ヤオハン

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ヤオハン(Yaohan、八百半)とは、静岡県を拠点とし、1980年代までに世界規模のスーパーマーケット及びショッピングセンターチェーンに発展するも、1997年に経営破綻した小売業者である。

目次

[編集] 概要

1929年に静岡県熱海の八百屋として創業し、半世紀の間に世界15ヶ国で400店舗以上を運営する巨大小売・流通チェーンに発展した。最盛期の売上は、グループ全体で年間5,000億円程度であった。中国では、1992年に外資系として初めての輸入・小売業者になったほか、1995年には上海浦東地区に大型百貨店「Nextage」を開業した。同店は、百貨店としてはニューヨークのメイシーズに次ぐ世界第二位の店舗面積であった。

創業者夫婦の長男でありヤオハン社長として急速な業務拡大を行った和田一夫新宗教生長の家」の熱心な信者であり、同社ではこの宗教の教義を社是(後述)として取り入れ、活動の原理としていた。

1997年、グループ傘下の主要会社ヤオハン・ジャパンは1,613億円の負債を抱えて倒産[1]、会社更生法の適用を受けた後イオングループの100%子会社「マックスバリュ東海」となり現在に至っている。倒産時の負債額は、日本の小売・流通業者として史上最大規模(当時)のものであった。ヤオハン・ジャパンを除くヤオハングループ(日本国外の事業)は、1997年以降にすべて解体、清算・譲渡された。

[編集] 社是

「生命の実相哲学の正しい把握とたゆまざる実践を通して、全世界人類に貢献するための経営理念を確立する」

これは1965年、熱海の1店舗のみで営業していた当時に定められたものであるが、世界規模の小売業に発展した後にまで引き継がれた。新店舗開店の際には、新宗教生長の家」の祈りが和田と社員で欠かさずに行われていたという(『地域から世界を変える』1994年10月号)。

[編集] 沿革

明治時代、貧しい農家の次男であった田島半次郎が始めた小田原の青果商「八百半」は、やがて、小田原一の青果商となり、湯本・箱根・湯河原・熱海・伊東一帯で手広く青果卸を扱うようになった。

以後の事項についてはマックスバリュ東海を参照

[編集] 店舗

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[編集] 日本国内

静岡県内を中心にヤオハンの店舗はあった。最盛期には57店舗を運営していた。

1996年、資金繰りの悪化に伴い、経営が優良な店舗を中心とする16店舗が大手スーパーダイエーの子会社セイフー、及び東海ダイエー(両社ともに現在のグルメシティ関東)に売却された。

1997年、ヤオハン・ジャパンが会社更生法の適用を申請、事実上の倒産をした後さらに9店舗が閉鎖された。存続店舗はイオングループにより会社更生計画での営業が続けられた。更生計画が完了しマックスバリュ東海へ商号を変更した後、現在の新規店舗、改装後のヤオハン店舗には「マックスバリュ」の名称が付けられており、今後ヤオハンの名を冠した店舗は漸減していく見通しである。

詳細は「マックスバリュ東海」を参照

[編集] 日本国外

[編集] 東南アジア

1973年、シンガポール政府の誘いに応じて同国オーチャードロードに出店。以後、タイマレーシアにも出店した。

台湾には1994年、台湾桃園店が開店した。

[編集] 香港

新八佰伴商場(マカオ)

1984年 に初出店した。香港ヤオハンの第1号店は新界の沙田(シャティン)店であり、最終的には10店舗が営業していた。当地には1990年から1996年までグループ(国際流通グループ・ヤオハン)の本部が置かれ、同時期、グループ代表・和田一夫はPollock Path 山頂の豪邸に居住していた。

1997年の経営破綻の後、すべての店舗が閉鎖された。「ヤオハン国際有限公司」がヤオハンの名称の元に存続するが、経営はヤオハンとは無関係の地元資本による。マカオの「New Yaohanデパート(新八佰伴商場)」についても同様である。

[編集] 中国

上海新世紀商廈-第一八佰伴

店名は「八百伴(パーパイパン)」と称される。1992年、中国新技術創業公司(CVIC)との提携により、「北京賓特購買中心(北京八佰半百貨店)」を開業。これは、外資が中国の小売市場に参入した初めての例となった[2]。 1993年5月30日、試験的な出店として上海に「上海第一八百伴」を開業。1994年からは「上海八佰半スーパーマーケット」及び「上海八佰半モスバーガー」を展開した。1995年12月20日には同市浦東新区に巨大百貨店「Nextage Shanghai 新世紀商場(新世紀商厦)」を開店、初日には107万人の来客があり、この記録はギネスブックに掲載された。

[編集] 経営破綻以降

中国及び、中国系住民のあいだでは「ヤオハン(八佰伴)」のブランド力が強い[3]ため、その名称が存続している場合が多い。しかしながら、それらのいずれでも創業者である和田一族やイオングループとの資本関係はない。上海の「上海第一八百伴」などがその例であり、所有・運営するのはヤオハンとは無関係な地元・中国資本である。

[編集] アメリカ

1984年、ヤオハンU.S.A.は日本の食料品や日本製品を中心に扱うショッピングセンターをカリフォルニア州トーランスに開店した。初年の売り上げは1300万ドルであった。その後、カリフォルニア州内に6店など全米に8店舗を追加開業し、1993年には年間売上げ約1億2600万ドルとなった。また、ニューヨーク・マンハッタンでは持ち帰り用の寿司店「大吉」を4店舗経営していた。

当時の背景として、カリフォルニアにおけるアジア系人口は1990年までの10年間に倍増して280万人になっており、ヤオハンU.S.Aでは「顧客のほぼ100%がアジア系住民」(ヤオハンU.S.A.)(『Herald Tribune』1994年2月1日)]であったという。

  • ニューヨーク店

ニューヨーク・マンハッタンとはハドソン川の対岸にあたるニュージャージー州エッジウォーター(Edgewater)に1988年に完成した3棟からなる複合施設「Waterside Plaza」の中核テナントとして、同年に開業した。同施設は、Feldman Enterprises社(ニュージャージー州)が、同社が1985年に310万ドルで購入した土地にショッピングセンターを用途として建設したものである。当時同地区は寂れた産業地区であったが、難工事により嵩んだ開発費に起因する高額な賃貸料に納得するアメリカ企業がなく、そのために日本企業が勧誘されたという。結果、ヤオハンUSAが同複合施設全体を一括でリースする契約を締結した(『New York Times』1988年2月7日)。

[編集] 経営破綻以降

ヤオハン・グループの崩壊時に存在していた9店舗の全てが、「ミツワ・マーケットプレイス」として営業を継続している。これらはヤオハンの元社員が独立して買い取ったものだという[4]

詳細は「ミツワマーケットプレイス」を参照

[編集] カナダ

メトロバンクーバーの都市であるブリティッシュコロンビア州リッチモンドのアジア系ショッピングモールの集中するGolden Village地区に1993年、「ヤオハン・バンクーバー店」として開店した。人口の60%を中国系住民が占める同市において、同地区はバンクーバーの中華街に次ぐ「第2の中華街」とも呼ばれ、当店舗も中国志向が強かったといわれる。

現在「ヤオハン・センター」との名称での営業を継続しているが、経営するのは台湾のプレジデント・グループである。

[編集] イギリス

1992年、ロンドンに出店。寿司店のチェーンも運営していた。

[編集] その他

[編集] 外部リンク

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