尾身幸次
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おみ こうじ
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| 生年月日 | 1932年12月14日(79歳) |
| 出生地 | 群馬県沼田市 |
| 出身校 | 一橋大学商学部卒業 |
| 前職 | 通商産業省課長 |
| 現職 | 特定非営利活動法人STSフォーラム理事長 財団法人天風会理事長 |
| 称号 | 商学士(一橋大学1952年) 旭日大綬章 |
| 公式サイト | 尾身幸次Action Wave[リンク切れ] |
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| 内閣 | 安倍内閣 |
| 任期 | 2006年 - 2007年 |
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| 内閣 | 第1次小泉内閣 |
| 任期 | 2001年 - 2002年 |
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| 内閣 | 第1次小泉内閣 |
| 任期 | 2001年 - 2002年 |
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| 内閣 | 第2次橋本改造内閣 |
| 任期 | 1997年 - 1998年 |
尾身 幸次(おみ こうじ、1932年12月14日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員(8期)。沖縄政策や科学技術政策に詳しく、経済企画庁長官、沖縄及び北方対策担当大臣、科学技術政策担当大臣、財務大臣等を歴任した。旭日大綬章受章。
目次 |
[編集] 経歴
群馬県沼田市に生まれる。少年期は父親の商売を手伝い、しばしば行商にもでた。群馬県立沼田高等学校を経て1952年に一橋大学商学部入学。奨学金とアルバイトにより1956年に同大学を卒業し、通商産業省に入省する。同期には、杉山弘(通産事務次官)、野々内隆(資源エネルギー庁長官)、川崎弘(経企審議官、東京電力副社長)、守屋一彦(日本化学繊維協会理事長)など。1970年 在ニューヨーク日本総領事館領事、1979年 科学技術庁長官官房総務課長、1981年 中小企業庁指導部長などを歴任し、衆院選に出馬するため1982年に退官。翌年末の第37回衆議院議員総選挙に無所属出馬して初当選(同じ選挙区で清和研現職久保田円次落選し引退)。その後自民党入りして福田派に所属した。なお、初出馬の際に自民党からの立候補を同郷の福田赳夫から反対されたこと、安倍晋太郎の助力により自民党へ入党した経緯があったことから、尾身は小泉純一郎の後継に福田康夫ではなく安倍晋三を推している。
1990年大蔵政務次官、1992年自由民主党商工部会長、1993年自由民主党科学技術部会長、1995年衆議院大蔵委員長。小選挙区比例代表並立制導入後は平成研佐田玄一郎とコスタリカ方式で共闘。1997年、第2次橋本内閣改造内閣において経済企画庁長官として初入閣を果たす。在任中は、ヤオハン、北海道拓殖銀行、山一證券と大企業が次々に破綻する困難な時期だった。「桜の花が咲くころには、景気は必ず上向くから辛抱して欲しい」と楽観的な経済見通しを述べたが、実際には厳しい状況となり、「うそつき・のうなし・からえばり」と陰口をきかれた。2000年、森喜朗総裁の下で自民党幹事長代理に就任、中川秀直官房長官辞任の際には後任として名前が挙がるも、野中広務ら橋本派に近いという理由で、当時の森派会長・小泉純一郎が反対し、実現しなかったとされる。2001年の第1次小泉内閣では科学技術政策担当大臣兼沖縄及び北方対策担当大臣を務めた。また大臣時代は訪米中に、アメリカ同時多発テロが発生し、日程を急遽変更してボストンからニューヨークに移動し、現地状況の把握や米国関係者との意見交換や現地邦人の保護等に努めた。
2005年の郵政国会では6月27日の自民党総務会の郵政民営化修正案の了承決議に賛成票を投じた。
派内では町村信孝と並んで早くから安倍総裁実現のために奔走し、主に派内のベテラン議員を安倍支持でまとめた。2006年9月26日、安倍内閣財務大臣に就任。経済企画庁長官時代の一件もあり、経済通・政策通を自認するが、彼の発言にはリップサービス以上のものがあるとのさめた見方をするむきや、増税・減税などの分野で思わぬ失策があるやも知れないと警戒する人さえいた。安倍内閣改造内閣で離任。
2007年7月に行われた群馬県知事選挙で自民党公認候補の大沢正明(当選)を積極的に支援しなかったとして自民党群馬県連より次回の国政選挙において県連として党本部に公認申請を出さない、という宣告を受けた。知事選挙の応援よりも長女・尾身朝子の参議院選挙応援を優先させたため、と言われる。だが、一転して2008年1月までに、群馬1区の全県議7人が公認推薦を内諾した。同年2月の前橋市長選で自民党推薦候補を勝たせるために尾身後援会の不満を解消させる目的があるとみられている。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙には公明党の推薦を受けて出馬した[1]が小選挙区で敗北。比例代表との重複立候補をしていなかったため議席を失った[2]。同年9月17日、町村派の総会で政界引退を表明した[3]。
2010年4月旭日大綬章受章。2006年に特定非営利活動法人STSフォーラムを創立し、同法人の理事長も務める。
[編集] 献金
[編集] 不祥事
[編集] 通訳長女公費支出問題
2007年2月13日、衆議院予算委員会の審議にて、民主党、馬淵澄夫衆議院議員の質問に対する内閣府の回答により、尾身が自分の長女尾身朝子(2004年の参院選に自民党から比例区出馬し、落選。再度2007年の参院選に自民党から比例区出馬し、落選)を会議に同行させたうえ朝子が公費を受け取っていることが発覚した。
内閣府によると、尾身が2002年12月から2006年5月までに出席した13回の会議中9回に朝子が同行し、ホテル代、食事代名目で公費を受け取っているとされる。この問題に対し、尾身は国会答弁で「(尾身自身は)ヒアリングに難点がある。娘(=尾身朝子)はバイリンガルで、能力のある者は使うべきだという考えで連れていった」と釈明した。
なお、9回中5回は公式通訳がいるため通訳自体不要であった。また、公式通訳不在の会議にもかかわらず朝子が同行しない回もあり、矛盾が指摘されている。そもそも尾身は英語に極めて堪能なことで知られており、通訳自体そもそも必要なのかが問われている。
[編集] 沖縄大学院予算指南問題
2007年2月19日、衆議院予算委員会の審議にて、馬淵澄夫の質問に対する内閣府の回答により、尾身が独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構に対し国家予算獲得に関する情報提供をしていたことが発覚した。
内閣府の公開した2006年10月24日会議資料によると、尾身が沖縄科学技術研究基盤整備機構運営委員会委員に対し、2007年度予算確保のため、運営委員会から強い要請があれば予算増の可能性が高く、特に施設予算は「プライオリティーが高い」とアドバイスしていたとされる。
だが、尾身は衆議院での答弁で、財務大臣就任後に予算要求の具体的内容を運営委員会にアドバイスしたことはないとしている。この独立行政法人が運営する予定の沖縄科学技術大学院大学は、沖縄担当大臣だった尾身自身が構想を提唱した大学院である。
馬淵に対して尾身は、「設置検討当初からの教授が全員こぞって、『尾身さん、大臣は辞めたけれど、あなたがいないと駄目だ』と強く言ったので(財務大臣就任後も)関与した」とか、「世界的にも日本の将来にとっても大事なこのプロジェクトを飼養していくためには、私が関与していくことが政治家としての義務である」、「(このようなことを指摘してくる)民主党は沖縄科学技術大学院大学の設置に反対だとしか考えられない」などと答弁している。
[編集] NHK批判問題
2007年4月、松坂大輔の衝撃メジャーリーグデビューとその初勝利に日本中が沸いていた日、NHKがこのニュースを朝の番組で取り上げたことについて、「この種の問題をNHKで毎朝取り上げるのは、ニュースのバランスから見て問題がある」苦言を呈したため、この発言に対して非難が集中した。 同年4月3日、日本航空77200(JA8979)便がエンジントラブルの際に福岡空港に緊急着陸した事件で、尾身の搭乗が殆ど報道されなかったことへの嫉妬とも一部から揶揄されている。
[編集] 西松建設から迂回献金
準大手ゼネコンの西松建設から、同社のOBらを代表とした政治団体(『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』)を隠れ蓑に2080万円もの多額の政治献金を受けていたことが発覚した[5][6]。
[編集] 関係団体
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ “公明、比例15人を公認…自民128人も追加推薦”. 読売新聞. (2009年8月6日) 2009年11月24日閲覧。
- ^ “自民大物相次ぎ落選、常勝区でも議席明け渡す”. 読売新聞. (2009年8月31日) 2009年11月24日閲覧。
- ^ 『毎日新聞』 2009年9月17日
- ^ “パーティ券リストの面々”. しんぶん赤旗. (2003年12月25日) 2009年12月25日閲覧。
- ^ “裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら”. しんぶん赤旗. (2008年12月21日) 2009年3月12日閲覧。
- ^ “西松建設政治団体 資金提供 全容わかる 小沢民主代表 3100万 尾身元財務相 2080万 二階経産相 868万”. しんぶん赤旗. (2009年1月26日) 2009年3月12日閲覧。
[編集] 外部リンク
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第6代:2006年 - 2007年 |
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第2代:2001年 - 2002年 |
次代: 細田博之 |
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第54代:1997年 - 1998年 |
次代: 堺屋太一 |
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