パターソン・オルブライト (1959-1982) (divorced)
子女 3女 - アン、アリス(双子)、キャサリーン
母校 ウェルズリー大学,
ジョンズ・ホプキンス大学,
コロンビア大学
専業 外交官
信仰 米国聖公会
署名

マデレーン・コルベル・オルブライトMadeleine Korbel Albright, 出生時の名前:Marie Jana Korbelová, 1937年5月15日 - )は、第64代アメリカ合衆国国務長官1997年2001年)。アメリカ初の女性国務長官でもある。

目次

[編集] 経歴

チェコスロバキアプラハ生まれ。出自的にはユダヤ系であるが、ローマ・カトリック教徒として育てられた。第二次世界大戦中はイギリスに避難し、ナチスの人種理論によるホロコーストを免れたが、祖父母3人を含んだ親戚多数がホロコーストで殺されている。戦後チェコスロバキアが共産化したため、1950年、米国に移住。1959年にウェルズリー大学を卒業、ジョンズ・ホプキンス大学を経てコロンビア大学で政治学修士および博士号取得、ロシア研究所にも在籍していた。

1978年から1981年まで国家安全保障会議スタッフを務めた後、ジョージタウン大学ソ連外交を教える。この時の教え子に河野太郎衆議院議員がいる。

1993年国連大使に就任し、ブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長と対立しガーリの勧める国連改革を頓挫させ、最終的に辞任に追い込むなど、冷酷な一面も併せ持つ。

第二期クリントン政権の発足とともに、国務長官に就任した。

国務長官時代の特筆する事績としては、ユーゴスラビア連邦共和国におけるコソボ紛争において、ナチスの民族浄化を身をもって経験した経緯もあり、空爆に消極的な西側首脳をまとめ、ユーゴスラビア空爆を行ったことが挙げられる。ミロシェヴィッチ大統領の失脚、コソボの自治権獲得も含め、一定の成果をあげたとも言える。

他方、1998年8月のナイロビでのアメリカ大使館爆破事件では、駐ケニア米国大使が大使館の警備を強化するように国務省に再三要請していたにも関わらず断られ、事件の4ヶ月前には大使はオルブライトに直接申し入れをしたは無視された。これについて、事件後国家安全保障会議のリチャード・クラークに「これ以上の大使館を失ったらどうする気だ」と詰め寄られたオルブライトは、「(ケニアとタンザニアの)二つの大使館はなくなったわけではない」と答えている。

マデレーン・オルブライト

対ヨーロッパ以外については顕著な功績は皆無である。これは、コソボ紛争などの本人の問題もあるが、当時のクリントン政権が内政重視政策を取ったためにそもそも手腕を振るう機会が少なかった事が大きいと思われる。

父のジョーゼフ・コルベルヨゼフ・コルベルJosef Korbel は、教育家・外交官であり、コンドリーザ・ライスデンバー大学時代の恩師である。

[編集] エピソード

  • 小渕恵三就任時に「冷めたピザ?いいえ私はモナリザ」と揶揄する歌を歌った。冷めたピザには「生気がない」、モナリザには「謎めいた微笑みを浮かべるばかりで何を考えているかわからない不気味な人」の意味がある。
  • 1996年60 Minutesに出演して、レスリー・ストールから対イラク経済制裁について“これまでに50万人の子どもが死んだと聞いている、ヒロシマより多いと言われる。犠牲を払う価値がある行為なのか?”と問われた際「大変難しい選択だと私は思いますが、でも、その代償、思うに、それだけの値打ちはあるのです」(“I think that is a very hard choice, but the price, we think, the price is worth it. ”)と答えた。なお、オルブライトのこの発言を腹に据え兼ねた国連の経済制裁担当要員3名(デニス・ハリデイ、ハンス・フォン・スポネック、ジュッタ・バーガート)が辞任。このうちハリデイは「私はこれまで(対イラク経済制裁について)“ジェノサイド”という言葉を使ってきた。何故なら、これはイラクの人々を殺戮することを意識的に目指した政策だからだ。私にはこれ以外の見方が出来ないのだ」とコメントを残している。

[編集] 著書

  • Poland: The Role of The Press in Political Change (1983年)
  • Focus on the Issues: Africa (1999年)

[編集] 参照

  1. ^ Biography at The Washington Post”. Washingtonpost.com. 2009年6月22日閲覧。

[編集] 外部リンク

官職
先代:
ウォーレン・クリストファー
アメリカ合衆国国務長官
Served under: ビル・クリントン
1997–2001
次代:
コリン・パウエル
外交職
先代:
エドワード・J・パーキンス
アメリカ合衆国国連大使
1993–1997
次代:
ビル・リチャードソン
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