反ソ連デー

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2015年8月9日 飯倉片町交差点

反ソ連デー(はんソれんデー)とは、記念日の1つ。毎年8月9日である。略称は「反ソデー」である。またソビエト連邦の崩壊に伴い、後継国家のロシアの名を冠した「反ロシアデー」「反ロデー」ともいう。

ここでは記念日としているが、公的及び他者や社会にに承認及び認知されているものではなく、右翼団体等により、行われている行事である。

概要[編集]

1945年のこの日、ソビエト連邦日ソ中立条約を破棄して対日参戦を敢行。また、大日本帝国の傀儡である満州国へ侵攻した(長崎市への原子爆弾投下と同日)。

満9年の1954年、日本の右翼民族派は、これらソ連の一連の行動を弾劾すべく、大日本愛国党主催の「滅共反ソ国民大会」が新橋駅前で開かれた。福田素顕は資金調達、赤尾敏は演説会、荒原朴水[注 1]はデモと、それぞれ役割を分担した[1]。大会終了後、約40人がソビエト連邦代表部に移動して抗議活動を行い、更には鉄門を破って侵入、警察官を負傷させる事件が発生した。この事件で荒原・福田進・及川秀雄の3人が起訴され、有罪判決(荒原に懲役4月・執行猶予2年、福田に罰金2万円)を受けた[2][1][注 2]。右翼はこの事件を「義挙」とし、以降毎年この8月9日を「反ソ連デー」として位置づけ、ロシア大使館近辺で街宣活動を行うようになった。

2008年開催の東京湾大華火祭は、例年通りの開催日とされる8月第2土曜日が反ソ連デーと重複するため、警備上の観点から翌日曜日(8月10日)開催となった。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1905年生、2004年没。右翼理論家、大日本国民党創設者。著書「日本国家主義団体名鑑」など[1]
  2. ^ 右翼活動家の深作清次郎もこの大会に参加しており、検察側の証人として被告人の犯行を証言している[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c 堀幸雄『最新 右翼辞典』柏書房、2006年11月、23,350頁。 
  2. ^ a b 荒原朴水『増補 大右翼史』大日本一誠会出版局、1974年、559-562頁。 

参考文献[編集]

2015年8月9日 麻布警察署
  • 『新 警備用語辞典』立花書房、2009年

関連項目[編集]