鈴木恒夫
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| 文部科学大臣 鈴木 恒夫 | |||
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| 生年月日 | 1941年2月10日(68歳) | ||
| 出生地 | 神奈川県横浜市港北区 | ||
| 出身校 | 早稲田大学 | ||
| 学位・資格 | 政治学士 | ||
| 前職 | 毎日新聞記者 | ||
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所属委員会
内閣役職
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| 世襲 | 無 | ||
| 選出選挙区 | 神奈川県第7区 | ||
| 当選回数 | 6回 | ||
| 所属党派 | 自民党(麻生派) | ||
| 党役職 | 党総合農政調査会副委員長
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| 会館部屋番号 | 衆・第1議員会館423号室 | ||
| ウェブサイト | 鈴木恒夫オフィシャルウェブサイト | ||
鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年2月10日 - )は、日本の政治家。自民党・麻生派所属の衆議院議員(当選6回、神奈川県第7区選出)。文部科学大臣(第10代)。
目次 |
[編集] 来歴
- 1941年2月 神奈川県横浜市港北区師岡町で出生。
- 1953年3月 横浜市立大綱小学校卒業。
- 1956年3月 横浜市立大綱中学校卒業。
- 1959年3月 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。
- 1963年3月 早稲田大学第一政治経済学部卒業。
- 同年4月 毎日新聞東京本社に入社。政治部記者として、15年間勤務。
- 1977年7月 衆議院議員・河野洋平(新自由クラブ代表)の秘書になる。
- 1983年12月 衆議院議員総選挙に神奈川1区(中選挙区制)から初めて立候補し、落選。
- 同年12月 田川誠一自治大臣の大臣秘書官に就任する。
- 1984年11月 河野洋平の秘書に復帰する。
- 1986年7月 衆議院議員総選挙に立候補(2回目)し、初当選。
- 同年8月 新自由クラブの解党により、自民党へ入党する。
- 1990年2月 衆議院議員総選挙に立候補(3回目)し、当選(2回目)。
- 1992年12月 文部政務次官に就任する。
- 1993年7月 衆議院議員総選挙に立候補(4回目)し、落選(実は新党さきがけの結成に当初参加を予定していたが、官房長官だった河野の説得で断念)。自民党総裁秘書役に就任する。
- 1995年1月 自由民主党神奈川県第7選挙区支部長に就任する。
- 1996年9月 神奈川県第7区(小選挙区制)から立候補(5回目)し、当選(3回目)。
- 同8年11月 環境政務次官に就任する。
- 1997年9月 自由民主党環境部会長に就任する。
- 1999年1月宏池会離脱し大勇会(現為公会)旗揚げに参加。10月 衆議院文教委員長に就任する。
- 2000年6月 衆議院議員総選挙に立候補(6回目)し、当選(4回目)。
- 同年7月 文部総括政務次官に就任する。
- 同年12月 自由民主党政務調査会副会長に就任する。
- 2002年 衆議院法務委員会委員。衆議院文部科学委員会理事、党政調副会長、党組織本部副本部長に就任する。
- 2003年11月 衆議院議員総選挙に立候補(7回目)し、神奈川7区で首藤信彦に敗北し比例復活で当選(5回目)。衆議院議院運営委員会理事、自由民主党国会対策副委員長に就任する。
- 2005年9月 衆議院議員総選挙に立候補(8回目)し、当選(6回目)。文部科学委員会委員。衆議院議院運営委員会理事、決算行政監視委員会筆頭理事、政治倫理審査会理事に就任。文教制度審査および教育基本法検討特命委員会の両事務局長、環境基本問題調査会副会長などに就任。
- 2006年9月06年自民党総裁選で大勇会の麻生太郎外相の推薦人及び選対事務総長(03年自民党総裁選では高村正彦推薦人)
- 同年10月 党情報調査局長に就任。
- 2007年9月 衆議院災害対策特別委員長に就任。
- 同年10月 次期衆議院議員総選挙には出馬せず政界引退を表明。地盤継承者は鈴木馨祐(特に血縁関係はなし)
- 2008年8月 文部科学大臣に就任したが福田改造内閣が2ヶ月足らずで総辞職したため翌9月で退任した。
[編集] 主な提出法案
- 衆法163回20号 国会法及び国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律の一部を改正する法律案
[編集] 人物
「これまで遊技業界に関心のなかった国会議員などの理解を深め、パチンコ業界の位置づけを真剣に考えていく」として、自民党の「遊技業等の営業の健全化に関するプロジェクト会議」に携わっている。
[編集] 所属議員連盟
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 渡海紀三朗 |
第10代:2008年 |
次代: 塩谷立 |

