トマス・ピンチョン
| トマス・ピンチョン | |
|---|---|
| 誕生 | 1937年5月8日(74歳) |
| 職業 | 小説家 |
| 国籍 | |
| 活動期間 | 1960年 - |
| ジャンル | ポストモダン文学 |
| 代表作 | 『重力の虹』(1973年) |
| 主な受賞歴 | 全米図書賞 |
| 処女作 | 『V.』(1963年) |
トマス・ラッグルス・ピンチョン(英語:Thomas Ruggles Pynchon、1937年5月8日 - )は、アメリカの小説家。
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[編集] 概要
現代のアメリカ文学を代表する小説家のひとり。マスコミとの接触をほとんど一切持たず、その素性すら知られていない覆面作家である(顔写真が公開されている以上「半覆面作家」とも形容すべきだが)。
一見不条理かつ散漫な筋書きで、脱線や混濁を反復しながら、その実博識に支えられた細密なディテールで小説を多面的に展開する、破壊的なユーモアをもった作品で知られる。活動期間に比して作品数は極端に少なく、現在までに過去の時代へ遡及する4編の(質量共に)超大作と、カリフォルニアを舞台にした3作の比較的読みやすい中長編を出版している。
90年代以降定期的にノーベル賞候補に挙げられているとされる。イェール学派として有名な文芸批評家のハロルド・ブルームは現代を代表する米国人小説家としてピンチョンとドン・デリーロ、フィリップ・ロス、コーマック・マッカーシーの4人を挙げている。
[編集] 略歴
トマス・ピンチョンは1937年、ニューヨーク州ロングアイランド、グレンコーブに測量技師トマス・ラグルズ・ピンチョン・シニアとキャサリン・フランセス・ベネット・ピンチョンの間に長男として生まれる。妹と弟がいる。
ピンチョン家はアメリカ最古の家柄のひとつである。遡れば11世紀にノルマンディーから征服王ウィリアムと共に英国に移住してきた事が分かっている。15世紀にはロンドンの執政長官を輩出した。初代ウィリアム・ピンチョンは1630年にウィンスロップ艦隊でマサチューセッツ湾植民地提督と共にやって来た700人の1人であり、ロクスベリー(Roxbury)とスプリングフィールドの建設に尽力し商人として財をなした。1650年に『われらが救済の褒むべき価』という本を出版し、ピューリタン正統派からは異端として非難され焚書されている。18世紀半ばを舞台にしたナサニエル・ホーソーンの小説『七破風の家』には、一族のピンチョン大佐が実名で登場する。
父親はプロテスタントで母親はアイルランド系のカトリック。子ども達はカトリックとして育てられたようだ。16歳でオイスター・ベイ高校を最優秀学生として卒業した。コーネル大学から奨学金をもらって、同年秋に工学部応用物理工学科に入学。2年後には大学を一時離れ、海軍に2年間所属した。
1957年にはコーネル大学に戻り英文科に入学。当時の創作科の講師にウラジミール・ナボコフがいた。しばしばピンチョンはナボコフの講義を受けていたと言われているが真偽は不明である(当時ナボコフは妻にレポートの採点をまかせており、妻はピンチョンの独特な手書き文字を覚えていると証言している)。大学3年と4年の時に学部学生の文芸雑誌『コーネル・ライター』の編集に携わり、1959年5月同誌に「スモール・レイン」を発表。
同年大学を最優の成績で卒業したピンチョンは大学院の奨学金を断り、マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジのアパートメントでボヘミアン生活を送りながら小説『V.』を執筆しはじめる 1960年2月から1962年9月までの間、シアトルのボーイング航空機会社に就職して米軍の地対空ミサイルボマークのテクニカルライターとして働いている。その間、3編の短編(「ロウ・ランド」「エントロピー」「アンダー・ザ・ローズ」)を名のある前衛志向の文芸誌に掲載。退職後はカリフォルニアやメキシコに移り住む。
1962年、メキシコで長編第1作『V.』を完成。『V.』は1963年に出版され、同年度の最優秀処女小説に与えられるフォークナー賞を受けた。このころ雑誌社がピンチョンの写真を撮ろうとピンチョンを訪ねたところ、ピンチョンはバスで遠くの山中に逃げ込んでしまい、写真を撮ることはできなかった。ピンチョンはこのころから一度も公の場に出ていない。
1966年、長編としては短めで、エンターテインメント的な筋書きを援用した第2作『競売ナンバー49の叫び』を発表。ローゼンタール基金賞を受賞。1967年から1972年まではおそらくメキシコとカリフォルニアで生活していたと思われる。
1973年には長編第3作目にして代表作『重力の虹』を発表。1974年度の全米図書賞を受賞するが、授賞式には姿を現さなかった。諮問委員会は満場一致で同年度のピューリッツァー賞フィクション部門に推薦したが、同理事会が「読みにくく卑猥である」としてこれを退けた(同年のピューリッツァー賞フィクション部門は該当作無しとなった)。
1975年、米文芸アカデミーより5年に1度優秀な小説に与えられるハウエルズ賞に選ばれたが、「いらないものはいらない」と受賞を辞退。
1984年、初期短編を集めた『スロー・ラーナー』発表。執筆当時の状況を序文として書き下ろす。同年10月28日、ニューヨーク・タイムズにエッセイ「ラッダイトをやってもいいのか?("Is It O.K. to Be a Luddite?")」を掲載。邦訳は『夜想』25号(1989年)に掲載。1988年、マッカーサー奨励金(MacArthur Foundation Genius Grant)として31万ドルを受ける。
1990年、16年ぶりに長編第4作『ヴァインランド』発表。『ヴァインランド』の取材を兼ねて2度来日したとも噂される。コミカルなタッチで60年代/80年代をサブカルチャー的側面から横断したこの擬似活劇小説は、発表当時『V.』や『重力の虹』を期待した多くの批評家を落胆させたが、時が経つにつれ次第に評価が高まる。90年代半ば、エージェントのメラニー・ジャクソンと結婚、長男ジャクソン・ピンチョンが生まれる。
1997年、長編第5作『メイスン・アンド・ディクスン』発表。評論家ハロルド・ブルームはこの小説をピンチョンの最高傑作と評している。2003年、ジョージ・オーウェル著『1984年』の新版に序文を寄稿。2004年1月、アニメ『ザ・シンプソンズ』に本人役として(声のみ)出演。2月にも再登場。
2006年、長編第6作『逆光』("Against The Day")を出版。オンライン書店Amazon.comに、ピンチョン本人(と思われる人物)によって宣伝文が掲載される。
2009年、最新作『インヒアレント・ヴァイス』("Inherent Vice")を出版。
[編集] 備考
- 自殺したカリフォルニアの作家ワンダ・ティナスキー(en)がピンチョンと同一人物であるという噂が1990年代にあった。
- 『メイスン&ディクスン』の次の作品はロシアの数学者ソフィア・コワレフスカヤに関する小説になると噂されていた。マイケル・ノーマン元ドイツ文化大臣は、ドイツでピンチョンのコワレフスカヤ研究を助けたと発言している。その後発表された『逆光』では、コワレフスカヤの名が数度言及され、コワレフスカヤを思い起こさせる女性数学者ヤシュミーン・ハーフコートが登場する。
- かねてから少数の若手作家とは接触があり、スティーヴ・エリクソンはピンチョンからエイミーコミックを手渡されたと告白している。
[編集] 作品
- 『V.』(1963年)三宅卓雄・伊藤貞基・中川ゆきこ・広瀬英一・中村紘一訳 国書刊行会 1979
- 『競売ナンバー49の叫び』 The Crying of Lot 49 (1966年)志村正雄訳 サンリオ文庫、1985 のちちくま文庫
- 『重力の虹』 Gravity's Rainbow (1973年)越川芳明・佐伯泰樹訳 国書刊行会 1993.3
- 『スロー・ラーナー』 Slow Learner-Early Stories (1984年)
- 志村正雄訳 筑摩書房、1988 のち文庫
- 佐藤良明訳 新潮社、2010
- 『ヴァインランド』 Vineland (1990年)佐藤良明訳 新潮社 1998.12
- 『メイスン&ディクスン』 Mason & Dixon (1997年)柴田元幸訳 新潮社 2010.6
- 『逆光』 Against the Day (2006年)木原善彦訳 新潮社、2010
- 『インヒアレント・ヴァイス』 Inherent Vice (2009年)
- エントロピー 井上謙治訳 現代アメリカ短編選集第3 白水社 1970 のち「現代アメリカ幻想小説」
[編集] 日本語訳
- 『トマス・ピンチョン 全小説』 新潮社で2010年6月より刊行開始、2012年完結予定。
[編集] 関連項目