客家

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客家
中国語 客家
客家語拼音 Hak-kâ
客家
総人口

約1億2000万人

居住地域
中国広東省福建省江西省香港など)、台湾タイマレーシアシンガポールフィリピンインドネシアなど
言語
客家語
宗教
大乗仏教儒教道教が支配的。少数のキリスト教
関連する民族

漢民族シェ族

客家(ハッカ)とは、客家語を共有する漢民族の一支流。

概要[編集]

原則漢民族であり、そのルーツを辿ると古代中国(から春秋戦国時代)の中原中国東北部の王族の末裔であることが多い。漢民族の中でも中原発祥の中華文化を守ってきた正統な漢民族[要出典]である。歴史上、戦乱から逃れるため中原から南へと移動、定住を繰り返していった。移住先では原住民から見て“よそ者”であるため、客家と呼ばれ、原住民との軋轢も多かった。この争いを土客械闘という。

中国内の移動・定着の歴史は、およそ6段階に分類され、最初がの時代辺りから江西地帯への入植、第2段階が西晋八王の乱から永嘉の乱にかけて黄河流域の中原華北の北方住人が長江以南に避難。第3段階が末の黄巣の乱に江西、福建、広東の奥地に南下。第4段階として南宋末期の元軍の侵攻により広東に拡がり、第5段階では、の時代の領土拡大に伴い、西は四川省、東は台湾に展開、そして最後の段階として、海南島まで南下した。ほとんどの家に古代からの族譜があり、祖先信仰が強く、風習も頑なに守ってきたため、周囲から隔絶されて発達した客家語には古代の文語がうずもれるように残っている部分があるといわれている。

居住地[編集]

分布

主な居住地域は、中国広東省福建省江西省など山間部であり、梅州恵州汀州贛州は客家四州と呼ばれる。在外華僑華人としてタイマレーシアシンガポールなどの東南アジア諸国に暮らす者も多く、華人の3分の1は客家人である。

台湾では北中部の桃園県新竹県苗栗県などを中心に居住し、ホーロー人(福人と言う場合は、特に福建省に出自を持つことを強調しており、閩北の者に疎外感を与えない様に配慮して言葉を用いている)に次ぐ大きなエスニック・グループを構成している。そのため、公共の交通機関などでは国語(北京語)、台湾語(福語)に次いで客家語の放送が行われることが普通である。また、台湾では世界で唯一の客家語専門テレビ局客家電視台があり、ケーブルテレビ網を通してニュースや文化的な番組を始め、ドラマや娯楽番組などの放送を行っている。

特徴[編集]

客家の人々は、周辺に住む他の集団とは異なり、山間部に好んで居住することが多く、独特の言語・文化を持っている。言語は古代の漢族語を今に伝えているといわれる。そのために歴史的に他の集団と軋轢を起こすことも多い。しかし、少数派であるがゆえに劣勢であるため、中央政権や王朝と良好な関係を保とうとする傾向がある。このような背景から、客家には漢人としての意識が比較的強いとも言われる。

移民の通例として土地の所有が困難であったために流通商業に従事することが多く、師弟の教育にも熱心なことで知られる。商業の他には教育の高さから教職に就くことが多い。これらの特色から「中国のユダヤ人」などと呼ばれることもある。客家を含む華僑ユダヤ人アルメニア人印僑と共に「四大移民集団」の一つと言われる。

客家の多い地域に中国共産党が非常に強い影響力を持った為、客家には共産党勢に加わった者が多かった。

また伝統的な中国人の階級意識において卑しめられることの多かった軍人となった者や、反乱や革命に参加する者も近代以前から多い。そのため、太平天国の指導者である洪秀全や、中国国民党孫文、中国共産党の小平やシンガポールのリー・クアンユー(李光耀)などを輩出した。台湾総統の李登輝や映画監督の侯孝賢も出自は台湾に移住した客家であり、タイ首相を務めたタクシン・チナワットインラック・シナワトラ兄妹も出自はタイに移住した客家である。

福建土楼[編集]

福建土楼(振成楼)

よく知られている土楼(円形のものは円楼、正方形など四角形のものは方楼)と呼ばれる独特の集合住宅は、客家人全体の習俗ではなく、福建省の一部山間部の客家人だけに見られるもので、外部からの襲撃を防ぐために作られており、一族がまとまって居住している。また、広東省や香港では「圍」と呼ばれる、城壁のような壁の中に村を築く方法も取られていた。このことから客家の間には、他の漢民族と比べ規律を重視する気風が生まれた。

外見の形状がミサイルサイロに似ている事から、米中国交樹立前のアメリカ合衆国衛星写真の解析・判断を誤らせる基となった(中国共産党が実効支配する中国大陸各地に大規模な核基地が建設されていると誤解)。

2008年7月、「福建土楼」としてユネスコ世界遺産に登録された。

研究[編集]

客家という民族的概念が定着したのは中国で近代に入ってからである。羅香林は1930年代に客家学を創始し、「優秀性」「独自性」「中原起源」などが強調された現在の客家のイメージを創り上げた。台湾においては、戦後の国民党政権において台湾を中国の一部とみなす中国ナショナリズムが植えつけられた時期にそのような概念が流通したとする指摘もある。 [1] 劉鎮発は、客家は北方からの移民ではなく、広州人との械闘の中で起源の正当性を主張したことが誤まって定説とされたと主張した。[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 田上 智宜「「客人」から客家へ―エスニック・アイデンティティーの形成と変容―」、『日本台湾学会報』第9巻、2007年5月
  2. ^ 劉鎮發『客家- 誤會的歷史、歷史的誤會』

外部リンク[編集]