仏陀

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仏陀(ブッダ、buddha)は、ともいい、古代インドサンスクリット語で「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味で悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人の事を言う。

目次

[編集] 概要

基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とする。しかし初期の経典でも釈迦の前世を説いた中に燃燈仏過去七仏など仏陀の存在を説いたものもあり、またジャイナ教の文献にはマハーヴィーラをブッダと呼んだ形跡があることなどから、古代インドの限られた地域社会の共通認識としては既に「仏陀」が存在したことを示している。

しかして時代を経ると、その仏陀思想がさらに展開され大乗経典が創作されて盛り込まれた。このため一切経(すべての経典)では、釈迦自身以外にも数多くの仏陀が大宇宙に存在している事が説かれた。例を挙げると初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では阿弥陀経法華経などである。

[編集] 菩薩の五十二位

仏陀の悟りの位を理解するには、菩薩が仏となるその修行過程として52の位が存在することを理解する必要がある。

  • 十信(下位から1段目~10段目の悟り)
  • 十住(下位から11段目~20段目の悟り)
  • 十行(下位から21段目~30段目の悟り)
  • 十廻向(下位から31段目~40段目の悟り)
  • 十地(下位から41段目~50段目の悟り)41段目の初地の悟りを開いた人は、油断しても悟りの位が退転しない事から、特に「初歓喜地」と言われる。
  • 等覚(下位から51段目の悟り) 仏の悟りの位に等しい事から等覚と言われる
  • 妙覚(下位から52段目の悟り) 仏、仏陀、正覚

[編集] 十号

また、仏教文献では、仏陀をさまざまな表現で呼んでいる(十号)。

  1. 如来(にょらい、tathaagata (sanskrit)) - 多陀阿伽度と音写されている。真如より来現した人。
  2. 応供(おうぐ、arhat (sanskrit)) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。
  3. 明行足(みょうぎょうそく、vidyaacaraNa-saMpanna (sanskrit)) - 宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者。
  4. 善逝(ぜんぜい、sugata (sanskrit)) - 智慧によって迷妄を断じ世間を出た者。
  5. 世間解(せけんげ、lokavid (sanskrit)) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。
  6. 無上士(むじょうし、anuttra (sanskrit)) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。
  7. 調御丈夫(じょうごじょうぶ、puruSadaMyasaarathi (sanskrit)) - 御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。
  8. 天人師(てんにんし、zaastaa-devamanuSyaaNaam (sanskrit)) - 天人の師となる者。
  9. (ぶつ、buddha (sanskrit)) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。
  10. 世尊(せそん、Bhagava.t (sanskrit)) - 人天の尊敬を受ける栄光ある者。真実なる幸福者。

仏教経典の中で釈迦に対して、漢訳では一般に「世尊」と呼びかける。パーリ語・サンスクリット語経典での呼びかけは「ブッダ・バガヴァーン」が一般的である。つまり「目覚めて幸せな者よ」という呼びかけである。ここに、仏教における釈迦に対する見方がある。ひいては、衆生の目指す目標もまた、無明の闇から目覚めて、ゆるぎない幸福を求めることが目標となっている。

また、釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主催神,絶対神)の存在を認めなかった。その一方、経典のなかでは、従来は超越的な(deva,天)としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で神(deva,天)と呼ばれる多くの神々が護法善神として仏教神話の体系に組み込まれていった。また仏滅500年前後に大乗仏教が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。

なお、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初はレリーフなどでは、法輪で仏の存在を示していた。 しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。とはいえ、死後300年を過ぎてから作られはじめたため実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。

多くの仏教の宗派では、ブッダ(仏陀)は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。

悟り光明)を得た人物をブッダと呼ぶ場合があるが、これは仏教、ことに密教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではないと思われる。

一般には釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在をブッダと呼ぶようになったり、ヴェーダの宗教のアートマンのように、どんな存在にも内在する真我ブッダと呼んだり、仏性とよんだりする。場合によれば宇宙の根本原理であるブラフマンブッダの概念に含まれることもある。

近年になって仏教が欧米に広く受け入れられるようになって、マニ教の影響を受けてニューエイジと呼ばれる宗教的哲学的な運動が広まり、光明を得た存在をブッダと呼ぶ伝統が一部に広まった。

[編集] 佛の漢字の由来

ぶつ、「仏」の字は、通常宋・元時代頃から民間で用いられた略字として知られるが、唐の時代には、すでに多く使われており、空海も最澄宛の、国宝「風信帖」の中に使用している。漢字作成時の地域による使用文字の違いとみる有力な見方がある。

buddhaを中国において、「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国にbuddhaに当たる意味の語がなかったためであろう。この「佛」の語は、中央アジアの「but」もしくは「bot」に近い発音を音写したもので、元北京大学の季羨林教授によれば、この語はトカラ語からの音写であるとするが、根拠は不明である。

「拂」「沸」の発音が「p'iuet」であるから、初期には「佛」も同じか近い発音であったと考えられる。この字は「人」+「弗」(音符)の形成文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であり、局面的な否定を含んでおり、「……ではありながら、そうではない・背くもの」という意味を持っている。その意味で、buddhaが単に音だけで「佛」という字が当てられたのではなく、「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。なお、「仏」の右のつくりは、私のつくりである△から来ていると見られている。

4世紀以後に仏典がサンスクリットで書かれて、それが中国語訳されるようになると、buddhaは「佛陀」と二字で音写されるようになる。

「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」がbuddhaを意味していたことに注意すべきである。 "http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%B6%E3%81%A4" より作成

[編集] 俗称・隠語としての仏

日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれるが、それはあくまでも一部でしかなく正解とは言いがたい。たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽転生すると解釈する。しかし、この娑婆世界こそが浄土であるという解釈を持つ宗派もある。

このため、死者を仏と呼ぶようになったのは、日本の中世以降、死者をまつる器として「瓫(ほとき、ほとぎ)」が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある。ただし、古来より日本では人間そのものが神であり(人神=ひとがみ)、仏教が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと(蕃神=となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている。

[編集] 関連項目

ヒンドゥー教

基本教義
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