上杉慎吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上杉 慎吉(うえすぎ しんきち、1878年(明治11年)8月18日 - 1929年(昭和4年)4月7日)は、日本の憲法学者。天皇主権説を主張し天皇機関説と激しい論争を展開した。
目次 |
[編集] 人物
父上杉寛二は元大聖寺藩(現、石川県加賀市)藩医。旧制四高補充科予科、旧制四高[1]を経て、1898年に東京帝国大学法学部に進学し、憲法学教授で天皇主権主義の穂積八束に師事して憲法を学んだ。1903年帝大法学部政治学科卒(銀時計)、同年には同大学助教授に就任した。1905年には師匠の穂積説を批判するようになったが、1906年からの「西遊研学」で穂積説の後継者を自任するようになった。
1910年代に入ると、同じく東京帝国大学の美濃部達吉が打ち出した天皇機関説を批判するようになる。(天皇機関説論争)1916年には吉野作造の民本主義を批判し、経綸学盟を設立して、国家社会主義運動を進めた。1920年にはアナーキスト的内容の論文を発表した森戸辰男を排撃した(森戸事件)。
[編集] 右翼思想への影響
上杉の学説を熱心に支持する学生達は1925年に帝大七生社を結成し、天皇主権に基づいた国粋主義思想活動をするようになり、のち1932年に起きた血盟団事件では4人の会員が犯行グループに参加した。

