ヒューゴー・ガーンズバック

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ヒューゴー・ガーンズバック(Hugo Gernsback, 1884年8月16日1967年8月19日)は、ルクセンブルク生まれのアメリカ小説家SF作家編集者。SFの著名な賞であるヒューゴー賞はガーンズバックにちなんで名づけられた。

経歴[編集]

ガーンズバックは1884年にユダヤ系ワイン商の息子フーゴー・ゲルンスバッハー(Hugo Gernsbacher)としてルクセンブルクで生まれた。

1904年にアメリカへ移り住み、無線機の販売などの事業を行った。無線の販売を通じてアメリカの大衆が科学技術に疎いことを知り、これを啓蒙するため1908年に世界初の無線雑誌『モダン・エレクトリックス』を創刊した。[1]

『モダン・エレクトリックス』に1911年4月から12回に渡って連載したSF小説『ラルフ124C41+ ──2660年のロマンス』が評判となった。その後、『エレクトリカル・エクスペリメンター』『ラジオ・アマチュア・ニュース』といった雑誌を創刊した。

1926年、世界初のSF専門誌『アメージング・ストーリーズ』を創刊し、過去の優れたSF作品の再録や投書欄、読者の作品コンテストが人気を集めた。これにより彼は“アメリカSFの父”、“現代SFの父”と呼ばれるようになった。

ガーンズバックは資産があったが、事業としてニューヨーク初のテレビ放送の実験を行ったり自分の給料を高くする一方で、作家や商売相手への支払いが遅れていた。1929年に印刷所と紙問屋から訴えられ、『アメージング・ストーリーズ』を出版していた会社は破産し、人手に渡った。ガーンズバックは新しい会社を作り、『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』など新しいSF雑誌を3つ、無線雑誌『ラジオクラフト』を立ち上げた。[2]

ガーンズバックは1930年に『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』と『エア・ワンダー・ストーリーズ』を合併させて『ワンダー・ストーリーズ』を創った。アメージング・ストーリーズ同様に投書欄に誌面を大きく取り、SFファンの活動を発展させた。しかし、後発のSF雑誌『アスタウンディング』が発展するにつれ『ワンダー・ストーリーズ』の読者は減少していった。更に、原稿料の低さや支払いの遅さといった問題があり、作家のドナルド・A・ウォルハイム等により訴えられた。1936年にガーンズバックは『ワンダー・ストーリーズ』を売却し、SFから離れて無線雑誌『ラジオクラフト』と1933年に創刊した、性教育に対する科学的取り組みを扱った雑誌『セクソロジスト』の2つに注力していった。[3]

1953年、世界SF大会にてSF功労賞(1993年にヒューゴー賞と改名)が創設され、1960年にはガーンズバック自身に特別賞が贈られた。[4]1967年8月19日にニューヨークで死去。

作品リスト[編集]

  • Ralph 124C 41+ (1911) 『ラルフ124C41+』(『27世紀の発明王』などの抄訳版もある)
  • Baron Münchhausen's Scientific Adventures (1915) 『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険』(日本語版は抄訳である)

脚注[編集]

  1. ^ 『SF雑誌の歴史』p.42-44
  2. ^ 『SF雑誌の歴史』p.80-82
  3. ^ 『SF雑誌の歴史』p.108-113
  4. ^ New England Science Fiction Association 1960年ヒューゴー賞の一覧(英語)

参考文献[編集]

  • マイク・アシュリー『SF雑誌の歴史』牧眞司訳、東京創元社、2004年