黒龍会

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黒龍会(こくりゅうかい)は1901年明治34年)1月に設立された国家主義右翼)団体である。中国満州ロシア国境を流れる黒龍江に名前が由来する[1]。対露開戦を主張[2]玄洋社の海外工作センターといわれた。海外では日本の壮士集団、BLACK DRAGON SOCIETYとして恐れられていた[3]。1931年に大日本生産党を結成。1946年GHQ当局によって、最も危険な影響力のある国家主義団体として解散させられた[4]

創設[編集]

日清戦争後の三国干渉に憤慨した玄洋社の一部が大陸での活動をするために、1901年、平岡浩太郎[5]の甥に当たる内田良平[6]を中心として葛生修吉らが設立した。他に平山周[7]葛生能久[8]がいた。玄洋社の頭山満が顧問となった。東京神田の錦輝館で行われた発会式には先の葛生、平山の他、伊東正基吉倉汪聖佃時夫大原義剛権藤震二らが参加した[9]。事務所は芝区西久保巴町の内田の自宅。賛助員として平岡の他には犬養毅鳩山和夫頭山満大井憲太郎神鞭知常河野広中中江兆民がいる[3]

大アジア主義[編集]

第一次世界大戦後、牧野伸顕らが代表として国際連盟の会議に出席することになったのを受け、黒龍会は各界に強い働きかけをして人種的差別撤廃提案を提出させようと運動している。また、ラース・ビハーリー・ボース亡命支援などに携わり、インド独立運動フィリピン独立運動など、復興アジア運動を積極的に行った[10]

日韓連邦の構想と挫折[編集]

樽井藤吉は著書『大東合邦論』にて、日韓連邦建設によって欧米列強諸国からアジアの独立を護ろうと主張した。内田良平や武田範之らの黒龍会の会員たちは、『大東合邦論』に共鳴した東学党の乱の指導者の一人、韓国一進会の会長李容九と共に「日韓連邦建設」「日韓合邦論」[11]を叫んで、日韓が力を合わせ白人の東洋侵略に対抗するべく運動を展開した[12]

孫文支援[編集]

辛亥革命を支援しており、1905年に中国革組織各派[13]が連合して成立した中国同盟会の結成準備会は、東京赤坂の黒龍会本部兼内田良平の自宅で行われた。また、黒龍会発行の機関誌『内外時事月函』の記者の名目として上海北一輝を派遣し、中国革命を支援した[14]

中国革命が、南北妥協によって挫折した後、内田良平らは、反袁世凱という立場から、満蒙独立運動を支援する立場となり、宗社党などと関係を持ってパプチャップ[15]らと共に、第一次満蒙独立運動第二次満蒙独立運動に関り、本告辰二志賀友吉若林快三ら、黒龍会の会員が殉難している。

イタリアのエチオピア侵攻問題について[編集]

1935年1941年にかけてイタリアエチオピアを侵略した際には、イタリアの侵略行為を激しく非難してエチオピアを支持し、『伊エ問題とエチオピア事情』、『空襲下の悲壮エチオピア』の二冊のパンフレットを1935年に出版している。このエチオピア問題で黒龍会は、日本の女性皇族とエチオピアの帝室との間に閨閥を作ろうとしている。

脚注[編集]

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  1. ^ 春になると川原一面にきれいな花が咲き乱れる。その、のどかで平和な美しい光景をシベリア横断を成し遂げた内田良平が見て感動し、東亜の理想はこの光景にあると大悟し、欧米列強諸国によって殖民併呑されたアジアを復興し、まるで極楽を思わせるかの様な、春の美しい黒龍江のようなアジアを建設することをライフワークとして誓った。その復興アジアへの内田良平の誓いこそが、黒龍会の名前の由来である。
  2. ^ 内田良平は、単身シベリアを横断してロシア革命を予測して、「ロシア帝国恐れるに足りず」として『露西亜亡国論』を著わし、ロシア革命に同情したが、治安を乱すという当局の理由によって即日発禁処分となる。
    日露戦争では満州義軍を組織して後方攪乱に回ったり、コサック兵と戦ったりした。
  3. ^ a b 堀幸雄 『最新 右翼辞典』 柏書房 2006年11月 P 227-228
  4. ^ 第二次世界大戦中には、アメリカで情報収集など様々な活動を行っており、会員がサンフランシスコにおいてFBIに逮捕されたこともあった。[要出典]
  5. ^ 玄洋社創立者の1人で玄洋社初代社主
  6. ^ 内田良平の父である内田良五郎筑前勤皇党の志士であり、良平の叔父の平岡浩太郎は西南の役に従軍、後に頭山満と共に玄洋社を創立し、帝国議会開設後は衆議院議員を務めた。また自らが経営する筑豊炭鉱で得た巨額の資金を革命資金として孫文を支援、またアジア各国の独立運動や、郷土の後輩や青年の育英にも惜しみなくその財を注ぎ込んだ。
  7. ^ 後の中華民国軍総司令部顧問
  8. ^ 最後の黒龍会主幹で昭和右翼の重鎮
  9. ^ 結成には武田範之鈴木天眼清藤幸七郎ら、および、東学党の乱支援のために天佑侠を結成して朝鮮半島に渡った人々も深く係わった。
  10. ^ 東亜先覚志士記伝』上、中、下巻
  11. ^ 日韓合邦運動は結果的に、日本政府に利用され騙されて、「日韓両国が平等に連邦を建設しよう」という「合邦」は「併合」に摩り替えられて、日韓併合への道を拓いた。[要出典]内田良平をはじめとする黒龍会の会員たちは、その道義的な責任を感じて、同光会を結成して、朝鮮統治改革運動を展開して、朝鮮に高度な自治権を施し、朝鮮人にも参政権を与えるべきだと主張した。その結果、朴春琴など朝鮮人の帝国議会議員が誕生していた。
  12. ^ 黒龍会『日韓合邦秘史』上下二巻。
  13. ^ 代表的な三勢力を紹介する。
    興中会孫文胡漢民汪兆銘など
    光復会陶成章章炳麟蔡元培秋瑾など
    華興会=(黄興宋教仁陳天華など
  14. ^ その時の電報文などは、みすず書房刊行『北一輝著作集』第三巻所収
  15. ^ 巴布扎布

関係資料[編集]

  • 内田良平文書研究会編『黒龍会関係資料集』(柏書房)1992年
  • 内田良平文書研究会編『内田良平関係文書』(芙蓉書房新社)1992年
  • 黒龍倶楽部編『國士内田良平傳』(原書房)1967年
  • 滝沢誠『評伝内田良平』(大和書房)1976年
  • 田中健之『内田良平翁五十年祭追慕録』(皇極社出版部)1987年
  • 田中健之編『内田良平著作集全3巻』(皇極社出版部)1983年〜1988年
  • 『発禁・黒龍会会報』(皇極社出版部)1987年
  • 『日韓合邦秘史』(黒龍会出版部)1935年
  • 『東亜先覚志士記伝』(黒龍会出版部)1933年〜1936年
  • 黒龍会 1930 『黒龍会三十年事歴』 

外部リンク[編集]